宇陀市榛原笠間桜実神社のゾーク(造営)は平成25年10月に行われた。
20年に一度の記念すべきゾーク祭典には多額の費用がかかったと聞いた。
次の20年後を考えて費用賄いは出(外)氏子に求めなかったという。
時代を想定しての決断に氏子捻出の費用は増額で賄ったそうだ。
そういえば昨年の11月に訪れた伊勢本街道沿いの同市榛原檜牧に鎮座する御井(みい)神社の拝殿にゾーク事業で納められたと思われる大きな弓矢があった。それには平成8年の年号が記されていた。
当地のゾークは20年おきならば今年である。
ご存じであるかどうか尋ねた結果は・・判らないということだ。
その件で思いだされたSさんは同市榛原角柄の高龗(たかおかみ)神社のゾーク(式年造営竣工報告祭)があったという。
この年ではなく前年の平成27年11月8日に行われたそうだ。
帰宅してネットをぐぐってみたらあった。
「宇陀市メディアネット」が収録した動画である。
その祭典映像に上棟祭を祝う棟札奉献、四方祓い、散銭、散餅、棟梁祝詞、振幣の儀、巫女による棟盃の儀、大器の儀(墨壺線引き・手斧・差金)、手斧の儀、鉋の儀、槌打ちの儀(6組)があった。
槌打ちの儀における詞章は「千歳の棟、万歳の棟、永遠の棟」である。
雨天決行の祭典の様相を届けていた。
榛原角柄の高龗神社は江戸時代に九頭大明神と呼ばれていた。
それを示す灯籠に「享保元年(1717)十一月吉日」の刻印があるようだ。
古老に云い伝えや灯籠の年代記から今回で16回目のゾークが推察されると伝えていた。
榛原笠間の隣村は榛原雨師。当地においてもゾーク(造営)が行われると聞いているというのだ。
神社名は何であったのか覚えていないが、今年、それも建替え工事をしていたから近々のようだ。
その言葉に聞いたら急がねばならない。
カーナビゲーションにポイントした榛原雨師。
Sさんが指さしした地よりもまだ先を指示する。
そこは行き過ぎの同市榛原高塚に鎮座する八咫烏(やたがらす)神社だった。
まるで逆方向に案内するカーナビゲーションに面食らう。
Uターンして戻る。
この付近と思うところに着くのだが、入り道が判らない。
雨師の地区を表示する看板もない。
ここだろうとアタリをつけて細い道を登る。
軽自動車程度の車であれば楽々であるが、神社はどこであるのか・・・。
そういえば榛原笠間のSさんは山のてっぺんにあると云っていた。
下から見上げれば鳥居が見える。
そこに違いないと車を走らせる。
路肩を外せばやっかいなことになる細い道。
細心の注意を払って運転する。
到着した鳥居の右手には最近になって広げられたと思われる駐車場がある。
そこに停めて真新しい鳥居を潜る。
鳥居には扁額が、鳥居前は石塔がある。
それらを見れば神社名が判った。
式内「丹生神社」とある。
奈良県内で丹生神社といえば、奈良市丹生町の丹生神社がある。
ここより離れた遠隔地。
そこよりも、遠くない川上村や東吉野村の丹生川上神社を思い浮かべる。
それはともかく鳥居が真新しいのが不思議である。
もしかとすればゾーク(造営)はすでに終わっているのかも知れないのだ。
急峻な参道坂や階段を登っていく。
登り切ったところに拝殿や本殿があった。
拝殿の前柱や回廊手すりなどが新しい。
本拝殿は古いままの状態である。
一部修復のゾーク(造営)ではないだろうか。
拝殿の向こう側に建つのは本殿である。
鮮やかな朱塗りが美しい。
周りを囲む板塀も真新しい。
拝殿に長い脚立があることを考えれば工事中であるかもしれない。
場所や神社が判明したのでそこより下っていく。
そろそろ下れば木材関係の作業場があった。
人影が動いたので声をかけたら地元の大工さんだった。
お話を伺えば2週間後の4月3日にゾーク(造営)の式典をするようだ。
朝8時に始まる稚児行列は集落巡る。
随行する神輿もある。
雨師の集落は25戸であるが、氏子数は20戸になるそうだ。
当地に住んではいるものの身体の具合とかで氏子を辞退した家もあるらしい。
そういう状況下にあるが、大工棟梁のKさんの話しによれば一戸、一戸巡って御供餅をいただくようだ。
神輿に積んで神社に戻る。
それからゾークの式典が始まるようだ。
式典は子どもや役員が槌打ちをするという。
村の大工さんは薬師寺の納骨堂や奈良市の菅原神社の社殿などの修復に修業を積んだ宮大工だったのだ。
棟梁が行う祭典にエイエイトーの詞章もあるという。
この日の夜は正遷宮の儀式をするようだ。
それまでに神輿は神社に運ばねばならないという。
ちなみにゾークをすることが決定されたのは昨年の秋だった。
それから本格的な工事を進めてきたようだ。
神社周囲に植生する材を伐採して修材に利用した。
鳥居もそうだが、乾かすこともできなかった短期間工事。
生乾きのままで建てたそうだ。
綺麗になった石垣がある。
これもまた緊急工事だったと話す。
記念の槌や大きな弓矢もできあがった。
2週間後には20年に一度も村の一大行事が行われる。
ちなみに同神社のゾーク式典に前述した「宇陀市メディアネット」が取材に入るという。
うーーん、そういうことか。
しかもだ、地元住民のカメラマンは式典専属に記録の写真をも撮るという。
そういう状況下ではあるが、体調が良ければ取材したいものだ。
ちなみに当地の神社を尋ねる人が度々やってくるという。
その人たちは決まっていう。
こちらの神社は古来より知られている丹生神社で、川上村や東吉野村の神社よりも古く、由緒ある神社だと云うそうだ。
村の人よりも詳しい人はこうして在所の人に教えるらしい。
(H28. 3.19 SB932SH撮影)
20年に一度の記念すべきゾーク祭典には多額の費用がかかったと聞いた。
次の20年後を考えて費用賄いは出(外)氏子に求めなかったという。
時代を想定しての決断に氏子捻出の費用は増額で賄ったそうだ。
そういえば昨年の11月に訪れた伊勢本街道沿いの同市榛原檜牧に鎮座する御井(みい)神社の拝殿にゾーク事業で納められたと思われる大きな弓矢があった。それには平成8年の年号が記されていた。
当地のゾークは20年おきならば今年である。
ご存じであるかどうか尋ねた結果は・・判らないということだ。
その件で思いだされたSさんは同市榛原角柄の高龗(たかおかみ)神社のゾーク(式年造営竣工報告祭)があったという。
この年ではなく前年の平成27年11月8日に行われたそうだ。
帰宅してネットをぐぐってみたらあった。
「宇陀市メディアネット」が収録した動画である。
その祭典映像に上棟祭を祝う棟札奉献、四方祓い、散銭、散餅、棟梁祝詞、振幣の儀、巫女による棟盃の儀、大器の儀(墨壺線引き・手斧・差金)、手斧の儀、鉋の儀、槌打ちの儀(6組)があった。
槌打ちの儀における詞章は「千歳の棟、万歳の棟、永遠の棟」である。
雨天決行の祭典の様相を届けていた。
榛原角柄の高龗神社は江戸時代に九頭大明神と呼ばれていた。
それを示す灯籠に「享保元年(1717)十一月吉日」の刻印があるようだ。
古老に云い伝えや灯籠の年代記から今回で16回目のゾークが推察されると伝えていた。
榛原笠間の隣村は榛原雨師。当地においてもゾーク(造営)が行われると聞いているというのだ。
神社名は何であったのか覚えていないが、今年、それも建替え工事をしていたから近々のようだ。
その言葉に聞いたら急がねばならない。
カーナビゲーションにポイントした榛原雨師。
Sさんが指さしした地よりもまだ先を指示する。
そこは行き過ぎの同市榛原高塚に鎮座する八咫烏(やたがらす)神社だった。
まるで逆方向に案内するカーナビゲーションに面食らう。
Uターンして戻る。
この付近と思うところに着くのだが、入り道が判らない。
雨師の地区を表示する看板もない。
ここだろうとアタリをつけて細い道を登る。
軽自動車程度の車であれば楽々であるが、神社はどこであるのか・・・。
そういえば榛原笠間のSさんは山のてっぺんにあると云っていた。
下から見上げれば鳥居が見える。
そこに違いないと車を走らせる。
路肩を外せばやっかいなことになる細い道。
細心の注意を払って運転する。
到着した鳥居の右手には最近になって広げられたと思われる駐車場がある。
そこに停めて真新しい鳥居を潜る。
鳥居には扁額が、鳥居前は石塔がある。
それらを見れば神社名が判った。
式内「丹生神社」とある。
奈良県内で丹生神社といえば、奈良市丹生町の丹生神社がある。
ここより離れた遠隔地。
そこよりも、遠くない川上村や東吉野村の丹生川上神社を思い浮かべる。
それはともかく鳥居が真新しいのが不思議である。
もしかとすればゾーク(造営)はすでに終わっているのかも知れないのだ。
急峻な参道坂や階段を登っていく。
登り切ったところに拝殿や本殿があった。
拝殿の前柱や回廊手すりなどが新しい。
本拝殿は古いままの状態である。
一部修復のゾーク(造営)ではないだろうか。
拝殿の向こう側に建つのは本殿である。
鮮やかな朱塗りが美しい。
周りを囲む板塀も真新しい。
拝殿に長い脚立があることを考えれば工事中であるかもしれない。
場所や神社が判明したのでそこより下っていく。
そろそろ下れば木材関係の作業場があった。
人影が動いたので声をかけたら地元の大工さんだった。
お話を伺えば2週間後の4月3日にゾーク(造営)の式典をするようだ。
朝8時に始まる稚児行列は集落巡る。
随行する神輿もある。
雨師の集落は25戸であるが、氏子数は20戸になるそうだ。
当地に住んではいるものの身体の具合とかで氏子を辞退した家もあるらしい。
そういう状況下にあるが、大工棟梁のKさんの話しによれば一戸、一戸巡って御供餅をいただくようだ。
神輿に積んで神社に戻る。
それからゾークの式典が始まるようだ。
式典は子どもや役員が槌打ちをするという。
村の大工さんは薬師寺の納骨堂や奈良市の菅原神社の社殿などの修復に修業を積んだ宮大工だったのだ。
棟梁が行う祭典にエイエイトーの詞章もあるという。
この日の夜は正遷宮の儀式をするようだ。
それまでに神輿は神社に運ばねばならないという。
ちなみにゾークをすることが決定されたのは昨年の秋だった。
それから本格的な工事を進めてきたようだ。
神社周囲に植生する材を伐採して修材に利用した。
鳥居もそうだが、乾かすこともできなかった短期間工事。
生乾きのままで建てたそうだ。
綺麗になった石垣がある。
これもまた緊急工事だったと話す。
記念の槌や大きな弓矢もできあがった。
2週間後には20年に一度も村の一大行事が行われる。
ちなみに同神社のゾーク式典に前述した「宇陀市メディアネット」が取材に入るという。
うーーん、そういうことか。
しかもだ、地元住民のカメラマンは式典専属に記録の写真をも撮るという。
そういう状況下ではあるが、体調が良ければ取材したいものだ。
ちなみに当地の神社を尋ねる人が度々やってくるという。
その人たちは決まっていう。
こちらの神社は古来より知られている丹生神社で、川上村や東吉野村の神社よりも古く、由緒ある神社だと云うそうだ。
村の人よりも詳しい人はこうして在所の人に教えるらしい。
(H28. 3.19 SB932SH撮影)