マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

三輪町・南組の地蔵盆

2018年09月10日 09時27分04秒 | 田原本町へ
何年も前から気になっていた地蔵盆地域がある。

田原本町の中心部。

近鉄電車駅でいえば、田原本駅。

人は云う。田原本町は奈良盆地平坦部の中心地である。

とは云っても奈良県のヘソとまでは言い切る人はいない・・・と、思う。

田原本町の民俗行事は昭和59年3月に田原本町教育委員会が発行した『田原本町の年中行事』が詳しい。

ほぼ、であるが、「ゴウシンサン」若しくは「ダイジングサン」と呼ばれている行事と地蔵盆の行事場が近似する地区である。

かつては、というか、平成20年ころまであった立山は祇園さん行事のときだった。

今では見ることもできない造り物の立山であるが、田原本町の旧町にある地蔵盆にも興味がある。

『田原本町の年中行事』によれば、大門西南組の御膳は二つ切りジャガイモに、串で挿したトマトや太目の曲がりキュウリにコーヤドーフの串挿しが。ピーマン、ナスビの串挿しもあると書いてあった。

串挿しトマトはまるで二見が浦の日の出の情景。

ナスビの串挿しは帆かけ船の様相であると記している。

その地はどこになるのか、一見の価値がありそうだと思って、車を走らせる。

旧町は広い。

ただ、車路は狭いうえに、一方通行道が多く、走行どころか停車に難儀すると思われた。

実際、その通りのところもあるが、ここからと思って入ったところに地蔵盆の飾り付けが目に入った。

地蔵さんに赤白。

目立つ景観に飛びついた。

子どもさんの名前で奉納された祝いの旗立てが壮観である。



御膳にソーメンも供えているここはどこであるのか。

向かいのお家の方に話しを聞けば、三輪町(みわまち)だという。

飾り付けした地蔵さんは南組。

朝の8時に飾り付けをしてお寺さんを待つ。

それから4時間後の12時ころに旧町にある本誓寺住職が法要に来られた。

ほんの数分で終えた住職は次の場に向かっていったという。

ちなみに北に浄照寺もあるようだが、この日に探す時間は持ち合わせていないので、後日としよう。

ここら辺りは南組の他、北組にもあるし、西のところには、ほんま、多いくらいにあちこちでしていると話してくれたので車を移動した。

ちなみに南組の地蔵盆に何をお供えされていたのか。



御膳の椀を覗かせてもらえば、一つは仏飯である。

ご飯粒が立っているように見える仏飯である。

手前左はコーヤドーフの煮たもの。

中央は黄色いコウコ。

その右上はトーフと青菜の汁椀であろうか。

左上の椀はオクラと豆の煮もののようだ。

そしてもう一つのお供えがソーメン束。

カボチャにナスビと昆布であった。

昔はもっと多くの子どもが居た。

笹の飾り付けはこん盛りするぐらいに多かった。

飾り付けにある子どもの名前を手掛かりに、現在は不在していると断定された飾り付けは除外したそうだ。

某学芸員のYさんがお勧めする昭和60年刊の『田原本町の歴史』のある号にゴウシンサンや大神宮燈籠を調査した特集を載せているようだから、一度、田原本町図書館で探ってみたい。

(H29. 7.24 EOS40D撮影)

古市町・北の地蔵さんの宵縁日

2018年09月09日 18時57分00秒 | 奈良市へ
奈良市の今市、山町を抜けて車を走らせる。

目的地はさらに東へ行った奈良市古市町である。

目的地は未だ探したことのない北の地蔵さん。

この地で地蔵盆をしているとわかったのは町内掲示板に案内する掲示物があったからだ。

物は試しと思って探索のつもりで北の地蔵さんを探してみたい。

そう、思ってやってきた。

古市町集落の南の端に念佛寺がある。

以前、同寺で地蔵盆をしているらしいと他村の人から聞いたことがある。

手がかりでもあれば、と思って立ち寄った前年の平成28年7月18日。

お寺の掲示板に貼ってあった2枚の行事案内に飛びついた。

一つは今年、求めて探した北の地蔵さんの地蔵盆。

もう一枚は念佛寺の「くつはき地蔵尊」の地蔵祭りである。



平成28年9月5日の取材で知った明日香村・飛鳥の弥勒さんの祭り場の小屋内部にある「くつぬぎ石」に対するわけではないが「くつはき地蔵尊」の二つが揃えば靴を履いて、脱ぐ状態が成立する。

両者とも草鞋を奉納しているのも、同じ足に関する願掛けであるが、この日の祭りではなかったようだ。

あれば、写経に紙絵馬。

くつはぎ地蔵の恩謝回向に祈祷や戦没者法要、法話、写経奉納・祈願などがある。

後日にわかったことだが、この年は7月20日に行われたようだ。

「くつはき地蔵尊」の地蔵祭は外したが、地蔵講の営みはどこでしているのだろうか。

念佛寺は南の端。

集落を抜ける旧街道を北上する。

一部は一方通行になっている旧街道へ行くには遠回りせざるを得ない。

北の端から入ってしばらく行けば、貼ってあった掲示物に目がいった。



前年に見た掲示物と同じであるが、色塗りが増えていた。

だが、地蔵盆の時間帯は書いていない。

結局は集落の尤も北部にあった北の地蔵さん。

地蔵堂は平成8年7月23日に落成したと記している。

寄進した講中は地蔵講。

昔も今も変わらず9軒の講中が寄進したと堂内に板書はあるが、どなたも現れない。

訪れた時間帯は午後5時20分。

付近には一般的な長机もあるしパイプ椅子もある。

しばらく待っていたが、どなたも来られない。

真新しい赤と白の涎掛けに替えたと思われる地蔵石仏の前にはお供えがどっさりある。



なかでも気になったのは白い団子。

個数は何個であろうか。

その横にある御膳は朱塗りの膳に朱塗りの椀だ。



中央の椀はぶどうにトマト。

白飯は見た目でわかるが、他は蓋が半開き。

手前右の椀は赤いニンジンがあるから野菜などの煮しめであろう。

その左横の椀はキュウリに麺が見える。

汁けがあるからニュウメンであろう。

左奥の椀にも麺が見える。

小さなカマボコにワカメを盛った汁椀であろう。

これまで各地の膳を拝見したことがあるが、はじめて見る様式だけに供えられた人に伺ってみたいが、おそらく返ってくる言葉はそのときの気分でそうしています、と云われそうだ。

何時来られるやもしれない講中を待っていても仕方がない。

この調子であれば、始まる時間は午後7時と判断して、近くのスーパーに出かけて我が家の買物を済ませていた。

戻ってきた時間帯は午後6時50分。

長机に座って歓談されていた十数人の人たちが居る。

雰囲気的には始まりの体制ではなく、終わってゆったりの落ち着いた状態である。

パック詰め料理を肴に缶ビール中であった。

自己紹介に取材の申し出をすれば、ついさきほどの午後6時半は法螺貝を吹いて心経を唱えていたという。

北の地蔵講の参拝は終えたばかりで、これより参拝に来られる村の人たちを待っているという。

その間に撮らせてもらった北の地蔵さんのお供えはさきほど拝見したときよりも増えていた。

参拝者が来られたのは午後7時。

講中の孫さんたちを連れ添ってやってきた。

子どもたちは揃って浴衣姿にパジャマ姿。

幼子がこれほど多いとは、想定していなかっただけに感動ものである。

他村と比較すれば少ない方になるが、以前に取材した千軒講の営みのセンゲンサン参りもほぼ同数ぐらい。

講中のお爺ちゃん方が孫を連れてくる。

古川町の講の特徴のような気がした。

手を合わせることはなかったが、小っちゃな幼子も地蔵さんにお参りする。



後ろの母親たちに見守られて始まったお地蔵さんの参拝。

鉦に吊るした名前入りの鈴緒が風に揺れる。



戯れる幼子の動きが可愛らしくシャッターを押させてもらった。

この日が特別なのかわからないが先導は幼子の参拝であった。

それがはじまりの合図かもしれない北の地蔵講の佇まいはこの時間帯が、実質の始まり時間。

次から次へと訪れる村の参拝者は順番待ちの参拝。

それぞれは地蔵堂に祀っている地蔵さんに手を合わせていた。

それほど多くなると認識していたのは、予め供えていた御供の数である。

お供えをしている人は必ずや子供たちを連れてくると想定していた。



参拝を終えた子どもたちに手渡すお菓子。

幼子にとっては一番の幸せではないだろうか。

ゲームに熱中する子は独りもいない。

風情に佇まい情景は想定以上である。



私の粗相で講中の参拝タイミングを逃したが、ここへ寄せてもらってよかったと思っている。

数分も経たないうちに夕闇が迫ってくる。

子どもの参拝が終われば一段落する。

賑やかさもどこかに行ってしまったかのような・・・静けさも佇まい。



少し間をあけて、一人、二人と参拝される人はたいがいが婦人だった。

その間の講中は会食に歓談で和気あいあい。

講中の仲の良さがよくわかる。

子どもたちの参拝を終えてからの30分後。

時間帯は午後7時半になっていた。



小規模な夕焼けであるが、マジックアワーに心が躍る。

スマホでも撮れますよ、と、声をかけた女性は喜んでくれた。

昔は当番の家で会食をしていたという。

自前の食事にお寿司とか弁当も持ってきていたが、手間のかかる当番家の負担をなくして場所を地蔵尊の前に移した。

心地いい場で歓談は、御供した人が御供下げに来るまで会食しているという。



御供は講中以外の村の人も持ち寄るそうだ。

御供下げの時間は午後9時くらい。

たばりに来る人の時間も考慮して、設営の後片付けは翌朝になると話していた。



ちなみに9月1日は春日山に登って「こうぜんさん」参りをするという。

「こうぜんさん」は「鳴雷神社」のことらしい。

山歩きにヤマビルが出没するから足まわりは万全の体制にしておく必要がある。

また、参る先は春日山の禁足地。

普段はだれも侵入できない地を普段着で参る。

午前10時に集合する人たちの中には地蔵講の人たちも居るが、古川町の水利組合員が総勢になるのでバスに乗って出かける参拝。

春日山に行く道は有料通行の「奈良奥山ドライブウエイ」の利用。

その日の参拝に取材をお願いしたら了解してくださったが、バスには乗ることはできない。

なぜなら参拝後の組合員は一席を設けるので、バスの後ろに付いていく条件である。

(H28. 7.18 SB932SH撮影)
(H29. 7.23 SB932SH撮影)
(H29. 7.23 EOS40D撮影)

帯解周辺の地蔵盆巡り

2018年09月08日 07時46分29秒 | 奈良市へ
この日はとにかくあちこちで地蔵盆がある。

どこへ行くかは選択肢が多すぎて迷いに迷う。

なんせ、在住地の大和郡山市内では7月にも8月にも地蔵盆がある。

7月は22地区で、8月は39地区にもおよぶ。

尤も大和郡山市内の地蔵尊は119地区にあるが・・・。

比率は大和郡山市内とは異なるが、7月、8月分かれの地蔵盆は天理市も奈良市もあるし、下市もそのような状況であることは認識している。

地域で行われる年中行事の中では最も多い行事が地蔵盆ではないだろうか。

それだけにどこを取材するか、実に悩まされる選択である。

大和郡山市内だけでも未だ40地区しか取材ができていない。

そこを振り切って出かけた目的地は奈良市の帯解地域。

かつて奈良市今市町帯解寺の子安地蔵会式や、そこより街道を南に下った奈良市柴屋町龍象寺の地蔵会式を拝見したことがある。

街道には夜店もたくさん並んで賑わいの地蔵盆に人々がごった返す。

その街道を東西に走る旧街道(五ケ谷街道)がある。

朱塗りの鳥居を挟んだ街道向こうに地蔵さんが目に入った。

鳥居がある神社は今市の春日神社。

今夕の子安地蔵会式の出発地である、その真ん前にあった地蔵さんを祀る祠の天井に提灯がぎっしり。

なんぼほど、あるんや、と声が出てしまうほどに多い吊り提灯に圧倒される。

奥には塔婆が数本ある地蔵尊は福徳延命地蔵尊。

野菜などのお供えがあった、その場に丸めたゴザがあった。

行事は終わったのか、それとも未だなのか。

尋ねてみる時間的余裕はないが、なんとなく念仏講の営みを想像してみた。

今市には「コネンブツ講」と呼ばれている講中がいる。

これまで公民館で行われる7月地蔵盆の数珠繰りやチバミ墓地内で行われる春彼岸の数珠繰りを取材したことがあるが、ここ福徳延命地蔵尊でもしているとは聞いていない。

別の講があるのか、それとも地区婦人会がされているのか、一度訪ねてみたい。

東西に抜ける街道を走る。

奈良市今市の一番西の集落外れに地蔵尊がある。

そこは通る度によく参拝者を目撃する。

高齢の婦人であるが、お顔は見る度に違うように思えてならない。

思わず車を停めて話しを聞いてみたいと思っては思うが、一瞬にして思いは消える。

そこから東へ、東へと行けば前回に紹介した福徳延命地蔵尊に巡りあえる。

そこよりもう少し行けば、JR桜井線を跨ぐ鉄橋越え。

最寄りの駅は右手にある帯解駅。無人駅である。

さらに東へ行けば古来は上ツ道と呼ばれていた南北に貫く旧街道(初瀬街道の名もある上街道)にでる。

さらに東に向けて走る。

それほど遠くない距離。

左手に地蔵尊がある。

そこもお供えをしているが、先を急ぐ。

もう一つは山町の八坂神社裏にある地蔵さんである。



お供えは採れたてと思われる野菜盛り。

白色のゴーヤに長茄子。

ピーマンに赤パプリカに、これまた赤いトマト。

仏花も飾って奉っていた。

それを拝見していたときのことだ。

南側にある道から一輪車を動かす男性の顔が見えた。

畑で収穫した帰り道に遭遇した男性は実に久しぶり。

長年において関わっている自然観察会でたいへんお世話になっていたY先生だった。

しばらくぶりに地蔵さんの前で立ち話。

お顔も喋りもお元気になられてはいるものの、見た目では気がつかない息苦しさを話してくださるのが辛い。

病いの状態は違うが、わが身もそうだけに辛さは共有できる。

愛鳥会も退いて、今は朝、夕の畑に孫の送迎だけの暮らしにしているそうだが、来年2月の馬見丘陵の観察会は一緒に行動できそうだといわれる。

「無理しやんといてください」と伝えて別れた。

(H29. 7.23 SB932SH撮影)

診察結果は膀胱炎

2018年09月07日 09時33分03秒 | むびょうそくさい
就寝中、尿意で目を覚ますこと3回。

午前1時に3時、5時。

3回のトイレすべてが辛い痛みで尿が排出できない。

出るときに痛みがあるから、簡単には出てくれない。

前日同様のちょびちょび。

たまにはドバーとではなく、チョロチョロ。

起床時も尿意を感じて目を覚ました午前7時。

そのまま放置しても治る見込みはないようにも思えてきた。

ただ、ちょびちょび、チョロチョロであっても残尿感はない。

すっきりしている方であるが、食欲はいつもよりない。

尤も、心臓の病以降の食欲はとんとない。

たらふく食べる気なんてまったくないから、テレビのバラエテイ番組が伝える大盛料理とかバイキングなんてものは指をくわえてきているだけだ。

排尿がスムーズでなければ心臓どころか、お腹が重たくなる。

水が溜まっているようなお腹の張り具合が象徴している。

前夜の食事はいつもより量を少な目。

しかもお腹が減る時間まで伸ばして午後8時半にしたが、体調は戻らない。

今朝の状況を見て午後に決断。

お昼の量を少なくしてもらって食べたかが、一向に良くならない。

そりゃ、そうである。

なんの手当もしていないのであれば、治りようがない。

もしかとして膀胱炎では。或いは尿道炎かもしれない。

で、あれば医者に診てもらうのが先決。

ところが午後の診察をしている診療所はとても少ない。

午前にその判断をしておれば最寄りの上田診療所になるが、午後はない。

あれやこれや、午後に診察ができる診療所をかーさんが探してくれた。

一つは田北病院。

問い合わせた結果は泌尿器科の医師は午後不在。

内科ならと云われるが、はっきりと当院に来てくださいとも云わない。

もう一つは本庄町のかきざきクリニック。

同院をはじめて知ったのは大方9年前。

送迎していた患者さんが通院していたクリニックはほぼ女性クリニック。

つい、数か月前にもかーさんが世話になった。

現況を電話で伝えたら、まずは来診してください、である。

来診時間を指定されたが、尿意をもよおす。

家のトイレで済ましたら、溜まるまで待たなければならない。

そうと思ったら吉日。

初診手続きはあるし、尿検査もあるだろう。

診察時間は指定されていても先にそういった手続きは多少の時間が要る。

そう思って、早めの処置に期待を膨らませて車を走らせた。

着いた時間は診察時間の30分前。

アンケートではないが、現況を伝えるシート記入。

なにが大事かっていえば、私は毎日に服用する利尿剤で生きている。

これがなければ心臓に負担がかかる、ではなく、心臓の動き、つまりは心拍数が低いから、排尿を薬によって助けているのだ。

利尿剤は2種類ある。

一つはラシックス錠20mg。

朝に1錠、昼に1錠だ。

もう一つはアルダクトンA錠25mg。

昼に1錠を飲んでいる。

他にもいろいろあるがここでは省略するが、クリニックには一つ一つ記入するのもめんどくさいので、通院している病院の「おくすり説明書」を提出する。

服用に至った経緯は館単にいついつの心臓僧坊弁形成手術にいついつのカテーテル焼却処置は書いておく。

その間に測った体温は37.2度。

微熱のせいでしんどいのである。

尿検査が辛い。

尿意はあるのに小便が排出されない。

しばらく待てばチョロチョロ。

量はそれほどない。

濁ってはいない尿は白色だった。

ついでに測った血圧、心拍数は101-51に64拍だった。


クリニックの血圧計の出力リストがすごい。

本日、現時点の気温に気圧まで印字されている。

ちなみに午後1時46分の気温が25.6度で気圧は1003hPaである。

本日はどこもでかけたくない外気温にクリニックのお部屋は快適である。

それはともかく、心拍数は一般的数値であるから尿意がある。

排尿がチョロチョロだけに量が少ないから尿意回数が30分おきである。

診察時間前ともなれば患者さんが続々。

もちろんご婦人ばかりであるが、男性も。受付の人が尋ねたら奥さんのつきそい。

その男性の顔を見て思い出した。

どこかでお見かけした男性である。

ご互いがそう思ったのである。

お住まいはといえば矢田山。

新興住宅地のようである。

どこでお会いしたのか二人とも思い出せない。

もしかとして自然観察会のときにお会いしたのでは・・・。

そういえば大勢の人たちがいていました、というから間違いないのであるが、いつ、どういうときに遭遇したのか思い出せない。

お名前はと聞けばHと答える。

ますます思い出した自然観察会であるが・・・。

そんな出会いがあったクリニックの診察結果は・・。

尿に炎症がみられるので、症状から判断するに膀胱炎であると下された医師。

抗生剤をだしときますから、今日の分はすぐにでも飲んでください、である。

その傍から看護師と思われる人が云った。

「水分はできるだけとって排尿されますように・・・」にえっ、である。

私は利尿剤を服用している患者でもある。

そこへもって水分を多めに摂ることは厳禁である。

それで察したのか、ビールの量を減らしてください、という。

看護師さんが云いたかったのは「膀胱に溜まっていり大腸菌をいち早く排出する」ということだが、私のような利尿剤を服用している者にとっては、どうしたもんじゃ、である。

支払いを済ませてひだまり薬局に。医師の処方箋を提出したらジェネリック医薬品でよろしいでしょうかと問われる。

それで十分ですと答えたら「レボフロキサシン500mg」を適用された。

効能は抗菌薬。

注意書きに「車の運転や危険な作業には十分注意ください」とある。

帰宅してからネットで調査。

それによれば効能は細菌を退治してくれるニューキノロン系の合成抗菌剤になるそうだ。

膀胱炎の原因は大腸菌。

そうであれば、私の体内で大腸菌が動いたということになる。

薬局主がなにかと質問される。

同薬局にも服用している「おくすり説明書」を提出していた。

そのリストを診ていたからであろう、多いですね、と云われるから、薬局主までこれまでの経緯を伝えなくてはならない。

そんな話しをすれば主が云った。

膀胱炎の薬は自宅に戻ってからよりも、今、飲まれたら、という。

私もそう思っていたから、ありがたい言葉である。

浄水器の水を汲んでくださった水を飲んで1錠の「レボフロキサシン500mg」を飲む。

効き目はいつ現れるのか。

楽しみであるが、クリニックでお会いしたHさん。

私も実は膀胱炎になったことがあるという。

それも血尿症状。

私よりかはもっと悲惨な炎症で苦しんだでしょうといえば、抗生剤を飲んですぐに痛みは止まったそうだ。

痛みは止まったが、炎症がすっかり消えるまでは1週間もかかったという。

その体験談、心得ておこう。

それにしてもだ。

一般的に女性がほとんどの膀胱炎が男性も、である。

それはともかく午後7時。

測った体温は26.7度だった。

その後である。

23日はちょっとマシかなと思える程度。

その日の昼食を済ませて薬を1錠。

午後4時ころはなぜか身体が軽い。

これは行ってもいいという証拠。

帯解地区などの地蔵盆前の状況確認に巡った。

翌々日の24日も身体はすっきりしているが、治らないのは同じだ。

尿量はまあまぁある。

回数も少なくないから元の状態に戻りつつあるが、排出に至るまでが時間がかかる。

尿意はるのに勢いもない。

チョンチョロリンである。

出る寸前は痛さもあるような、ないような。

とにかく出だしが問題である。

この症状については依然とすっきりしない。

実は、である。

今になって、膀胱炎に前兆があると思っている。

それは排出される尿の匂いである。

普段の場合はまったく気にならないわが身の尿であるが、痛みが出る三日、四日前から匂いが気になり出した。

はっきりいって臭いのである。

トイレに換気扇は設備していないが、夏場になれば簡易な扇風機が登場する。

トイレに籠っていたら体内から発生する熱で充満するのだ。

入れ替わりに家人がトイレに入ったとたんに発声する言葉は「アツイ!」である。

私自身は夏場にいつもスイッチを入れる扇風機。

ときどき切り忘れをして怒られてはいるが・・・。

話しを匂いに戻そう。

とにかく、その数日間は尿臭が異様に臭かった。

鼻を曲げるぐらいに臭かった。

排便でも感じたことのないわが身の排出臭気。

それが膀胱炎処置の薬(レボフロキサシン錠500mg「DSEP」)を飲んだ翌日から消えた。

あれはやはりそうだったのか、と思っている。

※レボフロキサシン錠500mg「DSEP」は細菌による感染症治療薬

(H29. 7.22 記)

ラ・ムー葛城忍海店の麺セット助六寿司

2018年09月06日 09時12分14秒 | あれこれテイクアウト
先月だったか、それとも前々月だったか記憶にないが、ラ・ムーの格安弁当シリーズにニューフエースが登場していた。

夏場需要を設定したその弁当は冷やしつけうどん。

それが基本形。

脇役かどうかしらないが、そのうどんにこの日買った助六やちらし寿司にトンカツまである。

バラエテイすぎるようにも思えた麺セットを何時食べられるか。

その機会をうかがってした。

先週も立ち寄ったラ・ムー桜井店は売り切れたのか、商品棚にはそれらしきものがまったくなかった。

この日の午前中は橿原市まほろば大学校での講演会。

主宰の奈良民俗文化研究所代表からお願いされていた講演会の大テーマは「奈良の民俗を撮る」である。

私は橿原市民向けに民俗行事を紹介したいと考えた。

サブテーマは「橿原の年中行事」である。

さて、市内行事のうち、どれを選んで紹介してあげたら、えーのか。

さんざん悩んだ結果は写真で紹介する橿原市の県指定無形民俗文化財行事を筆頭にノガミ行事、ツナカケ行事、オンダ行事に初午行事のハタアメである。

講演時間は1時間半。

予定ではそうであったが10分の超過。

お一人はキッカリ退出された。

それはともかく参加者人数は42人。

これまで私が講演したなかで一番多い。

地域の文化、歴史を知りたい人は参加登録をされている人たち。

年に8回の多様な講演に参加されているという。

登録は2年間。

16回のお勉強である。

地域住民にとっては生まれ育った地の歴史、文化を知ることは大切なことだと思う。

私は大阪生まれの大阪育ちだが、今現在は奈良県大和郡山市内。

住んでいる県や市内で行われてきた行事をもっと知りたいと思っている。

知った行事は記録して公開する。

これまでどこの地域も無形民俗文化財はぞんざいのような気がする。

人知れず消えていったものは山ほどあるような気がしてならない。

参加者の皆様方自身で記録し継承していかれるようお願いしたい講演内容でもある。

講演が終われば肩の荷が下りたような気がするが、身体の調子が今一つ。

熱中症にでもなったようなしんどさであるが、所用で御所の西佐味に出かけたい。

くるくる寿司店の寿司以外の食事でもと思っていたが、店が見つからない。

仕方ないといえば申しわけないが、ラ・ムー葛城忍海店の税抜き184円弁当で満たすことにした。

ここの店で売っていたのが嬉しい。

たった一つの商品購入。

カンカン照りの駐車場で食べさせてもうう。

もっともラ・ムーにはイートインコーナーはないから、我が車内である。

クーラーの効き目がもう一つの軽バンに室内はぬるめ。

うどんの出汁はパックのところに注ぐ。

量が多いから溢れてうどんを盛っている箇所まで浸水。

それでもなんでもいいからうどんを出汁につけて食べる。

うどんは冷たくもなかった。

商品棚にあったときは冷たかったが、車中に移している間に温度が上昇した・・・のかもしれない。

つるつる喉越し。

出汁はやや辛目。

不味くはないが、辛目。

うどんにコシはないが、浪速うどんまででもない。

いわゆる一般的なうどん麺のような気がする。

この出汁に生生姜があれば、旨みがでるのでは、と思うが、なんせ税抜き184円。

コストを切り詰めた結果がそうなのだから、私は文句を言わない。

ただ、ラ・ムーの弁当はとにかくご飯が美味い。

ところが今回の助六はいなり寿司に巻き寿司。

酢メシは利いているが、どっちかといえばべっちゃり感だった。

惜しいな、である。

この日は帰宅しても熱中症のような具合は持続したままだ。

冷房を利かしたパソコン部屋で記入対応しなくちゃならんもんがある。

もうひとつは本日の講演主宰に講演状況を伝えることだ。

温度設定に我慢ができずに24度まで下げた。

なんとか身体の火照りは冷めたが、気になるのは小便である。

利尿剤を服用しているのだが、この日の出具合が悪い。

尿意をもよおすが排尿が少ない。

いつもそうであるが、薬の関係で早くて30分おき。

長くても1時間おきの尿意。

利尿剤の服用は朝、昼。夜は就寝するので飲んでいない。

実は講演が気になっていたことから昼の薬を忘れた。

自宅へ戻った午後3時に飲んだが・・。

尿意はあるけどちょびちょび。

それだけでなく、出始めが痛いのである。

この痛さは過去にもあったような気がするが、一日で治ったような・・。

それとも手術処置するに尿道管を外したときだったけ。

一晩寝たら体調も整うであろうと思って床につく。

(H29. 7.21 SB932SH撮影)

橿原に葛城の二カ所に農産物直売所

2018年09月05日 08時27分13秒 | あれこれテイクアウト
先月、たまたま通りがかった広域道路の中和幹線道路(県道105号線)。

橿原市郊外に建つ「まほろばキッチン」がある。



開店当時はニュースで伝えられるなどしていたが、どういう処か知ったこっちゃないと思っていた。

というのもインタビューを受けていた人のコメントを聞く限りであるが、心に伝わらなかったのだ。

JAならけんのまほろばキッチンが開店したのは平成25年4月にグランドオープン。

いやはや、あれから4年以上も経っていた。

一度ぐらいは入店してどのような商品をどれぐらいの価格帯で売っているのか見たくなった。

好奇心だけである。

トイレ休憩も兼ねて駐車場に車を停める。

初入店日は先月の6月23日。

売り場をざっと眺めて品定め。

昨今はよっててもそうだが、仏さんの花が多くある。

もちろん一般的なお花も豊富にある。

植木もあれば山野草もある。

心の中にある欲しい時代はとうに過ぎ去っていた。

お土産品はどうでもよく、新鮮ネタを覗き込む。

お魚、お寿司に肉類・・。

とてもじゃないが我が家には合わない上等もん。

もちろんお値段も上等もん。

美味しそうな魚介類の新鮮度合いを見るだけだ。

ここは千人以上の農家さんが出荷登録をしているそうだ。

産直市場のよってっても負けるであろうと思える登録者数に圧倒される。

さすがのJAだと思ったが、野菜、果物類だけのように感じる。

肉、魚介類は我が家のサイフに合わない金額だったが、野菜は飛びついた。

採れたて野菜がこれほど目移りする。

いや、値段に、である。

商品棚にある品物を手にしてこれはいける、いけないを選別する。

品物の値段相応なのか、これまた何品かを手にとって比較する。

これやと思えば家に電話をする。

すでにかーさんが購入済であるかもしれない。

ダブってしまえば、こりゃこりゃ、である。

こんな面白いものがあるで、と伝える。

買ってもいいよと返ってきいたら買い物かごに入れる。

何十年もそうしてきた一人買いの買物方法である。

支払いは現金、ではなく、まほろばキッチンはクレジットカード支払いが可能。

ありがたい対応にまた来たくなる。

それから数週間後に落ちずれた今日の買物である。

この日は日曜日の午前10時半。

店内は購買客でごったがえしている。

人気のまほろばキッチンに支払いレジも行列だ。

この日の目的商品は治道トマト。

知り合いの・・も商品を並べている。

治道トマトは美味しい。

つい先日はAコープで箱入り娘を買った。

娘は赤い治道トマト。

とても美味しかったから買いにきた。

もっと美味しいのが桃太郎トマト。

これを食べるようになってからは夏の食事テーブルを飾る日が増えた。

大きいトマトは選ばない。

そこそこの大きさでいい。

袋詰め数個の桃太郎トマトの値段に飛びついた。

結局は7ツも買ってしまった。

他にも5種類の野菜を買ってたったの千円。

嬉しい悲鳴をあげる。

ところで、まほろばキッチンに食事処がある。

レストランが2店舗。

フードコートが1店舗。

食べたくもない商品に値段も我が家のサイフでは支払いできない価格帯。

これならうどんチェーン店の方に足が向く。

翌日の17日は所用で五條市や御所市に出かけた。

帰り道に選んだ山麓線。

橿原市の曲川から京奈和道路に入ったが、逆方向の北向き車線は大渋滞。

御所の玉手辺りからほとんど動いていない状態だったから、渋滞を避けた迂回路を山麓線にしたのだ。

工事中の御所南ICと五條北ICを結ぶ大和御所道路が来月の8月19日に開通する。

出口の曲川で混むこと必至になること違いない。開

通はしても曲川から南行きの和歌山行きだけに限る。

利用したいと思うときは和歌山市内に出かけるときか、十津川村に行くときだけになるかと思う。

逆のコースであれば夕刻以降の利用にしたい。

そう思ったこの日の渋滞が恐ろしい。

で、葛城山麓線。

一部で混んだ所もあったが全般的にスイスイ道路。

同じ片道一車線でもえらい違いである。

ここでふと思い出した道の駅。

昨年の7月はまだまだの工事中だった道の駅は国交省選定重点道の駅の「道の駅かつらぎ」は平成28年11月3日にオープンしていた。

完成したら付近の農家さんも栽培した品物を売るようになるだろうと太田区長が云っていたことを思い出す。



さてさて、どんな具合か、この日は時間的にも余裕があるから店内を見て回ろうと、辿り着いた駐車場は満車。

出庫するところ車があれば入庫。

そんな状態であった駐車場は店舗前の駐車場。

一段低い駐車場はさほどでもないが、店舗前は街行列。

この日は海の日の祝日日。

来店者数も多かったのだろう。

店舗は大きく分けて農産物直売所とフードコート。

野菜はここも新鮮な品物が並んでいた。

この日もまた家に電話をして要望を聞く。

昨日も買っているからナスビを追加するぐらいだろ思えば黄色いマクワウリがある。

私ら世代はキイマッカの呼び名で育った。

キイは黄色。

そのまんまである。

キイマッカの選別はお尻にある。

尻に鼻をよせて嗅いでみる。

透明袋に包まれているが、嗅いだ香りでわかる。

美味いのはとても香りが良いもの。

甘い香りが鼻にツンときたら、買いである。

10個くらい嗅いで選んだキイマッカは一つが100円。

他も似たり寄ったりの大きさに合した価格帯。

どれでも良いが、これにした。

とことで、だ。

ここのフードコートはどれもこれも我が家のサイフとまったく合致しない価格帯。

麺類も丼もランチ、どれもこれもが高いのである。

私はどこへいってもぶっかけうどんで味をと値段を確かめる。

それすらできないフードコーナーの麺類にはまいった。

鰻のランチ何ぞは千円札一枚では足らない。

相席ばかりのフードコートで食事するには似合わない鰻だと思った。

(H29. 7.16 SB932SH撮影)
(H29. 7.17 SB932SH撮影)

庵治町・出垣内/茶垣内のゴウシンサン

2018年09月04日 10時02分51秒 | 天理市へ
Kさんが独り参拝をしていた天理市庵治町・旧木之本のゴウシンサン。

御供の状態を見届けてすぐ近くになる出垣内に向かう。

前年の平成28年7月16日に立ち寄ってみたものの、行事はとうに終えていたようで、設営も砂盛りもすっかり消えていた。

たぶんに午後6時であろうと思って出かけた出垣内。

何人かの人たちが集まっていた。

伺えばもうすぐ始めるという。



二人の代表にお願いした急な取材であるが、昨年の顛末を伝えたら、よう来てくださったと受けてくれる。

ありがたく受けてくださった代表は年当番のMさんとNさん。

Mさんは四国が出身。

50年前にイリクをしたという。

この日は氏神さんを祭る菅原神社の氏子役員の総会があるから、いつもより早めてもらったという。

ちなみに庵治町に神社が三社も鎮座する。

春日地区は春日神社。

北垣内、南垣内の旧木之本地区は伊勢降神社。

ここ出垣内に茶垣内は菅原神社が氏神さんであった。

集まった人たちは出垣内(14軒)に茶垣内(11軒)の氏子たち。

祓の詞を奏上するにわか神主役を務める当番が主となってゴウシンサン行事が行われる。

出垣内の地に建つ大神宮石塔は「太神宮」。

「天保四乙未(1833)十一月」の年代記銘の刻印があった。

太神宮の前に設えた提灯立ては屋根付き。

いわゆる高張提灯に「太神宮」の文字をあしらった提灯を吊るした。

その前にも提灯を吊るすが、これらは家の提灯。

それぞれ固有の家紋がある提灯である。

白いのは近年に新調しなおしたものであろう。

渋い色調の提灯は古い提灯。

たかだか40年前に新調した提灯でも、ここら辺りでは新しい方、もっと古いのは飴色になるという。



火を灯すのも当番の男性。

一つずつ口を広げてローソクに火を点けていく。

ゴウシンサン行事に捧げるサカキ。



お神酒に塩、米を供えて、まずは2礼2拍手1礼。

壁際に並んだご婦人たちも合わせて2礼2拍手1礼。

次が石上神宮の神職に書いてもらったという祓の詞を広げて奏上する。

その場合は座って奏上される。



みなも揃って手にした祓の詞を奏上する。

「かけまくも かしこき はらいどの おおがみたち ・・・」など、わかりやくすく、読みにふりがなを書いてあった。

どことなく愛おしさを感じた神事に心が温まる。

このような在り方は珍しいのではないだろうか。

これまで県内各地のさまざまな行事を取材してきたが、初見の在り方に感動した。

ちなみに菅原神社にも行事を務める五人衆制度があるようだ。

隣垣内の伊勢降神社にも五人衆組織があると聞いているから一度拝見してみたいと思った。



神事を終えたら御供のお菓子などを配る。



子どもたちが歓ぶお菓子を手にして戻っていった太神宮に塩と米を盛った。

ちなみにお神酒は清めに辺りに撒いていた。

(H29. 7.16 EOS40D撮影)

庵治町・旧木之本のゴウシンサン御供

2018年09月02日 09時06分12秒 | 天理市へ
先月の6月18日にも訪れていた天理市の庵治町。

上街道沿いに建つ旧木之本にゴウシンサン行事があった。

ゴウシンサンにお供えをしていたのは太神宮ではなく八王子社であった。

ずっと昔から、そうしていると話していた太神宮は北垣内に建っている。

6月18日に訪れた際に表敬訪問したKさんが話していたゴウシンサン行事。

実は平成28年が最後になって、今年はもうすることはないと話していた。

ただ、それでは寂しいだろうから、お供えだけはしたいと云っていたので、その状態を拝見したく立ち寄った。

お洗米に塩。マッカ瓜に黄マッカ。

長ナスにキュウリ。袋に詰めたスルメにシイタケ。

神饌御供をお盆に盛って供えていた。

ローソクに火を点けていたと思える痕があった。

Kさんが云っていた通りに独り参拝をしていたのだろう。

(H29. 7.16 EOS40D撮影)

芝・北ノ町のダンジングサン

2018年09月01日 09時47分41秒 | 桜井市へ
大字箸中で行われたノグチ行事を拝見していた。

その次に訪れたのは箸中の中垣内にあるという転がし地蔵石仏

所在地を確認した次はどこに行けば民俗に遭遇するのか。

車が向かった先は箸中の隣村になる桜井市の大字芝である。

昨年の7月24日は箸中それぞれの垣内ごとに地蔵盆があるとわかった地蔵さん巡り。

行事場の確認にぐるりと巡っていた。

その一角に隣村の大字芝に地蔵盆をしていることがわかった。

すぐ近くの和菓子屋さんの北橋清月堂の通りはかつての古道。

その名も上ツ道と呼ばれた古代の幹道である。

やがて時代を経て長谷寺詣でに通る上街道の名で呼ばれる古道である。

大字芝で拝見した仕掛り中の地蔵盆は芝の人たちの行事である。

街道を隔てた東側に大神宮の石塔が建っていた。

この日は7月16日。

たぶんにダンジングサンの行事をしている可能性がある。

そう判断して車を走らせたら、数人の人たちが集まって行事の準備をしていた。

午後4時に提灯を調えて笹竹を立てる。

大神宮の石塔には御供も揃えておく。

それから1時間後には拝むだけやという神事が執り行われる。

そう話してくださった北ノ町の人たちに急遽お願いした行事取材である。



かつて岩田村と呼ばれていた桜井市芝は、北垣内、中、南、西の垣内の他、寺垣内があるようだ。

当番の組は垣内の廻り。

4年に一度の廻り当番の垣内組が御供などを持ち寄って祭事を行う。

7月24日の地蔵盆も同じように廻りの当番班があたる。

実は遭遇する数時間前にも芝に来ていた。

ダンジングサンの様相を確かめに来ていたのだ。

箸中のノグチ行事を拝見してから中垣内の転がし地蔵の場の確認。

それから食事を摂りに橿原市のまほろばキッチンに向きを替えて戻ってきた。

その行程に一軒の家を訪ねていた。

そのお家におられた男性は箸中のノグチを遠目で拝見していたという。

見終わって自宅に戻って涼んでいたところに私がやってきたということだが、お家でお会いするのが初めてだったAさん。

ダイジングサンをする班でないからこの日の行事は参加しないというが、ほぼほぼの時間帯を教えてもらっての再訪である。

提灯を調えていた当番の人たち。

その提灯を立てる提灯棒に「大神宮提燈棒 平成11年7月吉日 第14班寄贈」とあったから現状は班分けのようだ。

この年の代表は9班のNさん。

とても元気な70歳は単車に乗って、連絡ごとなどで忙しく駆け廻っている。

行事を始めるまでの時間を過ごす当番の人たちが佇む大神宮の石塔は、風化はしているものの自然石でできているという。

周囲を見渡してみたが、年代を示す刻印は見られなかったが、「畑 奉納 杉本熊次郎」の名を刻んでいた。

一般的に大神宮の石塔はいわゆる常夜燈型。

ローソクを灯せるように火袋はあるが、ここ芝の大神宮は珍しい自然石そのものの形態。

火袋なぞはない。



木箱に古き時代を示す墨書があった。

「明治三十三年七月吉日 新調 大神宮 北 町内安全」とあるから北垣内の所有物。

今から118年前に新調された御供箱に損傷は見られない。

大切に引き継がれたと伺える木箱である。

ダンジングサン(大神宮)に祭壇を組んで御供を並べた。

御供餅も昆布もお頭付きの干しイワシもすべて袋入り。

行事を終えて垣内に配られる御供であるが、清潔さを保つために袋詰めしていた。

次の壇は袋入りのお菓子を。

その下はペットボトル茶に大きなカボチャ。



最下段も朝取野菜がどっさり並べた。

最近流行りのムラサキシシトウにシシトウ、ゴーヤ、ピーマン、キュウリ、2種のトマト。

艶があるから美味しそうに見える。



そろそろみなが集まってきたから始めよう、と一同が揃ったところで拝礼した。

予定の時間よりも早くに始まった拝礼はローソクを灯してから・・・。



2礼、2拍手に1礼をして終わった。

参拝を済ませた一同は場を移す。

西日の日差しを避けた場は樹木の陰。

涼しく風が通り抜ける場に囲むように座った。



乾杯の合図にお神酒をいただく。

仕出し屋料理店に頼んだ料理を囲んでダイジングサン行事の直会。

大人に混じって子どもも参加している直会だった。



30年ほど前までは家で作ったおにぎりにおかずを詰めた重箱持参の直会。

みんなそうしていたという直会は「籠りの弁当喰い」だった、と話していた。

ちなみにこの日に参列していたご婦人が橿原市の十市郷の行事を話してくれた。

行事の一つに愛宕さんがあった。

掛軸があって変なものがあった。

子どものころのことやからはっきりと覚えていないが、お日待ちもあったという。

お日待ちの籠りの夜は食べあかしていたというから、おそらく北八木町では、と思った。

平成22月の8月24日に取材した八木町の住民がそう云っていたことを思い出した。

婦人が子どものときの記憶の変なものは、おそらく特殊な形で作る御供であろう。

(H29. 7.16 EOS40D撮影)