毎年のように出かけていた十津川村。
場所は宿泊する民宿津川から上流の滝川である。
近年は土砂崩れによって滝百選に選ばれている笹の滝に入ることもできなかった。
河原で食べるひとときをゆっくりずむに寛ぐ時間に顔を合わす仲間がいる。
平成14年の9月末まで勤めていた会社の仲間たちとは一年に一度は当地で合流していた。
前年は32回目を迎えるはずだった。
ところが肝心かなめの私が心臓病で入院することになった。
ときは7月初めだが手術処置をして退院したのは8月半ばの盆の日。
例年は8月末の土曜、日曜に合流していた。
日程も決めて仲間たちに連絡をしていた。
が、である。
壊れた心臓は手術をして退院をするも長期療養の身となった。
電話で伝えることは「みなで行ってくれ」である。
宿泊や食材調達から道具手配まですべてのことを私がしてきた。
長年に亘って知らず知らずのうちに担った永久幹事。
宿泊所が辞めるか、私が動けなくなるまで続けようと思っていたが、それがほんまにきた。
みなの決断は中止である。
身体状況はその後においても芳しくない。
そのことはみなにSNSで伝えていたから存じているが、文字や電話の声では臨場感がない。
ここんところは週一ペースで測っている外来棟受診の血圧・脈拍数値シートで通知している。
ところが、その値は正常値。
測定に現われない安静な状態では危険水位に近い脈拍数。
だが、思い切ってみなに伝えた。
Aくんが誘う分厚いステーキ肉の画面に対して入れたコメントは「6月14日の状態に時系列に測った血圧と脈拍シートを縮小して貼り付け。
外来棟に着いた直後の11時8分は180-100に脈拍は52拍。
寝台にで横たわったほんまもんの心電図計測から5分経ったときの11時56分は、血圧が124-68に脈拍は48拍。
やや安静状態に近い。
リハビリ運動する直前の13時3分は130-67に脈拍は55拍。
外来棟でうろうろしていたらこうなる。
リハビリ運動を終えた数分後の14時36分は119-71に脈拍は62拍。
これをみれば順調な状況と思われるでしょ。
実は、です。寝台に横たわった安静な状態で測った心電図検査での脈拍は40拍になる。
おかしいでしょ。
2月前に計測した運動負荷テストに医師が診断した回答は、私の心臓は二つのペースメーカー(発信器)があるという。
一つは安静状態に働くペースメーカー。
もう一つは運動したときに働くペースメーカーである。
そういうわけで起床、朝食、新聞読みとかの時間帯や就寝時はだいたいが40-42拍。
自宅周辺を歩くリハビリ運後であれば50-55拍。
ですが、同乗者を乗せての車運転は不許可。
単独走行の場合だけは許可を得て往復60-100kmは走っている。
先月は47年ぶりの高校同クラスの同窓会に梅田まで出かけました。
飲む、食べる量は減りましたが、特にしんどさは感じなかったので、分厚いお肉でなくともかまいませんのでどうぞお誘いください」と返答したのは6月15日だった。
その後の6月29日のコメントは「毎週火曜日はリハビリ通院。あいも変わらず、リハビリ運動する病院の血圧計で測る脈拍はフツー。隠された事実は安息な状態での脈拍。起床、新聞読み、トイレ、朝食、服用直後に測る自宅計測の血圧計に表示される脈拍は・・・。本日29日は43拍。前日の28日は39拍。27日は39拍。26日は42拍。25日は43拍。24日は41拍。23日は42拍。22日は40拍。21日は40拍。20日は44拍。19日は51拍。18日は41拍。・・・・・二つのペースメーカーが動作するもんだから、まあ、こんなもんだ。身体が動いておればまったく問題はないと心臓リハビリ療法士は太鼓判です。7月1日、3日、5日(通院)、7日、10日、12日(通院)、14日以外は・・すっからかんに空いています」と返答したら数日後に「十津川組・復帰祝いの宴」を決めたと連絡が入った。
日程は7月2日。
宴の場所は大阪市中央区難波にある「個室和食みずき」なんば店。
ネットにあった場所案内地図。
大阪難波高島屋の向こう側の街。
「なんばマルイ」北隣とあったから、「だいたい」判ったと返したら、行ったことはないが、「北極アイスクリーム」の近くと返す。
大阪難波は子供のころからおおばあさんやおふくろに連れられて出かけていた処。
千日前の「いづもや」(2008年3月末閉店)の鰻のまむしは買えなかったが、焼いてタレ漬けした鰻の頭と尾っぽを竹の舟に盛った持ち帰り「ハンスケ」は我が家のご馳走だった。
そこまでいかなくとも「だいたい」で判る。
判っていたつもりはもろくも崩れる。
近鉄難波駅を降りて地下鉄に乗る上の階に上がる。
そこから高島屋に向けては地下道。
大阪住之江に住んでいたときは逆方向。
ビジネスの帰りは同じ方向に歩く。
地下道から何本か筋を目指す。
そこにあった「○Ⅰ○Ⅰ」の表示。
いつ開店したのか知らない関東では超有名な「マルイ」。
そこから近いと判ってはいるものの地上はどこだ。
脱出口が見つからず店員さんに道を聞けば、そこが地上口。
なんと目と鼻の先にあったが、人、人、人でごった返す店内では案内表示もなく、迷い人。
店をでて左折れ。
なんとなくそう思って人波にのって歩き始めた。
「北極アイスクリーム」の看板は見つからず、豚まんの「蓬莱」が・・・。
なんとなく道を迷ったようで、主催のMさんに電話する。
「ここどこと云われてもな」、というのが精いっぱいの回答。
北も南も方角が判らない街の様相。
御堂筋は見えていても「ココドコ、ボクダレ」である。
5月28日は21年ぶりの同窓会に集まった大阪梅田の曾根崎。
梅田界隈から曾根崎への道が判らず街を彷徨った。
大都会に来ると方角がまったく判らない。
地下に潜ればなおさらだ。
その点、奈良県内では山立てができる。
生駒山、葛城山、金剛山、三笠山、天理の山々に三輪山。奥吉野まで見える盆地部から眺める景観で東西南北が一目で判るが、梅田も難波も大都会。
暮らす住処に大きな違いがある目的地探し。
都会人が奈良県に訪れるときは逆に面食らう。
方角どころが標識案内が不徹底やと怒るひととも過去なんどかあった。
市の施設にいたときなんかエライ目にあったこともある。
それはともかくようやく探し当てた「北極アイスクリーム」の看板。
その隣の角地に「個室和食みずき」の看板が見つかった。
難波で10分間の彷徨い人。
疲れがどっとくる。
その店の前に立っていたのはSくんだ。
姿、顔をみるなり、「病後とは思えないですよね」と云う。
そう、見かけはそうなんだ。
ここで待っているわけにはいかない。
先着組は階上に居る。
声をかけた店員さんは「ここで待て」という。
なにがなんだかわからないが待つ。
動きがないからもう一度、声をかける。
そうすれば案内する。
おかしなところだ、と思った。
案内された室内には同年齢のMさんに60歳になったUくんや肉で誘いをかけたAくんに別会社に転職したTくん婦人のKさんが座っていた。
馴染みがあるすぎるぐらいの元同僚たちに囲まれた。
集合時間は過ぎていた。
もう一人のUくんが到着しない。
携帯電話にかけても留守電。
それも外人女性の声で返す留守電には対応不可。
そのうち来るだろうと宴はスタート。
呑み助ばかりが集った旧来の顔ぶれ。
すぐさま賑わい状態になった。
宴は「2時間飲み放題コース」。
つきだしについている梅酒ではノリが悪い。
最初の乾杯はジョッキビール。
二杯目からも店員さんに頼むのもめんどくさいのでピッチャーに換えた。
幹事の話しによれば飲み放題は「泳ぎイカの姿作り」と「国産黒毛和牛のステーキ」もつくらしい。
お店のHPによれば前酒に「あっさり仕込んだ梅酒」。
前菜は「本日仕込み前菜三種盛り合わせ」。
造里は「5種の造り盛り」。
冷菜は「夏野菜の彩り健康サラダ 和風柚子ドレッシング」。
焼物は「国産黒毛和牛のステーキ オリジナルソース」。
後造は「泳ぎイカの塩焼き または 天ぷら」。
逸品が「森林地鶏と夏大根の炊き合わせ」。
揚物「本日入荷鮮魚の梅肉揚げとおくらの天ぷら 自家製ごま塩で」。
〆物に「北海道直送とうもろこしの炊き込み御飯」で、甘味は「本日のおすすめデザート」。
4千5百円のところを消して5百円引きの4千円。
お得なのかどうか判らないが、次々と運ばれる。
会話は弾むし、出てくる料理にも弾む。
健康サラダっていうけど、ほんまに葉っぱだけやん。
和牛ステーキの小さいこと・・・。
小さいどころか細く見えるのに笑ってしまう。
こっちの皿の方がなんとなく分厚く見える。
なんじゃ、こりゃ、である。
それにしても塩焼きしたような感じでソース味がしなかったのは、なんで・・・。
白い皿に盛ったイカの可愛いこと。
小さくて、これもまた笑ってしまう。
和牛もイカも貧相に見えるのだ。
と、いうよりも、ほんまに貧相・・・。
出てくるたびに携帯で撮りまくる。
酔ったいきおいで撮っているものだからピンボケの連続。
こんなもんやということでアップしておく地鶏大根の炊き合わせ。
味はまあまぁの旨い方に、と思った。
鮮魚とオクラの天ぷらもやっぱり小さい。
小粒まるだしの料理にはあきれかえってしまう。
ここは料理屋とちゃう。
一杯飲み屋でもない。
居酒屋でもない。
お腹が減って仕方なかった〆のメシはトウモロコシ炊き込み御飯。
二杯もよそったような気がする。
最後のデザートはバターやったっけ。
ではなく、チーズ。
これがお勧めなら、客をなめとる、としか言いようがない。
一時解散して夜を歩く。
二次会は難波地下。
都会のアイスクリームで口直しだ。
帰宅するころにMさんからメールが届いた。
「今夜のお店はダメでした。部屋は臭いし、遅いし、肉は堅いし、店員も・・・が多いし」と散々。
「ネットだけではわからんかったから、ええ勉強になったわ」と詫びる幹事。
2年ぶりに再開する十津川遊びはふんだんに食べて飲んで遊ぼうぜ、と日程を決めた。
いつもなら8月末の土曜、日曜にしていたが、システムの切り替え等で参加できなかった人も居る。
8月末の考え方は子供中心。
夏休みの最後の週に家族も一緒になって寛いでもらう。
そういうことで日程を設定していたが、今では手離れ、子離れ。
定年を越えた男たちになった。
仕事勤めをしている定年前の人も考慮して9月の二週目に決定した。
(H28. 7. 2 SB932SH撮影)
場所は宿泊する民宿津川から上流の滝川である。
近年は土砂崩れによって滝百選に選ばれている笹の滝に入ることもできなかった。
河原で食べるひとときをゆっくりずむに寛ぐ時間に顔を合わす仲間がいる。
平成14年の9月末まで勤めていた会社の仲間たちとは一年に一度は当地で合流していた。
前年は32回目を迎えるはずだった。
ところが肝心かなめの私が心臓病で入院することになった。
ときは7月初めだが手術処置をして退院したのは8月半ばの盆の日。
例年は8月末の土曜、日曜に合流していた。
日程も決めて仲間たちに連絡をしていた。
が、である。
壊れた心臓は手術をして退院をするも長期療養の身となった。
電話で伝えることは「みなで行ってくれ」である。
宿泊や食材調達から道具手配まですべてのことを私がしてきた。
長年に亘って知らず知らずのうちに担った永久幹事。
宿泊所が辞めるか、私が動けなくなるまで続けようと思っていたが、それがほんまにきた。
みなの決断は中止である。
身体状況はその後においても芳しくない。
そのことはみなにSNSで伝えていたから存じているが、文字や電話の声では臨場感がない。
ここんところは週一ペースで測っている外来棟受診の血圧・脈拍数値シートで通知している。
ところが、その値は正常値。
測定に現われない安静な状態では危険水位に近い脈拍数。
だが、思い切ってみなに伝えた。
Aくんが誘う分厚いステーキ肉の画面に対して入れたコメントは「6月14日の状態に時系列に測った血圧と脈拍シートを縮小して貼り付け。
外来棟に着いた直後の11時8分は180-100に脈拍は52拍。
寝台にで横たわったほんまもんの心電図計測から5分経ったときの11時56分は、血圧が124-68に脈拍は48拍。
やや安静状態に近い。
リハビリ運動する直前の13時3分は130-67に脈拍は55拍。
外来棟でうろうろしていたらこうなる。
リハビリ運動を終えた数分後の14時36分は119-71に脈拍は62拍。
これをみれば順調な状況と思われるでしょ。
実は、です。寝台に横たわった安静な状態で測った心電図検査での脈拍は40拍になる。
おかしいでしょ。
2月前に計測した運動負荷テストに医師が診断した回答は、私の心臓は二つのペースメーカー(発信器)があるという。
一つは安静状態に働くペースメーカー。
もう一つは運動したときに働くペースメーカーである。
そういうわけで起床、朝食、新聞読みとかの時間帯や就寝時はだいたいが40-42拍。
自宅周辺を歩くリハビリ運後であれば50-55拍。
ですが、同乗者を乗せての車運転は不許可。
単独走行の場合だけは許可を得て往復60-100kmは走っている。
先月は47年ぶりの高校同クラスの同窓会に梅田まで出かけました。
飲む、食べる量は減りましたが、特にしんどさは感じなかったので、分厚いお肉でなくともかまいませんのでどうぞお誘いください」と返答したのは6月15日だった。
その後の6月29日のコメントは「毎週火曜日はリハビリ通院。あいも変わらず、リハビリ運動する病院の血圧計で測る脈拍はフツー。隠された事実は安息な状態での脈拍。起床、新聞読み、トイレ、朝食、服用直後に測る自宅計測の血圧計に表示される脈拍は・・・。本日29日は43拍。前日の28日は39拍。27日は39拍。26日は42拍。25日は43拍。24日は41拍。23日は42拍。22日は40拍。21日は40拍。20日は44拍。19日は51拍。18日は41拍。・・・・・二つのペースメーカーが動作するもんだから、まあ、こんなもんだ。身体が動いておればまったく問題はないと心臓リハビリ療法士は太鼓判です。7月1日、3日、5日(通院)、7日、10日、12日(通院)、14日以外は・・すっからかんに空いています」と返答したら数日後に「十津川組・復帰祝いの宴」を決めたと連絡が入った。
日程は7月2日。
宴の場所は大阪市中央区難波にある「個室和食みずき」なんば店。
ネットにあった場所案内地図。
大阪難波高島屋の向こう側の街。
「なんばマルイ」北隣とあったから、「だいたい」判ったと返したら、行ったことはないが、「北極アイスクリーム」の近くと返す。
大阪難波は子供のころからおおばあさんやおふくろに連れられて出かけていた処。
千日前の「いづもや」(2008年3月末閉店)の鰻のまむしは買えなかったが、焼いてタレ漬けした鰻の頭と尾っぽを竹の舟に盛った持ち帰り「ハンスケ」は我が家のご馳走だった。
そこまでいかなくとも「だいたい」で判る。
判っていたつもりはもろくも崩れる。
近鉄難波駅を降りて地下鉄に乗る上の階に上がる。
そこから高島屋に向けては地下道。
大阪住之江に住んでいたときは逆方向。
ビジネスの帰りは同じ方向に歩く。
地下道から何本か筋を目指す。
そこにあった「○Ⅰ○Ⅰ」の表示。
いつ開店したのか知らない関東では超有名な「マルイ」。
そこから近いと判ってはいるものの地上はどこだ。
脱出口が見つからず店員さんに道を聞けば、そこが地上口。
なんと目と鼻の先にあったが、人、人、人でごった返す店内では案内表示もなく、迷い人。
店をでて左折れ。
なんとなくそう思って人波にのって歩き始めた。
「北極アイスクリーム」の看板は見つからず、豚まんの「蓬莱」が・・・。
なんとなく道を迷ったようで、主催のMさんに電話する。
「ここどこと云われてもな」、というのが精いっぱいの回答。
北も南も方角が判らない街の様相。
御堂筋は見えていても「ココドコ、ボクダレ」である。
5月28日は21年ぶりの同窓会に集まった大阪梅田の曾根崎。
梅田界隈から曾根崎への道が判らず街を彷徨った。
大都会に来ると方角がまったく判らない。
地下に潜ればなおさらだ。
その点、奈良県内では山立てができる。
生駒山、葛城山、金剛山、三笠山、天理の山々に三輪山。奥吉野まで見える盆地部から眺める景観で東西南北が一目で判るが、梅田も難波も大都会。
暮らす住処に大きな違いがある目的地探し。
都会人が奈良県に訪れるときは逆に面食らう。
方角どころが標識案内が不徹底やと怒るひととも過去なんどかあった。
市の施設にいたときなんかエライ目にあったこともある。
それはともかくようやく探し当てた「北極アイスクリーム」の看板。
その隣の角地に「個室和食みずき」の看板が見つかった。
難波で10分間の彷徨い人。
疲れがどっとくる。
その店の前に立っていたのはSくんだ。
姿、顔をみるなり、「病後とは思えないですよね」と云う。
そう、見かけはそうなんだ。
ここで待っているわけにはいかない。
先着組は階上に居る。
声をかけた店員さんは「ここで待て」という。
なにがなんだかわからないが待つ。
動きがないからもう一度、声をかける。
そうすれば案内する。
おかしなところだ、と思った。
案内された室内には同年齢のMさんに60歳になったUくんや肉で誘いをかけたAくんに別会社に転職したTくん婦人のKさんが座っていた。
馴染みがあるすぎるぐらいの元同僚たちに囲まれた。
集合時間は過ぎていた。
もう一人のUくんが到着しない。
携帯電話にかけても留守電。
それも外人女性の声で返す留守電には対応不可。
そのうち来るだろうと宴はスタート。
呑み助ばかりが集った旧来の顔ぶれ。
すぐさま賑わい状態になった。
宴は「2時間飲み放題コース」。
つきだしについている梅酒ではノリが悪い。
最初の乾杯はジョッキビール。
二杯目からも店員さんに頼むのもめんどくさいのでピッチャーに換えた。
幹事の話しによれば飲み放題は「泳ぎイカの姿作り」と「国産黒毛和牛のステーキ」もつくらしい。
お店のHPによれば前酒に「あっさり仕込んだ梅酒」。
前菜は「本日仕込み前菜三種盛り合わせ」。
造里は「5種の造り盛り」。
冷菜は「夏野菜の彩り健康サラダ 和風柚子ドレッシング」。
焼物は「国産黒毛和牛のステーキ オリジナルソース」。
後造は「泳ぎイカの塩焼き または 天ぷら」。
逸品が「森林地鶏と夏大根の炊き合わせ」。
揚物「本日入荷鮮魚の梅肉揚げとおくらの天ぷら 自家製ごま塩で」。
〆物に「北海道直送とうもろこしの炊き込み御飯」で、甘味は「本日のおすすめデザート」。
4千5百円のところを消して5百円引きの4千円。
お得なのかどうか判らないが、次々と運ばれる。
会話は弾むし、出てくる料理にも弾む。
健康サラダっていうけど、ほんまに葉っぱだけやん。
和牛ステーキの小さいこと・・・。
小さいどころか細く見えるのに笑ってしまう。
こっちの皿の方がなんとなく分厚く見える。
なんじゃ、こりゃ、である。
それにしても塩焼きしたような感じでソース味がしなかったのは、なんで・・・。
白い皿に盛ったイカの可愛いこと。
小さくて、これもまた笑ってしまう。
和牛もイカも貧相に見えるのだ。
と、いうよりも、ほんまに貧相・・・。
出てくるたびに携帯で撮りまくる。
酔ったいきおいで撮っているものだからピンボケの連続。
こんなもんやということでアップしておく地鶏大根の炊き合わせ。
味はまあまぁの旨い方に、と思った。
鮮魚とオクラの天ぷらもやっぱり小さい。
小粒まるだしの料理にはあきれかえってしまう。
ここは料理屋とちゃう。
一杯飲み屋でもない。
居酒屋でもない。
お腹が減って仕方なかった〆のメシはトウモロコシ炊き込み御飯。
二杯もよそったような気がする。
最後のデザートはバターやったっけ。
ではなく、チーズ。
これがお勧めなら、客をなめとる、としか言いようがない。
一時解散して夜を歩く。
二次会は難波地下。
都会のアイスクリームで口直しだ。
帰宅するころにMさんからメールが届いた。
「今夜のお店はダメでした。部屋は臭いし、遅いし、肉は堅いし、店員も・・・が多いし」と散々。
「ネットだけではわからんかったから、ええ勉強になったわ」と詫びる幹事。
2年ぶりに再開する十津川遊びはふんだんに食べて飲んで遊ぼうぜ、と日程を決めた。
いつもなら8月末の土曜、日曜にしていたが、システムの切り替え等で参加できなかった人も居る。
8月末の考え方は子供中心。
夏休みの最後の週に家族も一緒になって寛いでもらう。
そういうことで日程を設定していたが、今では手離れ、子離れ。
定年を越えた男たちになった。
仕事勤めをしている定年前の人も考慮して9月の二週目に決定した。
(H28. 7. 2 SB932SH撮影)