マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

法貴寺の御湯の場

2013年02月18日 07時41分56秒 | 田原本町へ
田原本町法貴寺に鎮座する池坐朝霧黄幡比賣神社。

近隣村の郷社である。

同町の小阪、唐古、鍵、八田や天理市の海知、武蔵が法貴寺の郷村にあたる。

法貴寺の神社宮司には度々お世話になっているが郷中の関係は存知していなかった。

今年に知った里の女児巫女が祭典される御湯の儀とお神楽。

その状況を教えていただきたく訪問した。

ほぼ整理ができた聞き取り調査。

それを終えて法貴寺で行われている斎場を訪れた。

池坐朝霧黄幡比賣神社の境内社である厳島神社の弁天さん。

そこでは御湯が行われていることは知っている。

西にある大神宮でも行われているゴウシンサンも知っているが拝見したことがない。

西と東の大神宮は寄進された講中が分かれていたことを知ったこの日。



西の大神宮は法貴寺集落の中央辺りにある。

それには川西講中が寛政八年(1796)六月に寄進された。

200年以上も前に寄進された大神宮である。

一方の東側にある大神宮。寄進された年月は不明だが川東惣講中とある。

話によればそれぞれ東西の垣内の講中が寄進したそうだ。

川西は前田、西南、西口、北、観音寺垣内。

川東は東市場、南、西市場、寺前、宮ノ前垣内で集落中央を流れる初瀬川を境に東西垣内の講中が寄進したという。

法貴寺では他にも御湯の儀をされているという。



一つは南の斎宮(さいぐう)神社

氏子は西口、西南、前田(一部)だそうだ。

もう一つが南のコンンピラサン

金平羅社だそうだが場所は探し出せなかったが後日に再訪問した際に場所を教えてもらった。

現在の大和川の東側。

四ツ辻を少し南下した地にあったコンピラサンは祠の中。

そこには「金」の文字が刻まれた石造り。

傍には藁束を括りつけた常夜燈と思われる石塔もある。

それには天保九年十月吉日とあった。

(H24.12. 7 EOS40D撮影)
(H24.12.27 記)

強い風にたこ焼きお尚

2013年02月17日 09時20分13秒 | あれこれテイクアウト
この日は朝から強風。

注意報がでたのではと思った。

寒い日に恋しくなる熱々のたこ焼き。

仕事を終えてやってきた山田町のたこ焼きお尚。

たまには違うものが欲しいと思って店内を見れば焼き上がっている。

待ってられへんのでそれを買った標準のソース味。

焼け具合の状態を見ればカチカチのよう。

それでも食べたいお尚のたこ焼き。

自宅で蓋を開けるなりぱくつく二人。

これが美味いんだな。

(H24.12. 6 SB932SH撮影)

スカイプはNEXUS7

2013年02月16日 09時31分53秒 | つうしん
この日に再び海外へ向かう次男。

8月から一旦帰国していた。

海外に滞在していたときの通信はパソコンに導入したスカイプだ。

通信が発生したときには画面にそれが出力される。

通話している間はパソコンを使えない。

どちらかと云えば会話していのはかーさん。

占有されてしまうパソコンから解放されたい。

次男は今秋に発売されたIPADminiを買った。

それで通話を楽しんでいる。

もちろん相手は海外の人たちだ。

しゃべる言語は英会話。

話している内容はまったく判らない。

それはともかくスカイプしたいと思って同機種のIPADminiを買いたいと思ってケーズデンキ奈良本店に出かけた。

使用方法が判らない素人の私は質問するしかない。

親切に教えていただいたが16GBも32GBも在庫切れ。

64GB対応の機種ならあるというが48800円。

高価な買い物は諦めた。

そういうことでジョーシン大和郡山店もやってきた。

ここでも在庫が無いと云う。

諦めるしかなかったその晩の会話から気持ちはNEXUS7へ傾いていった。

この日の朝はイオンモールでお買いもの。

それを済ませてからジョーシンに足を運んだ。

店員さんに聞いたのは外付けのUSBが使えるかどうかだ。

サンワサプライにはそれが売っているらしい。

いずれは購入対象にするとして在庫を確認すればあるという。

購入する気持ちで行ったので求めたNEXUS7。

32GB対応の機種は24800円。

IPADminiなら38800円もするから差額は約1万円の差である。

基本的に使うのは自宅通信のスカイプ。

ネットは無線LANを設えているので無料で利用できる。

3年間保証があるジョーシン保証。

価格の5%が保証料。

それをしておけばひとまず安心。

溜めていたJCBカードとポイントで支払うが保証料は現金扱い。

仕方なく千円で済ませた。

支払い額がそれで澄んだのはジョーシンポイントのおかげだ。

箱の開け方が判らず四苦八苦するも玉手箱。

なんてことなかった開封にてこずる。

附属品なんどを確かめてまずは充電。

電源オンは横にあるスイッチ。

4秒以上押せば画面が現れた。

無線LANもなんなく受診する。

パスワードを投入すれば次の画面だ。

次男の指導を受けながらグーグルアカウントを作成する。

パスワードなんかも設定したのでメモしておこう。

その際には思い出せるようにしておくネーミング。

予備のメールアドレスを投入してなんやかや判らんうちに設定終了。

とりあえずスカイプを探しだす。

ここにあるよと云われて見つけたスカイプ。

インストールはパソコンのときよりラクである。

既に登録してあるIDやパスワードを入れたら画面が現れた。

次男と交信して一段落する。

あとはお気に入りのHPを探しておいた。

マップの表示にはかなりの差があるIPADminiとNEXUS7。

いわゆるタブレット端末である。



国道は判り辛いし鉄道路線がでてこないことが判ったIPADminiに始めて気がついたという次男。

スカイプ以外に使うのはネットとマップぐらいなものだが始めて扱う端末に疲れがどっと出た。

(H24.12. 4 SB932SH撮影)

打上げの日

2013年02月15日 07時21分09秒 | しゃしん(県立民俗博物館展示編)
この日は「私がとらえた大和の民俗」写真展のラストデイ。

2ヶ月間に亘って開催された。

反省すべき点は多々ある。

打合せは議論白熱。

予定の時間がオーバータイムする。

そんな会議に向かう途中は城下町をぶらぶら巡り。

矢田通沿いに鎮座する薬園八幡神社から北方は材木町だ。

しばらく通っていない間に新築の家が建ち並ぶ。

様変わりの状況に驚く。

城下町の面影はいつの間にか変貌していた。

さらに北へと歩いてみれば雑穀町。

料亭旅館の「尾川」の佇まいは変わらない。

ここら辺りの道はとても狭い。

車は直進するほうが良いだろうと思っていたらキュルキュル音。

直角に曲がろうとしていた車の音だ。

エンジン音ではなく電信柱を擦る音であった。



気の毒にと思った角地傍に地蔵尊がある。

城下町の町内にはいたる処に祀られている地蔵尊。

ここにもあったのだと内部を覗いてみれば大きな石造りがある。

それには「三界万霊・・」の刻印がある。

右側には「備前国」で左に「天文十七」とあった。

三界万霊の供養塔。天文十七年は西暦で1548年。

なんと460年以上の代物である。



その時代はまだ城下町を形成していない室町時代の後期。

戦国時代たけなわの年。

斎藤道三が織田信秀と和議を結んで道三の娘を信秀の嫡子である信長に嫁がせた年である。

目を凝らして拝見したがどう読んでも「天文」に見える。

備前の国から移されたのであろうか。



それはともかくこの夜は「ひかり」で打上げ。

盛りあがること間違いなしである。

(H24.12. 2 SB932SH撮影)

懐かしい人の回顧話

2013年02月14日 06時51分40秒 | 奈良市へ
歌姫のほうからやってくる博労は若い牛を連れてくる。

それは5年ぐらいの間隔だったそうだ。

牛は農耕に働いてくれて成長する。

年数が経過した牛は若い牛と交換する。

年老いたのは肉牛にしたようだと話す。

働き手の牛はノガミ参りに連れていく。

法蓮の不退寺の門前である。

サクラなどの樹木に括りつけた牛は数頭。

うちの牛は元気が良くて艶々だった。

うちもそうだと話しあうのはまるで牛の品評会のようだったという。

随分前のことだと回顧された法蓮東垣内のUさんは90歳。

8年ぶりにお会いした懐かしいお顔。

不退寺門前で行われていたノガミサン以来である。

平成16年の様子を掲載させていただいた著書の『奈良大和路の年中行事』に牛と馬の絵を描いた絵馬を奉納されて拝む姿が当人だ。

ショウブとヨモギを立てた前には御幣を数本挿している。

お神酒を捧げて手を合わせる農家の営みであった。

地域で農業を生業とする家は少なくなっていた。

当時に参って人たちは高齢者。

年が経つにつれて亡くなられる人も・・。

そうした状況であった法蓮東垣内のノガミサン。

続けていくことが困難になって解散した。

平成19年のことだ。

奉納した牛と馬の絵馬はUさんが描いたもの。

当番の人が描いて奉っていたという。

掲載した行事は本になって残った。

そのときのお礼を兼ねて著書を献本させていただいたのである。

法蓮東から南側は一面の田畑だった。

水路にはカワニナが住んでいてヘイケボタルが飛び交っていた。

クツワムシも多くおりガチャガチャとやかましく鳴いていたという。

60年も前のことだという。

夏にはアブラゼミやニイニイゼミが鳴いていた。

今のようなクマゼミは少なかった。

8月25日ごろに鳴き出したと回顧される。

そんな話をしてくれたUさんの前庭には現役の井戸がある。

かつては井戸替えもしていたという。

井戸水は三角に立てた櫓に釣瓶。

桶を下して水を汲んでいた。

底に溜まったドロを取り出して奇麗にしていたという。

(H24.12. 2 記)

法蓮稲荷講の御供

2013年02月13日 06時49分08秒 | 奈良市へ
稲荷神社の社の土台にある文様。

まぎれもない三つの焔宝数である。

不思議な様相の稲荷神社は奈良市法蓮町の常陸(ひたち)神社の境内社。

かつてはドリームランド入口北の丘の上に鎮座していた。

その地は隼人(はやと)石、七匹狐と称される石塚があったそうだ。

いつしか狐と関連して稲荷信仰に結びついて稲荷大明神が祀られた。

明治16年のことである。

その地は聖武天皇皇太子の那富山御陵墓に選定されたことにより堺県知事を通じて宮内庁から移転のお達しが要請されたのである。

遷した地が法蓮町の常陸神社となった。

以来、稲荷社を崇める法蓮稲荷講が守っている。

この日は朝から講中の総会。



始まる前に供えるセキハンは3個。

アゲゴハンとも呼ぶセキハンのオニギリ御供にアゲサンを添えてバランの葉に乗せる。

御供は餅米に粳米を混ぜて炊いたという。



稲荷神社本社や末社などお稲荷さんに関係する社に供える講中三役。

鳥獣に食べ物を施す施行だと話す。

お供えを済ませて法蓮会所に向かった。

会所では稲荷の掛軸を掲げるというが総会の場。

遠慮したのは云うまでもない。

ちなみに法蓮会所では春日講も行われていると聞く。

春日講は68軒。

かつては77軒もあったそうだ。

東脇地区、南脇地区(東・西)と西脇地区の4講中が5月頃に集まるそうだ。

(H24.12. 2 EOS40D撮影)

苣原のカンジョ綱掛け

2013年02月12日 08時46分40秒 | 天理市へ
閏年は13房を掛けると聞いている天理市苣原のカンジョ綱掛け。

例年なら16日に掛ける。

この年の当番は西脇だったが総選挙の関係で急遽掛けられた。

苣原のカンジョは年に2回。

12月と翌年の2月6日と聞いている。

12月の房には松葉を挿し込む。

2月はシキビである。

昨年のカンジョ掛けは見学したいと云う人から連絡があって実施日を一日繰り上げた。

待てど暮らせど、本人が現れなかった。

仕方なくカンジョ掛けをしたと話していたことを思い出す。

苣原と同じように2回掛けられる地域がある。

同市の上、下仁興、藤井や桜井市の小夫や修理枝である。

三谷もかつては2回であった。

周辺地域で見られる年に2回のカンジョ掛けは宮座の存在が考えられる。

(H24.12. 2 EOS40D撮影)

西佐味水野の山の神

2013年02月11日 08時58分18秒 | 御所市へ
金剛おろしは風の道。

御所市の大西、水野、福西が通り道だと話す水野垣内の住民。

申の日は特に寒九雪が降ることが多い。

おろしの風は通り抜けて風の森に抜ける。

地名は今でも金剛おろしを伝えている。

西佐味(にっさび)が属する水野垣内は鴨神の大西垣内の南隣である。

水野垣内は山間の佇まいでかつては「水野4ゲン」と呼ばれていた。

付近にはたくさんのお寺があったという。

水野は西佐味で一番栄えていたと伝わる。

水野より少し下った南から登る旧道。

一本杉と弁天さんの祠の前を通りって水野集落を通る坂道を登る。

集落を抜ければ小和道と合流する。

ここ辺りはカミジャヤ(上の茶屋)跡。

江戸末期までは茶店を営業していたそうだ。

上茶屋があるから下にも茶屋があったという。

その茶屋が並ぶ街道は籠に乗った殿さんが下ってきたと伝わる。

鎌倉時代の終わり頃は葛城修験道が最も盛んな時代。

金剛山頂の転法輪寺、朝原寺、高天寺、大沢寺などとともに金剛七坊の一つであった歴史をもつ西佐味郷。

高くそびえた弁天杉は付近で目立つシンボルタワーのようだ。



ここら辺りから南東に見える山々。

北から南へ連なる山脈は標高1700mから1900m級。

青根ケ峰、四寸山、大天井ケ岳、山上ケ岳、白倉岳、稲村ケ岳、バリゴヤノ頭、行者還、鋏山、弥山、八経ケ岳、明星岳、仏生ケ岳、孔雀岳、釈迦ケ岳などは天川村、東吉野村、川上村辺りの高山である。

いずれは春夏秋冬の季節が見えるようにネット放送したいと話す水野垣内は8戸の集落。

そのうちの4戸が講中である。

少なくなった戸数で営む講は大師講、伊勢講も含まれる。

年中行事はシンギョ、とんど弁天さん観音さん、亥の日もあるから月に一度はなんらかの行事をしているという。

この日に行われたのは山の神。

12月最初の申の日に行われるが、同月に申の日が3回あれば2回目の申の日となる。

山の神さんは小さな祠で祀っている。

4、5年前に建て替えたそうだ。

建て替えたというよりも朽ち果てて石の台だけになった場に祠を建てたということである。

祀る場は龍神さんと呼ばれる地。

まさに水野の山の神さんは水の神さんでもある。

その地に女性は立ち入ることができない。

山の神に参るのは男性に限られるのである。

4戸であるから4年に一度は当番となる。

「申」の文字が書かれたお札を次の当番家に送られて回りを知る。

昔は札などなかった。

回る家の順が決まっていたと話す。

神さんごとは下から上へ。

仏さんは上から下へと回る当番家。

服忌があれば次の家に回す。

今回は服忌の家が当番であったが村の規則通りに次の家に回された。

急なことであったとM家の家人が話す。

出発直前に山の神さんに供える道具を作る。

竹に挿すのは大き目の御幣。

高鴨神社の宮司さんが作られた。

宮司さんも水野の一員。

神社の行事の注連飾りと重なって参るのは2軒になった。



少なくなってしまったと話しながら幣を作る。

幣には一枚の紙を括りつける。

鎌、鍬、鋤、草刈機、トラクター、田植機、コンバインの文字が書かれた紙片である。

以前は鉈、ヨキ、鋸の山の道具であったがいつの頃か農作業における草刈機、トラクター、田植機、コンバインに代わったという。

30年ほど前はマンガやカラスキを象った木製のミニチュアを作っていた。

手間暇がかかった手作りの道具は大幅に簡略化された。

山の神さんは農林業の守り神であるからこそこうした道具を奉るのだと話す。

幣には片足一枚の草鞋草履も取り付ける。

藁で結った草履は明治中頃生まれの老婦人が作った。

田んぼに行くときのために作ったという。

今後のためにと多くの草履を作っておいた作りおきの草履は村に寄進して毎年の山の神に奉られる。

残した「草履がなくなればそれまでだ」と話す。

奉る草履に鼻緒は付けない。

未完成の姿の草履であるのは「山の神さんはあわてん坊やから」と話す。

「待ってられへんから仕上げはしない」と云うのは、鼻緒がなければ草履は履けない。

そのような草履であれば怪我をする。

逆に捉えたまじないの意味があるのだろう。

奉る道具が揃えば御供を抱えて山の神の地へ向かう。



田畑を抜けて山林に入る。

鬱蒼とした杉林が林立する。

入山直前には鉄製の水車があった。

山から流れる谷水を引いていたが動かない。

そうした近代の遺産風景を横目で通りすぎて着いた山の神の祠。



傍には昨年に奉られた幣や草履が残っていた。

風雨に耐えてきたお供え。

杉林は防風林になったのであろう。

山の神さんの御供はお頭付きの魚。

この年は鯛であった。

洗い米、塩、お神酒を供えて灯明に火を点ける。

風除けの灯明である。



そして祠回りに持ってきた液体を流していく。

オダンゴと呼ばれる御供である。

オダンゴは固体ではなく液状に溶いたメリケン粉。

水で練った御供である。

祠がなかった頃は台座の上に流したそうだ。

祠ができてからは汚さないように周囲に撒く。

不可思議な御供の存在に興味を覚えたのは云うまでもない。

一カ月後に再訪した際に聞いた話。

液状にしているのは顔に塗る化粧液であると当番婦人が答える。

山の神さんは女性であるから水に溶いてあげるのだと話す。

今回はメリケン粉であったが本来は米の粉。

谷から流れる清らかなキンメイ水で溶く。

水でとろとろと練った液体は「オシロイモチ」と呼ぶ。

嫁入りしたときからお姑さんから教わったキンメイ水のオシロイモチである。

米をすり潰して水で練った御供に「シトギ」がある。

古代から伝えられてきた御供である。

大和郡山市の満願寺町や奈良市の池田町で供えられる御供にシトギがある。

天理市杣之内町の八王子参りや奈良市柳生の山の神にもある。

巫女さんが御湯の神事の際に湯釜に投入するシトギもある。

水野の山の神さんの「オシロイモチ」も同じ神聖な御供のシトギは「粢」の一文字。

本来の米の味がする。



今年の幣を祠に立て掛けて参った二人は祝詞を奏上する。

「身潔祓詞(みそぎはらへのことば)」を揃って唱える。

参拝して下る水野の里山。



そこにあった番水の時間割。

ジンジョウ、五ツ、四ツ、九ツ、八ツ、七ツ、暮六ツ、初夜に区分けした番水は5月13日~23日、24日~31日、6月1日~7日、8日~15日、16日~23日、24日~・・・。

現役の番水は日によって若干の時間が調整されていた。

御所市楢原(ならはら)の番水時計は名高い。

「朝4時のあけもつと夕方4時のくれもつにはカネを叩く」という番水であるが水野の番水時間は判りやすい。

そのような番水は櫛羅(くじら)にも存在していたと二十数年前に聞いたことがある。

話したのは当時勤めていた上司であるが今となっては確かめようがない。

(H24.12. 1 EOS40D撮影)

ローソンの焼きサバ寿司

2013年02月10日 07時50分46秒 | あれこれテイクアウト
蓋を開ければサバの香りが立ちあがる。

焼いたサバの香りである。

焼きサバの表面は程良い照り具合。

食欲をそそる焼け具合である。

食べやすいように一切れずつに包丁が入っている。

箸で摘まんで口にほうばった一切れ目。

サバの分厚さが丁度良い。

酢飯のシャリはそれほどでもないが、その加減が焼きサバの味を引き出す。

食べ応えのある焼きサバに箸が進む。

中にはショウガが入っているようだ。

これが良い。

塩麹仕立ての焼きサバは極上の味。

あっという間になくなった。

お昼のご馳走に奮発した甲斐がある。

(H24.12. 1 SB932SH撮影)

再びトライアルのにぎり寿司

2013年02月09日 07時46分52秒 | あれこれテイクアウト
通院しているかーさんの送迎ついでに買い物に行ったトライアルスーパー

昼ごはんにまたもやにぎり寿司を買った。

魚屋さんが握っているにぎり寿司。

いろんなお寿司が盛りだくさん。

いつもどれにするか迷ってしまう。

この日に選んだのは赤貝のにぎり298円。

久しぶりに食べてみたくなった。

寿司屋に行っているときはよく頼んだものだが随分とご無沙汰している。

隣にあったのがトロサバのたたき寿司は398円。

100円の差があるが美味しそうに輝いている。

赤貝はコリコリ。

味はともかくこの噛み具合が良いのだ。

山葵は中にない。

どうりで物足りないわけだ。

添えられていた山葵をつけて食べたら美味いんだな。

もう一つのトロサバ。

これは美味い。

薄めのコンブがサバの味を引き出す。

中にはシソを挟みこんでいた。

手がこんでるトロサバは8個で398円。

極上の味である。

(H24.11.30 SB932SH撮影)