猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

山岸 凉子 「牧神の午後」

2009年02月12日 08時18分18秒 | マンガ家名 やらわ行
山岸 凉子氏は実在の人物の伝記をいくつか描いている。

自身の出身地である北海道で運命観相家として昭和20年代~40年代始めに有名だった 白眼子 という男性について描いた、

拙記事 → 「白眼子」

横溝正史の推理小説『八つ墓村』(1949年)の原作になった事件「村人32人殺し」(岡山県で実際に起こった津山事件がモデル) の犯人を描いた、

「負の暗示」(1991年「YOU-all」8号)

バレエものでは、1953年にバレリーナとしては初めて 「ウーマン・オブ・ジ・イヤー」 に輝いた マリア・トールチーフ と ジョージ・バランシン の関係を描いた、

「黒鳥 ブラックスワン」 (「セリエミステリー」1994年4月号)
 
拙記事 (あまり内容には触れてませんね) → 「黒鳥 ブラック・スワン」


そして、稀代の天才ダンサー ヴァーツラフ・ニジンスキー を振付師のミハイル・フォーキンの目から見て描いたこの

「牧神の午後」(「ぶ〜け」1989年11月号-12月号)

などがあります。

 
 「牧神の午後」 は前後編の中編ながら、19歳で衝撃的なデビューを飾ったところから、1950年4月8日に亡くなるまでを駆け足ながら要領よく見せてくれます。しかし彼の後半生についてはあっさりと事実を紹介しているだけです。
 
 1913年、23歳の時に突然ハンガリー人のバレリーナと結婚し、彼の庇護者であった興行主の セルゲイ・ディアギレフ との関係が決裂してからの不遇の時期、続く精神的苦痛の長い長い後半生を詳しく描くにはページも少なく又作者にとっても忍びなかったのでしょう。読者の私も見たくないもの。

 ニジンスキーの伝記は映画にもなっています。
1980年 パラマウント 監督 ハーバート・ロス ニジンスキーはジョルジュ・デ・ラ・ペーニャ (知らない人だな~ ロシア人か?)

 ちなみに、前出の マリア・トールチーフ は幼いころ、ニジンスキーの妹 ブロニスラヴァ・ニジンスカ の生徒でした。

 もう一つ、競馬好きには同名の ニジンスキー という最後のイギリスクラシック三冠馬がぴんとくるでしょうが、このバレエダンサーから付けられています。
 エプソムダービーの時に、ニジンスキーの未亡人であるロモラ・ニジンスキーが招待され、亡くなった夫にちなんで名づけられた馬が勝利する光景に泣き崩れたとか。
 この馬の仔で当時の流行りから 「スーパーカー」 と呼ばれた マンゼンスキー というお馬さんがいまして、私1977年の日本短波賞を知人に言われて買った覚えがあります。綺麗で強いお馬さんでした。

マルちゃんについてはこちら → マルゼンスキー


 バレエ好きで、自身も習っている山岸 凉子氏には、短編でもいいのでもっとバレエ関係の伝記を描いて欲しい。私の好きなマーゴット・フォンテーンとルドルフ・ヌレエフの話とか、日本バレエ界の恩人「三人のパヴロワ」の一人に数えられるアンナ・パヴロワとか、男性では映画 「ホワイトナイツ」 のミハイル・バリシニコフとか、ウラジーミル・ワシーリエフの夫婦愛とか。(みんな自分が憧れていた人たちばかり時代がわかる) 
 わーんいっぱい見たいんだけど、最近の山岸氏の絵柄は テレプシコーラ のようにあっさりしているからな~。この頃の絵柄で見たいっっっっと不可能な贅沢を言わせて。。。
コメント (2)
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