村行事の取材でお世話になった同年代の男性から申し出があって県立民俗博物館に出かけた。
私がとらえた大和の民俗写真展である。
当番の日の8日は事情があってこられなかった。
じゃぁ、特別に解説しましょうということで訪れたのだ。
1時間ほどそれぞれのカメラマンが独自の切り口でとらえた「思い」を伝えながら「食」文化を展示された写真をもとに語らせてもらった。
写真のウラ側にあるものを知る限りの情報で話した。
世界遺産の公認講師資格者でもあるAさん。
地元の歴史・文化や奈良大和も深い造詣もお持ちだ。
しかもだ。平成21年に発刊した『奈良大和路の年中行事』も買ってくださっている。
ありがたい方に、どこにでもあるような小さな「民俗」を話させていただいたことに感謝する。
伝えなきゃならないことは数多くあるが所用もあるので館を離れた。
次に訪れたのは橋本町にある「きらっ都・奈良」だ。
他界された飯田敏男さんが遺した数々の写真が展示されている。
案内されたのは関係者のみ。
案内ポスターに映し出されたお顔を拝見した。
見覚えのあるお顔だ。
近鉄郡山駅で電車を待つ姿をお見かけしたことがある。
たった2回ほどであった。
始めて拝見したのは大宇陀の野依(のより)だ。
5月5日に節句のオンダが行われている野依は平成16年に訪れた。
そこにおられたのが飯田氏だった。
お話しをする機会はなかったが、お顔や姿は記憶に残っていた。
愛用のカメラであろうと思われたカメラは一眼レフでもなく手巻きマニュアルカメラを首にぶら下げていた。
その印象が強く残っていた。
近鉄郡山駅で見かけたときもそのカメラを首から下げていた。
待つ駅は反対側だったのでお声はかけられなかった。
たぶんに住まいは地元の大和郡山だと思った。
故人となられた飯田氏が遺された写真を拝見したく訪れた写真展。
作品はすべてがモノクロ。
平成23年から25年にかけて撮られた写真プリントを展示する。
展示と云っても額縁に入れて掲げたものではない。
遺族から預かられて世話人が会場に持ちこまれた800枚のプリント。
大量な作品は机に並べられた。
マツリ、縁日、観光、街などの情景に集まる人を捉えた作品群に圧倒される。
二人連れ、三人連れもあれば群集もある。
被写体人物は高齢、壮年、若者、学生、子供までの男性、女性、男児、女児。
一見ばらばらのように見えるがそうではない。
写し込んだ人たちがまるで会話、談笑しているかのようだ。
家族、知人なのか、それともたまたま遭遇した集まりなのか判らない。
通り過ぎる人もおれば、そこに居る人たちもそれぞれに表情・動作がある。
人々が点々としているにも拘わらず、それぞれに存在感を示す被写体。
しかも空間を感じさせない。
無駄な隙間がない群像をとらえた情景は、まるで計算しつくした上で作品群なのだ。
巧みな人物配置・構成を拝見してつくづく思ったのは「人それぞれの人生を語った」作品ではないだろうか。
とらえた写真は自宅で現像してベタ焼き。
より洗練された作品をプリントする。
人生最後のプリントは何十年も通い続けた五個荘の祭りだったそうだ。
その日限りの展示会は大勢の友人たちが集まってにぎやかし。
「飯田氏からのメッセージ」は和やかに惜しまれた。
(H26.11.27 SB932SH撮影)
私がとらえた大和の民俗写真展である。
当番の日の8日は事情があってこられなかった。
じゃぁ、特別に解説しましょうということで訪れたのだ。
1時間ほどそれぞれのカメラマンが独自の切り口でとらえた「思い」を伝えながら「食」文化を展示された写真をもとに語らせてもらった。
写真のウラ側にあるものを知る限りの情報で話した。
世界遺産の公認講師資格者でもあるAさん。
地元の歴史・文化や奈良大和も深い造詣もお持ちだ。
しかもだ。平成21年に発刊した『奈良大和路の年中行事』も買ってくださっている。
ありがたい方に、どこにでもあるような小さな「民俗」を話させていただいたことに感謝する。
伝えなきゃならないことは数多くあるが所用もあるので館を離れた。
次に訪れたのは橋本町にある「きらっ都・奈良」だ。
他界された飯田敏男さんが遺した数々の写真が展示されている。
案内されたのは関係者のみ。
案内ポスターに映し出されたお顔を拝見した。
見覚えのあるお顔だ。
近鉄郡山駅で電車を待つ姿をお見かけしたことがある。
たった2回ほどであった。
始めて拝見したのは大宇陀の野依(のより)だ。
5月5日に節句のオンダが行われている野依は平成16年に訪れた。
そこにおられたのが飯田氏だった。
お話しをする機会はなかったが、お顔や姿は記憶に残っていた。
愛用のカメラであろうと思われたカメラは一眼レフでもなく手巻きマニュアルカメラを首にぶら下げていた。
その印象が強く残っていた。
近鉄郡山駅で見かけたときもそのカメラを首から下げていた。
待つ駅は反対側だったのでお声はかけられなかった。
たぶんに住まいは地元の大和郡山だと思った。
故人となられた飯田氏が遺された写真を拝見したく訪れた写真展。
作品はすべてがモノクロ。
平成23年から25年にかけて撮られた写真プリントを展示する。
展示と云っても額縁に入れて掲げたものではない。
遺族から預かられて世話人が会場に持ちこまれた800枚のプリント。
大量な作品は机に並べられた。
マツリ、縁日、観光、街などの情景に集まる人を捉えた作品群に圧倒される。
二人連れ、三人連れもあれば群集もある。
被写体人物は高齢、壮年、若者、学生、子供までの男性、女性、男児、女児。
一見ばらばらのように見えるがそうではない。
写し込んだ人たちがまるで会話、談笑しているかのようだ。
家族、知人なのか、それともたまたま遭遇した集まりなのか判らない。
通り過ぎる人もおれば、そこに居る人たちもそれぞれに表情・動作がある。
人々が点々としているにも拘わらず、それぞれに存在感を示す被写体。
しかも空間を感じさせない。
無駄な隙間がない群像をとらえた情景は、まるで計算しつくした上で作品群なのだ。
巧みな人物配置・構成を拝見してつくづく思ったのは「人それぞれの人生を語った」作品ではないだろうか。
とらえた写真は自宅で現像してベタ焼き。
より洗練された作品をプリントする。
人生最後のプリントは何十年も通い続けた五個荘の祭りだったそうだ。
その日限りの展示会は大勢の友人たちが集まってにぎやかし。
「飯田氏からのメッセージ」は和やかに惜しまれた。
(H26.11.27 SB932SH撮影)