マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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一般的な注連縄に変わりゆく神社の注連縄

2021年09月10日 10時43分46秒 | 大和郡山市へ
取材を終えた天理の山から下りて、さてどこへ行く。

一年前の平成31年の1月2日もまた取材帰りに見ておきたい大和郡山市内に見られる簾型注連縄。

探訪は、時間的な都合もあり、5地区の神社しか拝見できなかったが、2地区に変貌があった。

うち1地区は長年にわたって架けてきた簾型注連縄から市販製品の一般的な形になっていた。

地区は、馬司町の杵築神社。

平成23年のしめ縄は簾型のしめ縄。

ところが平成31年に訪れた馬司町の杵築神社のしめ縄は一般的に見るしめ縄に・・。

逆に驚いたのはもう一つの地区。

今国府町の杵築神社である。

平成23年1月2日に拝見した神社鳥居のしめ縄も拝殿前に架けたしめ縄も、簾型のしめ縄だった。

その後の数年間。

鍼灸整骨院に通院する患者さんを送迎する仕事に就いていた。

ほんの数年間であるが、その間に見たしめ縄は簾型でなく、一般的なしめ縄に移っていた。

たしかにあった簾型注連縄が、数年後には見られなくなった。

もしか、と思ってその後も訪れたが、簾がない。

やむない事情で中断されたと思って諦めていた。

もうやめてしまったのだろう。

そう思っていた杵築神社。

念のためと久しぶりに訪れた平成31年1月2日

鳥居も拝殿前も、そして社殿にも架けていたしめ縄は、簾型に復活していた。

復活したのなら、大丈夫だ、と思ってはいるものの、どこか胸騒ぎが起こる。

S家の「シメナワ」を拝見し、その足で向かった杵築神社。

再び、一般的なしめ縄に戻っていた。

ところが、この年。

令和2年1月1日のしめ縄は、簾型ではなかった。

鳥居も、拝殿前も・・・。



再び、一般的なしめ縄に戻ったその状況に立ち竦んでいた。

後日、訪れ、話してくださったSさんは、元自治会長。

材のモチ藁。

葉付きの竹材も、入手が難しく、また注連縄を結う人材の継承もできなかった、という。

そういえば、今国府町内に竹林は見られないし、畑作地も少ない。

事情は近くに材がないこともあるが、肝心かなめの人材の問題を抱えていたことによる中断である。

変貌した杵築神社の注連縄の移り変わりを話してくださった元自治会長のSさん。

神社行事に登場する翁面は室町期に製作された一品。

県文化財に指定されたころに自治会長をしていたそうだ。

(R2. 1. 1 SB805SH撮影)
(R2. 1. 4 聞き取り)