これほどまでに献身的で自虐な愛があるのだろうか。盲目の師匠春琴に身も心も捧げながら夫婦(めおと)にならなかった佐助。
春琴が誰に恨みを買ったのか、ある夜何者かに熱湯をぶっかけられる。実際の傷は大したことがなかったが、春琴の心には大きな傷跡となった。佐助に顔を見るなと言いつけたり、自分は深く顔を隠したりしていた。
その後、佐助は自分の目を針で刺して盲目となった。これ以上、下手な文章を書くこともないだろう。二人がすべてにおいて、ようやく一つになったその瞬間を引用すれば充分だろう。
“「お師匠さま(春琴のことを佐助はこう呼ぶ)、私はめしい(盲)になりました。もう一生涯お顔を見ることはござりませぬ」と彼女の前にぬかずいて言った。「佐助、それは本当か」と春琴は一語を発し長い間黙然と沈思していた佐助は、この世に生まれてから後にも先にも、この沈黙の数分間ほど楽しい時を生きたことがなかった。
昔、悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)は、頼朝の器量に感じて復讐の念を断じ、最早再びこの人の姿を見まいと誓い両眼を抉り取ったという。それと動機は異なるけれども、その志の悲壮なことは同じである。
それにしても春琴が彼に求めたものはかくの如きことであったか。過日彼女が涙を流して訴えたのは、私がこんな災難にあった以上、お前も盲目になって欲しいと言う意であったか。そこまでは忖度しがたいけれども、佐助それは本当か、と言った短い一語が佐助の耳には喜びに震えているように聞こえた。
そして無言で相対しつつある間に盲人のみが持つ第六感の働きが佐助の官能に芽生えてきて、ただ感謝の一念よりほか何者もない春琴の胸のうちをおのずと会得することが出来た。今まで肉体の交渉はありながら、師弟の差別に隔てられていた心と心が始めてひしと抱き合い一つに流れていくのを感じた”
“佐助それは本当か”と春琴が言ってあとの言葉が続かない。続かないと言うよりも佐助の大きな愛に震えて言葉が出なかったのだろう。その沈黙が春琴の心情を表している。今まで読んだ谷崎潤一郎の作品の中で一番好きな作品である。