写友人から伝えられた高取町の講行事。
電話で伝える場所は下子島にある郵便局より南下する地。
話しの状況から清水谷であると判断していた。
写友人がいうには大神宮さんにお供えをする講中は5月、9月、12月の3回に参っているようだと話していた。
講中は数軒。年寄り講は今にも消滅しそうだから早めに取材をしたらどうかという緊急情報であった。
そこでは庚申講もあったが30年前に中断されたが2軒で掛軸を廻しているともいう。
場所はあの辺りだろうと思って下見したこの日。
写友人が云うには街道を通り抜ければ小川の橋を渡って国道に出ると云っていた。
その街道は一方通行。
周囲は旧家と思われる民家が建ち並ぶ。
通りがかった民家の前で二人の婦人が立ち話をされていた。
立ち止まって講中の存在を尋ねた。
庚申講や大神宮の講中は知らないが、大神宮の石塔ならすぐ近くにあるという。
そこには八王子社もある。
婦人の一人は八王子講。
7月14日と9月28日には、そこで七巻の般若心経を唱えているというのだ。
以前は十五巻も唱えていたが、長丁場に声が出なくなったことから半分に短縮したという。
第一土曜日の10月4日は門屋に幕を貼って祭りごとをしている。
座敷奥に祭壇を組んで菅原道真公の掛軸を掲げて祝詞を奏上していると話す講の在り方にも興味をもった。
その婦人は古宮講。
もう一人の婦人は元宮講。
それぞれの講中によって祭り方は異なるようだ。
清水谷の講中は古宮講、元宮講以外に中宮講ともう一つがあるらしい。
その日は街道をだんじりが通り抜けて一方通行も封鎖されるらしい。
そうして近くにあった八王子社に向かった。
こん盛りした塚のような八王子社のご神木はフジの木とカシの木。
注連縄を掛けている。
婦人の旦那さんが手で結った注連縄を大晦日に掛けるという八王子社の燈籠に「宝暦二年(1752)三月日」と思える刻印があった。
その左手に建つのが大神宮である。
写真を撮っていたら古宮講の婦人がもう一人の婦人を連れてきた。
その婦人は明神講。
講元の當家にあたっているようだ。
話しによれば、大神宮は、時期は未定だが氏神さんが鎮座する場に移すことになったという。
氏神さんへ参るには急な参道を登らなければならない。
年寄りでは無理があるから、階段下に移すと話していた。
神社名は「たかお」。
充てる漢字は高生であったが、この日はこれまでとした。
(H26. 9.15 EOS40D撮影)
電話で伝える場所は下子島にある郵便局より南下する地。
話しの状況から清水谷であると判断していた。
写友人がいうには大神宮さんにお供えをする講中は5月、9月、12月の3回に参っているようだと話していた。
講中は数軒。年寄り講は今にも消滅しそうだから早めに取材をしたらどうかという緊急情報であった。
そこでは庚申講もあったが30年前に中断されたが2軒で掛軸を廻しているともいう。
場所はあの辺りだろうと思って下見したこの日。
写友人が云うには街道を通り抜ければ小川の橋を渡って国道に出ると云っていた。
その街道は一方通行。
周囲は旧家と思われる民家が建ち並ぶ。
通りがかった民家の前で二人の婦人が立ち話をされていた。
立ち止まって講中の存在を尋ねた。
庚申講や大神宮の講中は知らないが、大神宮の石塔ならすぐ近くにあるという。
そこには八王子社もある。
婦人の一人は八王子講。
7月14日と9月28日には、そこで七巻の般若心経を唱えているというのだ。
以前は十五巻も唱えていたが、長丁場に声が出なくなったことから半分に短縮したという。
第一土曜日の10月4日は門屋に幕を貼って祭りごとをしている。
座敷奥に祭壇を組んで菅原道真公の掛軸を掲げて祝詞を奏上していると話す講の在り方にも興味をもった。
その婦人は古宮講。
もう一人の婦人は元宮講。
それぞれの講中によって祭り方は異なるようだ。
清水谷の講中は古宮講、元宮講以外に中宮講ともう一つがあるらしい。
その日は街道をだんじりが通り抜けて一方通行も封鎖されるらしい。
そうして近くにあった八王子社に向かった。
こん盛りした塚のような八王子社のご神木はフジの木とカシの木。
注連縄を掛けている。
婦人の旦那さんが手で結った注連縄を大晦日に掛けるという八王子社の燈籠に「宝暦二年(1752)三月日」と思える刻印があった。
その左手に建つのが大神宮である。
写真を撮っていたら古宮講の婦人がもう一人の婦人を連れてきた。
その婦人は明神講。
講元の當家にあたっているようだ。
話しによれば、大神宮は、時期は未定だが氏神さんが鎮座する場に移すことになったという。
氏神さんへ参るには急な参道を登らなければならない。
年寄りでは無理があるから、階段下に移すと話していた。
神社名は「たかお」。
充てる漢字は高生であったが、この日はこれまでとした。
(H26. 9.15 EOS40D撮影)