マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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吹田市立博物館開館25周年記念秋季特別展の北大阪のまつり―まもりつたえる心―展示物を観る②

2019年03月08日 08時53分57秒 | 民俗を観る
ビデオ上映会を挟んで拝見する秋季特別展の展示物。

3日前に訪れて拝見したが、まだ観たらないと思って館内滞在時間を利用。

閉館時間ぎりぎりまで拝見する「北大阪のまつり―まもりつたえる心―」の特別展。

箕面市の瀧安寺富会の富くじ箱にごーさんの朱印がある。



四方それぞれの一面に三つの法印がありそうな感じがする。

箱の蓋の裏面に「寛延元歳辰(1748)十二月 備中屋利兵衛」の墨書があると解説していた。

瀧安寺は本山修験衆の寺院。

宝くじの起源である富籤(くじ)発祥の地とされている。

途絶えていた富くじ行事は平成22年に復活し、現在はこの箱でなく新調したものでしているようだ。

「献灯」行事は「ヒアゲ」の形もあるが「台額(だいがく)」の形態もある。



奈良ではまったく見られない「台額」。

展示された実物の大きさに圧倒された。

巨大な四面組の台の上に、豪華に飾った骨組みだけの笠。

これを「ダシ」と呼ぶらしい。

ダンジリなどにある「地車(だし)」に相当するようだ。

「台額(だいがく)」とは、神社・鳥居などに掲げられる扁額のような額状を四枚で組み合わせたもの。

このような形態は奈良県内では見たこともない。



写真は豊中市熊野町・八坂神社の「子ども台額」。

もう一枚は池田市神田・八坂神社の「額灯(※池田市では台額でなく、額灯と呼ぶ)」だ。

これを神輿台、或いは太鼓台と同じような形にしてオーコ担ぎで巡行する。

「だいがく」を知ったのは生まれ故郷の住之江区近くの西成区玉手に鎮座する生根(いくね)神社の夏祭り

実際は拝見したこともないが、新聞記事に載っていた78個ほどの竿灯提灯を吊った提灯台が「だいがく」の名であった。

「だいがく」の名がある提灯台は現奈良民俗文化研究所代表の鹿谷勲氏から聞いていたが、未だ拝見していない。

形は異なるがどちらも「だいがく(台額)」と呼んでいるのに興味が湧く。

大阪で2番目に大きいという巨大な提灯が博物館フロアーに出現した。



見上げる提灯の大きさはとてつもない。

尤も、うちが一番じゃ、という自慢人がいっぱい手を挙げてきそうな予感もするが・・。

「御神燈」の文字がある巨大提灯は「だんご提灯」の名がある。

鳥飼西地区が宮入りするだんご提灯は担ぐのもたいへんだ。

摂津市鳥飼の藤森神社に献灯されるだんご提灯の上にある飾り物は傘の骨の構造でもなく、まさに衣笠である。

「台額(だいがく)」の上にある骨だけの傘の原型は衣笠であろう、と博物館副館長の藤井裕之氏が話していた。

大蛇に見立てた大綱がある。

島本町尺代(しゃくだい)・諏訪神社の「オトウ(御頭祭と)」行事の主題は年頭に行われる弓引き神事。



神社の土塀に這わすような形で納めるが、直接目にすることなく、鬼的の背後の見えないところになるそうだ。

鬼的の向こう側は、つまり「ジャ」であって、鬼もジャも射止めて村から悪霊を追い出すということであろう。

弓引き神事が終わった大綱を表舞台に出す。

2組に分かれた氏子は3回勝負の綱引き。その年の豊作がどちらの氏子になるのか、勝ち負けで占ったようだが、現在は一勝一敗になるようにしているようだ、とある人がブログに書いていた。

「ジャ」と呼ばれる大綱は、高槻市原・八坂神社の春季歩射神事にも登場する。

祭りの前日に結っておいた大綱は、祭り当日の行列巡行に登場する。



あまりにも大きい大綱。

実物展示ができなくて、写真を大きくしたパネル展示になった。

ここでも尺代と同じように綱引きの場に登場するらしい。

そのようなわけで春季歩射神事の別名が「蛇祭り」。

大綱は神事後に本社殿に架けられるようだが・・・。

ちなみに尺代の実物大綱のキャプションに「矢で射られた後、綱引きに用いられ、トンドで燃やされる」とあったが、作って間もない大綱はそないに早う燃やさんでもいいのに・・と思ったのは私だけだろうか。

特別企画展から常設展も堪能させてもらった吹田市立博物館。

時計をみれば閉館時間が迫っていた。

まだまだ見たい、学びたいものがある。心残りではあるが、またあらためて・・。



万博周遊道路をぐるっと半周して帰路についた。

(H29.11.23、26 SB932SH撮影)