猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

映画前売り券 4枚購入

2007年03月16日 11時16分56秒 | 映画
     一昨日の夜、銀座に途中下車して買ってきた映画の前売り券4枚。

 なんと7月封切り予定の 「ハリーポッターと不死鳥の騎士団」 の前売りまで、もう売ってんですね。後は来週でも見に行こうと思っている 「ハッピーフィート」 とあと 「蟲師」 「スパイダーマン 3」 以上の4枚。私の趣味が分かると言うか、バラバラでわかんないと言うか。
 あと、だんなが見たいと言うので 「ステップ・アップ」 というダンス映画を見る予定です。だんなはダンスとかミュージカル、生の舞台などは好きですね。「ステップ~」 は夫婦50割引で見る予定。
 いつものように1枚1,000円で合計4,000円也。何でわざわざ銀座の ちけっ○ぽーとさん に買いに行くかと言うと、              ↓


             私が映画を安く見ている方法。 

 この中で書いている福利厚生の券を使用するためです。以前は地元の ぴ○さん でも使えたのに ぴ○さん 無くなってしまったのですよ。何で地元で使えないものを配布する ? このおかげで映画をずいぶん安く見ているので文句は言えませんが。(言ってるか) 

 ただいま夜さんからお借りした 「ベルサイユのばら」 一気読み中。以前ところどころパラパラ読んだだけでしたので、この際ちゃんと通して読もうかと。いや名作。 「オルフェウスの窓」 より好きです。これから後半なので、あのオスカル様とアンドレの悲劇が~~

 後は 西谷 祥子先生 のコミックスを20数冊。昔のものを良くぞこれだけ。いつもながら夜さんの蔵書の質・量に感激です。
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忠津 陽子先生のデビュー直後の投稿作品 「星とイモムシ」

2007年03月15日 09時54分09秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 イモムシ君があんまり可愛いので皆様に見せたくなり、自分で模写してみました。わーーごめんなさい。雰囲気だけでも・・・ ネッ 

 COM 1967年9月号掲載 投稿紙面の ぐら・こん の中のステップコーナー入選作品です。ステップというのは、あらかじめプロット (あらすじ) が発表されこれに自分のアイデアを入れて10Pほどの作品にまとめて応募すると言うコーナーです。忠津氏の作品は、応募総数61篇の中で見事入選になっています。

 7月号に載ったプロットは、東京の 遠藤 久子さん という方のもので、これも応募して選ばれたもの。

 元のお話を要約すると、

 地球にイモムシの卵のついた流れ星が落ちてきた。そのイモムシは自分が宇宙から来たとは知らないで、美しいチョウになれると信じている。イモムシは脱皮するごとに巨大になり10mもの大きさになってしまう。地球人は怪獣だと思って毒ガスで殺してしまい、その死骸は博物館に陳列される。イモムシは最後まで人間たちが自分をいじめ、殺そうとするのがわからなかった。美しいチョウになれると信じていたのに・・・。

 忠津作品の方の講評は、以下ママ引用

 まず忠津さんの絵の上手さにおどろいた。ペンを思いっきり走らせているがブレもなく、キチンときまった線。それにコマわりのうまさ。そうとう描き慣れた人だと思う。お話はべつにプロット以上のものは見受けられないが、なんとなく夢を持たせ、最後チョウになりきれず殺されるイモムシが、グロにならず自然に他界していくように見える。読んでいて実にいやみがない。まったくかわいらしくペットにしたくなるようなイモムシ。それに整理された背景。忠津さんには今後 「ジャンプ (フリーな投稿作品募集コーナー)」 にも応募してもらいたい。

 まったく手放しで褒めてます。他に載っている人の絵より断然洗練されていて、講評もうなづけます。

 このお題には、萩尾 望都氏も応募するつもりで描いていたが、締め切りに間に合わなくて応募しなかったという話とお宝マンガが 「イラストアルバム 萩尾 望都の世界」 というムックに載っています。 ↓


                イラストアルバム 「萩尾 望都の世界」


 なお、この号の ぐら・こん まんが予備校の月例新人 佳作に 竹宮 惠子氏の 「ここのつの友情」 が表紙を入れて3P、あだち 充氏の 「虫と少年」 が5P掲載されています。二つとも縮小されていて小さいですが。

 Gomi様のコメントで、デビュー作 「夏の日のコーラ」 を描き上げた後描いた作品と言うことが分かりましたので、題名を変えさせていただきました。


 
 最近、古い漫画関係で拙ブログを新規にお訪ねして下さる方が増えて、大変うれしく思っています。作者順、あいうえお順にまとめていなくて見づらいとは思いますが、左のカテゴリのマンガとCOMをチェックすると漫画関係だけ出てきますので、60年代の石森作品や水野作品、またはCOMの書影など、写真のみでもごらんになっていってくださいませ。
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石森 章太郎(当時) 「章太郎のファンタジーワールド ジュン」

2007年03月14日 13時03分09秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
         虫プロ商事刊 昭和43年(1968)6月25日 初版 これは9月25日の再販


 実家の自分の本箱に長く入っていたので黄ばみ、ハトロン紙の破れなど結構ボロイです。でも、私の宝物には変わり有りません。今はちゃんと扉付の書棚の奥に収まっています。この豪華本は、「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 連載中の昭和43年(1968)に出されています。すぐに人気になったのでしょうね。
 ちなみに、主人公の名前 ジュン は、始め石森氏の子息の ジョー(丈) にしようと思ったが、恥ずかしいのでやめた、とどこかのインタビューで答えてました。


 「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 は、まんがエリートのためのまんが雑誌と銘打たれた COM の創刊号の1967年1月号 (発売は1966年12月) より1969年2月号まで連載された、当時大変な話題作といわれた石森先生中期の実験作品。COM 1971年10月号にも 「思い出のジュン」 としてもう1作発表されています。今もその後に出た文庫など、中古ならネットで買えるんですね、知らなかった。私の持っているのは10篇くらいしか入っていないものなので、買ってみようかしら。COMの中に全部あるとは思いますが。

 アマゾン

 評判になった頃はサイレントまんがなどと言われた 「ジュン」 ですが、連載第1回目 「プロローグ 少女との出会い」 ではフキダシが有り、セリフが有ります。漫画家志望の少年 ジュン と白い毛皮の縁取りとフード付の (多分) 赤いコートを着た可愛らしい少女が会話をしています。コマはすべてタテ割りという斬新なコマ割りで6P、最後のページの欄外には つづく なんて書いて有ります。作品自体はすぐに一話完結スタイルになって行きますが。
 
 一話目はこんな感じ黒字は作品中からの引用です。


 まんがが上手く描けず、その上父親に漫画ばかり描いて、と原稿を破かれたジュンは、冬の石畳の道で石ケリをしている少女に出会います。

 「ひとつ石をけるごとにひとつかなしみがきえていくわよ。」

 「・・・・ほんとだ!」

 だけど石を蹴り上げて失くしてしまうと石の方が消えて

 「ぼくのわけのわからないへんなかなしみはまだのこっている。そのままで・・・。」

 「かなしみの源だもん」

 「生きてるってことのしょうこなのよ」

 少女が一瞬大人に見えます。

 2回目の連載にも少女のみフキダシの中のモノローグ有り。その後も文章だけ入っている話しもあるのでまったくサイレントではないですが、極力少ないことばで表現しようとしているのは分かります。

 この豪華本の中では、「邯鄲(かんたん)の夢」 のようなお話 「時の馬」 が好き。「邯鄲の夢」 とは、中国の唐の玄宗皇帝の時代のこと、短い時間の夢の間に自分の栄枯盛衰を見てしまったというお話。邯鄲とは宿のあった土地の名前です。「一炊の夢」 とも言いますね、一炊とはご飯が炊ける程の短い間と言う意味。
 ジュンは中年までの成功譚と、金はあるがまんがが売れない老年との二重に自分の未来を見てしまい、2回目の夢がさめた後は木の下で震えている、という構図です。

 COMを代表する大人気作品だった、「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 はしかし1969年の2月号の次号予告にはちゃんと次回予告が載っているにもかかわらず1969年3月号には載っていませんでした。そして3月号の編集後記に 「石森先生のご都合により」 しばらく休載するとの告知が掲載されましたが、次に石森先生が COM に描かれたのは1969年10月号 「サイボーグ009 神々との闘い編」 だったのです。
 当時中学生の私には何がなんだか ????? あとでぼちぼち噂で聞こえて来たのは・・・。

 この作品を語る上で避けて通れない、手塚先生が 「あれはマンガじゃない」 と言ったとかどうとかの話。手塚先生と石森先生の「ジュン」事件として有名です。手塚先生はストーリまんがが真のマンガだと思っていらしたのでしょうね。と言うことは、手塚先生の不評を聞いて石森先生か編集部が連載を打ち切ったと言うこと ???? どこかで後ろ向きの手塚先生、後方でびくびくしている石森先生、というカットまで見ました。石森先生の絵だったような・・・。
 でもこの本の帯には手塚先生の推薦文も有りますよ。

ぼくは石森氏のストーリーよりも絵に魅力を感じる。「ジュン」 が成功したのは、もっぱら映像だけを追求したことによると思う。

 自分ところの出版だし、けなすわけには行かないでしょうが、こういうのを大人の対応というのかしらん 
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ブログ丸2年になりました。

2007年03月12日 12時43分09秒 | 雑記
         本日朝の白連 満々開です。


早いもので、一昨年の3月からgooさんでブログを始めてから丸2年たってしまいました。最近は古いまんがに興味のある方中心に毎日100人以上、アクセスとしては400~500アクセスものカウントが有り、びっくりするやら責任感じるやらで冷や汗をかいております。
 今後も無理せず続けて行こうと思っています。よろしくお願い申し上げます。
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昔、漫画雑誌 「COM」 があった。

2007年03月12日 11時57分34秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
                 COM 創刊号 1967年1月号



                 

 

 下の写真は 「手塚治虫物語 1960~1989」 朝日新聞社刊 朝日文庫 1994年10月5日 初版 これは11月20日の2刷 伴 俊男 + 手塚プロダンション
 1928~1959年までの前編も有ります。

 こちらの伝記まんがの中にCOM創刊に至るいきさつが書かれているので、要約させていただきます。

 昭和41年大規模になっていた虫プロは大幅な機構の改革を行い、フィルム部門以外を別会社とし、虫プロ商事が誕生しました。池袋のビルにあった虫プロ商事では、版権業務の他に出版を行うことが目的でした。それまでのファン向けの小雑誌 「鉄腕アトムクラブ」 を発展させて新雑誌を作ろうとしたのです。
 昭和39年青林堂から創刊された漫画雑誌 「ガロ」 は 白土 三平氏の 」カムイ伝」 を柱に 水木 しげる氏 や つげ 義春氏 などが活躍し、又個性ある新人が登場する雑誌として若いまんが好きに注目されていました。それを意識しながらも別の路線を模索し、又新人漫画家の登竜門となるべき、往年の 「漫画少年」 のような投稿欄を設けることを新雑誌の目玉としました。

 「鉄腕アトムクラブ」 休刊のご挨拶には、新雑誌の広告も載っていて

まんがエリートのためのまんが専門誌。創刊号は12月(1966)に全国書店で発売予定!

 として、永島 慎二氏のカットが添えられています。
 
 誌名で悩んでいるスタッフの所へ手塚先生が現れ、黒板に 「COM」 と書きました。
COMICS
COMPANION
COMMUNICATION
の略だと言うのです。こうして誌名はあっという間に決定、手塚先生の 「火の鳥」 石森(当時)章太郎先生の 「ファンタジーワールド ジュン」 、永島 慎二先生 (当時虫プロでジャングル大帝の演出をしていた) 「青春残酷物語」 の3本の強力な連載を擁して出発したのです。

 漫画ファンのページ 「ぐら・こん」 は最初の頃はともかく、最盛期にはかなりのページを使い、採点もテーマ、ストーリー、コマ割り、キャラクター、構図、絵などに分けて細かく採点されています。
 又、まんがファンの全国組織 「ぐら・こん」 結成を呼びかけ、かっての 「漫画少年」 のようにという言葉どおり 「COM」 の投稿者の中から多数漫画家を輩出することになります。つまり、ぐら・こんとはCOMの投稿ページのことと、まんが同人組織の名前も兼ねていることになりますね。

 組織の方の 「ぐら・こん」 は全国組織と言っても地方により活動にバラツキが有り、問題も多数あったようですが、とにかくもまんが同人の全国組織を作ろうという初めての試みだったのではないでしょうか。

これからは自分の持っている 「COM」 創刊号その他を見ながら。

 第1回のぐら・こん 「GRAND COMPANION」 を見ると、

まんが予備校
まんがの好きなあなたに!
アシスタントの夢・声

 の3つのコーナーに分かれています。

 まんが予備校では、
「ぐら・こん」 は生粋のまんがマニアの広場で、まんがをもっとかきたい、勉強したいという人の願いをひとつに集めて企画されたページだ。このまんが予備校へ入学された方々の大まんが家への成功を祈る! COM編集部 とある。

 最初の事とてストーリー2編、ギャグまんが1編 が掲載されており、大野 ゆたか氏の指導が載っている。

 まんがの好きなあなたに!では、
峠 あかね氏 (まんが作者としては真崎 守氏 ジャングル大帝のアシスタントプロデューサーだった) がファン活動に詳しいと言うことで、2ページにわたって 「活動を始めよう!」 とあおっています。 
 いわく、まんがをもっと読み、勉強し、かいてみるのもいい、と回覧誌を作ることを進め、自信がついたら新人募集に応募したり、出版社に持ち込みしたりプロに批評をしてもらおうと言っています。

 まんが家アシスタントの夢・声欄では、
石森氏アシスタント 永井 清(豪)氏 赤塚不二夫アシスタント 長谷 邦夫氏、ちば てつや氏アシスタント 政岡 稔也氏等8名のアシスタントの方の一言が載っています。多分ほとんどプロになられているのだと思いますが、私、不勉強でこの3名の名前くらいしか分からない 
 
 ページ下 「声」 欄に業界関係者の声が寄せられていますが、その中に 「ガロ」
 青林堂創業者の初代社長にして名物編集長 長井 勝一氏のお名前が。
「このような型の雑誌が一つより二つ、二つより三つと発行される事は、私どもにとっても非情に力強さを感じます」 とさすがですね。

 編集後記には、
正直な話、よくぞまあ、ここまでこぎつけたものだと思っている。企画が具体化してから発売までの期間が短かった為、まったくの冷や汗の連続であったうんぬん (山崎) 
 出版にこぎつくまでは大変だったのですねー。

 念の為、COMについてフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
で検索してみますと、(以下引用)

COM(コム)は、1967年から1973年まで発刊された漫画雑誌。

「描きたいものが書ける雑誌」および「新人を育てる雑誌」として、手塚治虫が、虫プロ友の会発行の会報『鉄腕アトムクラブ』を発展解消する形で創刊した。「まんがエリートのためのまんが専門誌」がキャッチフレーズ。1964年に先行して創刊された『月刊漫画ガロ』を強く意識して、両誌はライバル関係と目された。

「COM」は、COMICS, COMPANION, COMMUNICATIONの略だという。発行は、1966年に虫プロから分離した虫プロ商事。

刊行期間 1967年1月号~1971年12月号。1973年8月号として、1号だけ復刊された(1973年8月1日発行)が、その後、虫プロ商事は倒産。

姉妹誌には、1969年5月に虫プロ商事より創刊された少女漫画雑誌『ファニー』がある。

手塚治虫の「火の鳥」(黎明編・未来編・ヤマト編・宇宙編・鳳凰編・復活編・羽衣編・望郷編・乱世編)を看板作品とし、これはライバル誌の『ガロ』の看板連載だった白土三平の「カムイ伝」に対抗する形だったとされる。「火の鳥」以外には手塚治虫の旧作の復刻、手塚治虫系の著名作家陣が執筆した作品が誌面を飾り、石森章太郎「章太郎のファンタジーワールド・ジュン」「サイボーグ009 神々との闘い」、永島慎二「漫画家残酷物語」「フーテン」、出崎統「悟空の大冒険」などが連載された。その他、松本零士も登場している。手塚治虫とトキワ荘に関わりのある赤塚不二夫、石森章太郎、鈴木伸一、つのだじろう、寺田ヒロオ、藤子不二雄、水野英子ら計12名の作家による競作漫画「トキワ荘物語」が発表されたのもCOMであった。

既存の漫画家の作品に加えて、COMからデビューした新人作家による作品がCOMの両輪として人気を博した。登竜門としてのCOMから巣立った作家たち としては、青柳裕介、あだち充、市川みさこ、居村真二、岡田史子、加藤広司、コンタロウ、竹宮惠子、能條純一、日野日出志、諸星大二郎、やまだ紫、長谷川法世、宮谷一彦、西岸良平らがいる。また、真崎守が峠あかね名義で指導した読者投稿コーナー「ぐら・こん」(グランド・コンパニオン)は、吾妻ひでお、飯田耕一郎、勝川克志、河あきら、樹村みのりらを輩出した。

 以上となっています。長々と引用が多くて失礼しました。
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近所の白蓮

2007年03月09日 11時24分43秒 | 雑記
 家から最寄駅に行く道沿いの近所のお宅は春ともなれば花盛り


 一番を飾って、白蓮が満開です。ついこの間の日曜日はこんな感じでした。↓

           
               


 そして、我が家のわがまま亜美嬢は相変わらずだんな奴隷の腕の中で春の夢を見ています。


               


 時は春
 日は朝(あしたと読んだとおもう)
 あしたは7時
 かた丘に露満ちて
 揚げひばり名乗りあげ 
 カタツムリ枝を這い
 神 空にしろしめす
 すべて世は事もなし

今思い出した詩なのでおぼろげでいい加減です。この後本当は戦争の詩が続くのよね。ヴィパの詩とかなんとか。


 最近熟読しているブログさん → 動画マンガ写真Gyaoハンゲームmixi日記NEXTMUSICプレイヤーズ王国しょこたん昔話ブログ

 えらい長いお名前ですが、管理人さんは以前少年誌でまんが家をしていらして、しかもその前は虫プロ商事 (COMの発行元) でバイトしていたという方。当時 (1969~1970年代) の昔日記を連載されています。興味のある方はブログ画面、右側のカテゴリーの中の 「唄いながら夜を往け (昔の思い出し日記) 」 をチェックして見てくださいませ。
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COM 1968年5月号ふろく 「ぐら・こん」 ①

2007年03月08日 09時32分48秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 付録としてついた ぐら・こん (はじめはこの表記)の1番目です。表紙は 永島 慎二氏

 小さい (B6版) ながら130Pとたっぷり、執筆メンバーは 永島 慎二、岡田 史子、みつはし まこと、こうご 次男、村岡 栄一、真崎 守の各氏。
 特に永島氏の 「朝日をあびて死」 はこの時期極度のスランプに落ち込み、アメリカ旅行 (逃げ出したと言われた例の逃避行) の前に42枚もようやくアップした作品。その他の作品も青春の鬱屈やらほのぼの少年の日常やら、本格的時代劇までバラエティに富んで面白く、その後の 「ぐらこん」 より充実しているように見えます。

 永島 慎二 「朝日をあびて死」 

 自殺者募集で集まった若者を前に、死にたい理由を聞く募集者の老人。功成り、名遂げた老人はお金で解決することのできるものには小切手を切り、この場で恋の芽生えたものには喜ばしいことだと励ます。死ぬ理由のなくなった身勝手な若者たちは死にたくないと屋敷を出ようとするが、老人は今飲んだコーヒーには毒が入っているんだと言う。バタバタ倒れるみんな。夢の中で年寄りにだまされたと口々に言い合う。
 朝の光に気がついてみると、皆は生きており、老人だけがみんなを励ます手紙を残して死んでいた。

 後の作品は同人活動をしている方の本格的デビュー作品 (みつはし まこと、こうご 次男、村岡 栄一)や、新人賞受賞後のスタート作品 (岡田 史子) などとなっています。

 最後に 峠 あかね氏 (真崎 守氏) の 「始めに読んでくれ」 として、執筆メンバーやこのふろくができたいきさつが書いてあります。
 今回の別冊付録は 仲間 (グランドコンパニオン) の中の一部が、COMの舞台を借りて作品発表を行ったという事、と言ってます。先にその後の 「ぐらこん」 より充実していると言いましたが、それは同人の原稿だけは昨年よりたまっていて、メンバーたちが何らかの形でCOMとの縁があったのでまとめたと言っているので作品がそろっていたものでしょう。

 ぐらこん (グランドコンパニオン COMを中心にした仲間) の構想をぶち上げてから短期間でこのようなまとまった冊子を作れたのは以前からの同人作品が集まっていたからなのですね。順序が逆になりましたが、付録ぐらこん をすべて紹介できてほっとしました。

 当時のマンガ好きさんにはC0Mもぐらこんもなじみのある名前でしょうが、なにやらちんぷんかんぷんの方もいると思うので、今度は手塚先生の伝記やC0M創刊号などに載っている名前の由来など書いてみます。でも、私も当時は一読者ですので何か間違ったことなど有りましたら関係者の方々のご指摘をお待ちしております。

 COMについて簡単にはこちら → 竹宮 惠子氏のデビュー前作品
 
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C0M 1968年12月号付録 「ぐらこん」 ⑧

2007年03月07日 08時47分12秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
    新進ビックフォア作品集 表紙は 樋口 太郎氏

 いつものようにネタバレです。 

 青柳 裕介 「遠い雲」

 高校生の頃、同級の真知を妊娠させてしまい、逃げるように大阪に就職してしまった男ケン。そのことは心のオリとなってケンの胸に残っていた。「なにかしなければ・・・」 もう結婚したという噂も聞いていたのに。
 偶然仕事で行った街で真知を見かけ、無理やり3日間の休みをもらってその街を探すケン。3日目にやっと会えた真知は、「あの時は悲しかったけど、昔のことよ」 と去っていく。その夜あきらめきれない自分に嫌気が差して酒を飲んだケンは夜の道で真知と今のだんなに出会う。
 思わず 「待てよ!」 と呼びかけるケン。しかし二人の臆せぬ様子に笑うしかないケンだった。だんながその後真知に言う言葉が憎い!
 「何も言わなくてハハ・・お前が彼から卒業していることは俺にはよくわかる ―略― 」

 私は由美、喫茶店に勤めている。お客様で気になる人がいるけど声もかけられないの。同僚の子はキッカケ作ってあげようかと言うが、本気だもん、怖くて断ったわ。3日ぶりにあの人が来て、私は嬉しさを隠しきれない。同僚は今度こそアタックするのよと言ってくれる。

 この作者には珍しく、新しい恋を予感させるラストでほんわかさせる。


 もとやま 礼子 「脱走」

 収容所のような建物の中で作業する男たち。監視している男たちは非情だ。新入りの男は事情がよくわからないようだ。自分はDマークといわれ、性格に欠陥があると言われる。知り合った女の子は、ここは捕虜収容所だと言って、Dマークの自分に悲しいことが起きないようにと謎をかける。
 同室の男たちにどこで戦争をやっていてどうしてここに閉じ込められているのかと聞いても変な気を起こすなよと言われるだけ。
 男はついに脱走を企て、女の子の犠牲のおかげで逃げ出せるが・・・。外はいたるところで戦争をやっていて、男はすぐに銃で殺されてしまうのだった。
 何かの比喩か、風刺的な作品。自由は不自由よってことか ????


ガンケ・オンム 「動物園で見た赤とんぼ」 

 幼稚園児くらいの少年。都会に住んでいて彼を取り巻く世界に耐えられなく思っていた。ディズニーの記録映画を見た時から大自然に憧れていた。彼は動物が見たくて始めて動物園に足を運ぶ。少年は動物園に行くことによっていつも不満に思っていることが消えてしまうように思えたのだ。
 だが、死んだ目をしてぐったり横たわるライオンやゴリラを見て、最後のものにも裏切られた・・・そんな思いがした。帰ろうとしたとき、少年の頭の上をたくさんの赤とんぼが通っていき、少年はとうとう心に抱いていたものを見つけることができたのだ、と思った。


 はせがわ ほうせい 「値段のない絵の物語」

 美大を受けようという浪人たち。一人っ子のため志半ばで国に帰るもの、11人兄弟の為に大学にいけなかったとグチをこぼすもの。ボクは高校同窓の女の子につい、言ってしまう。
 「私ども浪人の気持ちはわかりますまい。」
 「私ども浪人族はいまだ世間的に認められていない 値段のない絵なんです!」
女の子になじられ、できない事なんかないと励まされ、
 「くそっ、やってやる」 と思い直すボク。自転車でスケッチにでるぞ、と屑屋で自転車を買おうとするところで終わり。

 思ったことを思ったまま描いた私小説的な作品かしら?青年時代の鬱々とした感情はよく出ています。

 この中では最初の 「遠い雲」 が良かったです。青柳氏の絵柄も前よりすこーし明るくなってきたかなー。以前はほんとに見るのがやんなるくらい暗い画面だったから。
 このぐらこん⑧号で付録はおしまいになります。COMの付録としては、その前に手塚先生の名作劇場ドストエフスキー原作 「罪と罰」 などがまだ有りますので、そのうちに・・・。(又いつになるのか) 

 裏表紙に 「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 の綺麗な宣伝が。


                 
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吉村 明美 「薔薇のために」 

2007年03月06日 09時14分12秒 | マンガ家名 やらわ行
 私が満点さんにおねだりしてお借りしたのは、小学館文庫版 1~9巻こちらはその1巻目表紙。

これ、1994年の 「小学館漫画賞」を受賞しているんですね。

 実は読むの2度目なんです。一度目はマンガ喫茶で涙こぼすのを人に見られないように (そのときのマンガ喫茶には仕切りがなかった) 苦労して読んだのに、まーた今回もボロボロでした。ハッピーなラストもわかってんのにねー。
 
でも、結構覚えていないところもあるんですね、読んでいくと思い出すんだけれど。こんなに家族のこととか母親、兄弟の関係とか濃厚なお話とは忘れてました。それに前回とは何かじ~んと来るところも違っていた。
 マンガ喫茶で読んだときはもうコミックスが完結していたので、多分10年位前に読んだのだと思うけど、そのときの自分の気持ちと今の気持ちの違いというのもあるのかな。

 わかっているのに、泣かされるという小説とか、映画とか有りますよね。私にとって吉村氏の作品がまんがのそれです。とにかく、毎晩遅くまで泣きながら読んでて、だんなは変に思ったろうなぁ。この年になって何やってんだろ私。
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中村 圭子 「昭和美少年手帖」

2007年03月05日 13時19分05秒 | 雑記
           河出書房新社 2003年6月30日 初版


 この妖艶な美少年の表紙にフラフラと釣られて・・・この本を買ってしまったのはア・タ・シです。漫画ブログの中では有名な 漫棚通信さん → 漫棚通信ブログ版の過去記事でこれが載ってまして・・・。


 中村 圭子さんとは、東京文京区の弥生美術館 → 弥生美術館・竹久夢二美術館 の学芸員の方です。これは中村さんが編んだ昭和の美少年の挿絵などを集めた本です。弥生美術館は昔から好きなところで、この本に出ている 高畠 華宵の 「さらば故郷(ふるさと)」 という丁稚奉公にあがるらしい少年と別れを惜しむ犬の絵は以前こちらで見ました。
 この本の写真の部分には、他に 伊藤 彦造、山口 将吉郎、山川 惣治、石原 豪人(ごうじん)らの小説挿絵が並んでいます。

 「文学に描かれた美少年」 や 「昭和の少女まんがに登場した美少年」、「美少年の時代による顔の比較」 などの読み物等も有りますが、まずはじっくりと昭和初期の挿絵画家の絵に見入る・・・。
 私はやっぱり華宵の頬がふっくらして赤く染まった少年が好みかしら、いやいや山口 将吉郎の 「木村 長門守重成の奮戦」 の馬上の木村 重成もよいわ~~(よ・よだれが・・・) 木村重成は豊臣氏滅亡の折の大阪冬の陣・夏の陣の際の大阪方の武将です。年若く美丈夫であったということで、私は司馬 遼太郎氏の 「城塞」 (新潮文庫 上・中・下3巻) で彼の奮戦をうっとり読んだものだ。滅びの美学でした。

 それにしても、表紙の少年はエ・エロイ。これを描いた高畠 華宵には男色の好みがあったということで、弟子の美少年に囲まれて暮らしたということですが、それでなくてはこんな絵は描けませんねー。

 明治中期には、 「美少年」 という言葉は単に 「良い少年 心清き優秀な少年」 という意味で、頻繁に使われたという記述にもびっくり。
教育的な性格を持つ少年雑誌の中に 「美少年」 という言葉があふれていたと言うのですから、今読むと仰天するかも。当時は容貌の美しさはおまけのようなものだったのですね。それが大正末期に華宵の描く両性具有的美少年の怪しい魅力の挿絵が爆発的人気を得ると、ニュアンスが変わってきたものなのでしょう。

 「昭和の少女まんがに登場した美少年」の中に、「風と木の詩」 のセルジュや、「草迷宮・草空間」 の草、「月の子」 のショナ、などが絵入りで。「日出処の天子」 の厩戸の王子、「夢見る惑星」 のイリス王子、「摩利と新吾」 の摩利と新吾、「化粧曼荼羅」 の白貴、ボーイフレンド系として 「ホットロード」 の春山などたくさんの我々になじみのある名前 (これらは名前のみ) も載ってましたよ。
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