マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

入院31日目

2015年08月11日 14時01分03秒 | むびょうそくさい
朝測定の体重は63.4kgで、体温は36.3度だ。

体重が減っているのは利尿剤の効果。

溜まった水が抜けてきた。

その証拠が体重減なのだ。

朝食前のもよおし。

ほどほどの排便に少々の出血だった。

戻ってすぐに採血の指示があった。

この日の場はベッドでなく談話室で行われる。

しかも本数が増えて3本の採血だ。

8時25分、心臓外科の医師団が回診される。

執刀医師のご両人から伝えられた状況。

尿は出ているが、不整脈が見られる、である。

一昨日、昨日のリハビリ歩行は一日合計で600mになったことを報告しておいた。

午前の定期計測。血圧は116だ。

リハビリ療法士の勧めもあって自主的歩行プログラムの量を増やす。

1回辺りの歩行は3周の300m。

爪先立ちの足首筋トレも増やして40回とする。

10時10分、本日1回目の自主的リハビリ運動。

1周目開始直後の心拍は97-124。

1周目の100mを歩いて94-117。

2~3周連続で89-92。

小休止して98-118。

40回の足首の筋トレ後は97-119。

10回も多くすれば、ふくらはぎが張る。

この日もゴロゴロも鳴らず、咳の回数が減っている。

退院を見越して、これまで看護師が錠剤を朝・昼・夜に分包していたが、自分自身でわけることになった。

朝食後はルプラックにネキシウムカプセル。

朝晩食後はアーチスト、アルダクトンA。

朝昼夜とも服用するマグミットだ。

ただ、ワーファリンは退院日まで看護師が数えた錠剤数になる。

ワーファリンは採血結果によって錠剤の数が変化するのだ。



午後1時20分、本日2回目の自主的リハビリ運動。

1周目開始直後の心拍は95-63。

1周目100mを3周連続歩いて73-85。

小休止して97-93。

40回の足首の筋トレ後は97-126。

2周目で腰下の太ももの付け根辺りがだるい。

3周目となればふくらはぎもだるい。

筋トレもだるい。

午後2時のシャワー。

洗髪、洗顔、上半身・下半身に泡立てた石鹸をたっぷり塗りつけてなでるように洗う。

今回は開腹した傷口も綺麗にしておいた。

午後2時45分は胸部レントゲン撮影。

溜まっていた水はどれぐらい減っているのだろうか。

午後4時45分、本日3回目の自主的リハビリ運動。

1周目開始直後の心拍は98-78。

1周目100mを3周連続歩いて83-113。

小休止して98-128。

40回の足首の筋トレ後は96-126。

2周目に太ももがだるくなった。

腰も張る。

筋トレではふくらはぎがだるい。

夕方、病院の事務方が7月分の請求書を持ってきた。

気になっていた明細を確認すれば、二日分の室料がある。

これは何かと事務員に尋ねたら特別室利用分だという。

たしか、転院した際に特別VIPルームの使用にあたって病院側は大部屋を手配できなくて、やむを得ず特別VIPルームになったと聞いている。

それは病院側の手配によるものなので減免扱いをすると聞いていた。

その件を伝えたら事務員は部屋を案内する。

たしかに特別室だが、私はその部屋を利用したことがない。

再調査の結果、なんでも誤って別人の「タナカ」が利用した個室料金が加算されていたのだ。

誤った請求書は戻された。

午後5時40分、Gリハビリ療法士から外来棟リハビリの説明を受けた。

問診票に記入してヒアリング。リハビリは心電図モニター装着・ウオーミングアップ運動・自転車エルゴメーター・筋力トレーニング・トレッド歩行・クールダウン整理運動・血圧測定など。

およそ1時間でこなすが、体力状況や心不全状態によっては、リハビリ療法士が判断してその日の運動量を軽減する。

詳しくはここで書かないが、ヒアリングの最中に携帯電話が鳴った。

存知しない番号に出ざるを得ない。

架けてきたのは旧都祁村藺生の村神主。

10月初旬に造営祭典があるので村の記録写真を撮ってほしいという依願だ。

リハビリ療法士とは直前にこうした村行事の取材をしていると話していた。

まさにそのときの電話でリハビリ療法士も驚かれた。

一日も早くリハビリをされて復帰されることを願って支援したいという。

ありがたい言葉である。



夜8時の定期計測。体温は36.3度で、血圧は124だ。

足の浮腫みはまだある。

この夜も「みん剤」を服用して就寝する。

酸素吸入は「1」だった。

(H27. 8.10 SB932SH撮影)

入院30日目

2015年08月10日 13時44分27秒 | むびょうそくさい
朝測定の体重は64.4kgで体温は36.6度、血圧は130だ。

前日から2.6kgも減った。

9時40分、本日1回目の自主的リハビリ運動。

1周目開始直後の心拍は94-126。

一周を100mも歩いて100-124。

2周目は94-96。

小休止して98-78。

30回の足首の筋トレ後は97-76だった。

膝を挙げての歩行。

実に軽やかである。

9時40分、もよおす大便。

浣腸のおかげで昨日はたっぷりの排便。

この日はまあまあの排便だった。

おかげで出血も少々だ。

午前の計測。体温は36.3度で血圧は106だ。

看護師さんが今後のためにということで二つの資料をくださった。

一つは「知って得する自分の身体 心臓弁膜症編」。

もう一つは「今日から実践 からだに優しい過ごし方」だ。

同時に云われた胸帯の取り扱い。

術後の3カ月間はお風呂に入る以外は外してはならない。



昼食後は2回目の自主的リハビリ運動。

1周目開始直後の心拍は99-79。

1周目の100mを歩いて92-73。

2周目は99-97。

小休止して94-78。

30回の足首の筋トレ後は94-83だった。

歩行は股関節にやや痛みを感じる。

午後2時からはシャワー入浴。

手術を終えて始めてのシャワーである。

二の腕の筋肉はげっそりと消えていた。

これまでパジャマの袖で見えなかったが、シャワールームの鏡を見て驚いた。

切断した肋骨・脊柱は上部にいくほど飛び出し骨。

まるでマグロの中落ちをとったあとのゴツゴツ骨のように見えた。

開腹創辺りの上半身も筋肉が消えている。

肩から胸まではまったく肉がなく、鎖骨が目立って見るも無残。



まるでホネカワスジエモンの姿だ。

その部分も含めて下半身などは泡立てた石鹸を優しく身体に塗りつけてシャワーで流す。

入浴を終えて看護師さんに外した胸帯と携行型心電図をつけてもらう。

午後5時半、3回目の自主的リハビリ運動。

1周目開始直後心拍は98-75。

1周目の100mを歩いて98-113。

2周目は91-96。

小休止して97-76。

30回の足首の筋トレ後は97-86だった。

歩き方は力強くなり普段により近くなったのではと思ったが、腰にだるさを感じる。



夜8時の定期計測。

体温は36.3度で、血圧は121だ。

痰も少なくなっている。

この日の通知は退院後の食事療法。

11日の午前10時よりリハビリ栄養士が談話室で解説するという。

かーさんの都合はとれないが、大切な食事療法は聞いておく必要があると思って参加表明をしていたのだ。

就寝時は「みん剤」の服用に加えて、今夜は追加。

不整脈を整える薬剤も適用された。

ふと目覚めた午前3時半、看護師判断で酸素吸入量「1」がセットされた。

この夜の就寝。

なんとなく両足のふくらはぎがだるい。

リハビリ運動の影響であろうか。

(H27. 8. 9 SB932SH撮影)

入院29日目

2015年08月09日 11時13分20秒 | むびょうそくさい
朝測定の体重は67.0kgで体温は36.3度、血圧は125だ。

足の浮腫みは少々ましな状態になる。

検診する看護師。

腸の動きはあるという聴診器の伝言。

大便が出ないのは便の先が塊になっているもようらしい。

朝食前にもよおす大便。

腹は痛いが出ない。



9時に採血を済ましてから外来棟へ行く。

回復はまだまだ。

安全にということで、介護士さんが押す車いすに乗って向かった。

胸部レントゲンは正面だけだった。

朝食の1時間後。

自主的リハリビ歩行をする。

一周始めの心拍は97-93。

1周目の100mを歩いて97-98。

2周目は97-103。

小休止すれば98-78。

30回の足首の筋トレで95-97。

こんなものだ。

10時半の計測。

体温は36.5度で血圧は106。

足の浮腫みはまだ収まらない。

11時、O外科医師の回診。

浮腫みは一時的に心臓機能が低下したものだが、知らず、知らずのうちに消えるであろう。

2、3週間もかかる日にち薬を待つしかないそうだ。

浮腫みは水(尿と一緒)で排水ができていない状況にある。

特に治す薬はない。

歩行リハビリ実施の回数、方法は特に問題がない。

大便が固まる症状に浣腸処置を快諾された。

大腸のぐるぐる音も聞こえるので便が硬くなっているという。

その3回目となる大便。

出もしない。

便器のシャワーで刺激を与えたが出ない。

諦めて押し込みぎみにペーパーで尻穴に突っ込む。

ジャーと黄色い液体が出る。

出そうと構えたが出ない。

もう一度突っ込む。

液体が出る。

これを繰り返すこと10回。

中身は出なかった。

この日は手術のときから借用していた病院の青い手術服を返却した。



この日、2回目の自主的リハビリ運動。

1周目の開始時の心拍は96-87。

1周目の100mくぉ歩いて98-124。

2周目は96-83。

小休止して96-97。

30回の足首の筋トレ後も96-97だった。

ふくらはぎがだるい。

筋トレは足首を下ろす度に震える。

午後3時半に3回目の大便。

腹は痛いがまったく出ない。

それから30分後、とうとう浣腸をすることになった。

すぐには出ない。

数分後に突然のこと。

怒涛のごとくドドドドドドー。

両手いっぱいほどの便が出た。

しばらく待っていても続きはない。

気持ちも含めてスッキリした。

間違いなく栓のようになっていた先端が軟化したのであろう。

出血もなかった排便。

今夜は便を柔らかくする薬は要らない。

看護師のUさんに返却した。

すっきりしたところで本日3回目の自主的リハビリ運動。

1周目の開始時点の心拍は96-84。

1周目の100mを歩いて94-72。

2周目は95-73。

小休止して96-86。

30回の足首の筋トレ後も97-96だった。

この日は咳の回数が極端に減ってきたが、両足の浮腫みは解消されない。



夜8時の定期計測。

体温は36.7度で血圧は122だ。

この夜も「みん剤」服用で就寝。

なぜか朝4時半に酸素吸入量「1」の指示が出た。

(H27. 8. 8 SB932SH撮影)

入院28日目

2015年08月08日 10時34分29秒 | むびょうそくさい
ぐっすり眠ることができた目覚めの朝は6時。

起床した直後の体重測定は66.7kgで体温は36.4度、血圧は102だった。

もよおすが大便は出ない。

ただ小便は利尿剤投与の関係でよく出る。

朝食後、O外科医師の回診があった。

少々、足がむくんでいる。

そういえば昨日のいつか覚えていないが両足ともぷくぷく状態の浮腫みに仰天したのだ。

足の浮腫みは胸水の関係もあり、水がぐっと下りてきて足に溜まるのだ。

少しでも足を揚げている方がいいと看護師さんが云っていた。

いずれにしても胸水は心臓の活動で生成される。

体内に吸収されていくのだが、量が多い場合は残ってしまう人もある。

手術時において溶剤が使われた。

それが胸に水として溜まる。

すべて抜けるには2~3週間もかかると話す。

また、不整脈があるのは心不全。薬剤投与をしていく。

10時半、ベッド上で心電図計測をする。

10時40分、手術開腹執刀痕を保護していたガーゼは除去された。

このときの体温は35.9度で血圧は104だった。

看護師のYさんの話しによれば、切除痕は1カ月ぐらいで落ち着くそうだ。

ノコギリ切断された肋骨・脊柱は硬い紐のようなもので固定している。

それは溶けることもなく残存する。

今後、レントゲン撮影をしたらリングが巻いているように見えるらしい。

切除痕は3カ月ぐらいで固着する。

それまでは胸帯を外すことはない。

11時20分、介護福祉士が洗髪をしてくれた。

明日はシャワー入浴ができると思われるが、医師と相談した上で決定される。

ただ、身体は石鹸を泡立てて身体に塗って優しく綺麗に洗う。

11時30分、急遽であるが、窓際の大部屋が空いたといって移動することになった。

特別VIPルームは別として窓の外を見られる部屋になるのは始めてだ。



窓から眺める景色。

開放感を思い切り感じる。

移動した部屋で始めて食べる昼食。



外の光に映し出されて美味しく見える。

食後の計測。

体温は36.1度で血圧は120だった。

この日の心臓リハビリ運動は歩行器なしの自力歩行。

1周100mの廊下を2回周回してみた。

午後2時から始まった久しぶりの心エコー。

手術前の苦しさはない。

心臓を下にした横向きもできるようになっている。

午後3時10分、この日2回目の大便。

お腹は痛いが出るものがない。

出ても水分をともなうプチュプチュ音だ。

この日、2回目の心臓リハビリ運動は午後4時半。

歩き歩行のリハビリはウオーミングアップに50mを歩く。

一度、階段を歩いてみましょうということで17段の階段を登る。

上がって計測した脈拍は124。

しんどさが数値で判る。

小休止すれば118に落ちる。

階段運動は避けたほうがいいと診断された。

廊下の歩行は続きの150m。

脈拍は85に落ち着いていた。

リハビリ療法士がつかない土曜、日曜日は自主的個人プログラムを設定される。

歩行練習のスピードはゆっくり走行。

距離をかせぐように歩く。

休憩は自身で判断して適宜とる。

最低2周の200mを目標とする。

そのプログラムは朝食の1時間後、昼食の1時間後、夕刻の3回とする。

歩行訓練だけでは物足りないので追加プログラムも設定する。

足首の筋肉トレーニングだ。廊下の手すりに手をおいて、両足の爪先立ち。

低めに上げて負荷を感じるまで連続運動。

回数は毎回記録しておく。

これは歩行訓練に続いてするのが望ましい。

午後5時半、最後の点滴痕が除去された。脈拍は120だ。

10分後、窓から見える景色が一変した。

俄かに真っ黒になった雲。

横殴りの雨が降りだす。

病室を出て自宅に戻ったかーさんは濡れないで帰宅できただろうか。



晩食も美味しくいただいた。

それから2時間後は定例の計測。

体温は36.3度で血圧は131になっていた。

今朝の回診で見られた足の浮腫み。

歩けば解消されると看護師が云う。

活動していない足は知の巡りがよくない。

血流は足の先まで届かないのだ。

今まで寝てばかりだったので症状が出なかったという。

今夜も「みん剤」のお世話になって就寝する。

酸素吸入量は「1」だ。

(H27. 8. 7 SB932SH撮影)

入院27日目

2015年08月07日 09時35分47秒 | むびょうそくさい
朝の体重は62.7kg。

血圧は137で体温は36.7度だった。

体重は手術前より2kgも減っていた。

気になるのは血圧だ。

酸素吸入は申し分ない状況で「1」まで落とされた。

朝食後に採血。

採血を取るのは血液を検査し、凝固具合を確認しているようだ。

9時、O外科医師の回診があった。

開腹した手術の痕跡は長さがおよそ20cmにもなる。

傷口具合を看られてテープ止めからガーゼに貼りかえられた。

肺に溜まった水はなかなかなくならない。

どっちかといえば日にち薬。

尿をよく出す薬は朝服用の6種7錠もある。

心臓リハビリも順調だが、決して無理をせず、その日の体調・体力に見合った行動をしてもらいたいと伝えられた。

9時20分に胸部レントゲン撮影。

ベッドに置いた背もたれ椅子に座って撮影する。

10時50分、簡易トイレにもよおしを排便するが少々。

きばりもあって痔の出血。

毎日のもよおしにビクビクする。



昼食後、大きな心電図機器を外されて携帯型に換わった。

この機器であれば身体は動きやすい。

午後の計測もする。

血圧は110で体温は36.7度だった。

血圧がやや落ち着いた。

この日は手術の日以来ずっと身体に装着していた尿管が取り除かれた。

抜くときはとても痛いのである。

昔は抜くときに尿管を折って尿止めして抜いていたが、今ではそうすることもない。

数年前からそうするようになったそうだ。

排尿を感じた最初の一滴。

これもまた排出するときが痛いのである。

慣れるまで数回の排尿が要るだろう。

尿管の次はオムツだ。

これもまた手術日よりずっと履いていたオムツ。

今日まで、大便を排出することなく役目を終えた。

この日はもう一つの大きな心電図計測器も外された。

ドプトレックス点滴も停止されたが、再発し必要性があると判断されたときの復活はありえる。

午後2時15分、O外科医師の回診があった。

右肺に僅かの「水」が残っている。

場合によっては「センチ」を差し込んで無理やり水を抜く場合もあるという。

そうならないよう咳・痰はガンバッテいる。

テイッシュペーパーの量は減りもしないから多分に抜けているはず。

とにかくガンバルしかない。

医師は状況を確認しつつ首動脈点滴の管を外された。

ICU室で不整脈が発症して以来装着していた携行型の心臓ペースメーカーも外された。

不整脈は薬剤によって安定してきた証拠である。

抜糸もされる。

ドレーン管を外した腹辺り。

縫合していた糸を抜かれる。

針穴は4カ所。

引き抜くのはあっという間だったが、痛かった。

午後3時半、この日も心臓リハビリ運動。

歩行器を利用して廊下を2周した。

始める前の血圧は118で脈拍は120だった。

歩行後の計測は血圧128、脈拍120だ。

しばらくすれば血圧も116に落ち着いたがまだまだの第一歩。

両足のふくらはぎがダルいのである。

それでも、なんだか身軽になったように感じて晩食は美味しさ満点。



完食した。

夜9時、就寝前の検診。

血圧は110で体温は36.3度。

特に問題もなく「みん剤」をもらって服用する。

(H27. 8. 6 SB932SH撮影)

入院26日目

2015年08月06日 09時56分01秒 | むびょうそくさい
前夜の10時に飲んだ「みん剤」は、ほどよく効いてぐっすり眠ることができた。

いつしか目を瞑っても幻影は出現しなくなった。

一つの山を越したようだ。

朝7時の体温は36.3度、血圧は106だ。

痰はまだまだ残っていることが判る。

咳をして痰を吐きだす際に使用するテイッシュペーパー。

使用量が多くて1.5箱も使った。

朝8時の体重は68.9k。

血圧は119だ。

やや高めであるが、昼間の酸素吸入量は「3」から「1」に下げられた。

8時20分、心臓外科の医師団が回診される。

執刀された医師がいうには肺にまだまだ水が溜まっている。

「とにかく出しましょう」である。

9時半、この日もベッド上でレントゲン撮影。

まだまだである。

11時20分、介護福祉士さんが身体を拭きとってくれた。

すっきりしたところで昼食をいただく。

午後1時20分、簡易トイレで大便するもののガスばかりが噴出する。

痔の出血もある。

難儀なことだ。

午後2時過ぎ、残る点滴のいくつかが外された。

午後2時半、足踏みリハビリの実施が始まった。

歩行器を補助代わりに廊下を歩行する。

戻って測った脈拍は84。

まあまあだ。

2回目は右足、左足それぞれの片足踏み。

合計で30回も繰り返す。

3回目も同じく、である。

しんどさもなく、めまいもない。

初回にしては上出来だ。

咳の痰の色は薄い透明色に近い。

肺に溜まっていた水らしい色である。



晩食を済ませて2時間後の夜8時。

点滴は外れるし、自動血圧装置も外れた。

少しはすっきりした。

夜の9時、この日2回目の大便もガスばかり。

きばりたくはないが出血もある。

それから10分後、午後7時より発症した不整脈が正常に戻らないことから血液凝固防止にヘパフラッシュを投入された。

併せて感知装置付きの点滴が実施される。

水分制限はなくなったものの、不整脈に悩まされる。

(H27. 8. 5 SB932SH撮影)

入院25日目

2015年08月05日 10時36分02秒 | むびょうそくさい
点滴の管は2本だけになった。

薬剤を排出していたドレーンも外された。

今朝は介護福祉士さんが伸びた髭を剃ってくれた。

全部ではなくて、ごくごく一部だ。

この日もベッド上で胸部レントゲン撮影。

この日は寝たままではなく、上半身を支えるベッドを斜め上方にあげてのことだ。

そして、今日も身体拭き。

履いているオムツを広げて下半身丸出し姿。

拭いてくださる看護師さんに感謝を込めて手を合わせたいと思う。

時間帯は覚えていないが、この日は4人部屋の大部屋に移ることになった。

ストレッチャーで運ばれたのか、車いすだったのかも覚えていない。

戻った大部屋といっても手術前にいた病室とは異なる。

が、だ。同じように窓際ではなかった。

重苦しい室内だと思ったのか、急にしんどくなった。

自動的に計測する脈拍心拍計測器。

一時間おきに出力されるらしい機器は150台、或は160台にもなっていた。

とてつもない脈拍数だ。

体温はそれほどでもないから発熱のせいではない。

明らかに不整脈が発生しているのだ。

何時か覚えていないが、O外科医師の回診があった。

痰はたっぷり自力で吐き出してほしいと云われる。

1日ですべてが吐きだせるものではなく、3日間ぐらいかかるという。

今が大事なときである。

声も出るようになったころでいいからと伝えておいた家人。

この日はかーさんとおふくろがやってきた。

私の見守り隊である。

本来ならこの日よりリハビリが始まる予定であったが、身体がいうことをきかないので断った。

動きはまだまだの状態。

病室内でもおおす大便の処理は簡易トイレ。

排泄はといえば、久しぶりのぶりぶりビチビチ。

最初はガスだけだったが、後半は排泄物もみられる。

すっきりした時間は午後3時。

体温も36.5度で晩食を美味しくいただいた。

幻影が怖くて、大部屋に戻っても「みん剤」は服用する。

(H27. 8. 4 SB932SH撮影)

入院24日目

2015年08月04日 14時15分29秒 | むびょうそくさい
この日も朝から看護師さん数人がかりで下半身の身体拭き。

手術後はオムツをしている。

オムツを広げてそこにある下半身。

綺麗に拭きとってくださる。

ありがたいことである。

オムツはいつでも大便ができるようにしているのだが、まだもよおさない。

酸素吸入量は「4」。

手術前よりも多めの量である。

麻酔剤、薬剤を投入していた点滴の一部が外された。

一挙にすべてを外すのではなく、残りは明日にするらしい。

この日はICU室の移動があった。

ナース室に近い方に移った。

ベッドごと移動したのか、ストレッチャーに乗せ換えて移動したのか覚えていない。

この日より心臓リハビリが始まった。

肩こりのもみもみが嬉しい。

今日はこれだけにしておこう。

昨日より出現し出した幻影はこの日も続く。

しかも同じ映像だから困ったものだ。

綺麗な風景であれば気持ちよく眠れるがそうはいかない。

この日は造影チューブも抜かれた。

睡眠薬を飲んで寝る。

これがなければ幻影に悩まされるが、薬の効き目はたしかでぐっすり眠ることができる。

ただ、寝ているときには肺辺りがゴロゴロ唸る。

痰がでかかるので、大きな口を開けて、がぁーっと声を出した。

痰はにごりの白色。

テイッシュペーパーに吐きだして包む。

丸めてゴミ袋に捨てる。

この晩は何事もないように思えたがそうではなかった。

どこからともなく音楽が聞こえてくるのだ。

耳を澄ませば・・演歌だ。

女性歌手が歌う演歌に違いない。

聞こえ出したのは夜10時前だった。

何故に時間が判るのか。

ここはナース室の真ん前。

掛けてある時計で時間が判る。

さて、どこが発生源なのだろうか。

看護師さんの動きから推定してみた。

結果に間違いはないだろうと思って看護師さんに尋ねた。

間違いはなかったのだ。

手術をした患者が持ち込んだカセットテープから流れる演歌であったのだ。

夜11時を過ぎても音楽が鳴っている。

ICU室には消灯時間はない。

夜はカーテンを閉めるだけだ。

音は当然ながら隣室まで聞こえる。

看護師さんにお願いだから消してほしいと伝えた。

それからすぐに音は消えた。

トイレの喫煙者も驚いたが、ICU室での演歌にはまいった。

自己中心的な人が公共(と、私は思っている)の病院建物内で欲望を満たす。

マナー以前の人が現実にいたことに驚愕を覚える。

(H27. 8. 3 記)

入院23日目の幻影

2015年08月03日 13時57分40秒 | むびょうそくさい
ぐっすりと朝まで眠っていたらしい。

起床は朝7時。

この日の胸部レントゲンもベッド上で行われる。

フルヘイスマスクの酸素吸入器が外されて鼻チューブになった。

口を被せていたマスクは吐き出す息で熱くなる。

これが苦しいのだ。

鼻チューブであれば自然体。

こもることはない。

何時だったか覚えていないが、この日も痰出し。

息を吸い込んで長く吐く。

効果はてきめん、そうすればぜいぜいしながらチューブを通って痰が湧き上がってくる。

この日も体力の関係で3回の痰取り。

これ以上は繰り返せない。

この日は昼まで食事はない。

溶剤の点滴が外された。

午後には傷口を縫った糸を抜かれた。

ぴっと引っ張る痛さは一瞬だが、4か所あるうちの一つは特に痛かった。

午後6時、看護師さんと女医さんが居たときのことだ。

びっくりした顔に私も驚く。

目を大きく開いた女医さんの動揺は不整脈だ。

普段は60~70のところが、20~30に急降下した脈拍。

心臓が停止するのでは、と思ったらしい。

携行型の心臓ペースメーカーを整えられた。

低くなったとき、自動的に不整脈を正す設定をされた。

その後も低めの不整脈が発症した。

1度目はめまいも感じた。

その晩は睡眠剤が投与された。

眠れない時間が経過する。

1時間、2時間・・・。

「3時間後にはすやすやと寝てはりました」と目が覚めたときに看護師さんが伝えてくれた。

睡眠剤を飲んだのはもう一つの理由がある。

幻影を見るのだ。

肉眼では室内のパネル壁はただの無機質な壁。

壁は白いが、じっと見つめていたら、何もない処に映像が出現した。

その映像はどことなく武者絵のようにも見える。

虫というか、昆虫のような・・違うような。

何かがそれぞれが区切りされたパネルに出現するのだ。

それは目を瞑れば消える。

ところが瞑った瞬間に異様な人物、

怪物といってもいいぐらいのおかしな映像が動き、変化する。

大きな顔はさらにズームアップして変化する。

頭にはターバン。

太っちょの肉体も動きながらズームアップ。

異様な色は赤土系。

砂漠を思い起こすような色だ。

どこか異国を彷彿させる映像が気持ち悪いほどに蠢く。

これは決して夢ではない。

現実なのだ。

なぜに現実かと云えば目を瞑った瞬間に映像が動くのだ。

目を開ければICU室。

パネル壁は武者絵が見える。

これは幻影であろうと思ったが、悩ませる映像に付き合いたくもない。

そんな状態だったが、術後始めての晩食は食べたらしい。

(H27. 8. 2 記)

入院22日目

2015年08月02日 13時46分02秒 | むびょうそくさい
この日から3日間の記録は事後に思い出しながら記述したものだ。

ケータイの持込は当然ながら、ない。

映像はなくとも記憶を頼りに記録しておく。

目が覚めたのは朝5時。

場はICU室だった。

手術は無事に済んだというが、まだ意識はもうろう状態。

そんな状態だが、早速、手術の汚れを落とす身体拭きがあった。

看護師さんなのか、介護福祉士さんなのか判らないが、数人がかりで拭いてくれる。

朝7時、面会に来たかーさんとおふくろはICU室に案内されて入室した。

ほっとした顔は判るが、声が出ない。

口にはフルヘイスマスクの酸素吸入器がある。

口は開けても声はまったく出ない。

頷くのが精いっぱいだ。

そんな姿を見たおふくろは寂しい顔をしていた。

対面はそれだけだ。

会話もできないから早くICU室から出ていってほしいと思った。

辛い姿を見てもらっても悲しくなるだけだ。

声が出ないから担当の看護師さんとも会話はできない。

看護師の質問に答えるには文字を書くしかない。

空中に書こうとしたが文字は判らない。

手のひらを広げてくれた看護師さん。

そこに指をなぞって一文字ずつのひらがなで伝えた。

場合によってはカタカナも書いた。

看護師さんは入れ替わりたち替わり。

その都度、手のひらに文字をなぞって会話した。

笑顔で答えた看護師さんの顔は忘れない。

9時、レントゲン撮影があった。

ベッドで寝たままの状態で撮影する。

その際、背中に何らかの板を挿入したようだ。

昼も午後も時間がまったく判らない。

昼と思っても朝のうちだったりする。

時間間隔がまったくない。

意識は完全に戻っていない状態だと思った。

夜、溜まっていた痰の排出をする。

ぜいぜいと息を吐き続けると咳が起って痰がでる。

それを呼吸器管にチューブを入れて吸い込む。

ぜいぜいしながら何度も吐きだす。

これが辛いのだ。

繰り返すこと3回。

「たくさん出ましたよ」と看護師さんが伝える。

ストロー付きのカップに冷たい水を入れてもらった。

寝ている状態でも飲める。

(H27. 8. 1 記)