お神酒を供えて大祓詞を唱えている。
若いもんも2礼2拍手する。
縄結いは午後。家で昼食を摂った村の人、12~13人が寄って縄結い作業を始めると聞いてやってきた御所市の西佐味。
ここは西佐味の一角にある谷出垣内。
タニデが訛ってタンデ垣内と呼んでいる。
手刈りした稲藁を持ってきた地区の人たち。
作付、刈り取りした稲は粳米もあれば糯米もある。
特に決めてはいない注連縄の材料は2把から3把ぐらいを持ってくる。
集まって作業する場はヤド家の作業場を借りて行われる。
太い注連縄はひと握りの藁束をもつ。
左結いして藁に撚りをつける。
太い藁束が二本。
それ自身も拠っていくが、その際に一握りの藁束を差し込む。
継ぎ足しの藁束である。
そのときからは右に拠る。
力強く拠った二本を左まわしで絡ませる。
結い方を説明するのは実に難しい。
体験して覚えるのが一番だが、撚りの方向は巻く方から見るのか、それとも逆の方からによってかわってくる。
こういう場合はビデオなどで動画を・・と、ついつい思ってしまう。
太い二本撚りの長さを測る。
基準となる紐が用意されていた。
その長さは7m。
大川杉の幹回りに合わせた長さである。
紐はPP紐。
これで尺をとる。
これができたらもう一本の太い藁束を継ぎ足す。
先ほどと同じように継ぎ足して右回りに締める。
それを二本撚りにした縄の下をくぐらせて向こう側にいる相方に手渡す。
交替して同じように継ぎ足して右締め。
そして上から手渡す。
これを交互に結っていく。
太くなった縄は結うごとに捩じれ現象。
後方にある長い縄脚を正常に戻して調整する。
一方、細めの縄を結う人もいる。
これは最後に太い注連縄に取り付けるボンボリを取り付けるための藁結いである。
ボンボリ、或は別名にチンチラの名もある藁の房は三つ作る。
一握りの藁束を結った縄で中央辺りを廻してぐっと締める。
予めにしておくのは先に作っておいた縄を中心部に添えておくことだ。
それがなければボンボリは太い注連縄に取りつけられない。
括った縄の部分から数本ずつ反対側に折る。
向こう寄りに折っていく。
少しずつ、少しずつ折りたたむようにする。
何周かすれば、あら不思議。
奇麗なボンボリの形になったのだ。
その状態であれば戻ってしまうから一本の藁を紐のようにくるっと巻いて締める。
強く締めて結び締め。
藁切り包丁で、ぐさっと不要な部分を切る。
これで完成した房は1m間隔で取り付ける。
一時間余りの作業で太い注連縄が出来上がった。
頭の部分に結った縄を括り付けた注連縄は重たい。
5人がかりで運ぶ。
作業を終えた人たちの出発姿は誇らしげ。
影絵に写った姿はまるで龍のように見えた。
房の間に紙垂れも付けて出発だ。
地区の人たちは全員が長靴姿。
これを見て持ってこなかったことを反省する。
ここよりそれほど遠くない大川杉。
畑内を歩いて運んでいく。
そうして始まった注連縄架け。
先頭に付けていた縄で引っ張って幹回りを通す。
注連縄を架ける位置はやや高め。
架けてから風雨によって若干は垂れさがる。
それを見越してやや高め。
足場が悪い場に踏ん張って背伸びしながら回す。
位置が決まれば頭に取り付けていた縄で縛る。
房や紙垂れが画面に入れば良かったが反対側にある。
とてもじゃないが向こう側には回れない。
さて、お参りをする場である。
前日に拝見した写真家楳生空見さんがとらえた場ではなかった。
その畑から降りた平坦道である。
そこは大川杉の根元から昏々と湧いている豊富な水場である。
祭壇替わりのコンクリート台に乗せたお神酒はワンカップ。
三枚の葉をつけた笹の葉を入れている。
その理由は聞かなかったが、これまで拝見したことのない祭り方に感動するのである。
谷出垣内の命水が湧き出る場に向かって唱える心経は七日心経。
水の神さんに禊の大祓詞も唱えた。
奈良県の天然記念物に指定されている「大川杉」も嬉しかろう。
高鴨神社・県教育委員会・市教育委員会が立てた掲示物に「この杉は、樹齢約六百年幹の周りが約六メートルもあり、地元西佐味の人達によって今日まで大切に育てられてきました。この杉は、井戸杉と称せられ根元から湧き出る水は、古来飲料水として尊ばれ、西佐味の田畑をもうるおしています。七十年ほど前に雷が落ちて、二またの一方が枯れましたが、親木は難をまぬがれました。これも根元に祭られている三体地蔵さんのおかげといわれています。毎年七月三十日には、この杉にしめなわを飾り豊作を祈念して祭られています。高鴨神社に残されている古文書に神社の立ち木は水利のために切(伐)り倒してはならない、と記されていることからも「大川杉」によせられてきた地元の人々の願いを知ることができます」とあった。
水の神さんに参った地区の人たちは慰労会に移る。
クーラーがよく効いている西佐味自治会館に移動していった。
(H28. 7.31 EOS40D撮影)
若いもんも2礼2拍手する。
縄結いは午後。家で昼食を摂った村の人、12~13人が寄って縄結い作業を始めると聞いてやってきた御所市の西佐味。
ここは西佐味の一角にある谷出垣内。
タニデが訛ってタンデ垣内と呼んでいる。
手刈りした稲藁を持ってきた地区の人たち。
作付、刈り取りした稲は粳米もあれば糯米もある。
特に決めてはいない注連縄の材料は2把から3把ぐらいを持ってくる。
集まって作業する場はヤド家の作業場を借りて行われる。
太い注連縄はひと握りの藁束をもつ。
左結いして藁に撚りをつける。
太い藁束が二本。
それ自身も拠っていくが、その際に一握りの藁束を差し込む。
継ぎ足しの藁束である。
そのときからは右に拠る。
力強く拠った二本を左まわしで絡ませる。
結い方を説明するのは実に難しい。
体験して覚えるのが一番だが、撚りの方向は巻く方から見るのか、それとも逆の方からによってかわってくる。
こういう場合はビデオなどで動画を・・と、ついつい思ってしまう。
太い二本撚りの長さを測る。
基準となる紐が用意されていた。
その長さは7m。
大川杉の幹回りに合わせた長さである。
紐はPP紐。
これで尺をとる。
これができたらもう一本の太い藁束を継ぎ足す。
先ほどと同じように継ぎ足して右回りに締める。
それを二本撚りにした縄の下をくぐらせて向こう側にいる相方に手渡す。
交替して同じように継ぎ足して右締め。
そして上から手渡す。
これを交互に結っていく。
太くなった縄は結うごとに捩じれ現象。
後方にある長い縄脚を正常に戻して調整する。
一方、細めの縄を結う人もいる。
これは最後に太い注連縄に取り付けるボンボリを取り付けるための藁結いである。
ボンボリ、或は別名にチンチラの名もある藁の房は三つ作る。
一握りの藁束を結った縄で中央辺りを廻してぐっと締める。
予めにしておくのは先に作っておいた縄を中心部に添えておくことだ。
それがなければボンボリは太い注連縄に取りつけられない。
括った縄の部分から数本ずつ反対側に折る。
向こう寄りに折っていく。
少しずつ、少しずつ折りたたむようにする。
何周かすれば、あら不思議。
奇麗なボンボリの形になったのだ。
その状態であれば戻ってしまうから一本の藁を紐のようにくるっと巻いて締める。
強く締めて結び締め。
藁切り包丁で、ぐさっと不要な部分を切る。
これで完成した房は1m間隔で取り付ける。
一時間余りの作業で太い注連縄が出来上がった。
頭の部分に結った縄を括り付けた注連縄は重たい。
5人がかりで運ぶ。
作業を終えた人たちの出発姿は誇らしげ。
影絵に写った姿はまるで龍のように見えた。
房の間に紙垂れも付けて出発だ。
地区の人たちは全員が長靴姿。
これを見て持ってこなかったことを反省する。
ここよりそれほど遠くない大川杉。
畑内を歩いて運んでいく。
そうして始まった注連縄架け。
先頭に付けていた縄で引っ張って幹回りを通す。
注連縄を架ける位置はやや高め。
架けてから風雨によって若干は垂れさがる。
それを見越してやや高め。
足場が悪い場に踏ん張って背伸びしながら回す。
位置が決まれば頭に取り付けていた縄で縛る。
房や紙垂れが画面に入れば良かったが反対側にある。
とてもじゃないが向こう側には回れない。
さて、お参りをする場である。
前日に拝見した写真家楳生空見さんがとらえた場ではなかった。
その畑から降りた平坦道である。
そこは大川杉の根元から昏々と湧いている豊富な水場である。
祭壇替わりのコンクリート台に乗せたお神酒はワンカップ。
三枚の葉をつけた笹の葉を入れている。
その理由は聞かなかったが、これまで拝見したことのない祭り方に感動するのである。
谷出垣内の命水が湧き出る場に向かって唱える心経は七日心経。
水の神さんに禊の大祓詞も唱えた。
奈良県の天然記念物に指定されている「大川杉」も嬉しかろう。
高鴨神社・県教育委員会・市教育委員会が立てた掲示物に「この杉は、樹齢約六百年幹の周りが約六メートルもあり、地元西佐味の人達によって今日まで大切に育てられてきました。この杉は、井戸杉と称せられ根元から湧き出る水は、古来飲料水として尊ばれ、西佐味の田畑をもうるおしています。七十年ほど前に雷が落ちて、二またの一方が枯れましたが、親木は難をまぬがれました。これも根元に祭られている三体地蔵さんのおかげといわれています。毎年七月三十日には、この杉にしめなわを飾り豊作を祈念して祭られています。高鴨神社に残されている古文書に神社の立ち木は水利のために切(伐)り倒してはならない、と記されていることからも「大川杉」によせられてきた地元の人々の願いを知ることができます」とあった。
水の神さんに参った地区の人たちは慰労会に移る。
クーラーがよく効いている西佐味自治会館に移動していった。
(H28. 7.31 EOS40D撮影)