マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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上市六軒町の立山

2017年03月05日 08時24分20秒 | 吉野町へ
吉野町の上市に今もなお立山をしていると知ったのは何時なのか。

覚えてないが、それを知った発端は何かのキーワードでぐぐっていたときだ。

キーワードは何なのか、さっぱり記憶にないが、目に入った「立山」に飛びついた。

その情報は「吉野町上市花火大会」だったと思う。

頁文を精査すれば六軒町商店街主催の「たてやま(立山)」が行われているとある。

平成18年は7月末の土曜日。

平成24年は尾仁山から立野まで周回コースの記事もある。

ここで書いたが半信半疑のことである。

奈良県内で今もなお「立山」をしているのはごく僅か。

平成27年2月4日、拝見した奈良町正月行事の春日講企画展示の古文書から発展した「立山」記事を書いた。

再掲したいが長文になるのでこちらを拝読していただきたい。

要は現存する立山行事は御所市東名柄広陵町三吉橿原市八木町の3カ所である。

文中記事にも書いたが、探しているのは吉野町上市である。

それも六軒町とはどこなのか、である。

その場が考えられるのは旧街道。

川沿いにある県道ではなく少し奥に入った旧街道であった。

近鉄電車の大和上市駅より下ったところが旧街道。

ここら辺りであろうと思って店屋を探す。

商売をしている店屋さんは地域に配達するから事情がわかるはず。

そう思って訪ねたお店は中久保米穀店主。

上市に各大字がある。

ここは尾仁山(おにやま)。

旧街道沿いに東に向かう。

順に六軒町(ろっけんちょう)、本町(ほんまち)、横町(よこちょう)、上ノ町(かみのちょう)。上ノ町の上に轟(とどろき)。

旧街道に戻って立野(たちの)になるという。

店主が云うにはかつて街道沿いの大字それぞれが立山をしていたそうだ。

ここ尾仁山もしていたが、今では六軒町だけがしていると云う。

米穀店より東へ向かう。

ほどよい距離に人だかりがある。

その手前に貼ってあった3枚の観光案内ポスター。



中央がこの日の花火大会。

午後8時から始まるが、今回の目当ては花火ではない。

右側のポスターは花火大会が始まる時間までに行われる吉野川の灯籠流しであるが、六軒町の立山のことはどこにも書いていない。

左側にあるポスターは翌月の8月に行われる大盆踊り大会。

いずれも場所は同じであるが、このポスターに書いてあった催しに炭坑節、河内音頭に続いて「祭文語り」がある。

民俗を取材している私にとっては必見である。

今年は地蔵盆の日と重なっているので取材はできないが、来年の課題としておこう。

人だかりのある場所に話を戻そう。

そこにおられた人たちにお聞きすれば、今まさに最後の調整をしている最中だと云う。

取材の主旨を伝えてこの地にできる限り滞在したい。

この近くに駐車場・・・といえばうちの向かいに若干停められる場所があるからと云われた。

ありがたいご厚意に感謝する六軒町の第一歩はこうして始まった。

今年の立山の出し物は「仮面ライダーゴースト」。



作業場は区の倉庫。

この場を借りて設営する見世物は六体もある。

主役はもちろん仮面ライダーゴースト。

戦う相手は誰だ。

孫でもおればわかるだろうが、我が家の息子たちは未婚。

それ以前であるだけに、これは何々といわれてもピンとこない。

たぶんに左端が仮面ライダーゴースト。

その後ろに立っているのが闘魂ブースト魂。

右の奥に立つ電気眼鏡。

その前は槍剣魔だろう。



さてと。

中央はなんだろうか。

どうやら恐竜をイメージしているらしい。

それがなんと動くのである。

ガォーと叫ぶうなり声は聴けないが・・・ぐぐっと前に迫ってくる。

動きを調製している男性は製作者。

作業場は暑い。

後方に設置してある風起こしの舞台設定は扇風機。

工夫を凝らした舞台は大道具もあれば見えない道具もある。

六軒町の立山は吉野町の花火大会期間に展示される。

製作は何か月も前から始まっている。

立山を造る会は15人。

元々は婦人部もある商工会の青年部だった。

仕事を終えて集まること何日間も。

構想から始まってテーマ決め、デザイン設計、材料調達。

夏休みも返上する毎晩の7時から10時まで作業をしてきた。

最修の完成は花火大会の初日を目指して日夜ガンバッテきた。

動く部分は専門家の出番。

ここが要の立山に苦労があると云う。



迫力ある仮面ライダーゴーストに集まってくる近所の子どもたち。

ずっと見ている子どもおれば、たまたま通りがかった親子連れも。

何かが始まる期待感をもたせる仮面ライダーゴーストに目が点だ。



今回の立山の引き立て役は植物がある。

前面に何もなければ単なるウィンドウディスプレイ。

そこに工夫する恐竜が生存しているかのように繁みをみせるのは茅である。

吉野川に生えている茅を刈り取ってきた。

しなしなに枯れてはなんにもならないので直前までは水を溜めていた廃棄風呂桶に浸けていた。



川にはとにかく多い茅がある。

いくら刈っても減ることはないという。

それほど多い茅の葉。

それがなくて茅の輪の設営ができなかった神社がある。

困っていたのは奈良市の大安寺八幡宮(元石清水八幡宮)。

もし良ければもらって帰っても・・。

この日の余りではなく自然に生えている川原の茅(上市の橋の下)を、である。

それならどうぞ、どうぞである。

たくさん刈り取ってもらってくれれば私どもも助かるというのだ。

区長に頂戴したいと連絡いただければ、ということに、その件は後日になるが、存じている大安寺八幡宮の宮司に繋いだ。

ところで毎年の立山。

工夫して製作した前年のものを保管しているという。

ベランダから見下ろす人形たちは、すぐにわかるだろうか。



孫がいない私はピンとこなかったが妖怪ウォッチの三体。

中央の少年は主人公のケーター。

両脇の2体は・・・。

右がジバニャンで左はフユニャン。

こういう機会でもなけりゃ覚えることはないだろうが、たぶんにすぐ忘れてしまう。

ちなみに前々年は北海道丸山動物園だったそうだ。

その年、その年ごとの流行りのものを造る。

その昔はその夜限りの登場であったが、今では花火大会が終わってからでも展示している。

7月21日からは子どもたちが楽しみにしている夏休み。

今年は8月5日まで飾っているという六軒町の立山はかつて他市の人たちに引き取られて、そこで展示していたそうだ。

行先の詳しさは現地に行ったことがないのでわからないが、どうやら橿原市の八木町だったようだ。

引き取りに来た人は六軒町で展示したそのままの状態で運んだようだ。

そのころはと云ってもはっきりした年代はわからないが、毎年に現われては譲ってもらった立山を持ち帰ったそうだ。

向こうで展示した六軒町の立山は八木の愛宕祭に再利用。

展示場は小学校の傍だったか、それとも商店街だったか・・。

祭りが終われば引き取った人が処分していたそうだ。

そういえばいつのまにか来ないようになった。

割合、歳がいった人だったのでやめたかも知れないと話す。

造った立山は壊すのが惜しいが残して保管する場所もない。

引き取り手があった時代は復活しない。

昨年の妖怪ウォッチは今でもベランダにいるが、いつまでもというわけにはいかないのである。

ちなみに立山会場前にはテントを張って写真展を開催していた。



納涼懐古写真展テーマは「たてやまと上市の風景」。

およそ65年前の六軒町の懐かしい風景写真を展示していた。



昭和26年の夏祭りに六軒町商店街仮装行列に羽根つきの様相。



昭和26年といえば私が誕生した年でもある。

そういえば区長さんも同い年。

地域は違うが、育ってきた年代文化は同じだけに話が弾む。

河川敷でしていたとんど行事は昭和32年。



吉野川では納涼なのか、鵜飼いもしている。

先頭に松明を掲げて船を動かす鵜匠の衣装に腰蓑も写っている。

貴重な写真に感動を覚える。その頁には捕鮎もある。

網を投げる子どもはふんどし姿にように思える。

さまざまな懐古写真で回顧する。

ところで翌月8月の盆踊りである。

そこで披露される「祭文踊り」は8月13日、14日、15日のいずれかの午後7時から夜の10時まで。

一夜限りの盆踊りに吉野町の祭文踊り保存会の皆さんが出演するという。

保存会の人たちの大多数は同町の国栖や楢井に住む人たちのようだ。

若い女性の踊り子を引き連れるのは年寄りの男性。

同町の龍門にある体育館で日夜の練習を重ねているらしい。

昔はその地、この地からかってくる踊り子たちが乗用車に乗って駆けつけたようだ。

それほど盛り上がっていたという盆踊りも拝見してみたいと思った。

(H28. 7.30 EOS40D撮影)
(H28. 7.30 SB932SH撮影)