昭和の終わりごろまでは12月7日に行われていた桜井市三谷の山の口座の神縄掛祭(かみなわかけさい)。
菅原神社下の里道に掛けるカンジョウナワは祭りを勤めるヤドが作る。
この年は87歳の長老がヤド。
予め結っていたカンジョウナワの足に葉付きのカシ枝を挿し込む3人。
ヤド隣家の手伝いさんが合流して完成させる。
たまたまであるが、手伝いさんは氏子総代代表に区長さん。
普段は村の行事を勤める大役の二人であるが、この日の作業は「下働きや」と云う。
カンジョウナワは「右ナイに結うんだ」と長老は話す。
足は4本で、カシの葉は3段の垂れ。
それを4組作る。
里道に掛ける綱は市販のロープ。
昔は縄を結っていたが、当番のヤドの人は若返り。
いつしか結うこともできなくなり、市販の品にしたと云う。
カンジョウナワの垂れに挿し込む御幣も作った。
挿す木はススンボの竹だ。
すべての祭具が揃ったところで菅原神社に向かった3人。
シンセンモチ、シオサバ、ノリ、ハクサイ、ダイコン、ニンジン、リンゴ、ミカンなどの神饌は神饌所に納めておく。
笹は石の鳥居柱に括りつけておく。
午前中いっぱいかけて午後からの神事を待つ3人は一旦帰宅して昼食を摂る。
大字三谷の集落は15戸。
二組にそれぞれ分けた北・南垣内。
北垣内は北の南組と中組。
古垣内とも呼ばれる南垣内は南の南組と中組である。
村の行事をそれぞれの組が担っているのだ。
万が一、行事を勤めることができない場合は区長が代理を勤めると話す。
定刻時間ともなればやってくる宮司、氏子たち。
神饌を三方に乗せて調えるのは宮司。
近隣村の神社にも出仕されるが宮司の本社は三谷。
いつもこうしているという。
拝殿にはヤドが作られたカンジョウナワは崩れないように折りたたんで八足案に置く。
そこに置かれたカマ・ナタ・ヨキ・ノコギリはネムの木で作った山の道具である。
この日の神事は山の口座の行事である。
かつてはこの4種の他、ナエビキ(木挽道具)も作って供えていたようだ。
山の口座の行事は山の仕事を始めるに際して安全を祈るのであるが、新穀で作ったにごり酒も供えていることから新嘗祭も含めた行事になったようである。
その証しに宮司が奏上する祝詞はやはり新嘗祭である。
山の口座の名称は、県内各地で見られる山の神を祀る行事。
12月7日であったことでそれが判る。
「山の口」は山仕事の初めの詞。
おそらく「山の口開け(くちあけ)」ではないかと思った。
「天照皇太神宮」のお札を供えて神事が始まった。
祓えの儀、オオォーと神呼びする御扉開は菅原道真、牛頭天王、高(靇)おかみの神を祀る三社の扉を開ける。
献饌、三神の祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌、御扉閉、宮司一拝など一連の神事を終えて、祈祷されたカンジョウナワを運び出す手伝いさん。
神社下の川に向かっていく。
川幅は小川であるが、向こうの山の木に掛けるので長さは割合ある。
まずは1組の垂れを括りつける。
向かい側の山まで綱を引っぱって掛けるのだが、その間隔もかなりある。
下草刈りをしてない枯れ草が遮る。
その場を避けて廻り込んでいく。
三つの房は間隔の長さを測るわけでもなく、適当な処で取り付ける。
中央になる房にはススンボの幣を挿し込んでおく。
崖に登って木にロープを巻きつける作業。
急こう配な場だけに括りつけるが難儀な作業である。
こうしてカンジョウナワを掛けた手伝いさん。
おもむろにもう1組の垂れを川に捨てるように手放した。
川に流された房を見届けて神社に戻っていく。
このような作法をされるカンジョウナワは多数の県内行事の中でも唯一ではないだろうか。
どうしてこのようなことをするのか村の人たちも知らないと云う。
翌年の2月にもカンジョウナワカケをされるが、そのときの房はシキビになると云う。
(H25.12. 1 EOS40D撮影)
菅原神社下の里道に掛けるカンジョウナワは祭りを勤めるヤドが作る。
この年は87歳の長老がヤド。
予め結っていたカンジョウナワの足に葉付きのカシ枝を挿し込む3人。
ヤド隣家の手伝いさんが合流して完成させる。
たまたまであるが、手伝いさんは氏子総代代表に区長さん。
普段は村の行事を勤める大役の二人であるが、この日の作業は「下働きや」と云う。
カンジョウナワは「右ナイに結うんだ」と長老は話す。
足は4本で、カシの葉は3段の垂れ。
それを4組作る。
里道に掛ける綱は市販のロープ。
昔は縄を結っていたが、当番のヤドの人は若返り。
いつしか結うこともできなくなり、市販の品にしたと云う。
カンジョウナワの垂れに挿し込む御幣も作った。
挿す木はススンボの竹だ。
すべての祭具が揃ったところで菅原神社に向かった3人。
シンセンモチ、シオサバ、ノリ、ハクサイ、ダイコン、ニンジン、リンゴ、ミカンなどの神饌は神饌所に納めておく。
笹は石の鳥居柱に括りつけておく。
午前中いっぱいかけて午後からの神事を待つ3人は一旦帰宅して昼食を摂る。
大字三谷の集落は15戸。
二組にそれぞれ分けた北・南垣内。
北垣内は北の南組と中組。
古垣内とも呼ばれる南垣内は南の南組と中組である。
村の行事をそれぞれの組が担っているのだ。
万が一、行事を勤めることができない場合は区長が代理を勤めると話す。
定刻時間ともなればやってくる宮司、氏子たち。
神饌を三方に乗せて調えるのは宮司。
近隣村の神社にも出仕されるが宮司の本社は三谷。
いつもこうしているという。
拝殿にはヤドが作られたカンジョウナワは崩れないように折りたたんで八足案に置く。
そこに置かれたカマ・ナタ・ヨキ・ノコギリはネムの木で作った山の道具である。
この日の神事は山の口座の行事である。
かつてはこの4種の他、ナエビキ(木挽道具)も作って供えていたようだ。
山の口座の行事は山の仕事を始めるに際して安全を祈るのであるが、新穀で作ったにごり酒も供えていることから新嘗祭も含めた行事になったようである。
その証しに宮司が奏上する祝詞はやはり新嘗祭である。
山の口座の名称は、県内各地で見られる山の神を祀る行事。
12月7日であったことでそれが判る。
「山の口」は山仕事の初めの詞。
おそらく「山の口開け(くちあけ)」ではないかと思った。
「天照皇太神宮」のお札を供えて神事が始まった。
祓えの儀、オオォーと神呼びする御扉開は菅原道真、牛頭天王、高(靇)おかみの神を祀る三社の扉を開ける。
献饌、三神の祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌、御扉閉、宮司一拝など一連の神事を終えて、祈祷されたカンジョウナワを運び出す手伝いさん。
神社下の川に向かっていく。
川幅は小川であるが、向こうの山の木に掛けるので長さは割合ある。
まずは1組の垂れを括りつける。
向かい側の山まで綱を引っぱって掛けるのだが、その間隔もかなりある。
下草刈りをしてない枯れ草が遮る。
その場を避けて廻り込んでいく。
三つの房は間隔の長さを測るわけでもなく、適当な処で取り付ける。
中央になる房にはススンボの幣を挿し込んでおく。
崖に登って木にロープを巻きつける作業。
急こう配な場だけに括りつけるが難儀な作業である。
こうしてカンジョウナワを掛けた手伝いさん。
おもむろにもう1組の垂れを川に捨てるように手放した。
川に流された房を見届けて神社に戻っていく。
このような作法をされるカンジョウナワは多数の県内行事の中でも唯一ではないだろうか。
どうしてこのようなことをするのか村の人たちも知らないと云う。
翌年の2月にもカンジョウナワカケをされるが、そのときの房はシキビになると云う。
(H25.12. 1 EOS40D撮影)