マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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下土佐の神農祭を電話で聞く

2016年08月08日 09時24分20秒 | 高取町へ
前日に神農祭の日程を知っているか教えてもらおうと思って高取町案内人のNさんに電話した。

教えてもらおうと思った2点。

一つは船倉弁天さんの亥の日御供の栗飯であるが、聞いたこともないようだ。

もう一つが下土佐の恵比寿神社で行われる神農祭である。

神農祭に詳しいのは薬屋さんのNさん。

神農祭を始められた人だというNさんを紹介してくださった。

高取町案内人のNさんは入院中にもかかわらずすぐさま手配してくださったが入院中の身。

連絡がついたのは翌日。

榛原檜牧や北椿尾の現地調査を終えて戻ったのは午後だった。

取材メモを整理してようやく落ち着いた時間帯に教えてもらった電話番号を打って架けた。

薬屋さんのNさんは元観光協会長。

長年に亘って高取町の城まつりとか新しいイベントを起こしてこられたそうだ。

始めて拝見した城まつりは十数年前の平成14年11月23日だった。

大道芸・南京玉すだれを披露しながら行列する八房師匠とお会いしたことは今でも覚えている。

それはともかく薬屋さんのNさんが云うには下土佐の恵比寿神社で行わっている神農祭は23日直前の平日になるそうだ。

城まつりを開催するまでは例年の11月23日だった。

日程が重なるようになり23日直前の平日。

23日が祝日月曜日であれば、日曜、土曜を外した金曜日になるという。

また、23日が火曜の祝日になれば前日の22日の月曜日が神農祭の行事日になるという。

大阪の道修町は薬の街。

12月23日に神農祭が行われている。

高取町の神農祭は一か月前の11月である。

おそらく、であるが、両町ともかつては同じ旧暦の12月23日であったかも知れない。

新暦が制度化されて11月23日になったかもしれない。

逆もありえる話しである。

高取町は製薬会社や配置薬会社が軒を連ねる。

薬に関係する会社の十数名の代表者が参集されて神農祭が行われる。

笹に薬とか配置薬の箱をぶら下げて町内に飾るようだ。笹にぶら下げるのはエビスさんの福笹行為と同じような様相だと思った。

神農さんは農業の神さん。

薬になるもの、薬にならないものを試された。

試薬はそういう時代から始まったかも・・・。

下土佐の神農さんは恵比寿神社境内にある小社らしい。

いつごろから始められたのか、歴史は判っていないが、推古天皇の時代に薬狩りをしたと日本書紀に書いてあるという。

薬狩りの場は高取町の大字羽内(ほうち)の地。

ハタミカイ神社の周辺になるが、612年に推古天皇が薬狩りをしたと日本書紀に書いてあるという。

前年の611年。宇陀にも薬狩りをした。

薬草採取であるが、「狩り」の文字があることから薬になる動物狩りであったと考える。

鹿のツノや熊のキモ、ガマガエルのセンソ・・・などなど。

イノシシも狩っていたのだろう。

鹿のツノは若い生えかけのツノである。

奈良公園で行われている鹿の角切りをする古いツノではなく生えたての若いツノが薬になる。

牛の胆のう石はゴオウ。

抽出して乾燥する。

これを粉末状にして薬になる。

江戸時代、役行者は全国を行脚した。

洞川の陀羅尼祐名をもつ薬がある。

木肌をドロドロに溶かして乾かし薬化する。

古来より作られ、販売されてきた陀羅尼助丸(だらにすけがん)は役行者が立役者になって配置薬を始めたとか・・。

明治維新、刀を下ろした武士が薬を作り始めたと思うという薬屋さんのNさん。

全国に売り歩いて産業が発達した高取町。

大正、昭和の時代を経て現在に至る。

私が大阪に住んでいたころもあった配置薬。

思いだす風薬がある。

たしか、高取町にあった製薬会社製だったと思う。

大淀町に向けて通る高取町の国道筋にある建物にキズリバーテープの大きな看板が目に入る。

(H27.11.15 記)


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