初出 プチフラワー 1980年 春の号
私が読んだのは小学館文庫 1995年9月1日初版 2000年7月1日 第13刷 のもの
名作 「トーマの心臓」の中の読者一番の人気キャラクターである オスカー・ライザー の子供の時の話がつづられています。
6月12日の記事はこちら → 「トーマの心臓」
「トーマの心臓」 の中で彼の母親は父親に殺されたらしい事、その後父親と1年くらい各地を放浪した事、実の父親である ルドルフ・ミューラー 校長のいるシュロッターベッツ学院に半ば置き去りのように入学させられた事、などが語られていますが、その詳細が明らかにされてきます。ちょっと刑事などが絡んでミステリーにもなっている。
直接 「トーマ~」 とは関係のないストーリーですが、オスカーが 「トーマ~」 の中であのような冷たいとも取れる落ち着いた大人の態度が取れるのが、1年留年しただけでなく皆より経験が豊富だから、という事が分かります。こんな1年を過ごせばどんな子供でも大人になってしまうよね・・・・。
ラスト近く、ミュラーと初めて会うオスカー。オスカーを始めて見るミュラー。二人の何も言わない、けれど二人とも分かってしまった、描写が胸にズシンと…来ます。読者は先に 「トーマ~」 を読んでいるからこの重さが分かるのですね。
それから私、最後になってこの題名の意味が分かりました。― 訪問者 ―は雪の上を歩いてくる神様のようでいて、それぞれの心の中にあるものだったのね ?
同収録の 「城」 (初出 プチフラワー 1983年9月号) という作品は初めて見ましたが、表紙のイラストが 岡田 史子氏 を思い出させるもので、そう言えば、COMを通じて萩尾氏は彼女の影響も受けているのかな~と考えました。
他に問題作で作品としても暗い 「エッグ・スタンド」 (初出プチフラワー 1984年3月号) 女子高校生の恋愛と心と体のアンバランスを描いた 「天使の擬態」 (初出 プチフラワー 1984年11月号) を収録。
「城」 と 「天使の擬態」 では、子供の自我の確立を、「エッグ・スタンド」 では 死 を、「訪問者」 ではその両方をテーマにしているように見えます。この頃 (1970年代後半~1980年半ば) は 「恐るべき子供たち」 (1979年)などもそうですが、萩尾氏はこのテーマを繰り返し描いているように見えます。そしてそれがその後の 「残酷な神が支配する」 などに繋がっているのでしょうか。
私が読んだのは小学館文庫 1995年9月1日初版 2000年7月1日 第13刷 のもの
名作 「トーマの心臓」の中の読者一番の人気キャラクターである オスカー・ライザー の子供の時の話がつづられています。
6月12日の記事はこちら → 「トーマの心臓」
「トーマの心臓」 の中で彼の母親は父親に殺されたらしい事、その後父親と1年くらい各地を放浪した事、実の父親である ルドルフ・ミューラー 校長のいるシュロッターベッツ学院に半ば置き去りのように入学させられた事、などが語られていますが、その詳細が明らかにされてきます。ちょっと刑事などが絡んでミステリーにもなっている。
直接 「トーマ~」 とは関係のないストーリーですが、オスカーが 「トーマ~」 の中であのような冷たいとも取れる落ち着いた大人の態度が取れるのが、1年留年しただけでなく皆より経験が豊富だから、という事が分かります。こんな1年を過ごせばどんな子供でも大人になってしまうよね・・・・。
ラスト近く、ミュラーと初めて会うオスカー。オスカーを始めて見るミュラー。二人の何も言わない、けれど二人とも分かってしまった、描写が胸にズシンと…来ます。読者は先に 「トーマ~」 を読んでいるからこの重さが分かるのですね。
それから私、最後になってこの題名の意味が分かりました。― 訪問者 ―は雪の上を歩いてくる神様のようでいて、それぞれの心の中にあるものだったのね ?
同収録の 「城」 (初出 プチフラワー 1983年9月号) という作品は初めて見ましたが、表紙のイラストが 岡田 史子氏 を思い出させるもので、そう言えば、COMを通じて萩尾氏は彼女の影響も受けているのかな~と考えました。
他に問題作で作品としても暗い 「エッグ・スタンド」 (初出プチフラワー 1984年3月号) 女子高校生の恋愛と心と体のアンバランスを描いた 「天使の擬態」 (初出 プチフラワー 1984年11月号) を収録。
「城」 と 「天使の擬態」 では、子供の自我の確立を、「エッグ・スタンド」 では 死 を、「訪問者」 ではその両方をテーマにしているように見えます。この頃 (1970年代後半~1980年半ば) は 「恐るべき子供たち」 (1979年)などもそうですが、萩尾氏はこのテーマを繰り返し描いているように見えます。そしてそれがその後の 「残酷な神が支配する」 などに繋がっているのでしょうか。
「ロード・トウ・パーディション」ていうトムハンクスとポールニューマンの映画が好きなのですが まったくテーマが違いますけど、あの映画を見るとなぜかこの「訪問者」を思い出してしまうんですよ。
母と娘の作品も面白いですが 父と息子の作品もいいですね。女性にはわからない世界で。
けど橋本治さんがぱふで『ト-マには何か足りなかった、これで完成した』みたいな記事を書いていたので「そうなのか?」と真面目に読み直してみた作品でした。
結局橋本さんが言うような「感じ」は実感できてないんですけど読むたびただただ切ない…
クリスマスカレンダーの扱い方が面白いですね…っていうかそれすら切ないんですけど。。。オスカーの心の中のクリスマスカレンダーはだんだんに不穏な事態を迎える日へ向かって窓が開いていく描写で…
グスタフがヘラを殺してオスカーは入院したのでクリスマス当日は過ぎてしまい「もうクリスマスカレンダーいらないね」となったのでしょうけどオスカーにとっての「問題の日」はそれで保留になったのですね、それっきり保留にしたかったのだろうに…
家の中のこども、たいせつなもの、になりたかったオスカーの望みが叶う日はついに訪れなかった。 それどころかグスタフにとってはオスカーこそが自分の情けなさを体現している存在だったわけで。。。
「トーマ」の中の『ぼくは待っていた それだけ』というセリフが胸に染みる、
きみでも 彼(ミュラー)でも ぼくが愛してるってことに
気づいてほしかったオスカー。
でも結局この母親も若くして死んでしまうんだよね。殺されたか事故かは結局はっきり表現されていないんです。多分父親に…というのはおおよそ分かるんですが。
初期作品の 「小夜の縫うゆかた」 (COM掲載 そのうち記事にします) では、やはり母親が死んでしまっている状況から話が始まるのですが、母親は普通の主婦で、懐かしく甘く思い出される対象になっています。この作品は萩尾氏の作品の中では普通の感覚でとても好き。
訪問者もトーマも読んではいるのだが…
(アハハハハ)
萩尾さんの作品って
めちゃくちゃ印象には残るのだが…
なぜかストーリーが頭に残っていないのだ…
つまり…一回目に読んだ時に
絵が上手なので印象には残るのだが…
ストーリーは難しくって理解出来なかったって
事なんだろう…(トホホホホ)
そいでも萩尾作品には惹かれるんですけどね~(笑)
一番ニュートラルでまともなキャラだったので
好きだったんだよね~
そのオスカーも「訪問者」で、色々あったんだなぁ。。。と
事情がわかってくるわけですが
相変わらず、通り一遍に読んだだけで
あんまりたいしたコメがかけそうもありません
そのうち、つるさんあたりがふか~いコメをくれると思って期待しているんだけど。。。
“訪問者”の意味もかなりウロなんで
今一ピンと来ないんだけど
オスカーの心心情にぐいぐい引き込まれる感じがしました
(萩尾作品みんなそうだけど)
ただ、話の流れ的にはあんまり関係ないんだけど
オスカーの母親のキャラが想像できなくて。。。
明るくて魅力のあった女性と言う設定なんだけど
父親'sの対立の原因になったはずの女性なのに
影が薄いんだよねぇ。。。
萩尾さん作品て、みんな母親の存在感が薄い
もしくはマイナスイメージのような気がするな~