マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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木津川市加茂町銭司・春日神社の遷宮仮宮期の勧請縄かけ

2024年09月10日 07時39分24秒 | もっと遠くへ(京都編)
昨年の暮れ、写真家のKさんから誘われた民俗行事の取材。

その地は、京都府木津川市加茂町の銭司(ぜず)。

宮小谷に鎮座する春日神社の年中行事の一部。

過去にも、何度か訪れては拝見していた境内一面に撒く砂撒き。日にちが経過していても、痕跡はすぐに消えないから、どのようなカタチにしているのか、理解できる格子状仕様の砂撒き。

作業の在り方の全容がようやくわかってきた宮小谷の春日神社

作業に入っていた長老が伝えてくれた、我が家でもしている、と・・・

ありがたく取材させてもらった大晦日の日に行うお家、民家の砂撒きも拝見していた加茂町銭司。

正月行事に勧請縄かけもされている。

勧請縄も、かけている状態なら、2度も拝見していたが、どのような方法でかけるのか、未だわかっていなかった。

奈良・大和にはない形式の勧請縄がようやく拝見できる。

朝早くの時間帯に集まってくる、と聞いていた。

同行のKさんは、霜が降りてこないうちに到着した、と話していた。

ここ銭司の春日神社に停められるのは、数台の軽トラ。

しかも四駆の軽トラが要りそうな渓渡り。

渓にあたる地は狭い。

オフロード車で渡りたい気もする一段と高い地にある広地に着く。

停めたすぐ傍に地蔵尊を祭っている。

ここ銭司にきたら、必ず手を合わせる地蔵尊


錫杖をもつ地蔵石仏は中央に一体。

両サイドに、双体の石仏もあれば、その脇にも一体石仏を並べている。

しめ飾りに、高野槙もあれば樒もある。

正月三日の参拝に賽銭も数多い。

車を停めて山道的参道を行く。

一段、あがったそこに今日の勧請縄かけに集まった人たち。

令和四年勧請縄奉仕者名に、東頭(※かつて東座)が4人。

西頭(※かつて西座)の7人の名があった。

名はともかく、平成30年1月6日に訪れたときと同じ人数だった。

社務所内に明かりが灯る。

今年の春日神社は、造営事業中。

社殿工事にために神さんは、一旦遷され、現在は社務所に設置した仮宮にいらっしゃる。



正月参拝も、例年と違い、社殿向きに門松を立てるのであるが、遷宮仮宮期は神さん坐います社務所側に門松。

参拝の方角は逆転している総代ら代表者に許可を得て、遷宮仮宮期に供える神饌御供を撮らせてもらった。



尤も、仮宮全体は遠慮し、御供を並べている状態を撮らせてもらった。

燈明は、早くに灯していたからか、あと僅かになっていた。

さぁ、これより始まる作業は、勧請縄つくり。

まずはモチ藁のシビ取り。

一般的には、台を据えて、稲藁を置き、横槌で藁を打つ。

ゴミ、埃も払うシビ取り作業。



ここ銭司では、参道両脇に立つ杉の木に藁束ごと手にもって。樹木の木肌にビシ、バシ、水平横打ち。

横槌無用のシビ取りに、騒然とする。



人数が多ければ、多いほどシビ取り時間は短縮する。

平行作業に四方に編むようなカタチにするため、ロープを用意する。

長さを測ったロープを2本。



3セット並べて長さを保つ。

ロープ括りを施して四方に広がるようにする。

シビ取りが終われば、縄つくり。

水平に保ったままの藁束に、藁束を突っ込んで捩じる。

掴んだ藁ごと捩じり。

先端に藁束を重ねて、藁をつぎ足し、つぎ足し右、3本撚りに捩じって左結い。

その際、心棒になるロープを巻き込むように、依っては捩じって締め付ける。

この作業を繰り返して、長く太い勧請縄をつくっていく。

ベテランの技であろう。



太い勧請縄が出来上がるころに運ばれた「モッソ」。

モッソと云えば、蒸したご飯を容器などに詰めて仕上げる御供が、一般的に見るカタチであるが、銭司では、ご飯はなく、大きな塊のオヒネリがある。



枝付きの青竹。

白い奉書で巻いた細めの竹は御幣。

大きなオヒネリの中身は洗い米。

見た目でいえば、フグリのように見えなくもないオヒネリ。

勧請縄の頂点に御幣を挿す。



豊作祈願に洗い米。



ロープを足したそれらは四辺形になるよう網目のように組む。

一方、サカキはヒラヒラの御幣、二幣を結び目に挿して固定していた。

これらが揃ったところで、参道に自生する樹木にかける。

長い梯子を据えて、高い位置に。



両端を左右にそそり立つ樹木の幹に廻して括り、固定する。



網目の下部分は、車の通行の邪魔にならない程度に切断し、完成したら太鼓を打って無事にかけたことを告げた。

こうして勧請縄をかけ終えたら、1年任期の村神主が勧請場に就く。



村人たちは整列し、まずはお祓い。

勧請縄を修祓し、祝詞を奏上。



村の安全、安寧を願い、祝詞を奏上して終えた。

午前8時に集まり、縄つくり。

と、同時に縄かけ。

神事を終えた人たちはここで終えた。



1時間余りの短時間で終えた銭司の勧請縄かけ。



かつての勧請縄をかけは、ここではなかった。

この参道を少し下った、地蔵尊がある駐車寺に戻るまでに下り道があった。

下った山道に寺と出会う。

その寺院は、真言宗智山派無住の福田寺。

その間にあった馬場道架け道にかけていたようだ。

そこが、元々の参道道。

もちろん歩きの参道道。

場が荒れて通れなくなった。

歩きも危険、と判断し、神社すぐ下の参詣道に移した、という。

その危険性を報せていた通行止め・立て札を見たのは、昨年の令和3年の1月3日に立ち寄った日だ。

ネットに見つかったブログ「愛しきものたち」に掲載していた銭司・春日神社の勧請縄

撮影は、平成20年2月16日。

その場の参道は樹木の根っこが向き出て、ゴツゴツしている処である。

ロープの長さは、それほど長くない。

通行に邪魔にならんような位置にかけている。

しかも、地蔵尊がある広地(※現駐車場)にも、四方形の砂を撒いていた。

また、度々紹介してきたブログ「歴史探訪京都から ~旧木津川の地名を歩く会~」の記事にも、現在とは違った参道にかけてあった勧請縄。

こちらも参道にあたるくらいの長さ。

また、四方形の砂撒きは、参道にも撒いてあった。

このブログによれば、かつて砂は木津川砂州から採取していた、とあった。

撮影日は不明だが、2012年1月3日とあるから平成24年の記録であろう

さて、かけた勧請縄から離れようとしたときに目に入った道具。

やや曲線にも見える自然木で作られた木製の梯子。



これも暮らしの民俗だけに、映像に遺しておきたい木製梯子。

高さが低かったようで、本日は使わなかったようだ。

その近くにあった山野草の葉。



自然観察会の参加していた奈良・大和郡山の矢田山山麓に見つけた葉っぱと同じ。

冬の時季は、葉だけの植物であるが、春から初夏にかけて花を咲かすその花は、ギンラン、それともキンランでもなくコクランではないだろうか・・

(R4. 1. 3 EOS7D/SB805SH 撮影)