葛城市新庄の柿本人麻呂公民館に集まった住職や檀家の人たち。
この日は柿本人麻呂の命日と伝えられているチンポンカンポン祭。
不思議な響きをもつ行事名称である。
一風変わった名に「はて、何」と思わざるを得ない。
かつて法要会式の際に打たれていた鉦の音。
おそらく平鉦であろう。
鉦の音がそう聞こえたチンポンカンポン。
春一番の祭りに天理市大和神社の「ちゃんちゃん祭」がある。
これも叩いた鉦の音がそう聞こえたからその名がついたとされる。
もっとも大和神社の鉦は大きな鉦鼓。
二人の男が担いでお渡りをする。
大和郡山市の新木町の新城神社で行われる夏祭り。
そこでは「ドンチャンボンチャン」とも呼んでいる。
「ドン、ボン」は太鼓の音色で「チャン」は平鉦の音だ。
太鼓と鉦は拍子をとるように交互に打つ。
その音はまさしく「ドンチャンボンチャン」の音だ。
同市の観音寺町の八幡宮の祭り宵宮。
そこでは「チャンポン」と呼んでいる。
「チャン」は平鉦で「ボン」は太鼓の音であろう。
ここも新城神社と同じように鉦と太鼓を交互に打つことからそう聞こえる。
大和には各地で六斎念仏が営まれている。
念仏を唱える際に打つ六斎鉦がある。
その音色は「チャン、チャン」と聞こえることから「チャンガラガン」の別称をもつ。
奈良市八島の六斎念仏や安堵町東安堵の六斎念仏では「チャンカラカン」と呼称している。
桜井市の萱森では「カンカラカン」。
奈良市の藤原町では廃絶しているが、当時は「チャンカラカン」であった。
大和郡山市の今国府では「チャンガラガン」。
額田部では「チャンガラカン」。
井戸野では「チャンカラカン」で通用していた。
鉦の音色は擬音語となったのは、人々の脳裏に刻みこまれ、それが一般に呼称されてきたのだ。
大和郡山市の白土町では今でも念仏講の営みで鉦を叩いて新仏の家に参る大人の集団と子供の集団がある。
大人の組は「チャンガラガン」で子供の組は「チャチャンコ」だ。
「チャチャンコウ」或いは「チャチャン講」と聞きとっていた名称は違っており、「チャチャンコ」が正しいと村の人は云う。
こうした数々の鉦を叩く擬音語事例から考えるに新庄柿本の「チンポンカンポン」は「チャンポンカンポン」であったかも知れない。
関係者は行事を始める前に公民館で串に挿したキナコダンゴをよばれる。
ご婦人たちが作った手作りダンゴ。
ほどよい甘さが口に広がる。
4年前に訪れたときもいただいたが、そのときは橿原市坊城の「だんご庄」の「おだんご」だと聞いていたがそうではなかった。
久しぶりに訪れる柿本。
住職や総代らにお礼のご挨拶をする。
本堂に登った檀家たち。
ありがたいことに一般参拝者も受け入れる影現寺である。
少ない人数であったからそうしたのである。
住職、副住職は中央に、檀家たちは周りを囲むように座った17人。
始めに副住職が配られるお香を手にする。
手の中で擦っておく。
お香の香りが手の中で広がる。
仏前勤行次第の頁を開ける。
般若心経、十三仏、御真言などなどを唱える。
本尊の十一面観音菩薩に捧げる法要である。
影現寺は高野山古義真言宗。
柿本神社の神宮寺で、空海の高弟真済の創建と伝えられ、平安時代初期の仏像が残されている。
五穀豊穣を願う法要会式の後は塔婆回向。
その後は住職のお話と続く。
「毎月の柿本人麻呂の月命日法要に際して何度となく聞いているお話もありがたさがしみるのだ」と檀家の一人は話す。
会式法要を終えた役員たちは柿本神社末社の稲荷社の前に並ぶ。
弁之庄の諸鍬神社から宮司を迎えて祓えの儀、祝詞奏上、切麻清めの儀、玉串奉奠など賑々しく神事が行われる。
この日を祝してであろうか、思わず鐘楼を打ち始めた長老。
チンポンカンポンの音は鐘の音色に移り替った。
そして柿本神社の拝殿に登った一同。
柿本人麻呂公の生誕1350年祭のおりに製作された幟を高々と掲げてこの日を祝う。
拝殿に数多く並べられた御膳。
青葉にコンブ、スルメ、コーヤトーフだ。
氏子の家の数だけ並べられる。
大小混ざった御供モチは赤、緑、黄色などなど。
大きな桶二杯に盛られて氏神さんに供える。
影現寺住職も交えて行われる神事の場は厳かに刻が流れていく。
神事は祓えの儀、祝詞奏上、玉串奉奠。住職、副住職も神さんに捧げた後は円座になって拝殿で直会をする。
そのころ集まってきた村の人はおよそ60人。
恒例の御供モチは3分少々ですべての餅を撒き終えた。
(H24. 4.18 EOS40D撮影)
この日は柿本人麻呂の命日と伝えられているチンポンカンポン祭。
不思議な響きをもつ行事名称である。
一風変わった名に「はて、何」と思わざるを得ない。
かつて法要会式の際に打たれていた鉦の音。
おそらく平鉦であろう。
鉦の音がそう聞こえたチンポンカンポン。
春一番の祭りに天理市大和神社の「ちゃんちゃん祭」がある。
これも叩いた鉦の音がそう聞こえたからその名がついたとされる。
もっとも大和神社の鉦は大きな鉦鼓。
二人の男が担いでお渡りをする。
大和郡山市の新木町の新城神社で行われる夏祭り。
そこでは「ドンチャンボンチャン」とも呼んでいる。
「ドン、ボン」は太鼓の音色で「チャン」は平鉦の音だ。
太鼓と鉦は拍子をとるように交互に打つ。
その音はまさしく「ドンチャンボンチャン」の音だ。
同市の観音寺町の八幡宮の祭り宵宮。
そこでは「チャンポン」と呼んでいる。
「チャン」は平鉦で「ボン」は太鼓の音であろう。
ここも新城神社と同じように鉦と太鼓を交互に打つことからそう聞こえる。
大和には各地で六斎念仏が営まれている。
念仏を唱える際に打つ六斎鉦がある。
その音色は「チャン、チャン」と聞こえることから「チャンガラガン」の別称をもつ。
奈良市八島の六斎念仏や安堵町東安堵の六斎念仏では「チャンカラカン」と呼称している。
桜井市の萱森では「カンカラカン」。
奈良市の藤原町では廃絶しているが、当時は「チャンカラカン」であった。
大和郡山市の今国府では「チャンガラガン」。
額田部では「チャンガラカン」。
井戸野では「チャンカラカン」で通用していた。
鉦の音色は擬音語となったのは、人々の脳裏に刻みこまれ、それが一般に呼称されてきたのだ。
大和郡山市の白土町では今でも念仏講の営みで鉦を叩いて新仏の家に参る大人の集団と子供の集団がある。
大人の組は「チャンガラガン」で子供の組は「チャチャンコ」だ。
「チャチャンコウ」或いは「チャチャン講」と聞きとっていた名称は違っており、「チャチャンコ」が正しいと村の人は云う。
こうした数々の鉦を叩く擬音語事例から考えるに新庄柿本の「チンポンカンポン」は「チャンポンカンポン」であったかも知れない。
関係者は行事を始める前に公民館で串に挿したキナコダンゴをよばれる。
ご婦人たちが作った手作りダンゴ。
ほどよい甘さが口に広がる。
4年前に訪れたときもいただいたが、そのときは橿原市坊城の「だんご庄」の「おだんご」だと聞いていたがそうではなかった。
久しぶりに訪れる柿本。
住職や総代らにお礼のご挨拶をする。
本堂に登った檀家たち。
ありがたいことに一般参拝者も受け入れる影現寺である。
少ない人数であったからそうしたのである。
住職、副住職は中央に、檀家たちは周りを囲むように座った17人。
始めに副住職が配られるお香を手にする。
手の中で擦っておく。
お香の香りが手の中で広がる。
仏前勤行次第の頁を開ける。
般若心経、十三仏、御真言などなどを唱える。
本尊の十一面観音菩薩に捧げる法要である。
影現寺は高野山古義真言宗。
柿本神社の神宮寺で、空海の高弟真済の創建と伝えられ、平安時代初期の仏像が残されている。
五穀豊穣を願う法要会式の後は塔婆回向。
その後は住職のお話と続く。
「毎月の柿本人麻呂の月命日法要に際して何度となく聞いているお話もありがたさがしみるのだ」と檀家の一人は話す。
会式法要を終えた役員たちは柿本神社末社の稲荷社の前に並ぶ。
弁之庄の諸鍬神社から宮司を迎えて祓えの儀、祝詞奏上、切麻清めの儀、玉串奉奠など賑々しく神事が行われる。
この日を祝してであろうか、思わず鐘楼を打ち始めた長老。
チンポンカンポンの音は鐘の音色に移り替った。
そして柿本神社の拝殿に登った一同。
柿本人麻呂公の生誕1350年祭のおりに製作された幟を高々と掲げてこの日を祝う。
拝殿に数多く並べられた御膳。
青葉にコンブ、スルメ、コーヤトーフだ。
氏子の家の数だけ並べられる。
大小混ざった御供モチは赤、緑、黄色などなど。
大きな桶二杯に盛られて氏神さんに供える。
影現寺住職も交えて行われる神事の場は厳かに刻が流れていく。
神事は祓えの儀、祝詞奏上、玉串奉奠。住職、副住職も神さんに捧げた後は円座になって拝殿で直会をする。
そのころ集まってきた村の人はおよそ60人。
恒例の御供モチは3分少々ですべての餅を撒き終えた。
(H24. 4.18 EOS40D撮影)