昭和45年当時の戸数は65軒だった明日香村の稲渕。
いつしか60戸から53戸に減っていった村の戸数だが庚申講を祀る講中は半数以下の23戸だという。
村には五つの組の庚申講がある。
それぞれの組は5人、或いは8人とさまざまな講中。
「うちは止めた家もあるから3人やと」いう講中もある。
本来は60日おきに行われてきたヤドの家で料理をよばれる庚申講の営みは簡素化して初庚申の日だけになった。
掛軸を掲げたヤドに寄り合う。
毎回、掛軸だけを回す講中もあれば、一年に一度だという組もある。
村の行事は庚申講に限らず、宮座組織の在り方も変わった。
村の戸数の激変と村に残った高齢化によるもので宮座は村組織に移したという。
それはともかく稲渕の閏年の庚申講は「モウシアゲ(申し上げ)」と呼んでいる。
それぞれの講中はカシの木を削って祈願文を書きこむ。
トヤモチ或いはゴクとも呼ぶお重に入れたモチ。
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それを南淵請安(みなぶちのしょうあん)墓裏の庚申屋形前に供える。
小高い丘は享保十六年(1731)大和誌によれば南淵請安の改葬墓と伝えられる明神塚だそうだ。
この年は桜が咲く時期が大幅に遅れた。
こんなことは滅多にないと、稲渕で採れたての野菜などを販売しているUさんが話していた。
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稲渕の旧暦閏年の庚申「申し上げ」は4月初旬に行われている。
日程を決めるのは5組の講中の当番。
講中が集まりやすい日を選んで決められる。
供えるモチをトヤモチと呼んでいたUさんの話から当番はトヤと呼ぶのかも知れない。
この年に集まった講中は20人。
ローソクや線香を灯して導師が前に立つ。
般若心経一巻と真言を唱える。
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カシの木には名がない。
「真言もお札やからあえて云うならお札だ」と話す人。
長さも太さもそれぞれに違う。
書かれる祈願文も異なっていた。
お互いが見比べて初めて判る他の組の「お札」の文字。
一つは「地 水 火 風 奉修 青面金剛童子 天下和順日月清明五穀成就祈講中 安全」とある。
二つ目は「無量寿覚奉納 庚申青面金剛童子 講中安全五穀寶就之塔成」だ。
三つ目は「奉納 庚申青面金剛童子 講中安全寶塔成」で上部には刻みを入れて五文字の梵字がある。
前回の見本を元にして当番が書いたそうだ。
四つ目は「無量寿覚奉納 庚申青面金剛童子 講中安全五穀寶就之塔成」。
五つ目が「空 風 火 水 地 奉修 天下和順日月清明五穀成就祈講中 安全家内長久大寶塔 平成二十四年四月十四日 ○○○○講中敬白」とあった。
明快な基準も無く実にバラバラである。
願文にある「塔成」或いは「寶塔」から推測すれば、おそらく「お札」は「塔」であろう。
そうとすれば「塔婆」であるのかも知れないと思ったカシの木である。
ちなみにこの年は前日から降りだした雨で参詣の場はビショビショ。
いつもならゴザを敷いて料理を食べるそうだ。
食べて飲んで、食べて飲んでの講中の会食。
「飲まんでも話に花が咲くんじゃ」と笑って話す講中。
講中によっては違うかもしれないが「うちの組はドンチャン三昧で酒は2升も飲む」と云う人もいた。
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お参りを済ませば「お札」と呼ぶカシの木を担いで村中に下りる。
祭典をしていた小高い丘に集落がある。
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そこをオネガイトと呼ぶ。
漢字を充てれば尾根垣内。
集落を抜ける旧道の北側をテラガイトと呼ぶ。
そこには龍福寺があるからだろう。
漢字はそのものの寺垣内であろう。
ナバタケカイトと呼ぶ処もあるらしいが全域は住んでいるシモ(下)やカミ(上)でないと判らないという。
雨天の場合は会所でよばれ。
一同が集まるのはこの日だけだという。
昼のよばれは簡単にしている。
実は講中のよばれは夜にある。
前述した会食の様子は当番の家のことだった。
付きだし料理もあるが、主にパック詰め料理となった家のよばれは掛軸を前にしていただく。
(H24. 4.14 SB932SH撮影)
(H24. 4.14 EOS40D撮影)
いつしか60戸から53戸に減っていった村の戸数だが庚申講を祀る講中は半数以下の23戸だという。
村には五つの組の庚申講がある。
それぞれの組は5人、或いは8人とさまざまな講中。
「うちは止めた家もあるから3人やと」いう講中もある。
本来は60日おきに行われてきたヤドの家で料理をよばれる庚申講の営みは簡素化して初庚申の日だけになった。
掛軸を掲げたヤドに寄り合う。
毎回、掛軸だけを回す講中もあれば、一年に一度だという組もある。
村の行事は庚申講に限らず、宮座組織の在り方も変わった。
村の戸数の激変と村に残った高齢化によるもので宮座は村組織に移したという。
それはともかく稲渕の閏年の庚申講は「モウシアゲ(申し上げ)」と呼んでいる。
それぞれの講中はカシの木を削って祈願文を書きこむ。
トヤモチ或いはゴクとも呼ぶお重に入れたモチ。
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それを南淵請安(みなぶちのしょうあん)墓裏の庚申屋形前に供える。
小高い丘は享保十六年(1731)大和誌によれば南淵請安の改葬墓と伝えられる明神塚だそうだ。
この年は桜が咲く時期が大幅に遅れた。
こんなことは滅多にないと、稲渕で採れたての野菜などを販売しているUさんが話していた。
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稲渕の旧暦閏年の庚申「申し上げ」は4月初旬に行われている。
日程を決めるのは5組の講中の当番。
講中が集まりやすい日を選んで決められる。
供えるモチをトヤモチと呼んでいたUさんの話から当番はトヤと呼ぶのかも知れない。
この年に集まった講中は20人。
ローソクや線香を灯して導師が前に立つ。
般若心経一巻と真言を唱える。
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カシの木には名がない。
「真言もお札やからあえて云うならお札だ」と話す人。
長さも太さもそれぞれに違う。
書かれる祈願文も異なっていた。
お互いが見比べて初めて判る他の組の「お札」の文字。
一つは「地 水 火 風 奉修 青面金剛童子 天下和順日月清明五穀成就祈講中 安全」とある。
二つ目は「無量寿覚奉納 庚申青面金剛童子 講中安全五穀寶就之塔成」だ。
三つ目は「奉納 庚申青面金剛童子 講中安全寶塔成」で上部には刻みを入れて五文字の梵字がある。
前回の見本を元にして当番が書いたそうだ。
四つ目は「無量寿覚奉納 庚申青面金剛童子 講中安全五穀寶就之塔成」。
五つ目が「空 風 火 水 地 奉修 天下和順日月清明五穀成就祈講中 安全家内長久大寶塔 平成二十四年四月十四日 ○○○○講中敬白」とあった。
明快な基準も無く実にバラバラである。
願文にある「塔成」或いは「寶塔」から推測すれば、おそらく「お札」は「塔」であろう。
そうとすれば「塔婆」であるのかも知れないと思ったカシの木である。
ちなみにこの年は前日から降りだした雨で参詣の場はビショビショ。
いつもならゴザを敷いて料理を食べるそうだ。
食べて飲んで、食べて飲んでの講中の会食。
「飲まんでも話に花が咲くんじゃ」と笑って話す講中。
講中によっては違うかもしれないが「うちの組はドンチャン三昧で酒は2升も飲む」と云う人もいた。
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お参りを済ませば「お札」と呼ぶカシの木を担いで村中に下りる。
祭典をしていた小高い丘に集落がある。
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そこをオネガイトと呼ぶ。
漢字を充てれば尾根垣内。
集落を抜ける旧道の北側をテラガイトと呼ぶ。
そこには龍福寺があるからだろう。
漢字はそのものの寺垣内であろう。
ナバタケカイトと呼ぶ処もあるらしいが全域は住んでいるシモ(下)やカミ(上)でないと判らないという。
雨天の場合は会所でよばれ。
一同が集まるのはこの日だけだという。
昼のよばれは簡単にしている。
実は講中のよばれは夜にある。
前述した会食の様子は当番の家のことだった。
付きだし料理もあるが、主にパック詰め料理となった家のよばれは掛軸を前にしていただく。
(H24. 4.14 SB932SH撮影)
(H24. 4.14 EOS40D撮影)