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JAZZ最中

考えてみればJAZZばかり聞いてきた。いまもJAZZ最中。

36回の夏が過ぎて  “さよなら僕の夏” / レイ・ブラッドベリ

2007-10-19 21:51:04 | 


新聞の広告欄を見ていて驚きました。

永遠の名作『たんぽぽのお酒』から50年、新たな物語がはじまる!少年の心のゆらぎをあざやかにとらえる。87歳の巨匠によるあたらしい名作。

とあるのです。『たんぽぽのお』は
晶文社の文学のおくりものシリーズの第1巻として出版されたもので、私の2007年5月4日の記事でもちょっとふれました。
出だしをちょっと読んでみてください。




“たんぽぽのお酒”  レイ・ブラドベリ  北山 克彦訳 晶文社

「静かな朝だ。町はまだ闇におおわれて、やすらかにベット眠っている。夏の気配が天気にみなぎり、風の感触もふさわしく、世界は、深く、ゆっくりと、暖かな呼吸をしていた。起き上がって、窓からからだをのりだしてごらんよ。いま、ほんとうに自由で、生きている時間がはじまるのだから。夏の最初の朝だ。」

レイ・ブラッドベリの名作『たんぽぽのお酒』の訳本が日本で初めて発行されたのは36年前、私がこの小説の主人公12歳のダグラスとは、少し年が開いたティーンエージャーのころでした。
それから36回の夏を過ごし私はその通りの年をとり、ダグラス少年は一夏を通り越し14歳になっていました。原作の最初の出版からは50年、新しく構想したものでなく当時既に一つのものとして書かれたものだそうですが、かなり推敲を重ねたのではないでしょうか、ブラッドベリの50年の年月を感じる文章に感じます。
36年たった今の私は、登場する子供と戦う側に入っていて、よりファンタジー色が強くなったと感じられる新作になかなか入っていけません。呼び起こそうとしても既に失っているものがあるようです。
14歳の輝きの時間を知った子供たちが、その時が過ぎていくことに対する不安とその結末としての老人たちに戦いを挑む物語は、12歳の時にダグラスがその輝きを自覚したように、新たな覚醒をもたらします。また時間に支配を許して来た、こちらの側にも与えられる新たな意志、ブラッドベリらしいみずみずしい終焉は、解るような気がします。
今度のダグラス少年の方が前作より幼く感じるのは、読んでいるこちらが時に支配され、少年と距離が生まれたからでしょうか。

とてもこの本について述べることはできませんが、みずみずしいフレーズを拾うことには慣れています。ちょっと長くなりますが読んでみて下さい。

  『さよなら僕の夏』  レイ・ブラッドベリ  北山 克彦訳

「みてごらん、ダグ」と、おじいちゃんは農場から町に車を走らせながら言った。二人の後ろにはキッセル・カーの車に畑から取ってきたばかりの大きなかぼちゃが6個あった。「あの花がわかるかな」
「はいっ、わかります」
「夏の別れ、だよ、ダグ。それがあの花の名前なのさ。空気が感じられるかね。秋が戻ってくる。夏の別れだ」
「いやあ」とダグは言った。「悲しい名前だなあ」

最後の
「目が覚めたとき、きみここにいるの?」
あなたを待っていますよ。あなたよりずっとはやく目を覚まして。お休みなさい、友よ。
「ぼくたちはそうなの?友だちなの?」
あなたがこれまでに得た最上の友です。一生の。

心は与えられた情況で成長していくのでしょうか、新しくおきる出来事とそれを補ってくれるおじちゃん、そしてやはりある死、ブラッドベリの世界でした。

36回目の夏が過ぎ去った私に、びっくりする贈り物でした。







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