マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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下山田・明けの明星、一番星に供える

2021年09月08日 07時56分49秒 | 民俗あれこれ
元日早々に出かける初取材。

行先は天理市山田町の下山田。

東村垣内にある薬師寺は神仏混合の地。

隣接に春日神社。

午後にオコナイをされると聞いていたので、時間に間に合うよう自宅を出た。

所作はお堂外の回廊の縁叩き。

2人のドウゲが漆の木で叩く縁叩きを取材し終わってから年始挨拶拶を、と思って、近くに住まわれる東村のS家を伺った。

時刻は午後3時。

元旦の日にお出かけをされたのであろう。

ですが、玄関に七五三注連縄を吊っていた。

これは、何であろうか。

正月の神さんに供える形態にしては、初めて見る形態だ。

民俗の不思議を感じた正月のしめ縄。

特に不思議を感じたのは、藁束で作ったと思われソレである。

これまで拝見した正月迎えの数々。

藁束にしたソレに雑煮の具材を盛って供える形があった。

それは玄関に吊るしていた。

奈良市長谷町の事例は、「カミサンのチャワン」若しくは「ハチ」だ。

長谷町に住むもう1軒の事例は、「シメナワサン」。

長谷町に隣接する天理市福住・別所の事例は、「カンマツリ」。

もう1カ所は、やや離れた地域。

宇陀市室生の小原の事例がある。

設置場所が門の事例である。

いずれもほぼほぼよく似ている事例であるが、ここ下山田のS家の事例は、水平形態。

白餅と蜜柑の受け皿は、藁束を折って、その下部を御供棚のように考えた形態。



作られたご主人に、是非とも伺いたく、12日に再訪した。

当日も、また山田町の正月行事の取材。

中山田の蔵輪寺で行われたオコナイを見終わってから伺った。

Sさんは、この御供棚に名前はない、という。

一番星の「明けの明星(火星)」が昇る方角に向けて、奉るソレには名前はない。

Sさんが小さいころからしていたソレは、おじいさんとともにしていた注連縄。

注連縄はウラジロにユズリハも括り付けた七・五・三のしめ縄。

中央には、橙などの柑橘類もある。

おじいさんから、代々継いできたしめ縄にかける御供棚はそのものに、名前はなかったなぁ、ということだ。

撮った写真では、白餅と蜜柑しか写り込んでいないが、レンズに映らなかったところに、クシガキ、朔日雑煮、昆布なども供えていた。

元旦の午後を不在にしていたのは、毎年に参拝する東村から見える山の方にあるイナリさん(稲荷神社)の初参拝に出かけていたからだ。

下山田の春日神社の元旦祭は、参拝者迎えに詰めていた。夜明け前の朝4時に帰宅してからの正午は、お家のイタダキをしていたそうだ。

正月迎えの注連縄に御供棚を仕掛けるのは大晦日の12月31日の夕どき。

おおつごもり(大晦)の一番星迎えに鏡餅(クシガキのうち串付きの2個の柿に蜜柑、昆布を添えて)を供える。

雑煮は夜が明けてから支度する。

ご家族も食べる雑煮の白餅、大根、ドロイモ(※コイモ)の汁を、この棚に供える。

今年の大晦日、年明けにまた拝見させてくださいとお願いしたのは言うまでもない。

(R2. 1. 1 SB805SH 撮影)
(R2. 1.12 聞き取り)