昨年初夏、大宇陀平尾でお会いした男性は榛原笠間の行事を教えてくださった。
桜実神社の御田植祭りに供える杉の実がある。
多くの個数を採集して紐縄で縛ったものを供えるのは年番のトーヤ(頭家)の役目だと云っていた。
その行事は17日に近い土曜日だと聞いていたが、どなたも居られない。
行事はこの日でないような気がしてきた。
終わったのか、それともまだなのか、それを聞きたくて付近を散策する。
神社近くに農小屋があった。
軽トラを停めているからどなたかが居られるに違いないと思って声を掛けた。
奥におられた男性は村の人。
この年は3月6日の日曜日に行われたという。
聞いていた状況を大幅に覆す行事日程である。
ちなみに昨年は何時と聞けば手帳を繰ってくれた。
その日は平成27年の3月8日。
いずれも日曜日であるが、第一、それとも第二日曜日なのか、である。
それは決まっていないようで、神職の都合で決まるようだ。
気になっていた杉の実はどこから採取するのか。
結果は神社に植生する杉の木であった。
私の見立ては間違っていなかったようで、昨年の6月に撮っておいた写真がある。
杉の実を集めて束のようにして作ったソレは神社の手すりに引っかけているという。
ソレと書いたのは名称がどうもないような気がするからだ。
集めた杉の実で作るソレは3軒のトーヤ(頭家)の手によってだ。
トーヤ(頭家)は西垣内、中垣内、東垣内それぞれから選ばれる。
10月1日は座がある。
一日に行われるから朔日座である。
トーヤ(頭家)決めはコヨリ籤を引いて決めていた1日は集まりやすい第一日曜の午前10時に移したそうだ。
10月第三土曜はヨイミヤ。
翌日の日曜は本祭。
本祭は神事ごとに集まるだけだが、賑やかになるのはヨイミヤだ。
昼頃の午後1時に子供神輿が東垣内に向けて出発する。
神輿は法被姿の四人が乗り込んで太鼓を打つ。
大型ではないがという神輿に三段の布団を積んでいるというから、県内各地で見られる布団太鼓台であろう。
それは別名に宝船だと男性が云う。
神輿は東垣内から戻って神社がある中垣内に戻る。
小休止をとって西垣内に向かう。
そして中垣内に戻ってくる。
それぞれの垣内に行けば、その年に務めるトーヤ(頭家)家で搗いた餅を神輿に積み込む。
東垣内で積み込んだら中垣内、そして西垣内のそれぞれでトーヤ家が搗いた餅を神輿に積み込んで運ぶ。
そういう形式であることから神輿を宝船と呼ぶようだ。
集めた御供餅はヨミミヤに撒かれる。
陽も落ちた時間帯の午後7時半に行われるゴクマキに村人が集まるそうだ。
ちなみに話しをしてくれた男性は中垣内のMさん。
かつては2月に架けていた注連縄(勧請縄かも)は年末に替えたという。
12月29日か30日辺りの日。
持参した稲藁で注連縄を作っていた。
社殿に社務所。
そして神社に登る石の階段上に架ける注連縄もある。
すべてが手作業なので朝からしているようだ。
昔は2月のその日にトーヤ(頭家)を引継ぎしていたらしい。
昭和四年調の『大和国神宮神社宮座調査資料』によれば笠間には三つの宮座があったようだ。
江戸時代は少人数の座であったが、明治初年に全戸対象とする村座に転換されて3組になったと書かれていたのがこのことであろう。
ちなみにこの日の御田植祭りを話してくれたSさんは東垣内。
3垣内それぞれに「オスヤ」と呼ぶ神さんを一年間もトーヤ(頭家)家で祀っていると云っていた。
Mさんが先ほど話されたトーヤ(頭家)の引継ぎはその「オスヤ」を引き継ぐことのように思える。
ここまでくれば東垣内のSさんにお礼を伝えたくて住まいを探した。
この日は小雨。屋外に出る人はいない。
村を巡って歩いた。
そこそこ行けば住民が居られた。
乗用車に乗って出かける寸前に声を掛けて教えてもらった住まいは指さす方角にあった。
ご主人はホウレンソウを栽培しているハウスに居ると伝えてくださった奥さん。
今年の御田植祭りはまだやったと思う・・と云いかけて誤りに気がつく。
やっと満中陰を終えたばかり。
神社行事は参列できない服忌。
何時だったのか、ばたばたして頭に入ってなかったと云う。
ハウスに居られたSさんも同様だった。
9カ月前に始めてお会いしたSさんは私の顔を見るなりスズメバチ騒動で出合ったことを思いだされた。
母親が亡くなってホウレンソウ栽培どころではなかった。
ようやく落ち着くことができてハウス作業ができるようになったという。
ハウスは9棟ある。
3反半もあるハウスは坪数でいえば1200坪。
タネを蒔く時期をずらしていけば成長もずれる。
ホウレンソウが順々に成長できるように蒔きどきをずらすのである。
ホウレンソウはタネを蒔いてから50日間で収穫できる。
一年間ずっと収穫できるように5作で一巡である。
収穫したホウレンソウは市場に出荷ではなく契約している京都イオン本部。
ご主人以外に御杖村や田原本町、天理市の農家と契約しているようだ。
契約農家といっても栽培の不出来がある。
そういう場合は出荷できない。
イオンとの契約はその都度の発送。
ゆるい契約だから根を詰めることもないようだ。
ご主人はホウレンソウを栽培しているが、稲作もしている。
2丁4反の田んぼももつ農家である。
稲作は極端な言い方をすれば季節作業。
ホウレンソウは年がら年中の作業。
長期間にわたって並行的に農作業が伴う。
専業だからできることなのだろう。
ちなみに男性は農の祈りも捧げる。
前述した杉の実を束ねて丸くするのはとても難しいという。
束ねて括る紐はフジツル(藤弦)。
皮は柔らかい。
それを剥いで紐状にする。
それで括るのである。
今ではフジツルが植生する地が荒れてしまって採取するのが困難になってきたそうだ。
南側にある杉林は手入れも行き届かず荒れ放題になっているらしい。
一方、北側の山林は業者にお願いして伐採したそうだ。
話しは反れたので戻そう。
杉の実の束は2本。
ハウスに立てると云っていた。
立てるには順序がある。
ハウスを利用した稲作にモミオトシがある。
苗箱は何箱も用意する。
盛る土もいる。
だいたいが4月10日辺りにモミオトシをする。
水やりをしてハウスで育苗をする。
発芽時期の関係もあって、モミオトシは2度目もする。
4月15日ともなればぐんぐん伸びて育つ。
2度目の芽出しのときに、2本の杉の実の束をハウスに立てるということだ。
話しの様相はなんとなく判るが、拝見しなければならないことも多々あるように感じた。
できることならときおりお伺いする方がいいかも知れない。
(H28. 3.19 EOS40D撮影)
桜実神社の御田植祭りに供える杉の実がある。
多くの個数を採集して紐縄で縛ったものを供えるのは年番のトーヤ(頭家)の役目だと云っていた。
その行事は17日に近い土曜日だと聞いていたが、どなたも居られない。
行事はこの日でないような気がしてきた。
終わったのか、それともまだなのか、それを聞きたくて付近を散策する。
神社近くに農小屋があった。
軽トラを停めているからどなたかが居られるに違いないと思って声を掛けた。
奥におられた男性は村の人。
この年は3月6日の日曜日に行われたという。
聞いていた状況を大幅に覆す行事日程である。
ちなみに昨年は何時と聞けば手帳を繰ってくれた。
その日は平成27年の3月8日。
いずれも日曜日であるが、第一、それとも第二日曜日なのか、である。
それは決まっていないようで、神職の都合で決まるようだ。
気になっていた杉の実はどこから採取するのか。
結果は神社に植生する杉の木であった。
私の見立ては間違っていなかったようで、昨年の6月に撮っておいた写真がある。
杉の実を集めて束のようにして作ったソレは神社の手すりに引っかけているという。
ソレと書いたのは名称がどうもないような気がするからだ。
集めた杉の実で作るソレは3軒のトーヤ(頭家)の手によってだ。
トーヤ(頭家)は西垣内、中垣内、東垣内それぞれから選ばれる。
10月1日は座がある。
一日に行われるから朔日座である。
トーヤ(頭家)決めはコヨリ籤を引いて決めていた1日は集まりやすい第一日曜の午前10時に移したそうだ。
10月第三土曜はヨイミヤ。
翌日の日曜は本祭。
本祭は神事ごとに集まるだけだが、賑やかになるのはヨイミヤだ。
昼頃の午後1時に子供神輿が東垣内に向けて出発する。
神輿は法被姿の四人が乗り込んで太鼓を打つ。
大型ではないがという神輿に三段の布団を積んでいるというから、県内各地で見られる布団太鼓台であろう。
それは別名に宝船だと男性が云う。
神輿は東垣内から戻って神社がある中垣内に戻る。
小休止をとって西垣内に向かう。
そして中垣内に戻ってくる。
それぞれの垣内に行けば、その年に務めるトーヤ(頭家)家で搗いた餅を神輿に積み込む。
東垣内で積み込んだら中垣内、そして西垣内のそれぞれでトーヤ家が搗いた餅を神輿に積み込んで運ぶ。
そういう形式であることから神輿を宝船と呼ぶようだ。
集めた御供餅はヨミミヤに撒かれる。
陽も落ちた時間帯の午後7時半に行われるゴクマキに村人が集まるそうだ。
ちなみに話しをしてくれた男性は中垣内のMさん。
かつては2月に架けていた注連縄(勧請縄かも)は年末に替えたという。
12月29日か30日辺りの日。
持参した稲藁で注連縄を作っていた。
社殿に社務所。
そして神社に登る石の階段上に架ける注連縄もある。
すべてが手作業なので朝からしているようだ。
昔は2月のその日にトーヤ(頭家)を引継ぎしていたらしい。
昭和四年調の『大和国神宮神社宮座調査資料』によれば笠間には三つの宮座があったようだ。
江戸時代は少人数の座であったが、明治初年に全戸対象とする村座に転換されて3組になったと書かれていたのがこのことであろう。
ちなみにこの日の御田植祭りを話してくれたSさんは東垣内。
3垣内それぞれに「オスヤ」と呼ぶ神さんを一年間もトーヤ(頭家)家で祀っていると云っていた。
Mさんが先ほど話されたトーヤ(頭家)の引継ぎはその「オスヤ」を引き継ぐことのように思える。
ここまでくれば東垣内のSさんにお礼を伝えたくて住まいを探した。
この日は小雨。屋外に出る人はいない。
村を巡って歩いた。
そこそこ行けば住民が居られた。
乗用車に乗って出かける寸前に声を掛けて教えてもらった住まいは指さす方角にあった。
ご主人はホウレンソウを栽培しているハウスに居ると伝えてくださった奥さん。
今年の御田植祭りはまだやったと思う・・と云いかけて誤りに気がつく。
やっと満中陰を終えたばかり。
神社行事は参列できない服忌。
何時だったのか、ばたばたして頭に入ってなかったと云う。
ハウスに居られたSさんも同様だった。
9カ月前に始めてお会いしたSさんは私の顔を見るなりスズメバチ騒動で出合ったことを思いだされた。
母親が亡くなってホウレンソウ栽培どころではなかった。
ようやく落ち着くことができてハウス作業ができるようになったという。
ハウスは9棟ある。
3反半もあるハウスは坪数でいえば1200坪。
タネを蒔く時期をずらしていけば成長もずれる。
ホウレンソウが順々に成長できるように蒔きどきをずらすのである。
ホウレンソウはタネを蒔いてから50日間で収穫できる。
一年間ずっと収穫できるように5作で一巡である。
収穫したホウレンソウは市場に出荷ではなく契約している京都イオン本部。
ご主人以外に御杖村や田原本町、天理市の農家と契約しているようだ。
契約農家といっても栽培の不出来がある。
そういう場合は出荷できない。
イオンとの契約はその都度の発送。
ゆるい契約だから根を詰めることもないようだ。
ご主人はホウレンソウを栽培しているが、稲作もしている。
2丁4反の田んぼももつ農家である。
稲作は極端な言い方をすれば季節作業。
ホウレンソウは年がら年中の作業。
長期間にわたって並行的に農作業が伴う。
専業だからできることなのだろう。
ちなみに男性は農の祈りも捧げる。
前述した杉の実を束ねて丸くするのはとても難しいという。
束ねて括る紐はフジツル(藤弦)。
皮は柔らかい。
それを剥いで紐状にする。
それで括るのである。
今ではフジツルが植生する地が荒れてしまって採取するのが困難になってきたそうだ。
南側にある杉林は手入れも行き届かず荒れ放題になっているらしい。
一方、北側の山林は業者にお願いして伐採したそうだ。
話しは反れたので戻そう。
杉の実の束は2本。
ハウスに立てると云っていた。
立てるには順序がある。
ハウスを利用した稲作にモミオトシがある。
苗箱は何箱も用意する。
盛る土もいる。
だいたいが4月10日辺りにモミオトシをする。
水やりをしてハウスで育苗をする。
発芽時期の関係もあって、モミオトシは2度目もする。
4月15日ともなればぐんぐん伸びて育つ。
2度目の芽出しのときに、2本の杉の実の束をハウスに立てるということだ。
話しの様相はなんとなく判るが、拝見しなければならないことも多々あるように感じた。
できることならときおりお伺いする方がいいかも知れない。
(H28. 3.19 EOS40D撮影)