母娘和解の物語。劇作家のシッダ(サンドラ・ブロック)が、劇場の観客席に坐って記者のインタビューに答えている。
「私の母 母をどう言えばいいのかしら。ヴィヴィ(エレン・バースティン=シッダの母)みたいな人はいない。本人もそう言うはずよ。彼女は魅力的で美しくすべてに恵まれた人」
「欠点はない?」と記者
「傷ついている、世界一魅力的なのに」
「傷ついた原因は?」
「夢が破れたのよ。スターにもなれたのに。綿農家の4人の子持ちの主婦で終わるなんて。何て言うか複雑な人間なの。恐ろしいほど単純かと思うと突然暗い一面を見せる。でも母はくじけなかった。
タバコの吸いすぎお酒もケンカもハデ 女が騒ぎ出すと男は逃げ出した。小屋に隠れてウィスキーを片手に、嵐が去るのを待つ、でも彼らもそれなりに楽しんでいたわ」
「暗い一面とは怒りや暴力のこと?」
「いいえ、そうじゃない。ムチは使ったけどね。ベルトも 子供のために厳しく育てるという考え方なの。でも私の創造性は母のお陰。つらい少女時代が作品の題材に」
このインタビューが記事になると「タップ・ダンスをして子供を虐待する母」「関与しようとしない父」になりシッダも怒りヴィヴィも娘に怒りを募らせる。
母娘の深まる溝を埋め、和解の糸口を探ろうと乗り出してくるのは、少女時代に永遠の絆を誓い合ったヤァヤァ・シスターズの三人のおばあちゃんたち。そして当然のハッピーエンド。
三人のおばあちゃんたちは、フィオヌラ・フラナガン、シャーリー・ナイト、マギー・スミスといういずれも60歳代の人々。
ラスト近く母娘の和解の場面。
「謝りたいの」とシッダ
「いいえ、いいのよ。やめて どう言ってあなたを後悔させようかと考えてた。うんと意地悪な言葉を投げつけようって ママらしいでしょ。ガムみたいに何度も何度もかみ締めしっこく考えた。やがて気づいたの、今まで長い間、祈り続けてた。必死で神様にお願いしたの。あたしを有名にして恵みを与えて、もっと向上させて強くさせてもっとまともに、あたしの夢をすべてかなえてって、ついに答えが」
「どんな?」
「あなたよ。あなたの中にあたしが夢見たすべてがあるの。そうよ 夢を手にしたのに気づかなかったの。目の前の幸せを逃すのは大嫌いなのに」
あとはどんな展開になるのか想像はたやすい。そう、母娘はしっかりと抱き合う。この場面の撮影は午前三時だったと監督のカーリーは言い、サンドラが本当に泣くのでしばしば中断したと。それを聞くと午前三時に周囲にカメラや監督ほかのスタッフに囲まれて感情移入できるなんて、やっぱりプロなんだと変なところで感心したりする。このシーンのサンドラの涙は、ホンモノだった。
それにヴィヴィを演じたエレン・バースティンが、七十歳に近いのになかなかチャーミングだった。
チョット余談になるが、この映画の挿入歌の一つ「Sitting in the window of my room」を歌っているブルー・グラス系のアリソン・クラウスがほぼ10年前の地味な印象から、目を見張るほど色っぽくなっているのには驚いた。アリソンの透明感のある歌声は変わらない。これはDVDのミュージッククリップに入っている。
左からほぼ10年前そして最近のアリソン・クラウス
監督 カーリー・クーリ1957年11月テキサス州サンアントニオ生まれ。‘91「テルマ&ルイーズ」の脚本を担当、この映画が初監督。
キャスト サンドラ・ブロック1964年7月ヴァージニア州生れ。
エレン・バースティン1932年12月ミシガン州デトロイト生れ。
’74「アリスの恋」でアカデミー主演女優賞受賞の実力派女優
アシュレイ・ジャッド(若い頃のヴィヴィ)1968年カリフォルニア生れ
フィオヌラ・フラナガン1941年12月アイルランド、ダブリン生まれ
ジェームズ・ガーナー1928年4月オクラホマ州生まれ。
TVシリーズ「ロック・フォードの事件メモ」が有名。
シャーリー・ナイト1936年7月カンザス州生れ。
マギー・スミス1934年12月イギリス生れ。