マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

エンジン始動せず自転車通勤

2015年09月10日 08時52分41秒 | いどう
この日の朝は冷え込んだからかどうか判らないがエンジンが一発で始動しなかったスズキエブリイジョインターボ。

冷えておればアクセルを踏み込んでエンジンキーを回す。

そう教えてもらったことがある。

が、なんとも・・・である。

ギュギュをし続けていけばバッテリーが上がってしまう。

何度も試す時間の余裕はない。

出勤時間が間に合わない朝のトラブル。

スタータがおかしいのか、それとも自動チョークの不良なのか。

今年の2月は冷え込むどころか雪が積もった日もあった。

そのときもエンジンは始動しなかった。

そうであればアクセルを踏みこんでエンジンキーを回す。

それで動いていたマツダスクラム時代を思い出したが、思い出に浸っている場合ではない。

電車で行こうと思いかけたが、やはり自転車だ。

折りたたみ自転車で通勤していたことがある。

勤務シフトが替って昼過ぎには終えるようになった。

昼飯は我が家である。

早く戻ることがお腹に優しい。

いつしか自転車通勤はすることもなく自動車に移っていった。

冬は寒い。

防寒着・手袋・ズボンバンドを探して着替える。

タイヤ空気を入れている時間もない。

とにかく急げである。

ギヤとチェーンがペダルを踏み込むたびにギリギリを音がする。

油切れである。

1kmも走れば汗がでてくる自転車走行。

事務所まで30分間。

いつもより10分遅れで到着した。

仕事を終えて帰りはしんどい。

行きは下りだが帰りは登り。

走行路もガタガタ道。

10分オーバーの40分で帰宅した。

遅くなった昼食は午後2時半。

帰宅するなりエンジンキーを回した。

一発でかかった。

翌日の朝は問題なく一発でかかったエンジン。

何が原因か判らないが一時的な事象であろうと済ませた。

二日目の17日も問題なく一発でかかる。

薄氷となった18日は気温が3度。

冷え込みどころか突風が吹き荒れる日だが、エンジンは支障なくかかる。

ところが19日の朝はまたもや同事象が発生した。

エンジンキーを回してもギュルギュル。

回しながらアクセルを踏み込んだら回転した。

エンジンは始動したものの、これはまずい状態だ。

山間であれば間違いなく気温は零下。

取材に出かけた先で始動かなかったら大変なことになる。

そう思って中古のエブリイジョインターボを購入したAKGコーポレーションに現象を電話で伝えた。

寒くなってからは顧客からの問い合わせが多くなった冬期のエンジン始動。

やはりかかりにくくなっているそうだ。

点検する期間は代車を準備するというので走った。

代車はダイハツミラジーノ。

ワイン色の車は奇麗だがシートはなぜか焼け焦げた穴がぽつぽつある。

そんなことはかまっていない。

アクセルを踏み込めばそう快に走り出す。



戻って車体カラーが気に入ったかーさんが云った。

「これに買い替えたら・・・」の一言。

それはともかくかかりにくい事象の原因が判明したのは数日後の12月24日。

エンジン始動不良はバッテリーの劣化もあるが、容量不足もあった。

バッテリー交換は大型に切替交換。

費用は12000円にもなったが、安心するための出費と思って対応した。

もう一つ懸念していた不安材料。

低水温表示灯の長時間点灯である。

この原因はサーモ不良による水温度計不備。

調整・手数料はオマケ対応にしてくれた。

これで冬場も安心して運転することができる。

(H26.12.15 SB932SH撮影)
(H26.12.19 SB932SH撮影)

菅生若水汲みの井戸

2015年09月09日 07時28分01秒 | 山添村へ
大字菅生・大垣内のフクマル迎えの様相はどのようにされているのか。

話しだけは何年か前に伺っていた。

いずれ拝見したく村人にお願いしようと考えていた。

今年の1月10日のことだ。

奈良テレビ放送が毎週月曜から金曜日に放送されるニュースなどの帯番組がある。

夕方6時は「ゆうドキ!」だ。

なにげに見ていたら山添村の菅生で行われている大晦日行事のフクマル迎え。

登場していた二組の家族。

ご主人は行事取材でお合いしたことがある。

一軒の家を訪ねていく番組の旅人。

奈良を歩いて歴史をしる「歴史散歩」のコーナー企画だ。

訪問先のご主人はUさんだ。

菅生のおかげ踊り保存会の一員。

音頭取りの太鼓を打つ。

その人の家におじゃましてフクマル迎えの取材。

歳神さんことフク(福)を迎える、Uさんはそれを「福丸こっこ」と呼んでいた。

「福丸こっこ」の「こっこ」とは何ぞえ、である。

「福が家に来てください」。つまり、「福丸こち来い」。

「こち来い」は「こっち(我が家)」に来てくださいというわけだ。

菅生では街道の辻ごとに神さんが宿ると云われてきた。

午前0時はあくる年。

U家ではご飯をユズリハに盛ってその辻に出かける。

それを辻で迎える福丸さんに供える。

ローソクに火を点けて藁束に火を移して燃やす。

その場で「ふくまーる こっこー」と声をかけて福丸こと神さんを呼び出す。

「ふくまーる こっこー」の呼び出しは何度かする。

そして藁火からローソクに移した火を持ち帰る。

始めに火除けの神さんの三宝荒神さんに置いた三本のローソクに火を移す。

その次はカケダイを吊ったエビスダイコクさんに手を合わせる。

家が栄えますように祈る。

次は家の奥座敷にある床の間。

ここにもローソクに火を移す。

そして、カマド(竃)になる。今は竃でなく、IHヒーター。

火器具は現代的になったが、そこで雑煮を炊く。

雑煮の盛り付け横には青豆のキナコ椀もある。

奈良大和では一般的とされる雑煮モチにキナコを塗して食べる習慣がある。

それはともかく雑煮ができあがれば、クシガキ、白モチ、トコロイモ、クリ、コウジミカンなどを盛った「祝い膳」を調える。

祝い膳は家族一人ずつが頭の額付近にあてて一年を祝う。

祝い膳をいただくという東山間特有の習俗である。

70戸ある大垣内。

ほとんどの住民が各戸さまざまな在り方でフクマル迎えや祝い膳をしていると話す。

旅人は「福丸こっこ」を訪ねてもう一つの家を目指す。

その家はマツリのときに取材させてもらったOさんだった。

同家の「福丸こっこ」は家のすぐ傍で松明に火を点ける。

「ふくまる こっこー」と云いながら松明を持ち帰る。

玄関口では奥さんが箒を手にして待っている。

「おはいり おはいり」と声をかけて松明を持つご主人を入れる。

松明火が福丸さんだ。こうして招きいれた福の火はカマド(竃)の火点けにする。

年季が入った竃には12本のローソクを立ててある。

招きいれた福丸の火を一本ずつローソクに火を移す。

12本は月の数。

つまり一年間の月数だ。

また、エビスダイコク、神棚、ご先祖さんの仏壇などにも福火を移す。

そして竃で焚いて雑煮を作る。

そして祝いの膳をする。

O家では家族一同が一列横に並んで恵方に向いて座る。

そして、「祝いの膳」を持って頭の額辺りまで持ち上げる。

O家の祝い膳はU家とほとんど変わりないが注連縄があった。

目線ぐらいに祝い膳を持つ。

「八十八のますかけ ちょうやどん ごつんこ」と声をかけて膳の縁を額に当てる。

まさに「ごつんこ」である。

テレビでは紹介されなかったが、「八十八」の数は米寿のことである。

三重県伊賀地方では88歳の長寿祝いの米寿のことを「ますかけ」と呼んでいる。

「ますかけ」は「ますかき」。

充てる漢字は枡掻きだ。

枡掻きは升に盛った穀類を平らにする道具である。

つまり米寿を祝える年齢の人は長寿ということだが、O家の解説では長寿にあやかる「長者どん」ではないかと話していた。

「祝い膳」はイタダキの膳。

こうした在り方は数か所で取材させてもらった。

福丸こっこを含めて祝い膳の様相をテレビで知った両家。

是非とも取材させていただきたくこの日訪れたがともに不在であった。

集落を歩いていたら男性が居られた。

お顔を見れば度々お会いする奈良市在住のUさんだ。

毎週末には実家で滞在。

この日もそうだった。

U家はどのような在り方なのだろうか。

福丸迎えも祝い膳も違うのであろうと思って尋ねた。

基本的には同じようだが、雑煮を作るに水が要る。

それは集落共同利用している井戸の水だ。

福丸を迎えて家に戻る際に井戸を通る。

通り過ごすわけでもなく桶(今ではポリバケツ)に井戸の若水を汲んで戻っていく。

元日の朝にはご主人が「若水」で顔を洗う。

洗って東の方角に向かって「今年も良き年でありますように」と手を合せる。

福丸は正月神。歳神を家に招きいれるしきたりは昔も今もそうしていると云う。

ちなみに同家の祝い膳はテレビ出演していたU家と同様に一人ずつ廻すようだ。

若水汲みの井戸の普段は木製の蓋で覆っている。

傍には長い柄の柄杓が置いてあった。

深い井戸から水を汲みあげるにはこれぐらいの長さが要るのだろう。

(H26.12.14 EOS40D撮影)

大塩不動滝のカツラ

2015年09月08日 08時37分16秒 | 自然観察会(番外編)
伊勢講を終えた村人。

山添村の大塩にはカツラ(桂)の木があるという。

奈良県では山添村の岩屋や天川村のみたらい渓谷、上北山村の小橡川、野迫川村ぐらいしか見られないという自然木のカツラ。

京都の笠置にもあるという。

八柱神社裏の不動滝付近に植生しているからといって案内された。

鬱蒼とした樹林帯を歩く。

上流から流れる不動川は苔むした川は滑りやすい。

カツラの木は落葉樹。

青葉の季節に見られる葉はハートの形らしい。



その下に何を安置しているのか判らないという石祠がある。

さらに上流を目指す。

小さな滝が不動滝。



対岸に不動尊があった。

(H26.12.14 EOS40D撮影)

大塩十二月伊勢講

2015年09月07日 07時18分39秒 | 山添村へ
4月と12月、一年に2度行われる山添村大塩の伊勢講。

場は八柱神社だ。

かつて大塩には4組の伊勢講があったがいつしか村行事に移った。

村の代表者が伊勢参拝をされて授かったお札がある。

神社参籠所に集まった人たちに年番のドウゲが見せまわる。

折敷に載せたお札。

これを拝み膳と呼んでいる。

参籠所左側に座るのは寺座の人たち。

村神主は中央に座って右側は宮座が座る。

拝み膳は寺座、宮座の順に廻される。

これが村行事となった儀式なのだ。

拝み膳の儀式を終えればドウゲは熱燗をもって廻る。

ジャコを肴に酒を飲むだけの在り方はいつもとかわらない。

そのころ雪がちらつきだした。

外は寒いが参籠所には暖房器具で温まる。

お神酒は熱燗。

寒くなったこともあるのかいつもより飲むペースが早い。



ひっきりなしに要請される熱燗酒。

温まる余裕もなく声がかかるからドウゲは忙しい。

普段なら酒2本で済むようだが、この日は倍の4本。

今年の集まりは実に消費量が多いと話していた。

1時間ほど経過したときに配られるセキハンがある。

肴当番が用意したセキハンのお重である。

始めに二つのパックに詰める。

これは肴当番にさげるセキハンだ。

それからセキハンを抱えて座中に進み出る。



ドウゲは箸で摘まんで差し出す。

座中は手で受けていただく。

いわゆるテゴク(手御供)の作法である。

こうして村行事の伊勢講を終えて解散した。

座中の話しによれば「ヒッポでする講は別にある」という。

「ヒッポ」とは「ウチワ」のことだ。

「ウチワ」は「扇」ではなく親しい組で行われている伊勢講のことであろう。

ちなみに拝み膳に差し出されたお伊勢さんのお札は「タノモシ」と呼ばれる費用を供出して代表が伊勢神宮に代参するようだ。

(H26.12.14 EOS40D撮影)

いただきもののキャノンF-1

2015年09月06日 07時48分03秒 | しゃしん
キャノンが5年間もの歳月で開発したフィルムカメラのF-1。

販売されたのは昭和46年3月だったそうだ。

その時代は就職していた。

発売当時の価格はボディだけで78000円。

F1.2の55mmFDレンズセットで117000円だった。

若い時代、とてもじゃないが買えそうにもない。

同年同月に販売されたFTbがある。

ボディが35000円で、F1.2の55mmFDレンズセットは74000円だった。

2ランク落としたF1.8の50mmFDレンズセットは49800円。

私にとってはそれでも高値。

ボーナスをつぎ込んで買った。

それが始まりだった。

FTbはそれほど使うことはなかった。

カメラは持っていても撮ることはなかったのだ。

平成2年10月に発売されたEOSシリーズの廉価版であるEOS1000QL。

ボディは47000円でF4~5.6のEF35-80mmレンズ付きで69000円だった。

その後に発売されたEOS1000SQDは平成4年に発売された。

たしかFTbを下取りに買ったと思う。

F4~5.6・EF35-80mmレンズ付きで76000円だったが、50000円のボディだけにしてレンズはシグマにした。

ときおり使う程度であったが、軽さを考えて平成11年に発売されたEOSKissⅢに乗り換えた。

ボディは64000円。

レンズはタムロン28―80mmを使った。

これはけっこう使って平成21年11月まで。

その後はいただきもののEOS-3。

薄給仕事人には充分見合ったフィルムカメラ歴。

振り返ってみても今でも変わらずの薄給のカメラ歴だ。

ダイコンを干しなどの景観を撮らせてもらった天理市荒蒔町の前當家。

当主はカメラ好きだった。

何十台も買っては、育てた花や風景を撮っていたと話す。

「今はまったく使わなくなったから、あんたにあげる」と云って防湿保管庫から取り出したキャノンFDレンズの135mmF2.5(S.C.)。

当然ながら現在活動中の愛用EOS-3のマウントは合わない。

庫を覗いた当主。

これならセットできると云って持ってきたのはフィルムカメラのキャノンF-1。

「EOSレンズじゃあわんからこれも持ってき」と云ってレンズもセットしてくれた。

ずっしりと重いカメラに巻きあげ式レバーの感触が懐かしい。

さぁて、何を撮ってみるか。

数本残しておいたフジクロームfortia(フォルティア)SPがある。

今でも使えるかどうか判らないが、ボチボチ考えることにする。

フォルティアの5本セット売りはいつ買ったか覚えていないが、5600円価格のカメラのキタムラシールが貼ってあった。

1本が見当たらないので何かに折りに使ったのか、これまた記憶もデータもない。

よく見ればフィルム箱に2008.09とある。

写るんかいな?。

ところで、写真家Mさんの話しによればキャノンF-1は「ケンカの道具」の呼び名があるという。

カメラ本体が角ばっている形状からなのか。

試しはしないが、「角で殴る」例えは頑丈であるという誉め言葉なのであろう。

(H26.12.14 EOS40D撮影)

荒蒔町のダイコン干し

2015年09月05日 08時30分37秒 | 民俗あれこれ(干す編)
「十二月十二日」の護符話題で盛りあがった天理市荒蒔町の前當家。

母屋は新築されたが納屋は敷地内にある。

そこにたくさんのダイコンを干していた。

本来なら「カド」でするのだが、霜や雨にあたらないように納屋に吊ったという。

下にある運搬車は割り木を搭載している。

30日には正月のモチを搗く。

モチゴメを蒸す際に燃やす割り木である。



納屋にはタマネギも干しているし、剥いた柿の皮も干している。

漬けものと一緒に漬ければ美味くなると聞いてそうしている。

同家は昔からカンピョウ干しもしている。

5個ほど栽培するユウガオの皮を自家製カミソリ道具で剥いて3日間も竿干しをする。

取り込んで函に納めておく。

函からときどき取り出して竿干しする。

それから軒下に広げて天日干し。

うちのカンピョウは赤みがあると云って出してくれた。

もらったカンピョウは正月前に食べたおふくろが美味いって云っていた。

私もそう思うカンピョウの味。



ニュースによれば子供も含めて昨今の若い人たちは食べたことがないそうだ。

天理市では地元産を調理して学校給食に出して味覚を広げている。

スーパーで売っているカンピョウはほぼ中国産。

日本産を食べれば味わい違いが判る。

(H26.12.14 EOS40D撮影)

荒蒔十二月十二日の護符

2015年09月04日 09時04分52秒 | 民俗あれこれ(護符編)
所用で立ち寄った天理市荒蒔町。

前當家の作業場に逆さのお札が貼ってあった。

お札の文字は「十二月十二日」。

12月12日の朝、こうして息子が貼っていたと再現してくれた。



建て替える前の母家には扉、窓などあらゆるところに貼っていたそうだ。

夫妻の話しによれば、毎日放送ラジオの「ありがとう浜村淳」で浜村さんが話しをしていたのを聞いて、「これはえーで、泥棒除けになるんや」と云って10年前から始めたと云う。

釜ゆでの刑に屈した盗賊頭の石川五右衛門が屋根から泥棒に入ろうとするのを阻害すると信じられた護符。

屋根から覗いたときに判るように逆さにして貼るという・・・伝えである。

何故に「十二月十二日」であるのか。

京都通百科事典によれば、五右衛門が釜ゆで処刑された日だとある。

まことしやかに流布している説だが、五右衛門が誕生した日という説もあるようだ。

「十二月十二日」の護符は家内の実家もしていたし、大阪生まれの我が実家でも。

明治39年生まれのばあさんがしていた。

これまで調査した地域は葛城市や御所市にもあったと聞いている。

大和郡山市内でも数軒の事例を聞いたことがある。

桜井市の脇本では知人から泥棒除けの話しを聞いてしているという民家もある。

流布は広範囲であるが、荒蒔の事例は公共電波が伝播させた事例であった。

「十二月十二日」の護符の話題を提供してくれた荒蒔の前當家。

荒蒔にケイチンの鬼打ち行事がある。

平成17年1月12日に拝見したことがある。

鬼を射止める弓はカワヤナギの木。

矢はススンボの竹。

前日に神社五人衆が作るらしい。

例年は12本の矢にするが、新暦の閏年では13本になるという。

射止めた矢を貰って帰ったその年に男の子が生まれるというのだ。

ちなみに前當家は平成28年のケイチン當家を務めるそうだ。

(H26.12.14 EOS40D撮影)

新品冬用タイヤ

2015年09月03日 08時56分53秒 | いどう
一週間前の6日。

室生より県境を越えた三重県安倍田は凄い吹雪だったとpさんが伝えていた。

同じ室生の無山は真っ白な雪を被っていた。

同地は3日にも降ったらしく田んぼはうっすらと白い点々。

4日の雪景色を伝える春ちゃんさん。

旧大塔村の山々は白雪に染まっていた。

奈良県内の平坦では粉雪もなく例年とおりの師走の月はそれらしきことはまったくない。

金剛山の初冠雪が知らされたのは2日の朝だった。

初雪情報が県内から寄せられる。

今週末にはさらに寒くなると天気予報が伝えていた。

しかも平坦でも雪が舞うという予報である。

待ってられなくなったタイヤ交換。

10月には早くもSオートサービスに頼んでいたスタッドレスタイヤ。

もちろん新品ではなく中古品だ。

4本・一万円で手を打っていたが、見つからない。

我が家の軽自動車はスズキジョインターボの商用車。

指定タイヤは12R。

何度も京都八幡で探してみるが見つからないというのだ。

13RならあるというSさん。

ところがホイールは3本しかない。

倉庫を探してみたが・・・ない。

諦めてオートバックスに出かけることにした。

店頭看板には「冬用タイヤ持ち帰りサービス最大5000円還元」とある。

私が欲しいのはタイヤだけだ。

12Rのホイールはある。

これはお得だと思ったが大きなタイヤばかり。

店員さんに在庫を探してもらったら1セットだけが残っていた。

ダンロップ社製だという冬用タイヤは38000円。

ホイール交換はSオートサービスでしてもらう。

タイヤは持ち帰りさせてもらう・・と伝えたらホイール付きでないと・・と云う。

それなら店頭看板に表示してあった持ち帰りサービスは不当表示ではないか。

そんな細かいことを指摘している時間はない。

タイヤだけなら3割引き・・と伝えられて手を打ったダンロップ社製型番はWMSV01-145R12 6PR。

WINTERMAXXの商標が書いてあった。

溜まっていたポイントを差し引いて税込実売26913円。

一本ずつビニール袋に詰め込んでくれた。

よくよく見た店頭販売の特売り。

軽トラ・商用車用途のヨコハマ社製SY01V145R12は税抜き36800円。

同サイズはもう1セットあった。

ブリジストン社製のW300145R12は38800円。

いずれもアルミホイール付きだ。

我が家に残しておいたホイールは鉄製。

こっちの方でも良かったかなと思った。

後日、ネットで調べた格安タイヤ。

WINTERMAXX SV01-145R12が税込10600円で出ていた「カーネット倶楽部」。

半額以下ではないか。

しかも送料が無料。

他のネットも探してみた。

同型のタイヤにアルミホイール付きで29400円。

しかも税込・送料無料とくる。

なんでこんなに安いんや、と思ったがもう遅い。

(H26.12.13 SB932SH撮影)

テーマ決めの後宴

2015年09月02日 08時40分54秒 | メモしとこっ!
奈良県立民俗博物館の事業である「第4回 私がとらえた大和の民俗」写真展はこの日に終えた。

直接の写真展閲覧者数ではなく入館者は前年より上回ったという。

この日の朝。柳生に向かっている最中に携帯電話が鳴った。

同写真展で協力しているMさんからだ。

今年も旧都祁村白石の親戚からいただいたというイノコのクルミモチ。

今夜の宴に食べてもらいたいという電話である。

モチはお店で焼くわけにはいかない。

で、あればモチもクルミも分け分けしなければならない。

早めに着いて百均ショップでモチと砂糖を塗した青豆のクルミを入れるジップパックを買おうということにした。

私と云えばこの日に取材した柳生山脇垣内の山ノ口講でいただいたバラン焼きのシトギもある。

今年度のテーマは「食」だった。

協力者のみなさんに食べていただくことにしたのだ。

打合せ兼後宴の会場は大和郡山市にある西友ビルの5階にある季乃庄ダイニングだ。

昨年と同じ場所である。

自宅に居た時間帯。

場所が判らないと電話で伝えてきたSさんはそれより1時間早く着いたと云う。

ぶらぶらしているというから早めに出かけた。

予定であれば近鉄郡山行きの奈良交通バスを利用しようと思っていたが時間帯が合わない。



仕方なく徒歩で向かうことにした。

普通の速度であるいて30分。

平成27年4月に完全閉店される西友ビル前に着いた。



民博職員が事業報告ならびに次回会場の検討案を議論する。

次は結論がなかなか決められない次回テーマだ。

時間切れとなって会食が始まる1時間前。

今回に閲覧された入場者の声は今まで体験したことのある暮らしの民俗である。

行事も含めて「食」に感動した声は多かった。

が、である。

その声を反映して「食」パート2をするわけにはいかない。

「食の暮らし」にしてはどうかと云う意見もあったが、大胆に替えてみようというわけだ。

会合時間内では意見が纏まらない。

場はとにもかくも宴の場に移る。



はじめに膳が出た料理は先付けであろう。

長皿に盛られた三品。

始めに生ジョッキで乾杯をする。

三品は何の料理であろうか。

さっぱり掴めない。

注文したのは懐石コースの1。



造り盛りも配膳される。

サーモン、ハマチにサザエだ。

キモも盛ったサザエがいちばん。

コリコリする食感がたまらなく美味い。

蒸し料理のホウラク皿もある。

始まってから17分後のことだが、いち早くビールで酔ったので味は覚えていない。

肉、カボチャ、キノコ、コンニャク、タマネギ、赤ピーマンなどなどをポン酢で食べたような・・・気がする。

その間に意見交換される次回テーマの構想。

次々と出されるが・・・。

次に出てきたのは真っ黒い代物。

アンコウの皮だ。

白い肉はぶつ切り。

キモもあるアンコウ鍋は紙スキ鍋でいただく。

小さな昆布が入っていた。

固形燃料の火で出汁を沸かす。

ほどよいときにアンコウ肉を入れる。

これもポン酢でいただいたような・・・。

酒量が増えてますます覚えていない料理の味。

宴が始まって何時になったのだろうか。

動物があがった。

それなら来年の干支十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)は未だ。

年中行事に登場する十二支は丑、辰、巳、午、申、亥があるが未はない。

「大和の民俗」を大テーマにしているだけに「動物」は何にするかである。

それなら「植物」という意見もある。

伝統行事に「植物」はけっこう見られる。

代案に「女」が出た。

「女」は女性、それとも女児・・。

「女」があるなら「男」はどうする。

年寄り、中年、若者、子供・・・。

どの年層でもいいのか、である。

今回は「食」がテーマだった。

それなら衣・食・住。

今まで以上に挑戦するなら、そう考えるのも面白いが「住」は撮り難い。

写真作品にはし難い。

「衣」なら・・・。

ということで決定したが、裸は館内展示には相応しくない。

ふんどし姿は面白い、女医のユニホームも良い・・・とか云った処で時間切れ。

「衣」は「い」ではなく「ころも」としようということで終わった。

おおきな魚のカラアゲが登場した。



一瞬はオコゼかと思ったが、ソイである。

大きく口を開けたソイ料理。

骨までバリバリと食べられるが身だけにした。

汁椀やデザートも膳に出た。

時間切れ直前にお題が決まった「衣」であるが、その後の記憶がまったくない。

どうやらタクシーで帰ったようだ。

残されたレシートを見れば1040円だった。

決まったお題は「衣」。

衣で大和の民俗を表現できるかである。

悩ましきお題であるが挑戦するにはやりがいがある。

始めに思ったのは神位衣や僧侶の袈裟である。

官位によっては色が違うしいろんな形がある。

その写真を撮ってどうするの、である。

それでは単なる違いを見せるだけだ。

衣でもう一つ考えられるのが演者の姿である。

能や狂言の衣裳も面白いが著作権からみで撮ることも無理だ。

村の行事に村人が演じる能・狂言があるが、伝統行事そのものになってしまう。

たいがいの人はこれだと思うだろう。

それは避けたい。

「衣の民俗館」が名古屋にあるらしい。

参考にしたいと思ったが、やはり能・狂言もの。

結局は服飾文化や染織ものになってしまう。

大和の民俗でもなく一般的な民俗だ。

仕事衣もそうである。

寿司屋、魚屋、野菜売り、医者などのユニホーム。

それとも制服姿。

女高生の制服を集めてどうすんの、である。

では、帽子や履物は衣なのか、である。

帽子も履物もいれての衣でいくのは、それとも別のものとしてとらえるのか。

奈良県の風土を生かした着衣はないのか。

柊風舎刊の野本寛一著『衣の民俗事典』があるようだ。

普段着と仕事着・作業着をみつめられることができるであろうか・・・。

そもそも奈良大和に民族衣装はあるのか、である。

衣装を着替えることによって気持ちが変わるというものがある。

例えば念仏を唱える在家半袈裟がある。

それ一つを肩から懸けることによって身の持ち方が変化するというのである。

四国八十八カ所巡礼される人たちもそれなりの半袈裟がある。

宗派によって異なるだけでやはり一般的。

奈良の特色でもない。

季節に合わせた衣替えとう考えもある。

ふっと思いついたのが虫干しである。

またもや「干す」である。

小夫の天神社では7月22日に紙魚ぶるいと称して祭りに着用する衣服を虫干しする行事がある。

行事といっても蔵から出して境内いっぱいに広げる天日の虫干しである。

虫干しは普段着ている衣服の洗濯干しと同じである。

それは撮りやすいが小夫以外でもあるのだろうか。

そういえば11月8日の待機当番の日に来館された當麻で行われている「けはや相撲甚句」会長がいた。

相撲力士が扮するふんどし。

これを洗って干す景観はどうだろうか。

調べてみたい。

ユニホームといえば民俗行事でお気に入りに田楽を奉納される渡り衆が着る素襖がある。

地域によって染色や柄も異なる。

何年かに一度は体験される即興の楽奏。

表情もそれぞれで豊かだ。

新調された衣装もあれば古くから使われているものもある。

着用されるのは一年に一度の晴れ姿。

着古した素襖は洗濯するたびに色落ちする。

その風情がたまらなくお気に入りだ。

新調するには高額な費用がかかる。

芸能は文化財に指定されているが、装束は費用援助の対象外。

村の出費は高額になる。

近年、宝くじ協会などの援助を受けて新調された地域もある。

装束の新調は京都の専門家によって製作されるらしい。

大和郡山市櫟枝町に座の衣装箱がある。

蓋に年号が墨書されているがはっきりと読めない。

「正」の文字は認識できるが次に続く文字は不明だ。

「正」が付く年代は1644年間の「正保」や1711年間の「正徳」がある。

櫟枝では9月半ばに行われる当屋祭がある。

お渡りの出発前にごーさん札を版木で刷る。

その版木の裏には「寛永七年(1630)正月吉日 和州添上郡 櫟枝村 升屋願主」が墨書されていた。

衣装箱の側面に「櫟枝村座中」と「一老善吉」の文字がある。

判読不能である「正」年号は版木年代より推定して「正保」と思われるのだ。

歴史がある衣装箱も「衣」テーマに値すると思われた。

また、巫女さんが着こなす装束がある。

仕事に着るユニホームは里の巫女によって異なる。

『奈良県の民俗芸能-奈良県民俗芸能緊急調査報告書-』の調査のひとつに巫女装束の柄文様があった。

里の巫女が着用する舞衣(まいぎ)。

下着の上半身は前襦袢で、上着に白衣を身につける。

下半身の袴は緋袴(ひばかま)を着て白足袋を履く。

上着の白衣を舞衣(まいぎ)と呼ぶが、古来より継いできた巫女家によって絵柄は異なる。

三郷町の坂本家、大和郡山市若槻町の加奥家、同市小泉町の璒美川家、田原本町法貴寺の藤本家、同町蔵堂の守屋家などがある。

法貴寺の女児巫女が着る舞衣の絵柄文様は「菊」柄だ。

璒美川家の舞衣は「鶴」が舞う姿を表現した「千早(ちはや)」柄である。

加奥家や守屋家も同様の「千早(ちはや)」柄だ。

ところが坂本家の舞衣だけは特徴が見られる。

舞衣の前に長く垂らした赤と緑を前胸辺り結んで締めている。

赤と緑の文様は両ひじ・方袖や背なかにもある。

それを「五紋」と呼んでいた。

赤と緑の色は五色の垂れをつけた鈴から派生したのではと話していた。

そう話してくれた坂本さん。

古い絵馬に巫女装束が所作する神楽や御湯を作法する姿が描かれている。

古い絵馬にも現れる巫女装束も「衣」テーマであるが、写真にはし難い。

というよりも展示すれば民俗史料になるのだ。

それでは写真展にならない画材。

諦めた。

(H26.12. 7 SB932SH撮影)

柳生山脇山ノ口講の山の神

2015年09月01日 09時36分10秒 | 奈良市(東部)へ
5年前の平成21年12月19日に訪れた奈良市柳生町山脇。

大きな岩下に山の神を祀った祠があった。

その前にナンテンの木が植生する。

そこにぶら下げていた斜めに切った細い竹を二本重ねたモノ。

名前は判らないが、山の初仕事に入る前に赤い実をつけたナンテンの枝木を挿していた。

村人の話しによれば、山の神に参って、山仕事の安全や無事を願って、拝んでから山に入ったと云う。

山脇垣内の他、7軒の人たちそれぞれがぶら下げて、山に入り、もう一つの竹に挿したナンテンを供えていると話していた。

日程は固定でなく12月初めの日曜日。

早朝に参った数時間後の11時に参集する。

米粉を水で練ったシトギを重箱いっぱいに入れて供えて拝む。

シトギはとんどを燃やして焼く。

そのままでは焼くことができないのでバランの葉の上に置いて焼く。

味はないと云っていた。

そのような話しを聞いて5年目。

山の神参りの様相を拝見いたしたく第一日曜日の7日に訪れた山脇垣内。

当番にあたる男性が山の神の下でとんどを燃やしていた。

昔から第一日曜日だったと云う。

山の神を祀った祠は平成25年に建て替えた。

屋根は恒常性を保つため銅板に葺き替えた。

内部には小幣を祭っている。

その祠の背部が山の神だと思うと話す。

背部は大きな岩である。

かつては自然崇拝として崇めたのであろう。

いつから山の神に参るようになったのかは若い私たちは聞いていない。

山の神と云えばとんどを燃やして賑やかだった。

とんどにサツマイモを埋めて焼いた。

それが美味しかった。

もう止めようかと思っていたが、今年もすることにしたと話す当番さん。

前回に供えていた竹の筒を見本にして作ったと云う。

本来なら節と節の中央辺りを竹の皮一枚残してそぎ取って背中合わせするのであるが、この年は簡略化されて二つに割って先を斜めに切ったものを背中合わせに括った造りにしたようだ。

その場にやってきた婦人は昭和12年生まれ。

山の神の左手にある家で生まれ育ったと云う。

嫁入り先は柳生町。

近くに住んでいるので毎年こうしてやってくると云う。

婦人が話すに、山の神に集まるのは山脇垣内周辺の他垣内を含めて7軒。

山の口講と呼ぶ7軒は山をもっている家だそうだ。

昔は山行き。

ナンテンの実を供えて炭焼きとか、山の仕事に行くときにナンテンを供えて山の神さんを拝んでから山へ出かけていったと云う。

山に入るのは割り木を作ったり、炭焼きをするのが仕事。

ヤマキリ(山伐り)の仕事に行くときはナンテンを挿した竹筒を山に持っていく。

「お酒も供えたやろな」と云う。

ナンテンの実を添える竹筒は三つだったと思うと話す。

婦人が子供のときからしていた。

家の前だったからとんどの火にあたっていた。

これが楽しみだったと云う。

とんどには講中以外の村人も火にあたりに来たそうだ。

はっきりとは覚えてないが、「12月7日やったかな」と話す。

バランの葉にシトギを乗せて焼く。

シトギはお米を水に浸けて柔らかくした。

スリバチに入れてスリコギで細かくすり潰す。

とろーんとしたシトギをバランに乗せて焼いて食べる。

その日は「やまのくち(山ノ口) やまのくち(山ノ口)」と口々に云っていたと思いだされる。

そのような話しを伺っていた時間帯。

子供を連れた人たちや老婦人もやってきた。

さっそくあたるとんどの火。

囲んで談笑する。

賑やかな様相になってきたとんどに長老も。

山の神の横にある家のご主人は今でも山行き仕事をしている。

ナンテン添えの竹筒は二つ用意する。

一つは山に行く人が出かけた山に持っていってぶら下げる。

もう一つが山の神さんのナンテンの木にぶら下げる。

昔はいっぱい吊っていたと云うだけに山仕事の人たちが多かったのであろう。

山の神さんに参る日は12月初めの申の日だったと云う男性は昭和15年生まれ。

先ほど昔の様相を語ってくれた婦人のお兄さんだったのだ。

男性はナンテンの実を添えた竹筒は「ゴンゴ」と呼んでいた。

「山ノ口講」は山行き仕事をしていた7軒。

山入りする日は「山の口」。

いわゆる山の口開きであろう。

その名を付けた山の仕事仲間の講中が「山ノ口講」だったのだ。

ちなみに当番のTさんを手伝っていたもう一人の若い男性は息子さん。

親父さんから始めて聞いた「山の口」の日である。



その場をハイカーが通っていった。

「今日はイベントですか」と云うハイカーたちには山の神参りのことは知ろうともせずに680m先の「一刀石」に向かっていった。

「一刀石」の場は柳生町在住の石田武士宮司の案内を受けて平成22年8月22日に訪れていた。

拝見した場は天岩立神社手前の山の石仏。

ここで役行者さんたちがサカキ立てをされてお坊さん(おそらく真言宗立野寺)が錫杖を振って作法をする雨乞いの行事であると聞いた。

聞いてはいるものの未だに訪れる機会を得ていない。



山の神参りはそれぞれの講中単位だ。

そろそろ始めようかとローソクに火を灯した当番が声を掛けた。

家族連れ、或いは個々に手を合せる山の神参り。



念仏を唱えることもなくただただ手を合せて交替する拝礼である。

かつては老婦人の何人かが山の神の前で念仏を唱えていたらしい。

「もう忘れてしまった」と云って手を合わした。

お参りはこれだけだ。

供えることもなかったセキハン。

モチゴメで炊いたセキハンであるがアカメシと呼んでいた。



お重に詰めたセキハンは箸で摘まんで手渡す。

受けるのは手だ。

いわゆるテゴク(手御供)の作法であろう。

受けたセキハンはバランの葉に乗せていただく。

手で掴むことなく葉を口元に寄せていただくのだ。

もっちりしたセキハンは甘くて美味しい。

私も味わうありがたい御供いただきである。

セキハンをいただいたバランの葉。

今度はシトギが配られる。



お玉で掬ったシトギをバランの葉に注ぐのだ。

どろりとしたシトギは平らに広げる。

べたーとした感じに盛るのだ。



それを下火になったとんどで焼く。

直に焼けば葉が燃えてしまうので鉄製の編み焼きをとんどに置いていた。

そこにめいめいが置くシトギ乗せのバラン。



火の勢いで燃えることもある。

しばらくすれば周りに焦げ目がついたシトギ。

白っぽかったシトギは半透明色になった。

もう少し焼けばひびが入る。

そういう状態になれば食べごろである。

焼けて焦げたバランごといただくシトギの味。

まるでカキモチのような味である。

カキモチもシトギも原材料はお米。

甘くて美味しいお米の味なのだ。

当番が云った。

「今年は隠し味を入れてみた」である。

どおりで甘い味がするシトギに感動する。

とんどを囲んで世間話をする婦人たち。

柳生では「ハミ」を「ハメ」と呼んでいたので驚いたという婦人の出里は山添村だった。

とんど場の横に立ててあった二股の木。

それを「マタギ」と呼んでいた。

洗濯干しにも使う「マタギ」はクリやカキの実を採る道具にもなる。

その場合は「ハサンバリ」と呼んでいる。

「ハサンバリ」は「挟み張り」。

枝が張っているからそう呼ぶと云う。



そのような会話をしていた「山ノ口講」の人たち。

時間ともなれば会食に出かける。

かつては当番の家でもてなす会食の場であったが、負担を避けるために近くの料亭を利用するようになったと話す。

山脇の長老が「ゴンゴ」と呼んでいた竹筒。

この月の1日に訪れた奈良市茗荷町。

イノコのクルミモチを作っていたOさんも同じように「ゴンゴ」と呼んでいた。

茗荷町を含めた田原の里の幾つかの地域では山の神参りがあるらしい。

1月10日辺りだったという山の神参りは「山の口」。

いわゆる山仕事に入る日である。

参る際には「ゴンゴ」と呼ぶ竹で作った筒に酒を注いて供える。

節目、節目を残して竹を伐る。

中央は竹の皮一枚を残して伐る。

細くなった部分を曲げてできあがった竹筒に酒を注ぐと話していた。

「ゴンゴ」は決して「五合」が訛ったものではないようだと云ったのは奈良民俗文化研究所代表の鹿谷勲さんだ。

写真家のKさんが調べた室生市史によれば「ゴンゴ」と書いてあったそうだ。

また、十津川の大字旭では竹筒を「タケノゴンゴ」と呼ぶようだ。

「ゴー」と呼ぶのは大字竹筒であると「十津川かけはしネット」に書いてあったが「ゴンゴ」を充てる漢字は一体何であろうか。

類似例を調べなくてはならない。

(H26.12. 7 EOS40D撮影)