2カ月前の平成28年9月17日。
室生染田の田んぼで偶然に出会った田主さんは野鍛冶師。
毎度ではないが、何かと出会うときがある。
この日は退院してから9カ月目。
久しぶりに顔を合わす話の弾みに写真家Kさんの願いを叶えたくてフイゴの祭りの再取材。
これまで2回も取材させてもらっている。
1回目は平成18年11月8日。
2回目は平成23年11月8日だった。
2回目に至る前年の平成22年。
その年の毎週水曜日に発刊される産経新聞の奈良版の連載。
奈良支局の依頼で始まった奈良県の伝統的な民俗を紹介するコーナーを受け持った。
連載は一年間。
シリーズタイトルは「やまと彩祭」であった。
執筆にあたって毎週、毎週の奈良の民俗をどういうものを季節に合わせて計画した。
意識したのはできうる限り、貴重な県内事例を伝えたい、である。
それより一年前の平成21年は人生にとって初の著書である『奈良大和路の年中行事』の刊行である。
編集・出版は京都の淡交社。
裏千家で名高い出版社である。
奈良支局から依頼されたときにすぐさま頭に描いたのは著書では紹介できなかった民俗行事である。
表現も新聞記事らしくしようと思って毎週の発行に合わせる行事を計画した。
そのひとつに挙げたのが宇陀市室生染田で行われているフイゴの祭りだ。
野鍛冶師がフイゴに感謝する記事を書きたい。
そう思って描いたのは大昔から今にも続く農耕の在り方である。
農具、民具は寄贈された民俗博物館などにカタチとして残される。
カタチで残された文化的所産物は有形文化財。
民俗文化財は衣食住、生業、信仰、年中行事などに関する風俗慣習、民俗芸能、民俗技術など、人々が日常生活の中で生み出し継承してきたモノモノ。
有形は「モノ」として残されるが、無形はいわば「流れ」。
固定化されたモノでもない。
時代、文化の興隆衰退によって変革する。
有形もそうであるが、無形分野を形で残すには写真、動画、文字・・などしかない。
私にできるのはそれしかないと思ってしたためた。
48年前。
私が卒業した高校は大阪府立東住吉工業高等学校。
選択した科は第二機械科である。
第一機械化は鋳物関係。
第二機械化は旋盤関係。
大きくわけるとそんな感じだ。
卒業してからずいぶんと日が経つが、体験したことは身体が覚えている。
機械科だからこそ同じ鉄を扱う鍛冶仕事を気にかけたい。
記事化に選んだ理由は機械科卒であるからだが、執筆する記事に誤りや食い違いがあってはならない。
したためた原案をもって染田の野鍛冶師さんにみてもらった。
大まかにいえば問題はなかったが・・・若干の指摘を修正し、記事になった。
平成22年11月7日に発刊された新聞記事は新聞社の校閲もあって読みやすく、わかりやすくしていただいた。
元原稿は手元に残している。
公開された記事と読み比べてみれば恥ずかしくも思う文である。
恥ずかしくもあるが、ここにそのままの原文を残しておく。
「弥生時代はより安定した生活を営むため水稲耕作が広まった。農耕具が木製から鉄器文化に移ったことが普及の一因で、それは小国家のクニの始まりであった。稲作鉄道具は荒地を開拓するのに適し、より広大な土地を耕すことで文化水準が一挙に高まった。その鉄農耕具に携わる生業、戦後まもない時期までは野鍛冶が村の花形だった。生活文化が変わり、農業生産は効率的な農機具に移っていった。今ではその普及によって、その姿を見ることが少なくなった。所狭しにさまざまな鍛冶師の道具が並んでいる。」
「鍛冶屋の仕事場は火床(ひどこ)。火を起こすフイゴや金床、金槌、ハサミ道具、万力、ボール盤、円砥石がある。ベルトハンマーが回転する槌(つち)打ち機械が動き、松炭でまったりと焼けた鋼(はがね)を取り付けた野鍬の先を叩きつけるハンマーの音。親爺さんから二代目を継いだ室生染田の野鍛冶職人は今でも現役。クワ・ナタ・カマなどを修理する野鍛冶仕事に精を出す。(※)焼けた鋼や炭の色で目利きするその姿は巧みの技師だ。四方に飛び散った火花は清廉で、真っ直ぐな線を描く鉄一筋の伝統技が生きている。
奈良県では戦後間もない頃、野鍛冶を営んでいた鍛冶屋は約2在所ごとに一軒というからそうとう多数あったそうだ。それが現在は僅か数軒になった。その鍛冶屋が信仰する祭りがフイゴ祭。新暦の11月8日に行われている。一日ゆっくりフイゴを休ませて、フイゴとともに一年の労をねぎらい鍛冶仕事に感謝する日だ。
田畑を耕す鍬や鎌は農業を営む人にとっては欠かせない大切な道具。鍛冶屋はそれを作り出したり、打ち直して機能を長持ちさせる職業で、農家とは密接な関係にある。」
「鍛冶屋にとってなくてはならない道具がフイゴ。火を起こし、風を送る。鉄工所を営む鍛冶屋はフイゴの前に神棚を用意して、里、山、海の幸の他に7品の神饌を供えた。フイゴを神のように見立てて「一年間、鍛冶仕事で家族を支えていただいたお礼と次の一年も商売繁盛になりますよう」手を合わせ感謝の気持ちを込めて祈願する。仕事場の四方や道具に洗米、塩、お神酒を撒いて、神式に則り2礼、2拝、1礼で拝んだ。」で締めた。
掲載された新聞記事文は無駄をそぎ落として読みやすくなっているのがよくわかる。
フイゴの祭りは昔も今も変わらずに続けてきた。
神饌を並べてローソクに火を点ける。
その前にあるのが野鍛冶師の仕事場。
フイゴ道具がある火床を祭る祝詞は神式に則り、「かけまくも十一月八日は、鍛冶職人のふいご祭りとして、ふいごの神様、火床の神様、金床の神様、もろもろ道具の神様。昨年十一月八日より本日まで、火難と災難なく平穏な一年を過ごさせていただき、誠にありがとうございました。また、本日より来年の十一月八日まで、火難なく大難を小難、小難無難にお守りくださることと、一家の商売繁盛と家内安全を賜りますよう御祈願申し上げます」を述べた。
ところで今回の取材である。
願っていた写真家のKさんは急遽入った仕事の関係でやむなく断念。
それとは関係なくもう一人の客人が取材に来るという。
現れた客人は本物の新聞記者であった。
記者は朝日新聞社の古澤範英氏。
FBでのトモダチの一人になる古澤氏は現役記者。
後日の11月27日に発行された記事を読ませていただいたら、さすがに構成が上手いなと思った。
しかもだ。朝日新聞はデジタル化されてネットでは動画も拝見できる。
シンプルな纏め方に、カン、カン、というか、トン、トン・・・一日千回。
坦々としている情景がとても素敵だと思った。
同じような表現はここではできない。
と、いうよりも、野鍛冶師が新聞記者に説明しながら野鍛冶をしている行程を撮ることに専念した。
記録した160枚余りの写真を選別。
この写真は産経新聞に取り上げることのなかった(※)印の<参考 工程概略>に沿って公開することにした。
1.炉とも呼ばれる火床(ひどこ)の火起こし。
火起こしの燃料であるコークス(昔は松炭)を入れて着火する。
2.鍬の磨り減った部分に軟鉄を補充し火床で焼き金床の上でハンマーを打ち、平らにする。
3.ハガネを鍬先の幅に切断して取り付ける。
4.取り付ける接合剤は鉄鑞(てつろう)粉。
鉄鑞は硼砂(ほうしゃ)やホウ酸、ヤスリ粉が用いられる。
5.火床(ひどこ)から焼けた鍬を取り出して、ハンマーで叩くと火花が散る。
この火花は鉄鑞粉が焼けて飛び散っている証しで一回だけ発生する大火花(1,000℃)。
この工程を<仮付け>という。
6.更に鍬を焼いてハンマーで叩く。
これを<沸かし付け(本付け 1,200℃)>という。
7.もう一度同じ工程を踏んでハンマーで叩き鍬の形を整える。
これを<のし打ち>といい、6回ほど繰り返す。
8.冷ました鍬をグラインダーとヤスリで仕上げる。
9.鍬の先を火床で焼き、水槽の中に入れ急冷する。(焼き入れ行程 800℃)
10.粘りを与えるため鍬先の鋼の部分を火にあてる。(焼き戻し行程)
11.ラッカーで色付けをした後、鍬に柄を付ける。(完成)
(H28.11.11 EOS40D撮影)
室生染田の田んぼで偶然に出会った田主さんは野鍛冶師。
毎度ではないが、何かと出会うときがある。
この日は退院してから9カ月目。
久しぶりに顔を合わす話の弾みに写真家Kさんの願いを叶えたくてフイゴの祭りの再取材。
これまで2回も取材させてもらっている。
1回目は平成18年11月8日。
2回目は平成23年11月8日だった。
2回目に至る前年の平成22年。
その年の毎週水曜日に発刊される産経新聞の奈良版の連載。
奈良支局の依頼で始まった奈良県の伝統的な民俗を紹介するコーナーを受け持った。
連載は一年間。
シリーズタイトルは「やまと彩祭」であった。
執筆にあたって毎週、毎週の奈良の民俗をどういうものを季節に合わせて計画した。
意識したのはできうる限り、貴重な県内事例を伝えたい、である。
それより一年前の平成21年は人生にとって初の著書である『奈良大和路の年中行事』の刊行である。
編集・出版は京都の淡交社。
裏千家で名高い出版社である。
奈良支局から依頼されたときにすぐさま頭に描いたのは著書では紹介できなかった民俗行事である。
表現も新聞記事らしくしようと思って毎週の発行に合わせる行事を計画した。
そのひとつに挙げたのが宇陀市室生染田で行われているフイゴの祭りだ。
野鍛冶師がフイゴに感謝する記事を書きたい。
そう思って描いたのは大昔から今にも続く農耕の在り方である。
農具、民具は寄贈された民俗博物館などにカタチとして残される。
カタチで残された文化的所産物は有形文化財。
民俗文化財は衣食住、生業、信仰、年中行事などに関する風俗慣習、民俗芸能、民俗技術など、人々が日常生活の中で生み出し継承してきたモノモノ。
有形は「モノ」として残されるが、無形はいわば「流れ」。
固定化されたモノでもない。
時代、文化の興隆衰退によって変革する。
有形もそうであるが、無形分野を形で残すには写真、動画、文字・・などしかない。
私にできるのはそれしかないと思ってしたためた。
48年前。
私が卒業した高校は大阪府立東住吉工業高等学校。
選択した科は第二機械科である。
第一機械化は鋳物関係。
第二機械化は旋盤関係。
大きくわけるとそんな感じだ。
卒業してからずいぶんと日が経つが、体験したことは身体が覚えている。
機械科だからこそ同じ鉄を扱う鍛冶仕事を気にかけたい。
記事化に選んだ理由は機械科卒であるからだが、執筆する記事に誤りや食い違いがあってはならない。
したためた原案をもって染田の野鍛冶師さんにみてもらった。
大まかにいえば問題はなかったが・・・若干の指摘を修正し、記事になった。
平成22年11月7日に発刊された新聞記事は新聞社の校閲もあって読みやすく、わかりやすくしていただいた。
元原稿は手元に残している。
公開された記事と読み比べてみれば恥ずかしくも思う文である。
恥ずかしくもあるが、ここにそのままの原文を残しておく。
「弥生時代はより安定した生活を営むため水稲耕作が広まった。農耕具が木製から鉄器文化に移ったことが普及の一因で、それは小国家のクニの始まりであった。稲作鉄道具は荒地を開拓するのに適し、より広大な土地を耕すことで文化水準が一挙に高まった。その鉄農耕具に携わる生業、戦後まもない時期までは野鍛冶が村の花形だった。生活文化が変わり、農業生産は効率的な農機具に移っていった。今ではその普及によって、その姿を見ることが少なくなった。所狭しにさまざまな鍛冶師の道具が並んでいる。」
「鍛冶屋の仕事場は火床(ひどこ)。火を起こすフイゴや金床、金槌、ハサミ道具、万力、ボール盤、円砥石がある。ベルトハンマーが回転する槌(つち)打ち機械が動き、松炭でまったりと焼けた鋼(はがね)を取り付けた野鍬の先を叩きつけるハンマーの音。親爺さんから二代目を継いだ室生染田の野鍛冶職人は今でも現役。クワ・ナタ・カマなどを修理する野鍛冶仕事に精を出す。(※)焼けた鋼や炭の色で目利きするその姿は巧みの技師だ。四方に飛び散った火花は清廉で、真っ直ぐな線を描く鉄一筋の伝統技が生きている。
奈良県では戦後間もない頃、野鍛冶を営んでいた鍛冶屋は約2在所ごとに一軒というからそうとう多数あったそうだ。それが現在は僅か数軒になった。その鍛冶屋が信仰する祭りがフイゴ祭。新暦の11月8日に行われている。一日ゆっくりフイゴを休ませて、フイゴとともに一年の労をねぎらい鍛冶仕事に感謝する日だ。
田畑を耕す鍬や鎌は農業を営む人にとっては欠かせない大切な道具。鍛冶屋はそれを作り出したり、打ち直して機能を長持ちさせる職業で、農家とは密接な関係にある。」
「鍛冶屋にとってなくてはならない道具がフイゴ。火を起こし、風を送る。鉄工所を営む鍛冶屋はフイゴの前に神棚を用意して、里、山、海の幸の他に7品の神饌を供えた。フイゴを神のように見立てて「一年間、鍛冶仕事で家族を支えていただいたお礼と次の一年も商売繁盛になりますよう」手を合わせ感謝の気持ちを込めて祈願する。仕事場の四方や道具に洗米、塩、お神酒を撒いて、神式に則り2礼、2拝、1礼で拝んだ。」で締めた。
掲載された新聞記事文は無駄をそぎ落として読みやすくなっているのがよくわかる。
フイゴの祭りは昔も今も変わらずに続けてきた。
神饌を並べてローソクに火を点ける。
その前にあるのが野鍛冶師の仕事場。
フイゴ道具がある火床を祭る祝詞は神式に則り、「かけまくも十一月八日は、鍛冶職人のふいご祭りとして、ふいごの神様、火床の神様、金床の神様、もろもろ道具の神様。昨年十一月八日より本日まで、火難と災難なく平穏な一年を過ごさせていただき、誠にありがとうございました。また、本日より来年の十一月八日まで、火難なく大難を小難、小難無難にお守りくださることと、一家の商売繁盛と家内安全を賜りますよう御祈願申し上げます」を述べた。
ところで今回の取材である。
願っていた写真家のKさんは急遽入った仕事の関係でやむなく断念。
それとは関係なくもう一人の客人が取材に来るという。
現れた客人は本物の新聞記者であった。
記者は朝日新聞社の古澤範英氏。
FBでのトモダチの一人になる古澤氏は現役記者。
後日の11月27日に発行された記事を読ませていただいたら、さすがに構成が上手いなと思った。
しかもだ。朝日新聞はデジタル化されてネットでは動画も拝見できる。
シンプルな纏め方に、カン、カン、というか、トン、トン・・・一日千回。
坦々としている情景がとても素敵だと思った。
同じような表現はここではできない。
と、いうよりも、野鍛冶師が新聞記者に説明しながら野鍛冶をしている行程を撮ることに専念した。
記録した160枚余りの写真を選別。
この写真は産経新聞に取り上げることのなかった(※)印の<参考 工程概略>に沿って公開することにした。
1.炉とも呼ばれる火床(ひどこ)の火起こし。
火起こしの燃料であるコークス(昔は松炭)を入れて着火する。
2.鍬の磨り減った部分に軟鉄を補充し火床で焼き金床の上でハンマーを打ち、平らにする。
3.ハガネを鍬先の幅に切断して取り付ける。
4.取り付ける接合剤は鉄鑞(てつろう)粉。
鉄鑞は硼砂(ほうしゃ)やホウ酸、ヤスリ粉が用いられる。
5.火床(ひどこ)から焼けた鍬を取り出して、ハンマーで叩くと火花が散る。
この火花は鉄鑞粉が焼けて飛び散っている証しで一回だけ発生する大火花(1,000℃)。
この工程を<仮付け>という。
6.更に鍬を焼いてハンマーで叩く。
これを<沸かし付け(本付け 1,200℃)>という。
7.もう一度同じ工程を踏んでハンマーで叩き鍬の形を整える。
これを<のし打ち>といい、6回ほど繰り返す。
8.冷ました鍬をグラインダーとヤスリで仕上げる。
9.鍬の先を火床で焼き、水槽の中に入れ急冷する。(焼き入れ行程 800℃)
10.粘りを与えるため鍬先の鋼の部分を火にあてる。(焼き戻し行程)
11.ラッカーで色付けをした後、鍬に柄を付ける。(完成)
(H28.11.11 EOS40D撮影)