マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

なら民博ふるさとフェスタの伝統芸能②

2015年08月21日 08時28分38秒 | メモしとこっ!
11月15日、16日は関西文化の日。

各地でイベントが行われた。

奈良県大和民俗公園(奈良県大和郡山市矢田町)では「なら民博ふるさとフェスタ」が開催された。

両日とも大勢の人たちが訪れたが、やはり日曜日は多い。

15日は室生の獅子神楽、奈良市西九条町の千本杵餅搗き、御杖村桃俣の獅子神楽を拝見した。

16日は奈良市田原の里の千本杵餅搗き。

穏やかな天気に千本杵を搗いた家族連れで盛り上がった。

リョウブの木で餅を搗く。



搗くといっても一般的な杵ではなく千本杵だ。

リョウブの木はサルスベリだというご主人。

幾度となく民俗行事や家の風習・記録などで伺っている茗荷町の住民。

奥さんも存じている。

娘さんはKさん。

作出された陶芸展でお会いしたことがある。

Kさんは同じく作陶されている知人のTさんの友人である。

繋がりが広がった陶芸展だった。

そのときのことを覚えておられた娘さんが声をかけてくださった。

ありがたいことである。



千本杵餅搗きから時期的に話題はイノコモチになった。

12月1日に茗荷町の自宅でイノコノクルミモチをするという。

お言葉に甘えて、というよりも当方からお願いしたようなものだ。

平成19年に取材させてもらったイノコノクルミモチの味が忘れてはいない。

口が今でも覚えているクルミモチ。

久しぶりに食べたくなってお願いした。

(H26.11.16 EOS40D撮影)

なら民博ふるさとフェスタで食べたグリル寧楽の大和牛牛丼

2015年08月20日 09時15分30秒 | あれこれテイクアウト
この日は町内会のクリーンキャンペーン。

家周りを清掃して丘に生い茂っている雑草を刈り取る。

袋に詰めて運搬車を待つがそれまで数時間。

しばらくして始まったキャンペーン後の憩い。

何十年も続いている町内会の在り方であるが参加はできない。

この日も県立大和民俗公園ではふるさとフェスタの催しがある。

昼ごろに始まる田原の里の千本搗きである。

と、なれば、昼食はどうするかである。

民家集落を動態保存している広場には数々の物販飲食ブースがある。

前日訪れた時間帯は売り切れだった大和牛の牛丼。

値段は500円だった。

これが気になっていた。

500円で大和牛が味わえる。

そう思って早めに着いた。

販売していたのはグリル寧楽。

鍋で炊いた100%国産の大和牛を使った牛丼と書いてある。

お味噌汁が付いて500円。

これは食べなきゃと思って列に並ぶ。

パックに盛った牛丼は美味しそうだ。

たまたま空いた席に座って蓋を開ける。



えー香り。

始めに口にしたのは味噌汁だ。

薄味の味噌汁は熱い。

日差しも暑い。

猫舌だけに冷めてからにしよう。

がっつりいただく牛丼は・・・。

美味いようにも感じるがコクがない。

吉野屋の牛丼ならつゆだくを注文する。

脂がたっぷりこてこての味が懐かしい。

それと比較するのは申しわけないが、まぁまぁ味のグリル寧楽の牛丼。

がっついていたら隣に座った人も牛丼。

あれってと思って顔を見れば白髭の熊さんだ。

県立民俗博物館でともに参加している「私がとらえた大和の民俗」で「ふるまい」をテーマに3枚の写真を展示しているご仁である。

「この味は家庭料理だ」と云った。

私もそう思った味だった。

(H26.11.16 SB932SH撮影)

なら民博ふるさとフェスタの伝統芸能①

2015年08月19日 09時15分31秒 | メモしとこっ!
奈良県大和民俗公園(奈良県大和郡山市矢田町)に伝統民俗芸能の獅子舞が二組もやってくる。

室生龍穴神社で奉納されている室生の獅子神楽と御杖村桃俣(もものまた)の獅子神楽だ。

開催は平成26年11月15日(土)の午後1時半。

その間に奈良市西九条町の千本杵餅搗きもある。

翌日の16日(日)には奈良市田原の里の千本杵餅搗きもある。

時間は午後1時半。

どちらも餅搗き唄を歌いながら餅を搗く「なら民博ふるさとフェスタ」。

イベントは両日とも盛りだくさんだ。

なお、この日は関西文化の日だ。

両日とも県立民俗博物館の入館料は無料になる。

玄関ホールで開催されている「私がとらえた大和の民俗」写真展の今年のテーマは「食」。

10人のカメラマンがそれぞれの切り口でとらえた作品を展示している。

主たる目的は御杖村桃俣の獅子神楽にあるが、先に始まったのは奈良市西九条町の千本杵餅搗きだ。

平成15年10月11日に訪れた西九条町の千本杵餅搗き。

千本杵で餅を搗く際に歌われる唄がある。

何曲かがあるが、当時拝見した資料の「餅つき唄」詞章は「コヅキ」とも呼んでいた。

歌詞は「アェ・・・・トロリトロリトエナ(囃子) ヨンヨエ ねむたい時はよ(囃子) ア・ヨイセーコラセ 馬になやノ五十駄のそうやで(囃子) コラショ あの金もいらぬよ(囃子) ホンマカーヤットコセ・コラヨイヤナ アレワイセ・コレワイセ コラヤヨイトセー アェ・・・・目出た芽出たのいや(囃子) 若松さまは(囃子) 枝もなあー繁ればそやで(囃子) あの葉も繁るやぞ(囃子)」だった。

会場は白いテント幕を張っていた。

法被姿の男たちが千本杵をもって登場する。

石臼に蒸したモチゴメを投入する。

石臼を囲むように千本杵で搗く。



歌い手が歌う曲に合わせて餅をコヅく唄は長調子。

「アーーェーーーエーー トローーリーー トーローリートナーーエ (囃子よーいよい) ねーむたーいとーーーきはー (囃子あーよーいせ こーらせ)  うまーーになーーーや 五十――駄のそうーーーやで (囃子こらしょ) あのかねーもーーいらぬ (囃子ホンマカーヨードーットコセー ホラ ヨイヤナ アレワイセ コレワイセ コラヨ――インイトセーー」 アーーエェーー 目出たのー 芽――出たの いや(囃子よいよい) わかーーまーーつさーーまはー(囃子ヨーイセー コーラセ」 枝もなあーーーしげーーれーーばーーーそーーやーで (囃子こらしょ) あのーー葉もしーげるぞや ほんまやか どこおーーいせーー ほらよーいやなー あれわいせ これわいせ そらよーいーんとせ」の「コヅキ」だった。

続けて「餅つき唄」も。

テンポは速くなる。



およそ8分間も搗いた餅は「せーの」よ声を合わせて千本杵で持ち上げる。

本来ならここでコジュウタに運ばれるがここでは見られなかった。

場の設営替えでしばらくは休憩。

次に登場したのが桃俣の獅子神楽だ。

御杖村には菅野にも獅子神楽がある。

平成12年11月、平成13年11月に訪れたことがある。

その後の平成17年11月にも訪れた。

獅子神楽が行われる場は四社神社だ。

菅野ではマツリだけではなく集落の一戸、一戸を巡る村廻しの獅子神楽もある。

これは平成18年11月22日だった。

マツリは11月23日。

前日に行われる荒神祓いの村廻しである。

御杖村には菅野の他、桃俣でも行われていたが未だに出かけることができずにいた。

桃俣の獅子神楽が奈良県立大和民俗公園で披露されると知ってでかけたのだ。

桃俣の獅子神楽は大字に鎮座する春日神社で行われていると聞く。

桃俣の獅子神楽は大字菅野と同様に戦後に曽爾村の長野住民から教わったものである。

伝承されている獅子神楽は鈴神楽系の「宮参り」、「荒神祓い」、「荒神祓い崩し」、「参神楽」、「長神楽」がある。

刀を振って邪気を祓う剣の舞がある。

他に荒廻し系の「新短」、「荒廻し剣」や魁曲系の「背継ぎ」がある。

この日に保存会が披露する演目は「宮参り」、「剣の舞」に「長神楽」、「背継ぎ」だった。

何年か前に立ち上げた保存会の人たち。

若い人たちが入らずに至り年齢は毎年繰り上がる一方だった。

このままいけば数年後には継承することができなくなる。

存続が危ぶまれていた保存会であった。

継承するために村人以外の人たちに協力要請をすることにした。

大阪や兵庫から支援に駆け付けた人たちが手伝うことになった。

習いにきたプロ集団もある。

「大升獅子神楽団」や「豊来家玉之助」も保存会一員となって演じる。



ピーヒャララ、ピーヒャララの笛の音色に太鼓打ちに合わせて登場した獅子神楽は幣を振りながら歩く。

「宮参り」は会場をぐるりと一周する。

チャンチャチャチャンと擦り鉦を打つ演者が後方につく。

次はピーーヒャーララ、ピーーヒャーララの笛の音。



笛の調子はやや長めになる「剣の舞」。

ダイナミックな舞である。

「長神楽」、「背継ぎ」を終えたら参拝者ならぬ観客に獅子頭を運ぶ。



頭を銜えてもらって厄祓い。

ありがたく受ける人たちも喜んでいた。

(H26.11.15 EOS40D撮影)

椎木町の若宮おん祭薦上げのコモ編み

2015年08月18日 10時42分24秒 | 大和郡山市へ
この日の朝、携帯電話が鳴った。

大和郡山市在住のMさんからだ。

「今から若宮おん祭の仮御殿(行宮)に奉納・薦上げするコモ編みを始める。もし良ければ来れないか」と云う電話である。

薦上げをされる地域は旧村の椎木町。

西椎木と東椎木の二村に分かれており、毎年交替する。

この年のアタリの村は西椎木の北垣内。

前回の平成24年は南垣内だった。

つまり西椎木と東椎木であるが西椎木は北垣内と南垣内が毎回のアタリの年ともなれば交替しているのである。

電話があったMさんは北垣内。

平成22年もアタリの年を勤めた垣内なのである。

その年はコモ刈り、コモの天日干しならびに薦上げ神事も取材させてもらった。

若干の顔ぶれも替ったが、今回も撮りにきてほしいと云うのである。

ありがたいお誘いの電話は断わる理由もない。

大慌てで支度して西椎木に向かった。

前回の作業場は旧公民館だった。

今回は場も広い新公民館。

前回の平成24年よりこの場になったそうだ。

すでに作業は始まっていた公民館。

それぞれが作業する場にはタワラアミの台とツチを設けていた。

中央に広げているのは7月半ばに宮田で刈り取ったマコモである。

奇麗なマコモを選別する作業や天日干しを経て旧公民館で保存していた。

それから4ヶ月、マコモの葉の色は変わりなく美しい。

タワラアミの台はウマの足のような形をした木材。

自然木をそのまま二つに割った二股足である。

百姓をしていた時代、このタワラアミの台でコメダワラ(米俵)を編んでいたと云う。

台にかました木材。

水平に据えて安定させる。

木材の長さは1m20cmぐらい。

そこには等間隔に4本の筋目を入れている。

そこが編目の基準となる印である。

筋目は深く凹んでいる。

長年に亘って編んできたのであろう。

使用量が多かったために深い刻みを残したようだ。

編む道具に木製のツチノコがある。

村人は「ツチ」と呼んでいた。

いわゆる錘具のひとつに挙げられる道具であり、中央にくぼみがある。

充てる漢字は槌子だ。

燻し色になっているツチノコも含めて編む道具はそれぞれの家で使っていた年代物。

「古いものは明治のころどころかもっと前や。そりゃ年季が入った道具や」と話していた4年前のことを思い出した。

藁縄をぐるぐる巻きにしているツチノコ。

この年、始めて近代的な道具を使った。

一般的に売られている洗濯バサミである。

以前はツチノコそのものにぐるぐる巻いていた。

藁縄が外れないように端を輪っかにした部分に通していた。

引っかかることもあって途中でたぐらなければならない。

洗濯バサミであれば取り扱いやすいと考えられて購入したと云う洗濯バサミは「ハサンバリ」と呼んでいた。

献上する薦は3種類。

横幅はいずれも同じであるが長さが異なる3種類。

45cmは10枚、90cmが24枚。

いちばん長い180cmは2枚である。

それらを分担して薦編みをする。

4年前は5人が分担していたが、この年は服忌があって欠席。

やむを得ず4人の作業となった。

負担が増えた作業である。



4年前は男性ばかりで作業をしていたが、この年は奥さんも支援する二人がかりの作業になった。

当時されていた二人の男性は亡くなられた。

そのうちの一人は酸素ボンベで呼吸しながら作業をされていた。

亡くなった旦那さんの代わりを勤めていたのは老婦人。



編み台は今年参加できない家から借りてきた。

「神さんごとやから、私が継がなければ」と云って熱心に作業をされる。

病に伏した男性は作業をすることもできない身体になったと聞く。

今夜遅くまでかかるという作業は黙々と進められる。

数本の薦を掴んで束ごと水平台に添える。

まずは右側である。

茎側の薦を右端の基準点に置く。

そして手前にあるツチノコを前方右にもっていく。

次に向こう側にあるツチノコを手前にもってきて左側に置く。

置くというよりも振るという感じで、編み目はクロスしていく。

作業を文章にすると長くなるが、実際は素早い動作である。

それもツチノコを持つという感じではなく、藁縄を引っ張り上げて、振り上げるというような感じだ。

次の編み目は一つ飛ばした箇所である。

今度は左の基準点に茎側に置く。

さきほどと左右の置き方が逆になる。

そして手前の箇所を編む。

それから同じように一つ飛ばして編む。

これを繰り返していく。

藁縄が縦糸で薦は横糸になるのだ。

こうして一枚の薦筵ができあがる。

左右、薦茎の端から端まで測ってみれば1m。

水平台の長さよりも左右10cmずつ短い。

その部分は薦が跳ねる「遊び」になるのだろう。

一枚ができあがれば次の薦編みにとりかかる。

始めにするのは藁縄の長さを測ることだ。

45cmの筵を仕上げるには縄の長さは150cmを要する。

これまでの経験値を実測値に計算された。

平成22年に拝見したときは編むにつれてメジャーで長さを測っていた。

いちいち測らなくとも縄がなくなればできあがりとなるのだ。

90cmを編むには長さが270cm。

180cmであれば540cm。

若干余裕をみて10cmほど足した藁縄をツチノコにぐるぐる巻く。

止めは「ハサンバリ」だ。

それぞれを四本筋目に掛ける。

こうして数束の薦を掴んで水平に置く。

薦束を纏めて茎側をとんとん床に当てる。



揃えていた婦人はご主人に手渡す。

受け取ったご主人が編んでいく。

作業はこうして再び黙々と進められた。



何枚か作られて一服する。

家で作ったホシガキやお菓子をよばれてお茶にする。

ホシガキを作るには沸騰したお湯が要る。

カキをお湯に丸ごと浸ける。

そうすれば腐らないと話す。

10月ころに作ったホシガキは腐りやすい。

早いうちに作る日はまだ気温が高め。

どうしてもカビが生えてくるという。

ひと休みをされて続行する薦編み。

家に戻って食事をする時間がもったいないと云って近くのスーパーで弁当を買って来られた。

この年は公民館で食事をすることにした。

おそらくは晩の9時も過ぎることだろうと云う。

「春日さんにもうやめたら」と云いたいがそうすることもできない椎木の献上物。

椎木の薦筵献上に関する最古の記録は、室町時代初期、応永十四年(1407)の『春日社下遷宮記』にあるそうだ。

その年、春日社から各社領へ下遷宮用途の上納を命じた。

椎木には「米三斗、松明三十把、薦十束」であった。

尤もこれは春日大社の式年造替に際する献上である。

椎木の地名が歴史上に現れるのは平安時代中ごろの延久二年(1070)の『興福寺雑役免帳』だ。

当時の地名は「強木(しいぎ)であった。

直接、春日社と椎木の関係を示す最初の記録は平安時代末期の大治二年(1129)である。

春日社の社家の日記に「椎木預」の文字がある。

そのころは、春日若宮おん祭が始まる保延二年(1136)の7年前のことである。

そのころかどうか判っていないが、春日若宮おん祭の始まりとともに、春日神領である椎木が編んだ薦を献上するようになったのだろう。

公民館には「菰上げ」と記された一枚の用紙が額縁に入れて保管されている。

「菰上げ」のサイズと枚数だ。

6尺(180cm)が2枚。

3尺(90cm)は24枚。

1.5尺(45cm)は10枚である。

夜遅くまでかけて編んだ菰筵は12月15日に参拝されて春日若宮さんの仮御殿(行宮)に奉納・献上される。

これを「薦上げ」と呼んでいるのだ。

薦筵は献上されたのちに春日大社の蔵に一旦保管される


一年間保管されて翌年の仮御殿(行宮)に敷きつめられるのだが、いつ敷かれるのか拝見していない。

考えられるに16日の宵宮祭のころではないだろうか。

翌17日の午前時には遷幸の儀が執り行われる。

それまでに敷きつめるには16日しかないと思うのである。

献上された薦筵は長さに応じて敷かれる場所が異なる。

柱用は10枚の45cm。

床や御殿周りの覆い用は24枚の90cm。

階段用に2枚の180cmを敷くと聞いている。

(H26.11.15 EOS40D撮影)

野遊び⑦下見in矢田丘陵+矢田山遊びの森

2015年08月17日 11時06分09秒 | 自然観察会
久しぶりに野遊びに参加できそうだ。

7月から10月までは行事取材と重なることが多く不参加が続いている。

この日は22日に行われる自然観察会の下見。

たまたま何もないゆっくりする休日日。

下見会に寄せてもらった。

コースは大和民俗公園から滝寺廃寺・矢田山遊びの森・東明寺を目指す秋の観察会。

本番に際して何を観察してもらうか探してみる。

動態保存された民家を拝見する。



茅葺民家もあれば吉野集落民家もある。

民家を拝見した向こうに巨木のメタセコイアの葉が揺らいでいた。



特徴あるギザギザ葉が光り輝いていた。

公園にあった実はトベラ。



赤い実が弾けていた。



ナツメの実も赤く熟していた。

野の鳥が鳴いていた。

ちょっとこい、ちょっとこいと呼んでいるコジュケイやキチキチと叫ぶモズ。

遠くではホオジロも鳴いていた。

双眼鏡を持ち合せていないこの日。

肉眼であったがカシラダカが枝に留っていた。

矢田丘陵はとても寒かったが、ダウンジャケットを着こんできたので身体はほっかほか。

野山の自然観察会だったが思わず「干した」景観を撮ってしまう。



大和民俗公園から望んだ矢田丘陵のイネカケやススキがある。

遠目なので判り難いが稲穂の天日干しでなく藁干しだと思う。

ついつい民家に干してあった吊るし柿もシャッターを押してしまう。



吊るし柿をされていた家は3軒もあった。

それぞれの家の吊り方。

数も違うし並べ方も、である。

先に拝見した家では直列下ろし。

帰路に拝見した家では水平だった。

大和民俗公園を抜けて矢田丘陵を探索する。

この日は冷たい風が吹いていた。

大きな樹木の枯れた葉がすっとんでいく。

野の花は、どれもこれも強い風に煽られて揺れが激しくブレブレになったアキノキリンソウやツリガネニンジン。

そこらじゅうにあったのはツリガネニンジン。

どれもこれも強い風に煽られて揺れが激しい。

昨夜はどしゃぶりの雨だった。

屋根を叩き付ける音は激しかった。

朝ともなれば晴れていたが、冷たい風が吹く。

セーターを着たくなるような寒さだ。

気温は前日より4度も下がって14度であるが、体感温度はそれ以下だ。

風を防ぐにはジャンパーどころではない。

そう思って防寒ダウンジャケットを着こんでいた強風の日。



ススキは風に対抗するかのようにすくっと立つ。

大きな樹木の枯れた葉がすっとんでいく。



背丈が小さいタムラソウは風にも負けずに咲いていた。

近くにあるかと探してみたセンブリ。



草刈りはまだだったのでほっとする。

なんせ寒い日。

大陸からやってきた寒気団の関係で12月下旬並みの気温になった。

いつもの場所に「きけん イノシシ注意」の立て看板がある。



鉄製のオリであるが不在であった。

近くの田畑はイノシシアラシ。



どこもかしこも荒らした足跡が見られる。



リンドウも咲いていた田園にはフユノハナワラビもあった。



メジロも鳴いていた。

そういえば数日前に庭に飛んできたメジロが囀っていた。

ここからは暗がりに入る。

いつも見つかるツチグリが見当たらない山道。

今年はどうなっているのだろうか。

暗がりに入る。

花後のコクランは葉の形で判る。

10株ぐらいが見つかったが、減少傾向にあるようだ。

そこには朽ちた木に大き目のキノコがあった。



白い塊のようであるが何のキノコか判らない。

シメジの塊だろうか。

谷川を遡る。

とはいっても川でなく緩やかな山道だ。

倒木で道が塞がれていた。

根っこがむき出しだ。

その辺りに密生していた白いキノコ。



まぎれもない自然のシメジだ。

腐敗している状態のシメジもある。



倒木の木はおそらくシラカシであろう。

さらに登る道無き道。

急な坂道を登っていくうちに汗がでる。

途中に落ちていたアケビ。

ここら辺りは落下したアケビが多い。



写真を撮ったがまるでサツマイモのようだ。

ようやく着いた地は滝寺廃寺。

磨崖仏は県指定の史跡である。

もう少し登って車道に出る。

道路沿いにある植物も観察する。



赤い実をつけたヒヨドリジョウゴ。

名前にヒヨドリが付いているが、ヒヨドリも食べない有毒性をもつ実。

生薬として利用されている。



黄色くなったヤマノイモがたくさんあったがムカゴは少ない。

今年は不作のようだとグッチ先生が云う。

矢田丘陵では珍しくなったツルリンドウ。



赤い実が残っていた。

その付近にはヤシャブシの実が落ちていた。

高木のヤシャブシは強風に煽られて枝ごと実を落としていた。

これより矢田山遊びの森に入る。

今では矢田山遊びの森の名称であるが、かつては子供の森と呼ばれていた。

今でも通じるのでそう呼んでいる。



入り口辺りにあったムラサキシキブ。

実の色は紫色。

判りやすい色だ。



傍にはウメモドキの赤い実もある。

葉の裏毛がほんわかしている。



もう少し歩けばシュンランの株があった。

ハイカーも通る道だけに花が咲いていたら抜き取られてしまうかもしれない。

イノシシアラシはここにもある。

登ったり下ったり、駆け巡ったイノシシ道だが活動は夜間。

昼間はどこに居るのだろうか。

もう少し歩けばすべての葉が枯れていた高木があった。

ナラタケ菌にやられた木はいずれ倒木するであろう。

歩く人に突然やってくる危険状態。

状況は子ども交流館の職員も掴んでいたが、対応は早いうちが良かろう。

本番の観察会ではここで食事を考えている。

職員さんに利用させていただくことを伝えて再び出発する下見。

いつもならたくさんの実をつけているスダジイに実がない。

まったくないのである。

花が咲いた様子もない。

不作の年は翌年も続くのだ。

原っぱにあったゲンノショウコ。

花後の形が面白い。



パチンと弾けて飛んだ実の跡。

これをミコシと呼ぶそうだ。

なぜにミコシなのか。

神輿の屋根にある飾りと似ているからだ。

飾りは鳳輦(ほうれん)。

鳳凰の飾りをつけた神輿は天子の車を意味するそうだ。

山道を下る。

いつも見つかるツチグリが見当たらない。

今年はどうなっているのだろうか。

見つかるのはイノシシの足跡。

イノシシは偶蹄目。



前の蹄が2本で後ろは2本だ。

見ての通りこれは前蹄である。

登ったり下ったり、駆け巡ったイノシシ道だが活動は夜間。

昼間はどこに居るのだろうか。



今年はとにかく多い。

多いというよりもさらに被害が広がっているように思えたイノシシアラシ。

矢田山遊びの森手前の池下にも広がっている。

近くでソウシチョウの鳴き声が聞こえた。

外来の野鳥だが各地で繁殖していると云う。

さらに下れば独特の色のキノコがあった。



色は銅が錆びた色。

緑青(ろくしょう)である。



その色とよく似ていることから名付けられたロクショウタケは別称で正式にはハツタケである。

ここら辺りはたくさんあった。

強く吹いていた風はややおさまった。



常緑樹に光が当たった森の姿。

大木に寄り添うように絡みつく。

紅葉でもないがなぜか感動する色合いだ。



しばらくすれば燃えるような紅葉色に染まったお寺にでる。

真言宗派の鍋蔵山東明寺である。



23日は大般若経の転読法要をされる。

案内状をいただいたが今年は生憎の曽爾村行事取材で失礼する。

お声をかけさせてもらった住職は忙しい。

法要するにあたって参列される本堂の清掃。

社寺所もそうだし雑草の刈りこみ作業が待っている。

落葉もあるぐらいに今年の紅葉は例年より早い。

法要までもつだろうかと心配されていた。



光と影のぐあいで緑色も映える。

美しい佇まいに見惚れる。



転読法要の前日は観察会の本番日。

一時休憩させていただくことを伝えて下ったが、境内ではいたるところでイノシシ荒らし。

穴ぼこは尋常とも思える状態になっていた。



染まりつつあるビナンカズラがある。



僅かだがここにもリンドウが咲いていた。

もう少し下った地に花後のキチジョウソウがあった。

暗がりだったのでブレブレである。

要ストロボだと認識した。

稲刈りを終えた田んぼにマメを干してあった。



ハダに架けたマメはおそらくアゼマメ。

何年か前にアゼマメ状況を見たことがある地区だ。

さらに下った畑道。

青空の下で天日干しをしていたマメ干し景観。

「干す」テーマに記録しておく。

もう少し下った三の矢塚付近。

稲藁を干していた。

三本足に組んだ竹に藁を干す。



県内ではこれを「ススキ」と呼んでいる地域が多いが、それぞれ形が違う。

ここまで来れば出発地はもうすぐだ。



帰路に見つけた赤い実はトキリマメ。

一般的にはタンキリマメと呼ぶ人が多い。

さらに見つけたもう少し時期がくれば真っ赤になるヤブコウジ。



数は少ない。



実とは言い難い栽培しているハヤトウリもあった。

前月に桜井市の山間・民家でいただいたハヤトウリは漬物にした。

これは美味かった。

植え付けはこれを丸ごと植える。

はびこるぐらいに育つそうだ。



ツルノコの名があるカキ。

青空の下の実成りである。

この日の下見に拝見した吊るし柿。

されている家は3軒もあった。

それぞれの家に吊り方。

数も違うし並べ方も、である。

先に拝見した家では直列下ろし。



帰路に拝見した家では水平だった。

生活道路に黒い実が落ちていた。



見上げてみればムクロジだ。

左にあるのはセッケン(石鹸)の実。

英名ではソーブナッツ。

かつては洗濯に使っていた。

ちなみに中に入っていた黒い実は羽根突き羽子板の羽の丸い玉(ツクバネの実の場合もある)。



再び見上げてムクロジの木を再認識する。

そういや女の子がしていた正月の羽根突きはまったく見ない。

いつごろ消えたのだろうか。



最後に見かけた田園を染めるススキ群。

出発地点にあったがススキ原ではない。

草原のように見える穂の波はヨシ・アシ類。

アシは「葦」。

「悪しき」の呼び名は不敵という考えもあって「良し」になったそうな。

古くはエジプト文明。

こぎ出した船は葦を編んで作った「葦船」である。

決して「ヨシ船」とは云わない。

琵琶湖畔に生えている「葦」は「ヨシ」と呼んでいる。

それで作った船は「ヨシ舟」の名がある。



手前は大きなセイタカヨシ。

青々とした葉があるから判りやすい。

それより低いのがヨシ・アシである。

広がる傍にはオギもあった。



穂はほんわかこんもり。

それがススキに見えたのだ。

強い風に煽られてやや斜めになった穂の波を見届けて出発地点に戻った万歩計。

およそ8400歩であった。

(H26.11.13 EOS40D撮影)

入院36日目の退院

2015年08月16日 15時54分31秒 | むびょうそくさい
朝測定の体重は60.5kgで、体温は36.3度だ。

体重は入院期間中一番の最低値を示した。

入院9日目の7月19日。

この日の体重は68kgだった。

その日から手術日まで若干下がって65kgだった。

その日から4.5kgも減った体重に驚く。

7時半、朝食前のもよおし。

出血もなく、量も少ないがスッキリした。

この日最後の自主的歩行リハビリ。

廊下歩行3周連続に40回の足首の筋トレも済ませる。

10時、看護師より退院時の確認事項をチェックする。

初回の通院リハビリの日程・時間。

案内の午後1時半の15分前には到着しておくこと。

電車の場合はバス・タクシーを利用する。

歩きは負荷をかけないように注意する。

前日より体重差が1.5kgから2kgになった場合は緊急来院する。

差をみるための体重記録は毎日の定刻を定めておく。

記録するノートは病院から貰った「わたしの生活習慣手帳」だ。

初回の通院検査の日程・時間。

案内の10時までに受付を済ませて4階で採血・胸部レントゲン撮影。

検査結果は11時以降に医師が診察する。

入院中にもらっていた鎮痛剤や未使用の薬剤を回収されて自宅で服用する2週間分の薬剤が手渡される。

朝・晩食後服用のアーチストは2錠、朝・晩食後服用のアンカロンは1錠(※ このときは医師たちも想定しなかったアンカロン錠の副作用。この年の年末にどえらい羽目に陥ったことを付記しておく)、朝・昼・晩食後服用のマグミットは1錠、朝食後服用のネキシウムカプセルは1錠、晩食後のワーファリン錠は1mg錠剤が3錠・0.5mg錠が1錠だ。

10時40分、入院棟事務員が8月分の請求書を持ってきた。

ひと通り、確認してかーさんは支払いに降りた。

その他、未使用の酸素吸入器は返却し、シップ剤は持ち帰る。

前入院を含めて36日間に利用したテレビカードの枚数を数えてみた。

なんと15枚である。

1枚が千円だから合計金額は1万5千円にもなった。

同室した患者さん・家族に挨拶、ナースステーションに出向いて医師、看護師、介護福祉士の皆さん方にお礼を伝えて帰路につく。

お迎えの運転手は隣家のご主人。

ありがたいことである。

我が家の車がポンコツだからかどうか判らないが、道路事情もあって凸凹するドライビングに身体が上下する。

その度に痛みが発生する開腹の創口。

身体内部の肋骨・脊柱が唸っていた。

出発して30分後、自宅に入ってどっと力が抜けた。



入院直前は7月初旬。

クマゼミが鳴き出したころだった。

退院したときはツクツクボウシが鳴いていた。

その後の2週間後にはミンミンゼミ。

移りゆく季節はすっかり変わっていた。

なお、退院後の長期間にわたる通院診察や身体状況については、この先の数か月後に順次公開するが・・・・・。

(H27. 8.15 SB932SH撮影)

入院35日目

2015年08月15日 15時42分57秒 | むびょうそくさい
朝測定の体重は60.8kgで、体温は36.1度だ。

体重に変化がなかったことから下げ止まりかもしれない。

8時15分、心臓外科の医師団が回診される。

どうですか、調子は・・・の問いに交わす言葉は調子良いです、を返す。

食事は食べていますか、には普段はこれだけの量を朝から食べることはないです、と返したら笑っていた。

体重は徐々に戻って増えていくという外科医師に手術をしていただきありがとうございましたとお礼を述べた。

9時10分は心臓リハビリに向かう。

集合場所は談話室。

設備された血圧計で血圧を測る。

107-58の数値に安堵するが、脈拍は82だ。

少し高めにリハビリ運動を設定してみるか、である。

準備体操などをして自転車エルゴメータに乗る。

前半10分間のワークは10、回転数は56~58kmぐらい。

後半10分間は高めの設定で、ワークを20、回転数は56~58km。

一時的なしんどさが見られたものの、特に問題はない。

退院後は前入院先でもここと同じような機械運動ができるのであろうか。

できるなら自宅に近いそこにしたいが、設備はなかった。

同じような設備があるのは入院したこの病院と王寺の病院だけだそうだ。

現在、自宅付近に建築中の県立病院もあるらしいが、完成してからだ。

完成はまだ数年先。

そのころは必要としない身体になっているだろう、と思いたい。

ともかく、通院リハビリは最低でも週一回が望ましいといわれるが・・・。

外科通院診療はだいたいが、水と金曜日。

リハビリと同じ日であればありがたいが、そうはうまくいかない。

気になった食事療法。

カラシやワサビが可能かどうか、知りたくなって看護師さんに尋ねる。

結果は塩分でないから大丈夫ということだ。

11時の定期計測。

体温は35.9度で血圧は95だった。

足の浮腫みはすっかり消えた。

昼食前の自主的歩行リハビリ。

廊下歩行3周連続に40回の足首の筋トレを済ませる。



午後2時45分、気になっていた退院後のこと。

看護師のNさんに聞いたお風呂入浴と1回目の通院日。

風呂は肩辺りまで浸かって良し、である。

初回通院は早い人で一週間後。

だいたいが2週間後になるらしい。

午後2時50分、この日2回目の自主的歩行リハビリ。

廊下歩行3周連続に40回の足首の筋トレだ。

午後3時15分、担当のO外科医師より退院後の緒事項が伝えられた。

初回通院は8月28日の2週間後。

採血と胸部レントゲンを撮る。

その検査結果によってワーファリン剤の服用量を再設定する。

毎日の体重を測ることが重要。

利尿剤を服用せずに、普段の状況で体重を計測する。

下がることはないが、増える。

徐々に増えるのは特に問題はないが、一日の差が1.5kgから2kgになれば要注意。

なんらかの異常が発症しているので、初回通院を待たなくとも、診療にきてくださいという。

血圧・脈拍は測る必要はない。

計測するタイミングによって値が上下する。

その数値をみて、逆に心配性が高まること自体が問題である。

ようするに細かいことは気にしないことだという。

副作用が発症する人は稀にある。

甲状腺間質性肺炎の場合は考えられるが、私の場合はそれではない。

水が溜まることはまずないと断言される。

送迎の仕事には支障がない程度の不整脈であるが、初回の通院の検査結果をみて仕事に就く就かないを判断する。

心臓の働きを改善・心不全悪化予防のアーチスト錠、心臓の拍動抑え・不整脈改善のアンカロン錠は通院検査の結果によって錠数を換える可能性があるし、換えない場合もあるということだ。

また、ワーファリン服用は胸帯が取れる日まで。

それまでに中断するか、継続するかは採血の結果で決まる。

午後4時の大便。

少し多めに排便した。

出血もない。

午後4時半は入院最後のシャワー入浴。

いつもと同じく洗髪、洗顔、身体洗いで綺麗さっぱりする。

入浴後はこの日3回目の自主的歩行リハビリ。

廊下歩行3周連続に40回の足首の筋トレだ。

咳・痰は極端に少なくなった。

最後の「みん剤」を飲んですっきりした顔で朝を迎えたい。



夜8時、看護師のMさんがいう。

通院のときには6棟病棟に顔をだしてくださいね・・である。

(H27. 8.14 SB932SH撮影)

入院34日目

2015年08月14日 15時04分31秒 | むびょうそくさい
朝測定の体重は60.8kgで、体温は36.6度だ。

尿排出量の関係で、体重はどこまで下がるのか。

いい加減止まってほしいと思うが・・・。

朝のもよおし大便に排便は伴わない。

8時の朝食前。

尿水分排出を止めるためにアルダクトンAとルブラックは服用停止の指示が出た。

8時45分、外科医師団の回診。

自覚症状はないが、心電図波形では不整脈がある。

薬剤で、ここ数日間は安定状態。

今のところ落ち着いている。

もう少し様子をみて退院を判断したいと伝えられた。

9時、足の浮腫みはほとんど見られない。

これもまた順調な回復の証しである。

10時、看護師のMさんは不要になったアルダクトンAとルブラックを回収された。

10時40分の定期計測。

体温は35.7度で血圧は101。

談話室に設備された血圧計で一度測ってみたかった脈拍。

結果は60である。

これが普段の数値なのだ。

続いて心臓リハビリに外来棟へ歩いて向かう。

準備体操などをして自転車エルゴメータに乗る。

ワークは15、回転数は61kmの20分間。

負荷はないが、腰がだるい。



部屋に戻って昼食。

お腹が減っているのは健康な証し。

美味さも感じる料理だった。

午後12時50分、担当のO外科医師から退院許可が告げられた。

嬉しい、の一言である。

退院日は15日の土曜日。



午前中の昼までに退院手続きをしたい旨、かーさんにメールを送った。

隣人のご主人は退院の日に身体が空いておれば我が家の車で迎えに行くとありがたい言葉を受けていた。

甘えることも大切。

すぐさま了解してくださったそうだ。

退院時には疑問になっている数々の確認事項を聞いておきたい。

かーさんも聞きたい質問事項を事前に整備しておく。

1.乗車・運転、2.他所でのリハビリ、3.仕事に就く条件・判断、4.退院後の通院、5.毎日の血圧・脈拍・体重測定、6.塩分・ビタミンK等食事の管理、7.服用薬剤、8.脈拍異常が出た場合、9.薬剤の副作用、10.お風呂入浴、11.辛子・山葵などの香辛料、12.その他の異常発症などなどだ。

午後2時40分の定期計測。

体温は36.1度で血圧は101だった。

退院も決まり、なにかと忙しくなったこの日。

1回目の自主的プログラムをこなす。

歩行リハビリは3周連続の廊下歩行に40回の足首の筋トレだ。

午後3時半、便器シャワーで刺激を受けた尻。

何度もあるぶりぶりでスッキリ。

出血もない。

お腹がスッキリしたらシャワー入浴。

いつもと同じく洗髪、洗顔、身体洗いで綺麗さっぱりする。



晩食後の薬にワーフアリン。

合計3.5gの錠剤を服用する。

咳・痰はほとんどない今夜も「みん剤」を飲んでぐっすり眠る。

(H27. 8.13 SB932SH撮影)

入院33日目

2015年08月13日 14時51分34秒 | むびょうそくさい
朝測定の体重は61.2kgで、体温は36.3度だ。

体重計測の行き来に軽いめまいを発症した。

気になる。

それよりもっと気になるのは体重減が続いているということだ。

それからトイレもある。

排便の勢いはないが、出た。

ただ、便器に痔の出血がへばりついて申し訳ない。

自宅であればトイレブラシなどでゴシゴシ擦るのであるが、ここは病院。

介護士さんにお願いするしかない。

朝食前に服用したアーチスト錠とアンカラン錠。

心不全防止の不整脈改善は薬に頼る。

8時の朝食前に採血。

この日も談話室で3本の採血をした。

8時10分、利尿剤のルブラック、アルダクトンAは体重減が続いていることから1回麩分を止めることになった。

8時25分、心臓外科の医師団が回診される。

心臓手術はまったく問題はなかったが、不整脈が続いている。

術後はこうした影響はあり得る。

しばらくは状況観察になる。

9時半、心臓リハビリに外来棟へ歩いて向かう。

歩けるということはありがたいのだ。

開始前に測る血圧は107だ。

若干のドキドキ動悸がある。

自転車エルゴメータのワークは10、速度は40kmの20分間。

ちょっとしんどかった。

歩く速度も出ないのだ。

今日は体調が優れない。

部屋に戻って計測。

体温は36.3度で血圧は103。

特に問題はないが、薬剤の増減あると看護師が伝える。

アルダクトンAは体重減により晩食後も必要としなくなったが、不整脈改善のアーチスト錠は2錠に引き上げられた。



午後1時半は歯科医師によるブラッシング。

しんどいから車いすで行ってもらった。

ブラッシングに糸ようじも使う。

歯と歯の間に入れてすきっとさせる

。歯科医からこの糸ようじとともに歯間ブラシの利用を勧められた。

戻ってきたころは身体の調子が良くなっていた。

脈拍が安定したのであろう。

自転車エルゴメータは午前中だけだ。

午後の2時は自主的プログラムをこなす。

歩行リハビリは3周連続の廊下歩行に40回の足首の筋トレだ。

腰はだるいが調子は良い。

次は4度目のシャワー入浴。

設備の関係でシャワーになったが数年前まではお風呂入浴だったと看護師さんが話す。

おそらく新館ではなく「憩」のことを云われているのだろうと思った。

お風呂ではないがシャワー入浴で身体の調子が戻った。

調子がいい具合なので、この日2回目の3周連続の廊下歩行や40回の足首の筋トレをした。



晩食後のワーファリン錠。

設定量は3.5mgということで1mg錠剤が3錠。

0.5mg錠が1錠となる。

夜の計測は血圧も体温も不要になった。

足の浮腫みは少しになっていた。

咳・痰も少ない。

順調である。

「みん剤」を服用して気持ちよく就寝する。

(H27. 8.12 SB932SH撮影)

入院32日目

2015年08月12日 14時29分41秒 | むびょうそくさい
朝測定の体重は62.2kgで、体温は36.5度だ。

徐々に体重が減っていく。

目覚めのだるさを感じる。

ふくらはぎ等は少しましだった。

朝食前のもよおし大便。

ほどほど手前の量が出た。

出血は少々だ。

朝・晩食後の自己管理薬剤が追加された。

薬剤はアンカロン錠だ。

8時40分、装着していた指先サックで計測していた酸素量・脈拍機器が外された。

酸素吸入していた鼻チューブ吸入も取りやめになった。

随分と身軽になっていく。

9時15分、O外科医師の回診。

順調であるが、まだ少しの水が肺に溜まっている。

不整脈を抑制する薬剤投入で状態を看ている。

今後は体重減の状態は止まり、入院前の体重に戻れるように看ていく。

浮腫みもなくなればいいのだが・・・。

今週末までに見極めたいと伝えられた。

9時半、本日1回目の自主的リハビリ運動。

3周連続で廊下を歩行する。

ふくらはぎや腰にだるさを感じる。

40回の足首の筋トレもするが、指サック検知機が外されたのでデータは採取できない。

この日はリハビリの栄養指導がある。

談話室に6人の患者さんが集まった。

食事についての指導であるゆえ、ご家族もおられる。

「食事で変わる自分の身体」資料をもとに説明される。

話しの内容から重視すべき項目を揚げる。

一つは塩分の直接摂取よりも「だし」で食べる。

二つ目は健康体の人の塩分摂取は一日8g(男性で9g未満)、心臓病の食事療法中の人は一日6g未満にする。

覚えておくのは商品パッケージの裏側に書いてある構成量のうちのナトリウム量だ。

400mgで、塩分の1gにほぼ相当する。

実際の正確な数値はもっと細かいが単純計算しやすいように400mgで割ることだけをしっかりと覚えてほしいと話す。

仮にパッケージのナトリウム量が2000mgなら塩分は5gになる。

一食で5gも摂れば他の食事は摂れない。

スーパーで購入する製品の裏面をよく見て一日の摂取量を計算しなければならないのだ。

11時の血圧は101だったが、午後1時半の血圧は116-75。

外来棟のリハビリ室で計測した結果である。

この日、初の機械を利用したリハビリに入る。

映像を見ながら椅子に座って準備運動をする。

伸びるゴム紐を使った身体運動だ。

自転車エルゴメータに跨ってペダルを漕ぐ。

その前には身体に心電図機器と血圧痩躯定期を装着する。

運動とともに変化する酸素量・脈拍心拍・血圧を機械的に収集し画面に映し出す。

自分自身がその状況を見ながら体力に沿った運動量を選ぶのだ。

エルゴメータは初体験。

ロードワークは15から始めた。

速度は66回転。

連続20分間も漕ぎ続ける。

特に疲れもなく、身も張ることはないが、腰かけたままだったのでお尻が痛かった。

明日はサドルの高さを調整したい。

脈拍、血圧などペダル回転中であっても特に問題はなかった。



夕方になるまでは3度目のシャワー。

毎日の入浴はありがたい。

午後4時、入院棟事務員が訂正した請求書をもってきた。

高額医療費の控除や歯科資料費、食事料などを確認する。

午後4時10分より薬剤師の薬剤説明があった。

退院に向けて毎日が進みつつある。

ワーファリンは血液を固まりしにくくする血栓予防剤。

血液検査の結果によって服用するグラム数が決まる。

退院後の服用はおよそ半年間。

生体弁手術患者は通院血液検査の結果によって毎夜の服用錠数が決まる。

ワーファリンは食事に注意を要する。

内服中は絶対に納豆や青汁、クロレラを食べてはいけないということだ。

ビタミンKの含有量が多いこの3品は食べないと云われたが、私は食べたこともないし、食べることもない。

ワーファリン服用時は歯医者や他の診療を受ける場合は必ず通知が必要である。

怪我でもそうだが出血したら血が止まらなくなるので要注意であるが、痔の出血はやむを得ない。

アルコール系は少量なら構わないが、タバコは禁じられた。

薬剤は尿排出のルブラック、尿量増量のアルダクトンA、胃荒れ防止のネキシウムカプセル、心臓の働きを改善・心不全悪化予防のアーチスト、心臓の拍動抑え・不整脈改善のアンカロン、難便薬のマグミットだ。

午後5時、歩行リハビリの2回目。

3周連続の廊下歩行に40回の足首の筋トレだ。



夜8時の定期計測。

酸素量は97で、血圧は117だ。

今夜より酸素吸入は「1」。

「みん剤」を飲んで就寝するが、胸辺りの心臓手術痕が痛くて眠れなかった。

夜中には咳・痰が出ること数回あった。

(H27. 8.11 SB932SH撮影)