昭和28年に建替えた家で娘たちが育った。
それ以前は茅葺の家だったという。
門屋から入るカド庭に干してあった梅干し。
8月1日も拝見した土用干しの梅。
染めたシソの葉ものせている箕がなんともいえない。
梅干しは5kgずつ箕に置いて干す。
今年、2回目の土用干しにまたもや遭遇できるなんて奇遇としか言いようがない。
昔は養蚕もしていた。
特別な部屋を設けて蚕さんを飼っていた。
その時代は小学校のころだというからずいぶん前のことだ。
例年であれば午前11時に墓参りをするN家の家族。
昔は親戚兄弟たちも一緒に参っていたが、今は娘家族と参っている。
母親は家の料理作りがあるから参られない。
ラントバは崖の上にあった。
本家筋の墓石のすべてを下ろして参りやすいようにした墓地は下垣内に住む人たちが参る墓。
宮垣内、中垣内、口之倉などの垣内の人たちはその垣内にあるラントバに参る。
口之倉垣内を除く宮、中、下垣内の戸数は24戸。
いずれも小さく纏まった戸数である。
そろそろ出かけようかと車に乗って山の道を行く。
急な坂に急なカーブ道。
山間部特有の車路に難なく軽トラを運転するご主人。
娘家族もそれについていく。
私もその車についていく。
で、なければ迷ってしまう山間の道である。
着いたら直ちに墓参りの設営に入る。
墓石の前に並べるお供え。
大きな葉はハスの葉。
かつては柿の葉を一枚ごとに乗せる御供皿であった。
今ではハスの葉が一枚。
キュウリやナスビにモモ、マッカ、ブドウ、バナナなどの果物にお菓子にプルトップを引いて開けた缶ビールも並べていたら、隣家の人たちもお参りにきた。
手桶を手にして通り抜ける隣家の人は奥に行く。
娘や孫たちは先祖さんの墓すべてにお花を立てる。
家で栽培したお花はダリアにヒャクニチソウ、グラジオラス。
二日前の5日に揃えて束ねていたそうだ。
花を立てるのはこの日のために用意した新竹の青竹。
30本もあるから先祖さんの墓が多いということだ。
桶に汲んだ水墓石にかける。
孫は指示を受けることなく自然体で花も立てるし水もあげる。
線香を立てて持参した家の小鉦を打つ。
皆は墓石に向かって手を合わせる。
先祖代々相法界。
文化、文政から始まる天保、弘化、嘉永、安政、元治、慶応・・・先祖さんに亡くなった兄弟や両親などの供養に戒名を唱える。
それから般若心経を一巻。
最後にやーて、やーてを三回唱えて〆る。
当主曰く、先祖は江戸中期に文化時代より位牌があるという。
ところが、だ。
この日に拝見した墓石の中には天保(1830~)に混じって宝暦(1751~)に寛文(1661~)年代の刻印が見つかった。
墓石年も鮮明に判読できた。
正確にいえば宝暦四年(1754)に寛文十三年(1673)である。
目についたのはそれぐらいだが一面しか見ていないので他にも刻印があるかもしれないが、そのことを伝えたらご主人は驚いておられた。
N家の墓年代は古い。
実は我が家の本家の墓も古い。
場所は三重県の伊賀上野になるが、明確に確認できた年号刻印は宝暦五年亥(1755)、天明年間(1789~)、寛政六年(1794)、文化元年(1804)、文政年間(1818~)、天保二年辛卯(1831)だった。
宝暦五年の墓石が先祖代々の最古。
今から262年も前だったから、N家とは一年違い。
ほぼ同じ時期であったことに驚きである。
その時間帯の墓参りは隣家も揃って念仏を唱えていた。
取材させていただくお家は先祖さんだけでなく親類や無縁仏の墓も参られる。
その場はラントバのまだ上の崖の上にある。
その場にある墓石。
同じように花を立てて水をかける。
線香をくゆらせて鉦叩き。
同じように般若心経一巻を唱える。
もう1カ所はここより先にある。
草むらに覆われた地はラントバが元々あった地である。
無縁さんの墓にも丁寧にお参りをされるご家族に感心するばかりだ。
昼ご飯を食べてヒンネ(昼寝)をしてから参るとも話していたご家族の墓参りは「塔参り」。
ラントバに参ることから「ラントバさんの塔参り」と呼んでいる。
塔参りを終えたご家族は自宅に戻ってきた。
戻れば仏壇にお供えをする。
炊いた白米に一個の梅干しである。
「できあい」の家料理を味わってほしいといわれて座敷でよばれる。
昔は茶粥もあったそうだが、ご馳走じゃないけどと云いながら次から次へと食卓に並べられる料理は盛りだくさん。
ナスビのたいたんに伏見アマナガの煮びたし。
カボチャにナスビの煮びたし。
キュウリのキューちゃんに生姜のきざみもみ。
ニヌキタマゴにコンニャク、イカ、アゲサン、ジャガイモ、キュウリのハンゲツなどは味醂に酒と出汁醤油で煮る。
タラとサワラはフライパン揚げ。
甘い味のトラマメはキビ砂糖で味を調整。
どれをいただいてもとても美味しい家の料理に舌鼓を打つ。
奥さんが生まれ育った地は天理市の藤井町。
実家は存じている。
そこでのお盆は柿の葉の皿を並べてナスビやキュウリ、半切りスイカなどを供えていた。
墓石は30塔。
萱森と同じように花立てをしていたが近年はプラスチック製になったようだが、いずれも県内事例に拝見するお供えの在り方である。
奥さんがいうには同市の福住小野味は8月4日であったそうだ。
(H28. 8. 7 EOS40D撮影)
それ以前は茅葺の家だったという。
門屋から入るカド庭に干してあった梅干し。
8月1日も拝見した土用干しの梅。
染めたシソの葉ものせている箕がなんともいえない。
梅干しは5kgずつ箕に置いて干す。
今年、2回目の土用干しにまたもや遭遇できるなんて奇遇としか言いようがない。
昔は養蚕もしていた。
特別な部屋を設けて蚕さんを飼っていた。
その時代は小学校のころだというからずいぶん前のことだ。
例年であれば午前11時に墓参りをするN家の家族。
昔は親戚兄弟たちも一緒に参っていたが、今は娘家族と参っている。
母親は家の料理作りがあるから参られない。
ラントバは崖の上にあった。
本家筋の墓石のすべてを下ろして参りやすいようにした墓地は下垣内に住む人たちが参る墓。
宮垣内、中垣内、口之倉などの垣内の人たちはその垣内にあるラントバに参る。
口之倉垣内を除く宮、中、下垣内の戸数は24戸。
いずれも小さく纏まった戸数である。
そろそろ出かけようかと車に乗って山の道を行く。
急な坂に急なカーブ道。
山間部特有の車路に難なく軽トラを運転するご主人。
娘家族もそれについていく。
私もその車についていく。
で、なければ迷ってしまう山間の道である。
着いたら直ちに墓参りの設営に入る。
墓石の前に並べるお供え。
大きな葉はハスの葉。
かつては柿の葉を一枚ごとに乗せる御供皿であった。
今ではハスの葉が一枚。
キュウリやナスビにモモ、マッカ、ブドウ、バナナなどの果物にお菓子にプルトップを引いて開けた缶ビールも並べていたら、隣家の人たちもお参りにきた。
手桶を手にして通り抜ける隣家の人は奥に行く。
娘や孫たちは先祖さんの墓すべてにお花を立てる。
家で栽培したお花はダリアにヒャクニチソウ、グラジオラス。
二日前の5日に揃えて束ねていたそうだ。
花を立てるのはこの日のために用意した新竹の青竹。
30本もあるから先祖さんの墓が多いということだ。
桶に汲んだ水墓石にかける。
孫は指示を受けることなく自然体で花も立てるし水もあげる。
線香を立てて持参した家の小鉦を打つ。
皆は墓石に向かって手を合わせる。
先祖代々相法界。
文化、文政から始まる天保、弘化、嘉永、安政、元治、慶応・・・先祖さんに亡くなった兄弟や両親などの供養に戒名を唱える。
それから般若心経を一巻。
最後にやーて、やーてを三回唱えて〆る。
当主曰く、先祖は江戸中期に文化時代より位牌があるという。
ところが、だ。
この日に拝見した墓石の中には天保(1830~)に混じって宝暦(1751~)に寛文(1661~)年代の刻印が見つかった。
墓石年も鮮明に判読できた。
正確にいえば宝暦四年(1754)に寛文十三年(1673)である。
目についたのはそれぐらいだが一面しか見ていないので他にも刻印があるかもしれないが、そのことを伝えたらご主人は驚いておられた。
N家の墓年代は古い。
実は我が家の本家の墓も古い。
場所は三重県の伊賀上野になるが、明確に確認できた年号刻印は宝暦五年亥(1755)、天明年間(1789~)、寛政六年(1794)、文化元年(1804)、文政年間(1818~)、天保二年辛卯(1831)だった。
宝暦五年の墓石が先祖代々の最古。
今から262年も前だったから、N家とは一年違い。
ほぼ同じ時期であったことに驚きである。
その時間帯の墓参りは隣家も揃って念仏を唱えていた。
取材させていただくお家は先祖さんだけでなく親類や無縁仏の墓も参られる。
その場はラントバのまだ上の崖の上にある。
その場にある墓石。
同じように花を立てて水をかける。
線香をくゆらせて鉦叩き。
同じように般若心経一巻を唱える。
もう1カ所はここより先にある。
草むらに覆われた地はラントバが元々あった地である。
無縁さんの墓にも丁寧にお参りをされるご家族に感心するばかりだ。
昼ご飯を食べてヒンネ(昼寝)をしてから参るとも話していたご家族の墓参りは「塔参り」。
ラントバに参ることから「ラントバさんの塔参り」と呼んでいる。
塔参りを終えたご家族は自宅に戻ってきた。
戻れば仏壇にお供えをする。
炊いた白米に一個の梅干しである。
「できあい」の家料理を味わってほしいといわれて座敷でよばれる。
昔は茶粥もあったそうだが、ご馳走じゃないけどと云いながら次から次へと食卓に並べられる料理は盛りだくさん。
ナスビのたいたんに伏見アマナガの煮びたし。
カボチャにナスビの煮びたし。
キュウリのキューちゃんに生姜のきざみもみ。
ニヌキタマゴにコンニャク、イカ、アゲサン、ジャガイモ、キュウリのハンゲツなどは味醂に酒と出汁醤油で煮る。
タラとサワラはフライパン揚げ。
甘い味のトラマメはキビ砂糖で味を調整。
どれをいただいてもとても美味しい家の料理に舌鼓を打つ。
奥さんが生まれ育った地は天理市の藤井町。
実家は存じている。
そこでのお盆は柿の葉の皿を並べてナスビやキュウリ、半切りスイカなどを供えていた。
墓石は30塔。
萱森と同じように花立てをしていたが近年はプラスチック製になったようだが、いずれも県内事例に拝見するお供えの在り方である。
奥さんがいうには同市の福住小野味は8月4日であったそうだ。
(H28. 8. 7 EOS40D撮影)