マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

天理市山田町・中山田の天を突く白い花に桜樹・伝えたい暮らし民俗譚

2024年12月21日 07時52分37秒 | 天理市へ
天理市の山田町。

下山田の次は中山田に向かう。

田植えじまいに、おばあさんがこしらえたふきだわらを、カワヤナギの又にひっかける。

幣をさしたカワヤナギを畦に立てて、豊作を願う


90歳近くのおばあさんが、生きている間に撮ってや、とお願いされたコロナ元年。

その映像は、「私がとらえた大和の民俗」テーマの一コマに記録した。

中山町では、下山田も同様の習俗が行われていたが、数年前にすべてが消えた植え初め。

足しげく通って旧来の農村のあり方を記録してきたが・・・今はもう見ることはない。

母親の姿を撮ってもらって、こんなに嬉しいことはない、と喜んでくれた娘さん。・・。



別れに見た白い花が、天を突くように咲いていた。

すぐ近くの蔵輪寺に咲いていた大きな桜樹。



これもまた天を仰ぐ。

下山田に住むSさん。

かつてはブトクスベをしていた、という。

腰のバンド止めの輪に棒を挿して入れて固定。

その格好で田植えをしていた。

そのブトクスベの映像も「私がとらえた大和の民俗」写真展の図録に取り上げたからこそ、思いだされたSさん。

雨の降る日は、柿の葉をブトクスベに巻き付け、藁やブトクスベの綿布が濡れないようにしていたそうだ。

ふきだわらつくりをしてくださった中山田のおばあさんの娘。

K・Tさんも話してくれたかつての暮らしの民俗。

ともに暮らしていた母親がしていた民俗の一つに十五夜さんがあった。

十五夜の月見に、母親は外に水を入れた容器を置いた。

水溜めに月の姿が映るように・・・

まるで水鏡のようになった水をもって顔を洗っていた。

この話題も、図録「私がとらえた大和の民俗⑩」を献本した数々の民俗の中から、目をとめてくださった十五夜の芋たばり。

共通する民俗体験に図録の1頁が役立った。

頭の片隅に残っていた古い記憶を呼び覚ました記録映像をきっかけに、さまざまな民俗のあり方に関心をしめしてくださったことに感謝、感謝である。



帰りに喉が渇いたら呑んでね、といただいた缶コーヒーが温かい。

(R4. 4. 9 SB805SH 撮影)

天理市山田町・公民館前に映える桜

2024年12月20日 07時51分02秒 | 天理市へ
足痛に悩まされ、歩行が困難になった奈良市・荻町住民。

そして、天理市・下山田のご夫妻にお礼行脚を済ませて場を離れたその直後に見た桜樹。

現在は市立山田公民館だが、旧小学校校舎の転用活用。

通りがかりにいつも見る旧校舎


懐かしさを覚える建物景観に桜も喜んでいるようだ。

ちなみに木造旧小学校校舎を建てた年は、戦前の昭和10年(1935)。

今から88年前に暮らしていた住民は、子供たちのために伐りだした木材を出し合って建築したそうだ。

山田の歴史的景観に、誰しも懐かしさを思い浮かべる風情に桜樹は、まだまだ若そうだ。

旧校舎から見た東向かいにも歴史的建造物が建つ。



田植え前の荒起こしに耕運機もフル稼働の季節に移っていた。

(R4. 4. 9 SB805SH 撮影)

奈良市・針ケ別所の菜の花に鯉のぼり

2024年12月19日 07時53分17秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
この日の活動は、行事取材に協力してくださった方々へのお礼まいり。

3月27日まで展示していた県立民俗博物館事業の「私がとらえた大和の民俗写真展」。

3枚目サブテーマの「で、あっても、なかっても・・」。

携帯電話で撮った小さな写真。

L版にプリントした民俗行事写真は27行事もある。

取材地は24地区。

1日に3カ所行けるとしても、8日間はかかる。

なかなかその時間が確保できない家庭内事情であるが、なんとか空白の日を得て車を走らせた。

4月3日は6地区も巡った。

東山中ではお花の景色に出会わなかったが、それから6日目の今日は・・・

奈良市荻町にセットしたカーナビ。

えっ、ここで右に折れんのかい。

ハンドルをきったそこが集落の入口。

橋の下を覗けばホタルが飛び交う姿もちらほら・・・。

以前、虫取り捕虫網をもった親子さんに遭遇したこともある。

籠に1匹、2匹・・・

今の時季は、一面に広がる菜の花畑

景観を考えて、地域の人たちが植えた針ケ別所の地。

向こう側に連なる鯉のぼりの情景を撮っていた男女二人。

映える黄色い園に佇んでいた二人。

どちらか来られたのですか、と尋ねたら隣村の都祁白石。

実は、二人とも母国のスリランカから来日したご夫妻。

白石からの移動は、軽快な自転車。

旦那さんから頼まれた記念写真。

渡されたコンパクトカメラで何枚か、シャッターを押してあげた。

全身姿にバストショット上半身。

角度を替え、背景も十分に入るよう撮ってあげた映像を見て、ありがとうございます、と声をかけ、去っていった。

別れてからこちらも撮ろうとしたら、今の今まで勢いのあった鯉のぼりがだらーり。

風も吹かねばだらり姿。

シャッター構えた一瞬の風。

そのとき、風に捲かれて捩じってもうた。

ちなみに夏場の当地は、ひまわりの園になるようだ。

(R4. 4. 9 SB805SH 撮影)

今月2度目の餃子の王将針インター店に味わう天津麺

2024年12月18日 07時56分01秒 | 食事が主な周辺をお散歩
広瀬の村イベント。

西方寺の花まつりに広瀬の郷土料理と伝わる焼いたサンマのさいらの開きをのせた広瀬寿司を知った日。

イベントは午後も続くが、ここら辺りまでくれば、郷土文化の民俗取材にお世話になった方々に写真展のお礼巡りも行動したい。

途中に挟む今日のお昼。

初夏の暑さを感じるくらいの今日。

気温は、ぐんぐん上昇し、まるで夏日を思わせるが、実際は24.5度だった。

山添村広瀬から針インターまではそれほど遠くない。

近場と云えば、近場になる針インター。

車中の暑さにくったくた。冷たいソーメンでも食べたくなったが、付近にはソーメンを提供する食事処は、たぶんにないだろう。

ハンドルを握る手に浮かんだ「心頭滅却すれば火もまた涼し」。

そう、暑さには、熱い食事がいい。

熱々の麺を食べよう。

そう思って今月2度目になる餃子の王将針インター店に入店。

待合室に2組のグループさんがおられていたが、1分も経たないうちに、私も案内された。


独り向きのカウンター席に座って探した熱々メニュー。



頁を広げていたメニューに指差し。



「天津飯」と・・・。

お客さん、天津麺ですね、と云われて、そうそう、

それですと訂正した。

これまでの配膳状況から餃子の王将さんは、5分から8分くらい。

食事の前に用足し。お腹をすっきりさせて・・

カウンター席に戻ったところに配膳。



今日は、早いのね。

餡かけ調理の天津麺は熱々。

見るからに旨そう。

スープも付いている天津麺。



たぶんに塩だしスープ。

割りばしを割って、天津餡の下に隠れている麺・・・・????



あれぇ、注文は訂正した天津麺だと、思っていたソレはご飯だった。

私の伝え方が不味かったのか・・・

ご飯でなく、麺を食べたい。

通りがかりの店員さんを呼び止めて品換えをお願いした。

申し訳ございませんとスープ付きの天津飯を下げられた。

それからしばらくしてから、配膳してくれた天津麺。



天津飯はスープ付きで440円であるが、天津麺は550円。

スープは付いていない。

誤り天津飯と同様に、甘酢餡がたっぷりの天津を箸で割ったら、麺だった。



そりゃそうだわ。

一口食べて、うまーーい。

ストレートな細麺にまとわりついた天津麺スープに天津餡が、むっちゃ旨い。

二口、三口、四口に五口・・・もう箸が停まってくれない旨旨味の天津麺。

熱々なのに、ふーふーもせずに食べる天津麺。

ずるずる、ずるずる・・・あ~旨い。

あるブロガーさんの記事によれば、餃子の王将の天津麺は、裏メニューの位置付けだったようで・・。

ネット調べであるが、チェーン店の日高屋は天津麺を扱っているようだが、奈良県内には店舗がないと分かった。

町中華屋さんに天津飯はみられるが、天津麺はない。

ラーメン業界に数々のオリジナリテイラーメンはあるが、天津麺がない。

町中華屋さんにも見捨てられている天津麺。

むっちゃ旨い天津麺を味わえるのは、餃子の王将しかないのかえ。

クックパッドにあるあるインスタントな袋麺からつくるアレンジ天津麺。

手間はかかるが、一度試してみたいジャンルだ。

そんなことを思い浮かべながら食べた餃子の王将の天津麺。

甘酢餡に麺をたっぷり浸けて食べるのも佳し。

玉子とともにがっつり食べるのも佳し。

とにかく餡も麺もスープも多い。

玉子も多い天津麺が旨旨。



具材はきくらげが2枚にかにかまぼこが2~3枚。

これがまたむっちゃ旨いんだな。

できるならジャストサイズシリーズに天津麺も加えて欲しいくらいの量。

私のお腹に合わせて、餃子3個も食べてみたいからね。

(R4. 4. 9 SB805SH 撮影)

天理の中山田・K家の田植え祝いさなぶりのフキダワラ

2024年12月17日 07時56分45秒 | 天理市へ
田植え後に行われるさなぶりのあり方を拝見した。

経緯は、今年の1月11日に行われた村行事にある。

天理市山田町の一角。

大字中山田の蔵輪寺である。

7年前の平成24年の5月13日に遡る。

ここ山田町にある田植え初めに行われている植え初めの調査に立ち寄った中山田。

街道から見たその場に白いモノが見える。

軽トラくらいしか通れないような里道を上がっていた。

停車する広地もなくあるお家の庭前に置かせてもらって見たそれは栗の枝木にぶら下げていたフキダワラ。

個数は3個で3枚の御幣もあった。

ヤナギの枝木にこれまた不思議な形の巻紙もあるし、護符を巻き付けたウルシ棒も立てていた


お花を植えていたあるお家の奥さんと話していたときに出合った蔵輪寺の森口住職。

その年に行われた旧暦閏年の庚申行事を済ませて戻ってきた住職だった。

そのときに話してくださった蔵輪寺オコナイ行事は、今年の令和2年1月11日に初めて拝見した。

行事を終えた村の人に尋ねたこれらの祭具はどうされるのですか、である。



その問いに答えてくださったのが、Kさん。

田植え時期に、うちのおばあさんがフキダワラを作って立てていると話してくださった。

千載一遇の縁をもらって取材を承諾してくださった。

数日前の天気予報では3日、4日は雨天予報であったが、まったく降らないほぼ晴れ模様に一転した。

田植え後にさぶらきをするのは、Kさんの母親。

昭和8年生まれのS子ばあちゃんは87歳。

Kさんも、30年前に嫁いできたお嫁さんのTさんも、詳しい手順は知らない、という。

田植えを終えて戻ってきた、その田の一角にそれがありますねん、と話してくれた。

家から一番遠いところにある田んぼから始める田植え作業。

実家に戻ってくる3人の子どもたちが中心になってするとか・・

どことなくイメージができあがってきたK家の田植え祝いのさなぶり。

オコナイ行事に祈祷した護符。

カワヤナギの枝木にくくりつける。

その枝木にもう一つ。

それがS子ばあちゃんがつくる御供のフキダワラ。

田植えを終えたときに田の一角に立てて豊作を願うさなぶりである。

すべてを終えるのは4日の午後くらいですと、聞いていたので午後1時半過ぎに訪問した。

聞いていた田んぼを見渡した。

田のすべてが、なーんと田植えはもう済んでいた。

その田の一角から、坂道を上りつめたお家を訪れた。

近くまで来てすぐにわかった美味しい匂い。

ご自宅の庭に設営した家族揃って食べるバーベキュー。



着くなり、食べてや、と云われて、取材は後に廻し、ご厚意でよばれるバーベキューをご相伴にあずかる。

食べ乍ら横におられる63歳のKさんが話してくれたここら辺りの自然景観の語り。

田んぼや水路に、かつてはよく見かけたタイコウチにゲンゴロウ。

さらに、メダカもカワヤナギもみな消えた・・・

暮らしの話題から民俗へ。



話題は膨れていくばかりにおばあちゃんの出番を待たせては気の毒でそこまで。

お願いします、と始めてもらったフキダワラ作り。

母親からこねぇーするんやで、といわれて育った、という。

自宅に自生する蕗を2枚重ね。

その中に包む御供は小豆も白大豆も月の数の12粒。

今年は旧暦閏年だから13粒。

少量の洗い米も一緒に包んで横槌を打って柔らかくした餅米の藁でくくってできあがり。

フキダワラそのひとつしか供えないのでカメラ撮りにビデオ収録も、一発撮に失敗はできない。

それを1月のオコナイでたばったカワヤナギの又部分に引っかける。

元々は3月末から4月初めにかけて作る苗代と4月末から5月初めにかけて行われる植え仕舞いに立てていた。

だが、現在はJAから苗を買うようになったから植え初めだけをしている。

平成24年5月13日の植え初め。

H家の婦人がいうには、ご高齢のIさんがフクダワラをつくっていた、という。

立てたその場は、H家下の田んぼ。

Iさんのおばぁちゃん。

祖母のIさんが立てた、と話してくれた。

話は遡るが、そもそも平成2年の1月12日に行われた中山田蔵輪寺オコナイの取材中に出会った村の人の声である。

オコナイにたばった漆棒とカワヤナギ。

そこに「うちのおばあさんが小さなフキダワラをしている」、と伝えてくれたのがきっかけ。

近くの日になれば、いつごろにするのか、わかってくるから電話して、と云ってくれたKさん。

前月の4月17日に伺った電話でお願いしたK家の田植え祝いのさなぶり。

おばあちゃんが、フキダワラをつくっているところから撮影をお願いさせていただいた。

電話で伝えるお願いにKさんの奥さんが応対してくださった。

嫁入りしてから、30数年にもなるが、家の農業はおじいちゃんから教えてもらった通りに、ずっと今でもしている、という。

聞いたもんがしっかり覚え、教えを守って行動する。

それをまた、子どもたちにも同じようにしっかり伝えていきたい、と話す奥さん。

畦元の雑草は奇麗にしておかない、と髭が伸びるように雑草は稲田まで侵入して荒らす。

だから、きちんとしなかん

で、ないとモグラが穴を開けて畔を壊して田は水漏れする。

前年の4月26日に亡くなったおじいちゃんは、村を流れる川からの取水でなく、山に登ったところにある水脈からパイプを引き込んだ谷水を、田んぼに引いて育てたら美味しいお米ができる、と話していた。

カンヅキ(※寒月)のころに細かくした稲わらは、土と混ぜて田んぼにすき込む。

籾藁は燻炭にして、これもまた畑にすき込んでおくと美味しいお米ができる。

ここら辺りの作付けはみなコシヒカリ。

つい最近にモミマキをしてハウスで温度管理に水の管理をしている。

田植えは、5月2日から3日、4日にかけて田植えをするが、フキダワラなどは田植えが終わったときにする(というからサビラキではなくさなぶり)。

長男、次男に娘の長女も孫さんも応援するから、畑作業が動きやすいように、とお父さんがつなぎを買ってやった。

村の人が見てきた、という県立民俗博物館所蔵の民俗映像に山田のKさんが映っているで、と聞いているが、未だに行けていないのという。

現在は、耐震工事中につき来年の3月まで見られないから「私がとらえた大和の民俗-つくる-」写真展図録を、今度来たときに持参しますから、と伝えた。

今月、5月1日の午後。

奥さんから電話があった。

予定日は、5月3日の日曜と4日の月曜日。

朝から夕方までの田植えは、家から一番遠いところから始めて徐々に下って家に近づく。

4日は家近く。

フキダワラはおばあちゃんの役で、今でも主役として動く。

蕗の葉に包むのは生米に小豆と白大豆。

蕗の葉に包む量は少ない。

足の具合がよくないから遠くまではいかないが、フキダワラつくりから立てるところまでは家に近いところになるから午後辺りになる、と・・・

そのような状況に、伺う時間は午後の昼過ぎ。

きっちりしなくとも、時間未定で寄せてもらい、フキダワラをつくるところも、田植えをするところも撮影承諾。

そのおばあちゃん引く手あまたの家の畑作のすべてをしている、という。

天気予報によれば3日、4日とも傘マークはあるから雨天決行になりそうだな、と思っていたが、予想は裏切られ、まったくもって、ほとんどが晴れの日。

一部は曇り空もあったが、祝日のみどりの日に寄せてもらった。

朝5時からはじめたと、いうこの日の田植え作業。

午前中に終えて、正午時間も過ぎた時間に摂っていたお昼はバーベキュー。

自宅の庭に広げたバーベキューに、家族揃ってだんらん中の食事時間中の取材訪問。



前述したように、到着し、挨拶もそこそこに美味しい肉の匂いに・・・・取材は後廻し。

ご厚意でよばれたご相伴にあずかったバーベキューの味。



とてもでっかい有頭海老に肉ステーキからレモン味プルコギもあれば焼きそばも・・

いずれも美味しいおもてなしを受けて、腰を据えてもぐもぐ時間。

一息ついて、昭和8年生まれのS子おばあちゃんにお願いしたフキダワラつくり。

つくる手は止めずに、説明してくださるS子おばあちゃん。



例年は12粒の小豆を詰める。



目出度い小豆は白大豆。



今年はまさに旧暦。

その場合は13粒の白大豆。

洗い米も入れた白大豆を、2枚の葉を重ねた蕗の葉に包む。

柔らかいモチワラでしっかり括る。

蕗の葉っぱは柔らかい。



茎は捨てずにそのままにしておき、その葉と茎の間にモチワラを入れて結ぶ。

くるり、くるりとワラヒモを巻いていく。



しっかり縛って結んで出来あがったフキダワラ。

俵の形でもなく、やや円形のフキダワラ。



こうして出来あがったカワヤナギのフキダワラは、農の神さんに捧げる供物。

これを、正月はじめのオコナイに祈祷した「牛玉 宝印」の書を巻いたカワヤナギの枝。

又のあたりに引っかけてワラヒモを結ぶ。

もう1本の栗の木には御幣結び。

2本が揃った豊作願いのしるし。

えー、カタチにできた、とともに喜ぶ。



ずっと、傍で見ていたKさん。

母親のS子おばあちゃんがつくったカワヤナギにフキダワラにもうひとつある、と・・・

手にした木は葉付きの栗の木。



近くに自生する栗の木の枝採ってくる。

若葉付きの栗の木にヒラヒラの御幣も括って・・



両方とも手にもってしみじみ見ていたKさん。

こうして用意が調った。

さて、行くか。

できあがったフキダワラ付きのカワヤナギを持って田んぼに向かう。

家から一番近い、すぐ近くの畔に出かける。

坂道をくだっていくS子ばあちゃん。



同時についていく息子夫婦に孫さんたちもそろってくだるわくわく感。

おばあちゃんの様子を見ておきたくて、ともに下ってきた母親のTさんに子供たち。

お父さんは田んぼの角地に挿して立てる。

昔からここだ、という田植えを終えたばかりの最後の地点になる畔に挿して立てた。



立ち位置を考えて撮らせていただいた家族の顔。

どこか愛しさを感じる。



一旦は、外した電柵も元の位置に据えた。

続いて、心を込めて豊作を願うS子おばあちゃん。



田植え祝いに「今年も良い年にお米をとらせてもらいますように、豊作でありますように・・」と小さな声でお願いして手を合わした。



かつて直播していた時代は、椿の花が咲く3月の水口にイロバナを添えてウルシ棒のごーさん立てていた。

今は、漬物蔵にある漬物蓋の上に置いてカビ除けにしている。

当時の直播は、裸足で田に入り作業していた。

モミマキしてから45日間後に田植え。

汁もんもはなく、おにぎりとかイロゴハンを田に持っていってケンズイに食べていた。

昼めしは自宅に戻って膳を広げてたべていた。

そのときに、一番最初に田植えする箇所に、2杷の稲苗束をお盆に載せた

盆には茶碗に盛ったご飯とジャコときな粉を、上からぱらぱら振りかけた御供。

家族みなが食べる膳をする場に供えた。

田植えの手伝いに“ウエコ”さんが居た。

親戚のものは、前日から宿泊していた。

朝早い5時からはじめたナエトリに田植えは、“ウエコ”がしてくれた。

「カダ」するとは楽する、簡単にする、という意。

「おまえ“カダ”やな」、といわれるのは略していること。

「アデ」は畔(あぜ)が訛った貞子さんの訛り言葉。

つまり、水口に“アデマツリ”をしていた、と・・・

(R2. 1.12 SB805SH 撮影)
(R2. 5. 4 SB805SH/EOS7D 撮影)

山添村・広瀬に咲く笑顔満開の桜フエア

2024年12月16日 07時44分11秒 | 山添村へ
中峰山から中之庄。

そして吉田。

片平の手前に急坂を下る道がある。

道に沿って下りた地が山添村の広瀬。

正面に清流、名張川が見える。

架かる広瀬橋を渡った向こう岸が山添村の鵜山。

さらに道なりに進めば三重県の鵜山がある。

広瀬橋付近に満開の桜がぎっしり。

車を停車させて魅入っている人たちがいる。

地元の人か、それとも桜巡りの人たちなのか。

今日のお天気は、雲一つないピーカン状態。

コントラスト激しく、携帯カメラは自動的に絞り込み。



それはともかく桜の木は、本日イベントに集う広瀬の村まつり。

にぎやかさが嬉しい村の人たちの集まり。

主催はブックカフェひろせ、という。



午前10時から午後3時までのプログラムは、エイサー踊りに大正琴(TIM)演奏、リー村山&武魂忍者ショー、プロ歌手の川本三栄子演歌ショーがある。

地元野菜トラック市場が販売する新鮮野菜もあるし、観光協会の人たちが売るタケノコ弁当やおやき・たこやき(※タイ焼きを誤記したようだ)、飲み物も・・。

奥にもあるよ、と声をかけてくれた知人の写真家Sさんが伝えてくれた広瀬の郷土料理。

案内になかった特別調理の広瀬名物、開きのさいら寿司に民俗の教えを乞う。

一日中愉しめる村まつりに長居はできない。

満開になった広瀬の桜をゆっくり見る余裕はない。

予定していた次の行先は午後に・・・

(R4. 4. 9 SB805SH 撮影)

山添村・中峰山の墓寺に咲く枝垂れ桜

2024年12月15日 07時50分42秒 | 山添村へ
毛原に住むFさんが、教えてくれた山添村・広瀬西方寺の花まつり。

さまざまなアトラクションもある村まつりであるが、何年も立ち寄ることができなかった広瀬に会いたくなり訪問した。

法要の時間にはもう間に合わない1時間遅れの車だし。

平成25年の1月7日以来だから、実に10年ぶりの広瀬。

名阪国道の五月橋インターを下りたすぐ近くが山添村・中峰山。

カーブを登りきったそこに鎮座する神波多神社(※かみはたじんじゃ、地元ではかんはたじんじゃ)がある。

目的地はここではない。

素通りした直後である。

思わず急ブレーキをかけた。

ドアを開けて車から下りたそこに大木の枝垂れ桜を見た。

下りてよく見た枝垂れ桜は、大木でなく数本からなる枝垂れ桜。

まるで滝のように流れる姿の枝垂れ桜に圧倒される。

右手に見える墓石。

帰宅してからぐぐった当地に、寺の名が見られない。

おそらく墓寺ではないだろうか。



小高い丘のような高台にある枝垂れ桜は見事。

その向こう側に見えるピンク色の花は・・・何?

桜でなく、桃の木ではないだろうか。

近くまで近寄りたいが、撮る時間しか確保できない。

この地に見事な枝垂れ桜があったことだけが事実記録。

少し移動し、高台から流れる枝垂れ状態も撮っていた。

(R4. 4. 9 SB805SH 撮影)

明星食品・もやしが超絶旨いチャルメラまぜそばニンニク醤油味

2024年12月14日 07時54分23秒 | カンタンオリジナル
前々日に買ってきた5袋入りの袋麺タイプのインスタントラーメン。

買い物に出かけたハッスル5の売り場に積んでいた。

価格POP表記に198円。

まぜそばキーワードもあり、掘り出し物だと思って直ちに購入した。

翌日になってわかったもやし。

そう、もやしがない。

決め手のもやしがなければ、日程変更。

と、いうことで午前中に、ニラもネギも、そしてもやしも、みな買ってきた。

1年前に新発売されたもやしが超絶旨い明星チャルメラまぜそばニンニク醤油味は、満足させてくれるだろうか。

とにかく買ってきたニラは、4本。

適当な長さに切り、器に盛る。

もやしは袋から取り出した半分ほどの量。

これを用意したニラの上に重ねて盛る。

電子レンジでチン。

まずは1分間。

ちょっと足らないようだから、30秒増しのチン。

と、同時に袋から取り出し、茹ではじめたまぜそばニンニク醤油味。

やや太麵タイプだから茹で時間は4分間。



その間にしておきたいニラ・もやしのソース和え。

小袋入りの調味料は、もやし専用のニンニクペッパー。



開けた途端に美味しい香りが鼻に吸い込まれていく。

ニンニクペッパーが、全体になじむよう、混ぜて、混ぜて絡めて和える。



ニラにもやしに漉き込んだニンニクペッパーの香り。

これだけもお酒の肴になりそうだ。

茹でた麺は湯切りして、ラーメン鉢に移す。



もう一つの小袋も開封し、醤油味の粉末ソースをパラパラ。



こちらも麺になじむよう、混ぜて、混ぜて絡める。

旨味たっぷりの麺の上にどさっと移したニラ、もやし。



山盛りしたニラ、もやしのまぜそばニンニク醤油味は、この形で完成なんだが・・・。

ここで登場させたとびきり旨い一品がある。

数日前に作り置きしていたS&B幻の裏メニュー町中華シーズニングでつくった台湾肉そぼろである。

1/3の量は、すでに胃袋行き。

なんせ旨いもんだから、できたてを食べる。

数時間経過して、また一口。

一日、二日に食べたちょっとの量が1/3。

まだまだ、あるある台湾肉そぼろも盛っちゃえ。



肉の塊もある荒切り肉。

ピリッと辛い唐辛子も入っているから、味増しに、と思って頂上に盛った。

崩すのがもったないくらいの台湾肉そぼろ盛りのもやしが超絶旨いチャルメラまぜそばニンニク醤油味

気持ちはおろしにんにくも入れたいが・・・待て、の指示が。

心の中で停止させた。

シャキシャキもやしに香りが秀逸の高知県産ニラ。

えー感じのにんにく醤油味が、旨い。

やや太麵にからんだ醤油味。

ブロガーさんの記事によれば、ホタテやビーフエキスを配合しているそうだ。

そりゃ美味いはずだ。

コシはある、歯ごたえもある麺が旨い。

超絶旨いチャルメラまぜそばは、謳い文句通りの味に大満足した。

この味に魚粉系もあれば、と思うが、いやいや、これで味は完成しているし・・・

ところで、食べ終わってから気づいたけど、麺の量はちょっと多くねえか?

その麺の量が85g。

麺の量にも満足した。

(R4. 4. 6、 8 SB805SH 撮影)

スーパーハッスル5の手造り塩味たれ鶏のはらみ焼きが絶品

2024年12月13日 07時52分13秒 | あれこれテイクアウト
度々出かけては立ち寄る買い物。

思う食材は、地元のスーパーハッスル5にしか売っていないめちゃ旨の総菜。

店舗内で調理している総菜は多い。

特に、ここは見逃したくない売り場は揚げ物。

フライに天ぷらもあるが、焼きもある。

滅多に出会えない鶏のはらみ焼き。

2カ月前に買って、食べた鶏のはらみ焼が美味しいことに気づく

おふくろもかーさんも喜んで口にしていた鶏のはらみ焼きが売り場にあったが、今回は塩味商品。

たぶんに旨だれの塩味。

なら、これも旨いだろう、と買ってきた。



これが、まっためちゃ旨い塩だれ味の鶏のはらみ焼き。

どっちも旨けりゃ、どっちも売っていたら、どっちも買ってくることになるだろう。

(R4. 4. 7 SB805SH 撮影)

日清の極太麵UFO濃い濃いラー油マヨ付き醤油まぜそば

2024年12月12日 07時50分21秒 | あれこれインスタント
賞味期限は、数日前だった日清食品の極太麵UFO濃い濃いラー油マヨ付き醤油まぜそば

いつ、どこのお店で買ってきたのか、覚えていない焼きそばUFO。

ま、とにかくまぜそばか。

濃い濃いラー油の文字に引きつかれて買い物かごに収めたのだろう。

日清食品の焼きそばUFOシリーズは、形態を換え、調味料で味を替え、さまざまなカップ麺を開発し、販売してきたが、私の口に合うものもあれば、まったく受け付けないものもある。

どれもこれも旨いとは、計算できない日清食品の焼きそばUFOシリーズ味のギャップ差があまりにも大きすぎる。

昨年の3月にリニューアル販売された極太麵UFO濃い濃いラー油マヨ付き醤油まぜそばのお味はいかがか・・。

極太麵タイプだけに熱々のお湯入れ・お湯捨ては5分待ち。

蓋の上においておく液体ソースは2種。

黒色の小袋はまぜそばのタレ。

赤が、沼うま!濃い濃いラー油マヨ。



タレを落としても、香りはない。

ベースの醤油味は極薄味なんだ。

それはないよな。

麺に絡めて馴染ませた醤油タレ。

混ぜても香りの復活はない。

なんだ、こりゃ。

決め手は赤色の小袋。



ちゅるちゅる、ぴゅーと飛ばして濃い目に染まった極太麵に。

香りは、どっちかといえば、明太子ソースに近い。

ラー油感はあるが、なんか物足りんな。

そう、辛みがまったくないのである。

ま、それでもなんとか食べられる。

濃い濃いは、味の濃い濃いでなく、見た目が濃い。

味が伴わない濃い濃いだった。

どうも醤油ベースがよくないようだ。

おまけにガーリックもないから、旨味もない。



もしかして、ガッツは、まだ受付られないおこちゃま向きなんだろうか。

焼きそばUFOを食べる前に、作り置き用に調理した2品のS&B幻の裏メニュー町中華シーズニング。



台湾肉そぼろにトマトキムチは、紛れもない濃い濃い味。



どうか、焼きそばUFOの開発のみなさんに、お願いする。

ほんまの濃い濃いレベルを知ってもらいたい。

世の中の濃い濃いレベルを・・・

(R4. 4. 7 SB805SH 撮影)