この日に行われた第23回こおりやま歴史フォーラム。
地元、城下町の郡山の町。
全国至るところに城下町がある。
大和郡山もそのひとつ。
およそ400年前に成立した城下町。
私は、30年間も暮らした大阪市内・住之江から離れ、転居してきた。
半世紀とまではいかないが、ほぼ40年間も身を寄せている城下町の外廓のいち地区。
城下町の外域は、城下町形成以前の時代。
古くから暮らしてこられた旧村の民俗行事を取材していくなかで、歴史過程における民による伝統行事~暮らしの一端も知るようになった。
暮らしの基底は、衣・食・住。
この三つのテーマをもって写真展に参加したことがある。
写真展会場は、市内西の方にある県立民俗博物館内。
「衣」は平成27年10月に、「食」は平成26年10月。
「住」は平成28年10月に、参加された写真家たちが、それぞれが思う民俗文化を写真に収めた作品を展示した。
建物の構造、あり方も、また暮らしの民俗。
旧家茅葺民家、旧家の町家など動態保存する民俗博物館の併設施設の県立大和民俗公園。
平坦部の建物や吉野建てと称される構造をもつ建物などが保存されている。
地域文化に、山、川、或いは高低差などなど・・・
物理的に異なる、その地に応じた建物構造。
その地に住んでいた暮らしの民俗。
構造的な視点から古民家解説、また茅葺職人が語る生の声を聴かせてもらい、学んだこともある。
第23回こおりやま歴史フォーラムも、また学び。
参加した今回のテーマは「町家礼讃~古民家および歴史的町並みの保存と活用を巡って~」。
「町家礼讃」を冠にはじまった歴史フォーラムプログラムは、講演者が思いを語る“古民家および歴史的町並みの保存と活用を巡って”。
講演者は三人三様。
それぞれが体験、活動されてきた立ち位置から事例を発表される。
事例1、「郡山城下町(大和郡山市)」を発表する奈良県建築士会郡山支部前支部長の徳本雅代氏
事例2、「今井寺内町(橿 原 市)」を発表する今井町町並み保存会会長の若林稔氏
事例3、「松山城下町(宇 陀 市)」を発表する宇陀市観光課課長補佐の柳澤一宏氏
町家の所在地に住み、内部から保存活動に励んだ、という若林稔氏。
内部の人だけに悩み、困難さをつらつら語られたが、私の耳にはグダグダウダウダにしか聞こえてこない。
地域を盛り上げに様々なイベントを実行してきたが、町家の保存に繋がったのか、どうかわからない。
本来、今後も将来長きに渉る暮らしに、現存する町家建物をどう継続していくか、具体策は何を、とか期待していたが・・・
内部に住む者だけに葛藤ばかりの語りに、得るものはただただ心配だけが残った。
徳本雅代氏の取り組みは現存する町家の城下町の測量・調査が出発点。
空き家になった町家の修復・保全形成から、新しい息吹を産もうとしている。
が、数件の物件を城下町に馴染むような建物。
リニューアルした建物は食事処を兼ねた観光拠点に、という方向建て。
観光客の目線からのいわばシンボルタワー的要素のように思えた。
ニュース報道などで紹介されるが、いっときだけの盛り上がり。
城下町全域に住民意識も拡げていかないと、結局は観光客に来てもらった、という嬉しさだけ。
ここに住みたい、という意識効果に繋がればいいのだが・・・
城下町・郡山も宇陀松山も、イベント止まり。
終われば、来られた町に戻るだけ。
その日限りの観光客集めで終わっているのが現状。
フォーラムテーマの「古民家および歴史的町並みの保存と活用」までは、ほど遠い現状。
知らず、知らずのうちに城下町は歯抜けのようになっていく。
潰した民家の跡地は更地のままもあれば、建て替え住宅に移った城下町らしくないお家も、最近よく見かける。
郡山に住んで40年。
昔懐かしの写真を見て気づくことは、その変容ぶりである。
昔はあーだった、こうだった、と回顧にため息がでる。
若林稔氏の講話は、イベントは失敗だった、と嘆きの講話になっていた。
会場は、DMGMORIやまと郡山城ホール。
元々は先着300名の入場者数だった。
コロナ禍対応に、直前になって入場制限を150人に落としたが、実際は100名余りの入場者数。
参加者に、大勢の知り合いの人たち。
みなさん、どう思われたのか存知しないが・・
(R3. 2.20 SB805SH撮影)
地元、城下町の郡山の町。
全国至るところに城下町がある。
大和郡山もそのひとつ。
およそ400年前に成立した城下町。
私は、30年間も暮らした大阪市内・住之江から離れ、転居してきた。
半世紀とまではいかないが、ほぼ40年間も身を寄せている城下町の外廓のいち地区。
城下町の外域は、城下町形成以前の時代。
古くから暮らしてこられた旧村の民俗行事を取材していくなかで、歴史過程における民による伝統行事~暮らしの一端も知るようになった。
暮らしの基底は、衣・食・住。
この三つのテーマをもって写真展に参加したことがある。
写真展会場は、市内西の方にある県立民俗博物館内。
「衣」は平成27年10月に、「食」は平成26年10月。
「住」は平成28年10月に、参加された写真家たちが、それぞれが思う民俗文化を写真に収めた作品を展示した。
建物の構造、あり方も、また暮らしの民俗。
旧家茅葺民家、旧家の町家など動態保存する民俗博物館の併設施設の県立大和民俗公園。
平坦部の建物や吉野建てと称される構造をもつ建物などが保存されている。
地域文化に、山、川、或いは高低差などなど・・・
物理的に異なる、その地に応じた建物構造。
その地に住んでいた暮らしの民俗。
構造的な視点から古民家解説、また茅葺職人が語る生の声を聴かせてもらい、学んだこともある。
第23回こおりやま歴史フォーラムも、また学び。
参加した今回のテーマは「町家礼讃~古民家および歴史的町並みの保存と活用を巡って~」。
「町家礼讃」を冠にはじまった歴史フォーラムプログラムは、講演者が思いを語る“古民家および歴史的町並みの保存と活用を巡って”。
講演者は三人三様。
それぞれが体験、活動されてきた立ち位置から事例を発表される。
事例1、「郡山城下町(大和郡山市)」を発表する奈良県建築士会郡山支部前支部長の徳本雅代氏
事例2、「今井寺内町(橿 原 市)」を発表する今井町町並み保存会会長の若林稔氏
事例3、「松山城下町(宇 陀 市)」を発表する宇陀市観光課課長補佐の柳澤一宏氏
町家の所在地に住み、内部から保存活動に励んだ、という若林稔氏。
内部の人だけに悩み、困難さをつらつら語られたが、私の耳にはグダグダウダウダにしか聞こえてこない。
地域を盛り上げに様々なイベントを実行してきたが、町家の保存に繋がったのか、どうかわからない。
本来、今後も将来長きに渉る暮らしに、現存する町家建物をどう継続していくか、具体策は何を、とか期待していたが・・・
内部に住む者だけに葛藤ばかりの語りに、得るものはただただ心配だけが残った。
徳本雅代氏の取り組みは現存する町家の城下町の測量・調査が出発点。
空き家になった町家の修復・保全形成から、新しい息吹を産もうとしている。
が、数件の物件を城下町に馴染むような建物。
リニューアルした建物は食事処を兼ねた観光拠点に、という方向建て。
観光客の目線からのいわばシンボルタワー的要素のように思えた。
ニュース報道などで紹介されるが、いっときだけの盛り上がり。
城下町全域に住民意識も拡げていかないと、結局は観光客に来てもらった、という嬉しさだけ。
ここに住みたい、という意識効果に繋がればいいのだが・・・
城下町・郡山も宇陀松山も、イベント止まり。
終われば、来られた町に戻るだけ。
その日限りの観光客集めで終わっているのが現状。
フォーラムテーマの「古民家および歴史的町並みの保存と活用」までは、ほど遠い現状。
知らず、知らずのうちに城下町は歯抜けのようになっていく。
潰した民家の跡地は更地のままもあれば、建て替え住宅に移った城下町らしくないお家も、最近よく見かける。
郡山に住んで40年。
昔懐かしの写真を見て気づくことは、その変容ぶりである。
昔はあーだった、こうだった、と回顧にため息がでる。
若林稔氏の講話は、イベントは失敗だった、と嘆きの講話になっていた。
会場は、DMGMORIやまと郡山城ホール。
元々は先着300名の入場者数だった。
コロナ禍対応に、直前になって入場制限を150人に落としたが、実際は100名余りの入場者数。
参加者に、大勢の知り合いの人たち。
みなさん、どう思われたのか存知しないが・・
(R3. 2.20 SB805SH撮影)