「今年のヤマモリは8月7日の夕方。
午前中は朝から皆が集まってヤマモリ行事に食べるオニギリを作る。
35年ぶりに復活することになったシロゴハンのオニギリが・・」と、7月21日に架けてきた電話の主は田原本町佐味住民のFさんだった。
Fさんは平成27年9月13日に取材した八王子講の講中。
そう思っていたが違っていた。
今夕にお会いした電話主のFさんは天神社前に住む男性だった。
講中でもなかったのだ。
Fさんにお会いしたのはそれ以前の平成26年の8月3日のことである。
天神社境内に村の人たちがそれぞれゴザを敷いて手造りの弁当を広げて食べる行事を調べに来ていた。
行事名称は「ヤマモリ」である。
訪れた3日は日曜日だった。
「ヤマモリ」行事を尋ねて訪れたのはこの日が始めてではなかった。
平成25年の9月15日も訪れている。調べていた佐味の「八王子講」の調査である。
どなたが関係しているのかさっぱり掴めなかったので翌日の16日も訪れた。
何軒かのお家を訪ねてわかったのはヤマモリの日だった。
本来は8月1日だったが、今は第一日曜日になったということである。
訪れた3日は日曜日であったが、「ヤマモリ」は前日から降り出した雨の影響で中止となったのだ。
中止となれば村が頼んでいたパック詰め料理やビールが不要になる。
不要になった飲食料は村の各戸に配る。
それをしていたのは二人の婦人だった。
残念やねと云われたがいつかは拝見したい「ヤマモリ」行事。
そのことを覚えていたFさんが電話をしてくださったのだ。
その日にお会いした方々には名刺を渡していた。
そのことも覚えておられて電話を架けた。
ありがたいことである。
なお、Fさんとお会いしたが、当時はお名前も聞いていなくて・・。
だが、八王子講中の手がかりを教えてもらった。
それによってようやく取材することができたのが佐味の八王子講であった。
Fさんが電話で伝えてくださったこの年の「ヤマモリ」は8月7日の日曜日。
夕方の午後6時ころから村の人たちが神社にやってくる。
朝の9時には長寿会、子供会がヤマモリのオニギリを作る。
オニギリはモチゴメとウルチ米を半々の分量で作る。
ずいぶん前の時代はしていたオニギリであるが、復活するのだという。
また、夜は境内でカントダキも作って食べるという。
ありがたい情報である。
Fさんが電話で云ったモチゴメとウルチ米を半々の量で作るというのはハンゴロシ。
県内事例によく聞くご飯、若しくは餅の名前である。
半分、半分だから「半」ゴロシである。
80歳のFYさんが云うには35年ぶり。
久方ぶりに復活するハンゴロシオニギリ作りの作業場は神社前の一角にある。
着いたときは子どもたちの賑やかな声が青空にこだましていた。
何人いるのか数えられないぐらいに多い。
眩しい真夏の光を浴びてキラキラしている。
子どもたちが一所懸命に洗っているのはパックである。
村総代や副総代が云うにはできるだけ子供たちに参加してもらって大人は声をかけるだけ。
つまりは体験重視。
今後の担い手は子どもが引き継いでいく。
そのことによって佐味の文化を継承していくということだ。
復活のきっかけになったのは田原本町の青少年健全育成推薦地区になったことが起因である。
青少年健全育成推薦地区は毎年替わるそうだが、「町民の人の温かさや優しさ、人と人との繋がりの大切さ、集団や社会のルールを守ることの大切さなどを子どもたちに育み地域ぐるみで取り組むために毎年選定している生涯学習課の制度」のようである。
子どもたちにとっても村にとってもいい機会に乗っかる。
そう思って見た子供たちの表情が光っていたのである。
子どもたちは佐味の子供会。
大人もいるがおにぎりを握ることのすべては子どもがしていた。
一方、お年寄りたちは張り切った。
かつてあったハンゴロシオニギリを知る人たちは後継者に伝授する。
体験していた年齢層は80歳前後の高齢者。
63歳の村総代は見ているだけだったという年代はいつごろか。
30年前、もっと前だったかもしれない。
そのずいぶん前の時代のハンゴロシオニギリのレシピはない。
作るというのはどこの行事もレシピは作っていない。
経験によって代を継ぐのである。
高齢者は体験者。
その記憶を頼りにハンゴロシオニギリを作る。
この日の取材は中途半端になりそうだ。
佐味を離れる時間はぎりぎりの10時過ぎ。
ここより東方の山間部の萱森で行われるラントバさん塔参りの取材がある。
なんとか間に合うように・・かってな願いに村総代も長老ら老人会、ご婦人たちの婦人会はそれなら一臼だけでもと作り始めてくださった。
着いたときにはすでに一臼の米は蒸していた。
それさえ間に合えばと云って動いてくれた。
蒸し上がりの飯はひっくり返して石臼に落とす。
この日のハンゴロシオニギリの材料は60kgのお米。
13臼も石臼で搗く。
搗くといっても餅つきのようなぺったん、ぺったんではない。
杵をご飯に突っ込んで押すように搗く。
コネコネとこねるように重しをかけながら搗く。
押し搗きのような感じで搗くことを「コヅキ」と呼ぶ。
餅搗きのような餅のひっくり返しはない。
それはないがシャモジで少しずつ掘り返すような感じで混ぜ込む。
これをハンゴロシの搗き方だという。
ちょっと摘まんで搗き具合を確かめる長老。
もうちょっとやなの声に再び搗く。
そこまでいくには事前の作業がある。
まずは米洗い。
水に浸けて米をしめらす。
まずは粳米を蒸す。
そこに糯米を混ぜて水をかける。
30分待って再び蒸す。
つまりは粳米、糯米半分ずつを時間差つけて蒸すのである。
手間のかかるハンゴロシオニギリ作り方はここんところが味噌である。
搗き終わったハンゴロシ状態のご飯。
材が半々なので餅と云えばよいのか・・。
搗いたハンゴロシはシャモジで掬って半切りに移していく。
餅ならひょいと持ち上げて移せるが、これもまた手間のかかる作業である。
こうしてできあがったハンゴロシは手で握る。
教わったとおりに作業する子供たちは真剣だ。
村の人に食べてもらうオニギリは堅くは握らない。
シオを軽く手につけて握る。
握ったら黒ゴマを振りかける。
毎年交替する組によって味に差があった。
この日は予め、コウジブタにシオも黒ゴマも撒いていた。
ふっくら感に握ったオニギリはコウジブタで転がす。
お母さんが握っていたように手で握る子どももいる。
みんなで作るハンゴロシオニギリは1800個も作ったと聞いたのは夕方に再びやってきたときのことだ。
(H28. 8. 7 EOS40D撮影)
午前中は朝から皆が集まってヤマモリ行事に食べるオニギリを作る。
35年ぶりに復活することになったシロゴハンのオニギリが・・」と、7月21日に架けてきた電話の主は田原本町佐味住民のFさんだった。
Fさんは平成27年9月13日に取材した八王子講の講中。
そう思っていたが違っていた。
今夕にお会いした電話主のFさんは天神社前に住む男性だった。
講中でもなかったのだ。
Fさんにお会いしたのはそれ以前の平成26年の8月3日のことである。
天神社境内に村の人たちがそれぞれゴザを敷いて手造りの弁当を広げて食べる行事を調べに来ていた。
行事名称は「ヤマモリ」である。
訪れた3日は日曜日だった。
「ヤマモリ」行事を尋ねて訪れたのはこの日が始めてではなかった。
平成25年の9月15日も訪れている。調べていた佐味の「八王子講」の調査である。
どなたが関係しているのかさっぱり掴めなかったので翌日の16日も訪れた。
何軒かのお家を訪ねてわかったのはヤマモリの日だった。
本来は8月1日だったが、今は第一日曜日になったということである。
訪れた3日は日曜日であったが、「ヤマモリ」は前日から降り出した雨の影響で中止となったのだ。
中止となれば村が頼んでいたパック詰め料理やビールが不要になる。
不要になった飲食料は村の各戸に配る。
それをしていたのは二人の婦人だった。
残念やねと云われたがいつかは拝見したい「ヤマモリ」行事。
そのことを覚えていたFさんが電話をしてくださったのだ。
その日にお会いした方々には名刺を渡していた。
そのことも覚えておられて電話を架けた。
ありがたいことである。
なお、Fさんとお会いしたが、当時はお名前も聞いていなくて・・。
だが、八王子講中の手がかりを教えてもらった。
それによってようやく取材することができたのが佐味の八王子講であった。
Fさんが電話で伝えてくださったこの年の「ヤマモリ」は8月7日の日曜日。
夕方の午後6時ころから村の人たちが神社にやってくる。
朝の9時には長寿会、子供会がヤマモリのオニギリを作る。
オニギリはモチゴメとウルチ米を半々の分量で作る。
ずいぶん前の時代はしていたオニギリであるが、復活するのだという。
また、夜は境内でカントダキも作って食べるという。
ありがたい情報である。
Fさんが電話で云ったモチゴメとウルチ米を半々の量で作るというのはハンゴロシ。
県内事例によく聞くご飯、若しくは餅の名前である。
半分、半分だから「半」ゴロシである。
80歳のFYさんが云うには35年ぶり。
久方ぶりに復活するハンゴロシオニギリ作りの作業場は神社前の一角にある。
着いたときは子どもたちの賑やかな声が青空にこだましていた。
何人いるのか数えられないぐらいに多い。
眩しい真夏の光を浴びてキラキラしている。
子どもたちが一所懸命に洗っているのはパックである。
村総代や副総代が云うにはできるだけ子供たちに参加してもらって大人は声をかけるだけ。
つまりは体験重視。
今後の担い手は子どもが引き継いでいく。
そのことによって佐味の文化を継承していくということだ。
復活のきっかけになったのは田原本町の青少年健全育成推薦地区になったことが起因である。
青少年健全育成推薦地区は毎年替わるそうだが、「町民の人の温かさや優しさ、人と人との繋がりの大切さ、集団や社会のルールを守ることの大切さなどを子どもたちに育み地域ぐるみで取り組むために毎年選定している生涯学習課の制度」のようである。
子どもたちにとっても村にとってもいい機会に乗っかる。
そう思って見た子供たちの表情が光っていたのである。
子どもたちは佐味の子供会。
大人もいるがおにぎりを握ることのすべては子どもがしていた。
一方、お年寄りたちは張り切った。
かつてあったハンゴロシオニギリを知る人たちは後継者に伝授する。
体験していた年齢層は80歳前後の高齢者。
63歳の村総代は見ているだけだったという年代はいつごろか。
30年前、もっと前だったかもしれない。
そのずいぶん前の時代のハンゴロシオニギリのレシピはない。
作るというのはどこの行事もレシピは作っていない。
経験によって代を継ぐのである。
高齢者は体験者。
その記憶を頼りにハンゴロシオニギリを作る。
この日の取材は中途半端になりそうだ。
佐味を離れる時間はぎりぎりの10時過ぎ。
ここより東方の山間部の萱森で行われるラントバさん塔参りの取材がある。
なんとか間に合うように・・かってな願いに村総代も長老ら老人会、ご婦人たちの婦人会はそれなら一臼だけでもと作り始めてくださった。
着いたときにはすでに一臼の米は蒸していた。
それさえ間に合えばと云って動いてくれた。
蒸し上がりの飯はひっくり返して石臼に落とす。
この日のハンゴロシオニギリの材料は60kgのお米。
13臼も石臼で搗く。
搗くといっても餅つきのようなぺったん、ぺったんではない。
杵をご飯に突っ込んで押すように搗く。
コネコネとこねるように重しをかけながら搗く。
押し搗きのような感じで搗くことを「コヅキ」と呼ぶ。
餅搗きのような餅のひっくり返しはない。
それはないがシャモジで少しずつ掘り返すような感じで混ぜ込む。
これをハンゴロシの搗き方だという。
ちょっと摘まんで搗き具合を確かめる長老。
もうちょっとやなの声に再び搗く。
そこまでいくには事前の作業がある。
まずは米洗い。
水に浸けて米をしめらす。
まずは粳米を蒸す。
そこに糯米を混ぜて水をかける。
30分待って再び蒸す。
つまりは粳米、糯米半分ずつを時間差つけて蒸すのである。
手間のかかるハンゴロシオニギリ作り方はここんところが味噌である。
搗き終わったハンゴロシ状態のご飯。
材が半々なので餅と云えばよいのか・・。
搗いたハンゴロシはシャモジで掬って半切りに移していく。
餅ならひょいと持ち上げて移せるが、これもまた手間のかかる作業である。
こうしてできあがったハンゴロシは手で握る。
教わったとおりに作業する子供たちは真剣だ。
村の人に食べてもらうオニギリは堅くは握らない。
シオを軽く手につけて握る。
握ったら黒ゴマを振りかける。
毎年交替する組によって味に差があった。
この日は予め、コウジブタにシオも黒ゴマも撒いていた。
ふっくら感に握ったオニギリはコウジブタで転がす。
お母さんが握っていたように手で握る子どももいる。
みんなで作るハンゴロシオニギリは1800個も作ったと聞いたのは夕方に再びやってきたときのことだ。
(H28. 8. 7 EOS40D撮影)