マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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六条町口柳観音寺四月十七夜

2012年06月20日 06時44分05秒 | 奈良市へ
奈良市六条町の観音寺。

お堂に掲げられている柳観世音御詠歌の板書。

明治十一年仲秋の日付けがある。

「むかしより・・・やまなかに・・あゆみを」と詠われたご詠歌をする人はいない。

かつては柳の木が通りに並んでいたそうだ。

その景観から名が付いた口柳(くちやなぎ)の地。

その西方は奥柳(おくやなぎ)の地となる。

ここからは若草山の山焼きがよく見えると云う地だ。

お堂の奥から見据える本尊の姿。

木造の十一面柳観世音菩薩に凄みを感じる顔立ちは腹の中にある「思い」を見透かされているようだ。

かつては菩薩を拝する観音講があった。

尼講と呼ばれていた婦人たち。

年寄りやからとおばあちゃん講とも呼ばれていた。

講中は檀家に移った20年ほど前に自然消滅したという。

口柳の戸数は19軒。

庚申講、伊勢講、愛宕講もあったというが活動は止まったままだという。

17日のこの日に集まった檀家たち。

今日が一番大切な日だと話す僧侶は大和郡山市の藪中義弘住職。

豊臣秀長菩提寺の春岳院の住職だ。

地元だけに度々お会いするお方である。

観音寺のご住職を先頭にお堂へあがる僧侶たちは4人。

本堂に安置された本尊に向って真言を唱える。



しばらくすれば檀家たちの焼香。

お堂に煙るお香の香り。

およそ40分間のお勤めはかつて観音講だった。

講の行事は檀家行事に移された観音会式は十七夜と呼ばれていたそうだ。

(H24. 4.17 EOS40D撮影)

ラーメンの底力濃厚とんこつ

2012年06月19日 08時32分52秒 | あれこれインスタント
今日のコンビニはサークルKだ。

ラーメン棚に並んでいる数々のラーメン。

ふと目に入った文字が「60秒」。

即席ラーメンで3分はざら。

麺が太けりゃ4分、5分もある。

それがなんと1分でできるというのだ。

試しに買った明星ラーメンの底力とんこつは218円。

濃いめの味はとんこつ味。

醤油が若干あるのだろうが白っぽいスープ。

麺はストレート麺。

これが決め手の60秒。



味はといえば九州の久留米ラーメンと思ったほど似ている。

あとからニンニクの香りがする。

それも喉の奥から湧き出るような感じだ。

それがマー油のようだ。

ネギは多めで私好み。

とんこつ味には紅ショウガが欲しくなる。

マー油スープはこってり。

しっかり混ぜないと底にとごってしまう。

マー油はとろとろ。

残ったスープはさらに濃い。

ところでサークルKにもニッシンラーメンが多い。

明星やエースコックもあるがほんの少々だった。

(H24. 4.17 SB932SH撮影)

誓多林のミトマツリ

2012年06月18日 07時33分52秒 | 奈良市(東部)へ
前月に八柱神社の造営上棟祭を営まれた奈良市の誓多林町。

氏子長老の奥さんは毎年の初春にミトマツリをしているという。

「4月初めの良い日にする」のだという。

「土用の入りに入ってしまえば土を触ったらあかんから」という。

今年の春土用の入りは4月16日。

その日から立夏までの期間は土を触らんというわけだ。

その期間中にミトマツリをするご婦人。

村で生まれ育った人だ。

母親のする仕草を真似て今でも続けている家のマツリごと。

随分前から村では苗代を作っていない。

本来のミトマツリは苗代に供えるのだがそれはない。

僅かではあるが、籾落としもしている。

それは家屋の中。

今年は3月20日ぐらいに籾を水に浸けた。

屋内の育苗器で育てていたが、今年は寒い日が続いて育ちは悪いという。

ミトマツリに奉るのは3月の彼岸講のオコナイで祈祷された「萬福寺牛王宝印」の書とウルシ棒。

それをごー杖と呼んでいる。

それに3月に田原の宮さんで行われた御田祭の松苗もだ。

田原の御田祭は毎年交替で茗荷町天満神社と日笠町今井堂天満神社で交互に行われている南田原町、誓多林町、此瀬町、中之庄町、矢田原町、中貫町、長谷町、和田町、須山町、杣ノ川町、横田町、日笠町の行事である。

今年は今井堂天満神社で行われたそうだ。

そこで祓った松苗は氏子総代が村に持ち帰って氏子の各戸に配られる。

その2本をハウス横に立てる。

書を挟んだウルシ棒。

その光景が似ていることから婦人はそれを「ハタタテ」と呼んでいる。



始めるにあたってそこに供えるハゼゴメを作る。

昨年に収穫したゲンマイ(玄米)を母親の代から使っているゴマ煎り器具で煎る。

ゲンマイは粳米。糠がついている玄米だ。

ゲンマイを入れて火で炙る。

蓋を締めているから煎り具合は判らない。



ときおり蓋を開けて焦げ具合の状態をみる。

ミュウ、ミュウという音が聞こえる。

爆ぜる音だという。

ちなみに餅米はフォン、フォンという大きな音がするらしい。

音は耳で、焼け具合は眼で確認されてできあがったハゼゴメは半紙に包んでおく。



自宅に咲いていたスイセン、アセビ、ツバキ、菜の花などを摘んでハウスへ持っていく。

ごー杖を立てて松苗を地面に挿す。



祈祷札がまるで旗のように見える。

まさに旗立てである。

お花も飾ってハゼゴメを置いて手を合わせる。



唱える詞はないが豊作を願うミトマツリの姿である。

ちなみに誓多林では毎月順番に交替するお灯明の板が回ってくる。



婦人の家のすぐ傍の八阪神社と本社の八柱神社の燈籠に火を灯す当番札だ。

昭和三十年四月吉日と書かれている。

かつては11軒で回っていたが今は6軒。

少なくなったという。

火を灯すのは毎日とされているが、風雨厳しい日はそれをしないから実質は月数より少ないらしい。

(H24. 4.17 EOS40D撮影)

瀧倉旧暦閏年の塔揚

2012年06月17日 09時20分57秒 | 桜井市へ
前回は平成21年5月24日に行われた桜井市瀧倉の旧暦閏年の庚申さん。

庚申さんは塔婆を上げるからトアゲと呼ぶ。

当時は充てる漢字を「塔上」だと云っていた。

閏年の庚申さんはその年によって祭事日が異なることから、前もって確認をしておいた。

2月末に訪れたO家。

ご主人が話すには、今年は3月が当たりの閏月で、2回目にあたる旧暦3月の期間中に行っていたという。

新暦日は4月21日から5月20日まで。

平成21年の場合は5月が閏月だった。

1回目の旧暦5月の新暦日は5月24日から6月22日だった。

前々回は平成18年。

閏月は7月だったが、実施日は4月16日にされていた。

当たりの閏月は年によって大幅に変化する。

場合に寄れば11月の年もある。

それでは遅すぎるのだ。

閏年の庚申さんは各地によって異なるがおよそ3月、4月、5月辺りである。

日程の決定は講中内で決められる。

今年の瀧倉の庚申さんは区長さんが決められたようだ。

前回は特別の5月実施。

毎回の記録を見れば4月が多い。

農作業の関係でそうするのが妥当だとこの日にされた。

桜井市上の郷の瀧倉には上垣内、鳥居堂垣内、中垣内、峠垣内の4垣内にそれぞれ庚申講中があった。

村を出ていく家もあることから講中の軒数が減ったため中垣内を吸収した峠垣内。

また、鳥居堂垣内の住民は上垣内に移ったことから一つの組にした。

垣内の講中を統合して二つの組の講中にしたというわけだ。

この日の午後、ゴクダイや花立てに塔婆を作る講中。

箒をひっくり返したような形状に、上から藁で編んだ円形のものをつけたのがゴクダイ。

先を四本に割いて挿している。

かつては粳米を臼で挽いて丸いダンゴを作っていた。

水で練って蒸したダンゴは手でひねるようにして作ったそうだ。

それをお盆に乗せて供えていたのがゴクダイである。

昭和30年代までそうしていたという。

花立ては丸竹三本仕立てだ。

彩りいっぱいの花を飾っている。

塔婆は葉付きの杉の木。

それぞれの組が願文をよせている。

一つは「奉修 青面金剛 国家安泰 五穀豊穣 村内平穏 身体健全 交通安全 七難即滅 諸願成就 祈願成 峠垣内」とある。

上部には判読できない五つの梵字が書かれている。

もう一つの組は「奉納 五穀成就 家内安全 交通安全 祈願 月火水木金土日 上垣内為 鳥居堂垣内 講中」とある。

庚申塚は薬師堂の前にある。

権現桜が咲く地から100mほど旧道を下った処にあるお堂だ。

中央に南無青面金剛であろうか薄くなった文字が見える石造の庚申さん。

その両脇には村人か僧侶らしき人の名が連なる。

もう一つの庚申石造は判読できない。

昔からここで参っているという。



お灯明や線香に火を点けて長老六人衆が般若心経3巻唱える。

広げたシートに座った村人たちも手を合わせて静かに祈るトアゲの会式。

Oさんは「塔揚」の字を充てるのだと話す。

お参りを済ませた講中はシートに座って会食をする。

いつもこうしているという。

以前は家で作った料理をもってきた。

いつしか簡略化されてオードブルになった。

陽が暮れるまでしばらくはここで寛ぐ講中たち。

60日おきに回ってくる庚申の日はしなくなった。

この閏年の庚申日だけに寄りあう村人たち。

終われば供えた御供を貰って帰る。

(H24. 4.15 EOS40D撮影)

瀧倉権現桜

2012年06月16日 06時38分51秒 | 桜井市へ
瀧倉の権現桜を見るのは午前中が好かろうと思う。

午後であればお日さんは西に移動していくので光りが山陰に遮られる。

ぎりぎりだとしても15時ぐらいまでだろう。

その時間であれば権現桜の天辺に丁度光りが射し込む。

小さな桜の花びらが美しく見られるラストタイムだ。

村人たちの話では前日、当日とも満開であったという。

訪れる観光客はこの日が一番だったそうだ。

花の咲く時期は年によって大幅に異なる。

今年は遅い年。それゆえこの日が盛り。



一昨年はなんと4月初めだった。

2週間も差がある満開日。

陽が落ちるともの悲しい桜色。

樹勢が衰えたかのように見えてしまう。

いくばくかのお賽銭を投入してゆったり寛ぐ瀧倉の待ち時間。

村人接待のお茶をすすっていた。

その間、帰り路を訪ねる観光客が多し。

初めて来られた人たちが目立った日暮れ近い時間帯だった。

(H24. 4.15 EOS40D撮影)

北白木西脇閏年の庚申

2012年06月15日 06時36分31秒 | 桜井市へ
ついでと云っては申しわけないが、前週の7日に旧暦閏年の庚申トアゲをされた桜井市の北白木に立ち寄った。

その時は東脇垣内の庚申参りだった。

西脇垣内は翌日の8日に行われることを聞いていたが取材が重なっていたことから訪問できなかった。

西脇垣内の人たちの話ではカンジョ場にある南無青面金剛石造物に奉ると言っていたので、その後の実体を拝見してきた。

ゴクダイ、花立ては西脇垣内と同様の形態であるが塔婆は見られない。

北白木ではヤドが持ち帰るのでないのだ。

カンジョ場に掛けられた勧請縄は毎年12月8日に掛けられる。

八日講とも呼ばれる縄掛けの行事だ。

ちなみに南無青面金剛石造物の庚申さんは慶長十六年(1611)の金石文がみられるらしいが判読できなかった。

勧請縄の後方に見える大きな古木の桜がある。

前週はまだ蕾だった。

一週間後の今日は少し色がついてきた。

樹齢300年以上はあると伝えられているエドヒガンザクラだ。

満開になるのに一週間はいらないだろう。

人知れず山里に咲く姿が美しかったことを思い出す。

(H24. 4.15 EOS40D撮影)

修理枝の閏年の庚申

2012年06月14日 06時37分22秒 | 楽しみにしておこうっと
先月の17日に桜井市の修理枝で行われる閏年の庚申講を調べていた。

そこは下垣内だ。

2年前の6月に前区長を務められたN氏の奥さんに話を伺ったことがある下垣内の庚申講。

かつては6軒だったが4軒となった。

夜7時に集まって掛け軸を掲げたヤドの家でお勤めをする。

パック詰め料理を食べたあとにヤドの家は次のヤドの家へ掛軸を持っていく60日おきに行われている庚申講だ。

旧暦の閏年には庚申のトアゲをしていると話していた。

薬師さんの仏像を祀る公民館で花立てや庚申杖を作るという。

今年がその閏年に当たる年。

いつごろされているのか確かめたくて現地を訪れたのだったが、既に終わっていた。

通りがかった婦人の話では3月2日か3日にしたという。

「南無阿弥陀佛」の石造に立て掛けてある杖には「奉供養 南無青面金剛童子 ○災延命子孫長久 如意糧屋○ 融通念佛南無阿弥陀佛」とある。

2年前に拝見した願文とほぼ同じである。

その杖も残されていた。

修理枝下垣内の特徴は「融通念佛宗」にあるようだ。

風で倒れている花立ての形も他所で見られる形態ではない。

下部の土台は四枚の木片を組み合わせている。

それには竹が四本。束ねているような形だった。

ナンテン、シキビ、アセビなどの花が添えられていた。



(H24. 3.17 EOS40D撮影)

一カ月後の4月17日に再び訪れた修理枝。

以前に聞いていた上垣内ではどうであろうかと思い、畠で作業をしている男性に場所を教えてもらった。



そこは少し丘に上がった処だ。

祠の下に数体の石造物が並んでいる。

文字が判読できたのは「南無阿弥陀佛」だけだ。

ここも既に終わっていた閏年の庚申講。

二組の庚申杖や花立て、ゴクダイが風に当たって倒れている。



ゴクダイは四つに先を割って十字に竹を挿して固定している。

杉の木の願文の一つは「茶(口遍に壬) 契御萌多賀奉絇青面金剛帝称呎王天市奉平国家安穏風雨時五穀豊就」だ。裏面には「講中安全買許祭塔」とある。

もう一つは「茶(口遍に旦) (物冠に木) 伽○多賢奉納 青面金剛帝釋天王天下 恭平国家安穏成○ 順時五穀豊就 講中安全 賢祈祭塔 平成二十四年四月一日 閏講中一同」であった。

判読できなかった文字が数々あるものの青面金剛に帝釈天が併記されているのが特徴であろうか。

下垣内の願文とも異なる表記だ。

帝釈天の使者である青面金剛を祀る庚申信仰の一例になると思われる修理枝上垣内の閏年の庚申。

「祭塔」と書いてあることから葉付き杉の木はおそらく塔婆と呼ぶのであろう。

日付けは四月一日。その日に参られたようだ。

そう言えば修理枝の上垣内の庚申さん辺りには芹井で見られたダンコウバイが咲いていた。あるところにはあるものだと思ったのである。

(H24. 4.15 EOS40D撮影)

ニッシンばかり

2012年06月13日 06時44分35秒 | あれこれインスタント
ときたまコンビニで昼食を買い求める。

都祁吐山を通ることが多い。

その際にはローソンに立ち寄る。

ローソンポイントカードを持っているから他のコンビニに入るケースは少ない。

この日も昼を跨って取材に出かけるので腹ごしらえ。

待ち時間に余裕があるときはインスタントラーメンにする場合が多い。

そういうわけで立ち寄ったローソン店の棚を探してみる。

あれたこれやのラーメンが並んでいるがほとんどがニッシン製品。

特別なラーメンは見当たらない。

他の店なら食べてみたくなるような製品が多いのだが・・・ない。

仕方なくニッシン焼きそばのUFO大盛りを買った。

たまには食べたくなる味だが、ほんとに欲しいのはUFOではなく「焼きそば」だ。

独特の香辛料が味に香ばしさを膨らます。

袋麺の味が気にいっているのだが、それでは食べられないし、鍋の持ち合わせはない。

カップ麺を探してみたが見当たらずのローソンであった。

(H24. 4.15 SB932SH撮影)

芹井の講

2012年06月12日 06時36分02秒 | 自然観察会(番外編)
河谷橋傍らの庚申塚辺りに咲いていた黄色い花はミヤマキケマン。

山陰の一面に咲いていた。

ふと眼を上げてみれば樹木がある。

そこにも黄色い花が咲いている。

まるでロウバイのような照りがある花だ。



後日に自然観察でお世話になっている先生方に教えてもらった。

それはダンコウバイだとう。

それは雄花と雌花があるようだ。

芹井で咲いていたのはおそらく雌花であろう。

その他にも咲いていた白い花。

シロバナショウジョウバカマやミヤマカタバミであった。

そっとしてほしい芹井の自然。

急勾配の田んぼではアカガエルとおぼしき鳴き声が聞こえくる乾垣内は伊勢講もある。

春と秋の彼岸入りには念仏講もされている。

祭日の日というから彼岸の中日。

その日は墓参りもあるしという念仏講の彼岸日。

鉦を叩いて念仏を唱える。

その場には掛軸も掲げるというが聞きそびれた。

話の様子から考えるに六斎念仏であるかもしれない。

念仏講は乾垣内から3軒。

他に上、中垣内からは4軒だ。

ところが芹井には三つの念仏講があるという。

講中は上、中、笹平、乾のそれぞれの垣内に混ざっているのだ。

3人の組は乾、中、下。

前述した6人の組は乾、上、中とくる。

もうひと組も3人だが上垣内だけで構成しているそうだ。

(H24. 4.15 EOS40D撮影)

芹井下垣内旧暦閏年の庚申トアゲ

2012年06月11日 07時22分17秒 | 桜井市へ
旧暦閏年の3月末か4月初めころに旧暦閏年の庚申「トアゲ」の行事が行われている桜井市芹井。

上、中、笹平、乾の4垣内それぞれの日を決めて参っている。

庚申塚は下の垣内と上の垣内それぞれにある。

下の垣内は笹平と乾垣内に挟まれた河谷川に架かる河谷橋の袂。

大正三年三月、芹井道路開通記念の碑が建つ傍だ。

笹平は既に3月末に参られた。

そのときに奉られたゴクダイ、花立て、葉付き杉の木の塔婆が残されている。

塔婆の願文は「奉造立為 青面金剛供養 家内安全五穀成就 子孫長久祈願成 笹平垣内講中」とある。

花立てにはシキビがあった。

ゴクダイはモチダイとも呼ぶようだ。

竹の先を8本に割いて丸い藁を挿していた。

この日の朝は乾垣内の庚申トアゲ。

ヤドの家に4人の講中が集まってきた。

前回は平成21年。それから3年経った旧暦閏年。

手際良く花立てやゴクダイを作っていく。

形態は笹平垣と同じであるようだが、ゴクダイ作りが難しい。

ゴクダイの藁縄は円形。

中に割いた竹を回るくして、その周りに綱を巻いていく。

しっかりと巻いていく。

それが裏目にでたのか8本に割いた竹の先が挿しこめない。

堅めになったので先が入らないのだ。

1本、2本、3本と途中までは難なく挿せる。

ところが7本目辺りで最初に挿した辺りがピンと外れるのだ。

いろいろと工夫をしてみるものの上手くいかない。結局は針金で縛り止めすることにしたゴクダイだった。



それらが出来上がれば葉付きの杉の木の塔婆作り。

上部5段の削り込みはノコと小刀。

その下はナタで削る。

それぞれに願文が記される。

塔婆の願文は大正十一年4月から始まったとされる「乾垣内共屋金明細帳」に残された塔書方に基づく「・・・・・ 奉造立為 面金剛供養 家内安全五穀成就 子孫長久祈願成」。

裏面は「・・・年月日 大字芹井乾垣内講中」である。

「・・・・・」の梵字通りに書き写す。

その明細帳には四人の名がある。

大正十一年四月七日庚申供養・・味淋 アゲ五枚 汁子 供養木割附法 小人四才ヨリ十五才を半額 大人十六才ヨリ壱人前糯米四合トス 稉米割附法 大人十六才以上壱合宛 小人四才ヨリ十五才迄五合宛などの記載があった。

子供も大人も割附配分されていたようだ。

しかも十六才からは一人前の大人扱いである。

大正十四年四月二十二日、昭和参年参月十日、昭和五年四月二十九日に続いて昭和二年道路修繕の件も記されていた。

昭和八年四月二十日には入費に酒弐合、砂糖二斤、あげ拾枚も書かれていた。

酒は理解できるが砂糖は何に使ったのであろうか。

その後の記帳には菓子、豆腐五丁、ちりめんじゃこも見られた。

昭和拾弐年三月三十日には地蔵堂落成式が行われたようだ。

昭和三十五年四月一日には桜えび、小ざこ、ニヤク、スゴ、あげもある。

昭和三十八年三月三日ではトーフ、ニヤク、竹ワ、アゲ、雑子、かますご、砂糖、さいら、菓子など。

ニヤクはおそらくコンニャクで雑子はジャコ。

味付けや料理の内容は判らないが、献立は決まっていたのだろう。

その後の記載にはすし雑子、みりん・さいら、みりん干しなど。

献立は多彩に増えて、さらだ、みかん、造り、ハム、キュウリ、マカロニも見られるようになった。

平成二年四月一日、平成四年弐月拾壱日、平成七年三月五日、平成十年三月二十七日、平成十三年四月一日、平成十六年弐月二十九日、平成十八年四月二日と連綿と継承してきた乾垣内の明細帳。

大切な村の記録である。



すべてのモノが出来上がれば庚申塚に参って庚申講の供養をされる。

庚申石は青面金剛が彫られた石。

祠に祀っている。

古くなったからそろそろ建て替えねばばらないと講中は話す。

重箱に入れたモチはゴクダイに載せるわけでもなく庚申石の前に置いた。



ローソクを灯して一同が手を合わせる。

村の五穀豊穣を祈った後は宿(ヤド)家に再び集まる。

掛け軸は2幅だ。

左に青面金剛の掛軸。右はおひまっつあん(お日待ち)の掛軸だという。

その前にはそれぞれ4品の椀。

ご飯の椀。カマボコと豆腐の汁椀。

味付けした豆椀。

タケノコ、ニンジン、シイタケ、カマボコの煮もの椀だ。



ローロクに火を灯して手を合わせる。

念仏を申すわけでもなく心の中で静かに祈られた。

笹平垣内も同じように庚申講はお日待ちを兼ねている。

(H24. 4.15 EOS40D撮影)