奈良市の西大寺野神町を訪れた。
調べたいのはオトナ野神座である。
西大寺野神町には野神神社が鎮座していた。
三つの房を垂らした真新しい注連縄があった。
元禄十五年(1702)に建之された石灯篭に「野神社」とあることから野神神社である。
野神神社は大正三年八月に北方に鎮座する十五所神社に合祀されたが今尚こうして注連縄を架けていた。
境内には公民館があるが扉が閉じられているので拝見することはできない。
ここより西へ数百メートル歩けば西大寺野神緑地公園がある。
その傍らにお地蔵さんが祀られていた。
ここにも注連縄を架けてあった。
奉仕する人たちによって架けられたのであろうと思って付近を散策する。
野神神社近くの民家におられた男性にマツリの件を尋ねた。
オトナ野神座による講紀祭は12月15日に行ったというのだ。
村の男の子が座入りする「座」があるという。
十五所神社の祭祀をつとめているのが「座」である。
右座(おうざ)、左座(あんざ)のそれぞれに九人衆、十人衆がいる。
大昔は五人衆だったそうだ。
注連縄を作って架けたのは「座」の人たちだった。
神社の年行事はいくつかあるらしい。
一年神主に年当番の3人がつとめている。
両「座」の最長老は元老と呼ばれる。
昭和2年生まれのご主人はその元老だった。
「歳はいったがなかなか辞めさせてくれないので今でも「野神座」の元老を務めている」という。
講紀祭の日は朝8時から境内などを清掃する。
それから注連縄を架ける。
オトナの呼び名があるのは七人衆。
長老たちをそう呼ぶのであろう。
神事はといえば、宮神主(一年神主)の引継ぎになるという。
(H26.12.25 SB932SH撮影)
調べたいのはオトナ野神座である。
西大寺野神町には野神神社が鎮座していた。
三つの房を垂らした真新しい注連縄があった。
元禄十五年(1702)に建之された石灯篭に「野神社」とあることから野神神社である。
野神神社は大正三年八月に北方に鎮座する十五所神社に合祀されたが今尚こうして注連縄を架けていた。
境内には公民館があるが扉が閉じられているので拝見することはできない。
ここより西へ数百メートル歩けば西大寺野神緑地公園がある。
その傍らにお地蔵さんが祀られていた。
ここにも注連縄を架けてあった。
奉仕する人たちによって架けられたのであろうと思って付近を散策する。
野神神社近くの民家におられた男性にマツリの件を尋ねた。
オトナ野神座による講紀祭は12月15日に行ったというのだ。
村の男の子が座入りする「座」があるという。
十五所神社の祭祀をつとめているのが「座」である。
右座(おうざ)、左座(あんざ)のそれぞれに九人衆、十人衆がいる。
大昔は五人衆だったそうだ。
注連縄を作って架けたのは「座」の人たちだった。
神社の年行事はいくつかあるらしい。
一年神主に年当番の3人がつとめている。
両「座」の最長老は元老と呼ばれる。
昭和2年生まれのご主人はその元老だった。
「歳はいったがなかなか辞めさせてくれないので今でも「野神座」の元老を務めている」という。
講紀祭の日は朝8時から境内などを清掃する。
それから注連縄を架ける。
オトナの呼び名があるのは七人衆。
長老たちをそう呼ぶのであろう。
神事はといえば、宮神主(一年神主)の引継ぎになるという。
(H26.12.25 SB932SH撮影)