天理市の山田町では下山田と中山田で閏年の庚申さんが行われているようだ。
中山田では庚申の講中は3講あるというが、1講は解散の話もでており現在は活動をしていない。
そういうわけで実質は2講。
秋の季節に行われている閏年の「うる庚申」。
今年は八幡神社のゾーク(造営)もあるのでそれどころではないと話すIさん。
山田町には上山田に八阪神社、中山田に八幡神社、下山田に春日神社の三社が鎮座する。
元々は5軒からなる中山田だけの一村だった。
当時の村の氏神さんは一社。
その後、村民は20軒に増えた。
徐々に人口が増加していった。
その後も増え続けて村は上、下へと拡張していった。
その後に三つの大字に分かれた山田の村。
それぞれの大字に神社を祀った。
分社したという。
そのようなことで氏神さんを祀っていた元の社は跡地だけになった。
集落から道路、室生川支流を越えた南側の山の中。
今でもあるという。
下山田には五つの庚申講がある。
清水、東村、広出垣内における5講中だ。
5月の中旬の日曜日に「うる庚申」が行われるとSさんが話す。
旧暦暦には閏月があり、それを新暦に充てれば今年は4月21日から5月20日まで。
その間であれば何時でも構わないと云ううる庚申の日。
三つの垣内が揃って庚申塚に参るという春日神社の南側にある庚申の祠を案内してくださった。
祠にはたくさんの括り猿がぶら下がっている。
その祠の傍にはかつて祀られた塔婆が捨てられている。
葉付きの杉の木が塔婆。
判読できたのが「奉高顕 供養者為青面金剛庚申講中家内安全五穀成就祈攸」だった願文。
同地区の薬師寺に来てもらった中山田の蔵輪寺の住職がトーバツキをする。
トーバツキとは塔婆に願文文字を書いてもらうことである。
それができあがれば庚申さんに参ってお経を唱えていただく。
ちなみに下山田では「うる庚申」が行われる一週間後に「うる十九夜」と「うる山ノ神」をするそうだ。
「うる山ノ神」は三か所。
清水、広出、東村垣内の順に祀られた山ノ神を住職が巡って法要をする。
「うる庚申」と同じように蔵輪寺の「おじゅっさんに参ってもらう」と話す。
時間帯は夕方から夜にかけての巡拝。
最後のお勤めを終えれば東村の集会所に集まって直会をするという。
その日の午後は「うる十九夜」だ。
婦人たちで行われる十九夜さん。
「うる庚申」と同じようにトーバツキをする。
かつてはアブラゲゴハンをよばれていたが、現在はお茶菓子で済ませている東村。
普段の年は正月、5月、9月の3回の十九夜さんを営んでいる東村は22軒。
2軒ずつ当番が回ってくる。
十九夜さんを営む日は19日であったが、平日はなにかと忙しい主婦だけに夜に集まることが難しくなり、現在は19日に近い日曜日とされた。
拝見した十九夜講什物箱。
昭和三十三年四月や昭和四十六年辛亥四月の期日がある「十九夜和讃」を収めている箱の蓋には十九日を「命日」と記していた。
下山田の行事はそれだけではなかった。
4月にはお大師さんがある。
本来は21日だが、これもその日に近い日曜日。
薬師寺にあるお大師さんの石仏に参って般若心経を唱えるそうだ。
また、1月4日に近い日曜日には「うる十九夜」が行われる地蔵寺でオコナイをされている。
朝から集まってお札を作る。
ウルシ棒を手にして「ダンジョー」をする。
これらの行事は三つの垣内の行事。
広出垣内の集会所にヤカタもあるからと話す。
(H24. 4. 8 SB932SH撮影)
中山田では庚申の講中は3講あるというが、1講は解散の話もでており現在は活動をしていない。
そういうわけで実質は2講。
秋の季節に行われている閏年の「うる庚申」。
今年は八幡神社のゾーク(造営)もあるのでそれどころではないと話すIさん。
山田町には上山田に八阪神社、中山田に八幡神社、下山田に春日神社の三社が鎮座する。
元々は5軒からなる中山田だけの一村だった。
当時の村の氏神さんは一社。
その後、村民は20軒に増えた。
徐々に人口が増加していった。
その後も増え続けて村は上、下へと拡張していった。
その後に三つの大字に分かれた山田の村。
それぞれの大字に神社を祀った。
分社したという。
そのようなことで氏神さんを祀っていた元の社は跡地だけになった。
集落から道路、室生川支流を越えた南側の山の中。
今でもあるという。
下山田には五つの庚申講がある。
清水、東村、広出垣内における5講中だ。
5月の中旬の日曜日に「うる庚申」が行われるとSさんが話す。
旧暦暦には閏月があり、それを新暦に充てれば今年は4月21日から5月20日まで。
その間であれば何時でも構わないと云ううる庚申の日。
三つの垣内が揃って庚申塚に参るという春日神社の南側にある庚申の祠を案内してくださった。
祠にはたくさんの括り猿がぶら下がっている。
その祠の傍にはかつて祀られた塔婆が捨てられている。
葉付きの杉の木が塔婆。
判読できたのが「奉高顕 供養者為青面金剛庚申講中家内安全五穀成就祈攸」だった願文。
同地区の薬師寺に来てもらった中山田の蔵輪寺の住職がトーバツキをする。
トーバツキとは塔婆に願文文字を書いてもらうことである。
それができあがれば庚申さんに参ってお経を唱えていただく。
ちなみに下山田では「うる庚申」が行われる一週間後に「うる十九夜」と「うる山ノ神」をするそうだ。
「うる山ノ神」は三か所。
清水、広出、東村垣内の順に祀られた山ノ神を住職が巡って法要をする。
「うる庚申」と同じように蔵輪寺の「おじゅっさんに参ってもらう」と話す。
時間帯は夕方から夜にかけての巡拝。
最後のお勤めを終えれば東村の集会所に集まって直会をするという。
その日の午後は「うる十九夜」だ。
婦人たちで行われる十九夜さん。
「うる庚申」と同じようにトーバツキをする。
かつてはアブラゲゴハンをよばれていたが、現在はお茶菓子で済ませている東村。
普段の年は正月、5月、9月の3回の十九夜さんを営んでいる東村は22軒。
2軒ずつ当番が回ってくる。
十九夜さんを営む日は19日であったが、平日はなにかと忙しい主婦だけに夜に集まることが難しくなり、現在は19日に近い日曜日とされた。
拝見した十九夜講什物箱。
昭和三十三年四月や昭和四十六年辛亥四月の期日がある「十九夜和讃」を収めている箱の蓋には十九日を「命日」と記していた。
下山田の行事はそれだけではなかった。
4月にはお大師さんがある。
本来は21日だが、これもその日に近い日曜日。
薬師寺にあるお大師さんの石仏に参って般若心経を唱えるそうだ。
また、1月4日に近い日曜日には「うる十九夜」が行われる地蔵寺でオコナイをされている。
朝から集まってお札を作る。
ウルシ棒を手にして「ダンジョー」をする。
これらの行事は三つの垣内の行事。
広出垣内の集会所にヤカタもあるからと話す。
(H24. 4. 8 SB932SH撮影)