城跡の天守台をはじめ周辺の石垣に多数の石仏や墓石が積み込まれているのを知った当時の観光協会会長。
石仏や城史有縁の諸霊を慰めることが市の発展につながると考えて浄財を集め始めた数珠繰り法要は昭和36年に始められた。
平成16年、傷みが激しくなり市制50周年を契機に再び市民浄財を集めて新調された大数珠は、直径十五セントメートルの珠が千八十個も連なっている。
代々の郡山城主の菩提寺となる春岳院(豊臣秀長公菩提寺)、発志禅院(本多忠常公菩提寺)、永慶寺(柳澤家菩提寺)の僧侶を迎えて数珠繰り法要。
祭壇に花を供え、灯明や線香に火を点けると法要の読経が始まった。
参拝者の焼香を済ませると僧侶を先頭に数珠繰り。
総重量が六百四十五キロからなる大数珠は杭に取り付けてある。
一般的には数珠を手で送って繰っていく形式だが、一団が手でなでながらの数珠繰りは珍しい。
桜が咲き誇る本丸跡の石垣を囲んだ全長百六十二メートルの大数珠を時計回りに一周して法要を終えた。
(H21. 4. 5 Kiss Digtal N撮影)
石仏や城史有縁の諸霊を慰めることが市の発展につながると考えて浄財を集め始めた数珠繰り法要は昭和36年に始められた。
平成16年、傷みが激しくなり市制50周年を契機に再び市民浄財を集めて新調された大数珠は、直径十五セントメートルの珠が千八十個も連なっている。
代々の郡山城主の菩提寺となる春岳院(豊臣秀長公菩提寺)、発志禅院(本多忠常公菩提寺)、永慶寺(柳澤家菩提寺)の僧侶を迎えて数珠繰り法要。
祭壇に花を供え、灯明や線香に火を点けると法要の読経が始まった。
参拝者の焼香を済ませると僧侶を先頭に数珠繰り。
総重量が六百四十五キロからなる大数珠は杭に取り付けてある。
一般的には数珠を手で送って繰っていく形式だが、一団が手でなでながらの数珠繰りは珍しい。
桜が咲き誇る本丸跡の石垣を囲んだ全長百六十二メートルの大数珠を時計回りに一周して法要を終えた。
(H21. 4. 5 Kiss Digtal N撮影)
国替えで亨保九年(1724年)に柳澤吉里が甲府より大和郡山に入城した。
その後、桜樹を補植して毎年の開花期には藩士や町民が楽しんだという。
その後も寄進を受けてなんどか植樹した桜。
その桜がほぼ満開近くなった今日、柳澤吉保公を祀る柳澤神社では奉告祭が厳かに行われた。
神事のあとは市なぎなた連盟が「なぎなた形」を奉納する。
真剣な眼差しで形を披露する妙技に参拝者の視線が集まる。
(H21. 4. 5 Kiss Digtal N撮影)
その後、桜樹を補植して毎年の開花期には藩士や町民が楽しんだという。
その後も寄進を受けてなんどか植樹した桜。
その桜がほぼ満開近くなった今日、柳澤吉保公を祀る柳澤神社では奉告祭が厳かに行われた。
神事のあとは市なぎなた連盟が「なぎなた形」を奉納する。
真剣な眼差しで形を披露する妙技に参拝者の視線が集まる。
(H21. 4. 5 Kiss Digtal N撮影)
シンコモチには手撚りと機械撚りの二種類。
手撚りはごく少量になってきた。
機械撚りのシンコモチ、大和郡山の饅頭屋で作ってもらったら二つひねりだった。
下山のひねり方とは違っていたのでその年だけにした。
それで帯解の老舗に頼んで作ってもらった。
その店はとうの昔に店を畳んでいるのだがシンコモチだけを作ってくれる。
ありがたい店だとT自治会長は仰った。
※ 「シンコ」:「シン」は米偏に参と書き「コ」は粉。
(H21. 4. 3 Kiss Digtal N撮影)
手撚りはごく少量になってきた。
機械撚りのシンコモチ、大和郡山の饅頭屋で作ってもらったら二つひねりだった。
下山のひねり方とは違っていたのでその年だけにした。
それで帯解の老舗に頼んで作ってもらった。
その店はとうの昔に店を畳んでいるのだがシンコモチだけを作ってくれる。
ありがたい店だとT自治会長は仰った。
※ 「シンコ」:「シン」は米偏に参と書き「コ」は粉。
(H21. 4. 3 Kiss Digtal N撮影)
豊作を祈願するとしごいのまつりと称する祈年祭が下山の八坂神社で執り行われた。
早朝から参籠所で神武さん祝いのシンコモチを受け付けた六人衆。
お神酒、洗い米、21個の御供シンコモチ、タイ、コンブ、スルメ、果物などの神饌を用意した六人衆。
今年も大正時代に寄進された火鉢を囲んで温まった健康談議。
総代の役員方や自治会長と並んで柳生の宮司を迎えて始まった祈年祭。
祓えの儀、祝詞奏上、献饌と神事は厳かに進められた。
(H21. 4. 3 Kiss Digtal N撮影)
早朝から参籠所で神武さん祝いのシンコモチを受け付けた六人衆。
お神酒、洗い米、21個の御供シンコモチ、タイ、コンブ、スルメ、果物などの神饌を用意した六人衆。
今年も大正時代に寄進された火鉢を囲んで温まった健康談議。
総代の役員方や自治会長と並んで柳生の宮司を迎えて始まった祈年祭。
祓えの儀、祝詞奏上、献饌と神事は厳かに進められた。
(H21. 4. 3 Kiss Digtal N撮影)
帯解から和爾町へと桜の景観探し。
そういえば近くに上街道沿いに鎮座する楢神社があったことを思いだし、足を伸ばした。
どんと建つ昭和51年建立の銅製の鳥居は珍しく、さほど広くない境内に似つかわなく不思議な景観だ。
同社は古くから「子授けの御神徳」として有名だそうで、「楢」や「奈良」の字を授かって命名するのが習わしであるという。
生後間もないうちに名前を付けるナツケ(名付け)風習があるそうだ。
鬼子母神を合祀し、子供の育ちの悪い家では産まれ児を箕で掬い密かに境内に捨て祈願して貰い後で子供を連れて帰ると健康に育つ謂もある楢神社。
秋の祭礼には元社であろう上の宮の神明神社までお渡りをするそうだ。
(H21. 4. 3 SB912SH撮影)
そういえば近くに上街道沿いに鎮座する楢神社があったことを思いだし、足を伸ばした。
どんと建つ昭和51年建立の銅製の鳥居は珍しく、さほど広くない境内に似つかわなく不思議な景観だ。
同社は古くから「子授けの御神徳」として有名だそうで、「楢」や「奈良」の字を授かって命名するのが習わしであるという。
生後間もないうちに名前を付けるナツケ(名付け)風習があるそうだ。
鬼子母神を合祀し、子供の育ちの悪い家では産まれ児を箕で掬い密かに境内に捨て祈願して貰い後で子供を連れて帰ると健康に育つ謂もある楢神社。
秋の祭礼には元社であろう上の宮の神明神社までお渡りをするそうだ。
(H21. 4. 3 SB912SH撮影)
今日は神武さんの日。
帯解界隈で祭礼が行われているかどうか巡っていると山村の御霊神社では地区の人が大勢で神社回りを清掃していた。
枝を伐採したり落ち葉を集めたりしている。
後刻、柳生から下山八坂神社に来られていた宮司にお聞きすれば15時から祭礼だという。
今日は二ヶ所でこちらに来ているそうだ。
ちなみに山村では下山で御供されているシンコモチがあったという過去形の話。
いずれにしても来年の楽しみにしておこう。
(H21. 4. 3 Kiss Digtal N撮影)
帯解界隈で祭礼が行われているかどうか巡っていると山村の御霊神社では地区の人が大勢で神社回りを清掃していた。
枝を伐採したり落ち葉を集めたりしている。
後刻、柳生から下山八坂神社に来られていた宮司にお聞きすれば15時から祭礼だという。
今日は二ヶ所でこちらに来ているそうだ。
ちなみに山村では下山で御供されているシンコモチがあったという過去形の話。
いずれにしても来年の楽しみにしておこう。
(H21. 4. 3 Kiss Digtal N撮影)
「つながり」を拝見された市民から電話があったと市広報から連絡が入った。
写っている方がおじいちゃんに似ているとその方から話を伺った。
住んでいた地域と写していたときが一致する。
なんでもその年の秋に亡くなったというおじいちゃん。
大きくプリントして差し上げたらたいへん喜ばれた。
大切にしたいと仰るお孫さんにとって記念の一枚になった写真だ。
(H21. 4. 1 SB912SH撮影)
写っている方がおじいちゃんに似ているとその方から話を伺った。
住んでいた地域と写していたときが一致する。
なんでもその年の秋に亡くなったというおじいちゃん。
大きくプリントして差し上げたらたいへん喜ばれた。
大切にしたいと仰るお孫さんにとって記念の一枚になった写真だ。
(H21. 4. 1 SB912SH撮影)