虫プロ商事刊 昭和43年(1968)6月25日 初版 これは9月25日の再販
実家の自分の本箱に長く入っていたので黄ばみ、ハトロン紙の破れなど結構ボロイです。でも、私の宝物には変わり有りません。今はちゃんと扉付の書棚の奥に収まっています。この豪華本は、「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 連載中の昭和43年(1968)に出されています。すぐに人気になったのでしょうね。
ちなみに、主人公の名前 ジュン は、始め石森氏の子息の ジョー(丈) にしようと思ったが、恥ずかしいのでやめた、とどこかのインタビューで答えてました。
「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 は、まんがエリートのためのまんが雑誌と銘打たれた COM の創刊号の1967年1月号 (発売は1966年12月) より1969年2月号まで連載された、当時大変な話題作といわれた石森先生中期の実験作品。COM 1971年10月号にも 「思い出のジュン」 としてもう1作発表されています。今もその後に出た文庫など、中古ならネットで買えるんですね、知らなかった。私の持っているのは10篇くらいしか入っていないものなので、買ってみようかしら。COMの中に全部あるとは思いますが。
アマゾン
評判になった頃はサイレントまんがなどと言われた 「ジュン」 ですが、連載第1回目 「プロローグ 少女との出会い」 ではフキダシが有り、セリフが有ります。漫画家志望の少年 ジュン と白い毛皮の縁取りとフード付の (多分) 赤いコートを着た可愛らしい少女が会話をしています。コマはすべてタテ割りという斬新なコマ割りで6P、最後のページの欄外には つづく なんて書いて有ります。作品自体はすぐに一話完結スタイルになって行きますが。
一話目はこんな感じ黒字は作品中からの引用です。
まんがが上手く描けず、その上父親に漫画ばかり描いて、と原稿を破かれたジュンは、冬の石畳の道で石ケリをしている少女に出会います。
「ひとつ石をけるごとにひとつかなしみがきえていくわよ。」
「・・・・ほんとだ!」
だけど石を蹴り上げて失くしてしまうと石の方が消えて
「ぼくのわけのわからないへんなかなしみはまだのこっている。そのままで・・・。」
「かなしみの源だもん」
「生きてるってことのしょうこなのよ」
少女が一瞬大人に見えます。
2回目の連載にも少女のみフキダシの中のモノローグ有り。その後も文章だけ入っている話しもあるのでまったくサイレントではないですが、極力少ないことばで表現しようとしているのは分かります。
この豪華本の中では、「邯鄲(かんたん)の夢」 のようなお話 「時の馬」 が好き。「邯鄲の夢」 とは、中国の唐の玄宗皇帝の時代のこと、短い時間の夢の間に自分の栄枯盛衰を見てしまったというお話。邯鄲とは宿のあった土地の名前です。「一炊の夢」 とも言いますね、一炊とはご飯が炊ける程の短い間と言う意味。
ジュンは中年までの成功譚と、金はあるがまんがが売れない老年との二重に自分の未来を見てしまい、2回目の夢がさめた後は木の下で震えている、という構図です。
COMを代表する大人気作品だった、「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 はしかし1969年の2月号の次号予告にはちゃんと次回予告が載っているにもかかわらず1969年3月号には載っていませんでした。そして3月号の編集後記に 「石森先生のご都合により」 しばらく休載するとの告知が掲載されましたが、次に石森先生が COM に描かれたのは1969年10月号 「サイボーグ009 神々との闘い編」 だったのです。
当時中学生の私には何がなんだか ????? あとでぼちぼち噂で聞こえて来たのは・・・。
この作品を語る上で避けて通れない、手塚先生が 「あれはマンガじゃない」 と言ったとかどうとかの話。手塚先生と石森先生の「ジュン」事件として有名です。手塚先生はストーリまんがが真のマンガだと思っていらしたのでしょうね。と言うことは、手塚先生の不評を聞いて石森先生か編集部が連載を打ち切ったと言うこと ???? どこかで後ろ向きの手塚先生、後方でびくびくしている石森先生、というカットまで見ました。石森先生の絵だったような・・・。
でもこの本の帯には手塚先生の推薦文も有りますよ。
ぼくは石森氏のストーリーよりも絵に魅力を感じる。「ジュン」 が成功したのは、もっぱら映像だけを追求したことによると思う。
自分ところの出版だし、けなすわけには行かないでしょうが、こういうのを大人の対応というのかしらん
実家の自分の本箱に長く入っていたので黄ばみ、ハトロン紙の破れなど結構ボロイです。でも、私の宝物には変わり有りません。今はちゃんと扉付の書棚の奥に収まっています。この豪華本は、「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 連載中の昭和43年(1968)に出されています。すぐに人気になったのでしょうね。
ちなみに、主人公の名前 ジュン は、始め石森氏の子息の ジョー(丈) にしようと思ったが、恥ずかしいのでやめた、とどこかのインタビューで答えてました。
「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 は、まんがエリートのためのまんが雑誌と銘打たれた COM の創刊号の1967年1月号 (発売は1966年12月) より1969年2月号まで連載された、当時大変な話題作といわれた石森先生中期の実験作品。COM 1971年10月号にも 「思い出のジュン」 としてもう1作発表されています。今もその後に出た文庫など、中古ならネットで買えるんですね、知らなかった。私の持っているのは10篇くらいしか入っていないものなので、買ってみようかしら。COMの中に全部あるとは思いますが。
アマゾン
評判になった頃はサイレントまんがなどと言われた 「ジュン」 ですが、連載第1回目 「プロローグ 少女との出会い」 ではフキダシが有り、セリフが有ります。漫画家志望の少年 ジュン と白い毛皮の縁取りとフード付の (多分) 赤いコートを着た可愛らしい少女が会話をしています。コマはすべてタテ割りという斬新なコマ割りで6P、最後のページの欄外には つづく なんて書いて有ります。作品自体はすぐに一話完結スタイルになって行きますが。
一話目はこんな感じ黒字は作品中からの引用です。
まんがが上手く描けず、その上父親に漫画ばかり描いて、と原稿を破かれたジュンは、冬の石畳の道で石ケリをしている少女に出会います。
「ひとつ石をけるごとにひとつかなしみがきえていくわよ。」
「・・・・ほんとだ!」
だけど石を蹴り上げて失くしてしまうと石の方が消えて
「ぼくのわけのわからないへんなかなしみはまだのこっている。そのままで・・・。」
「かなしみの源だもん」
「生きてるってことのしょうこなのよ」
少女が一瞬大人に見えます。
2回目の連載にも少女のみフキダシの中のモノローグ有り。その後も文章だけ入っている話しもあるのでまったくサイレントではないですが、極力少ないことばで表現しようとしているのは分かります。
この豪華本の中では、「邯鄲(かんたん)の夢」 のようなお話 「時の馬」 が好き。「邯鄲の夢」 とは、中国の唐の玄宗皇帝の時代のこと、短い時間の夢の間に自分の栄枯盛衰を見てしまったというお話。邯鄲とは宿のあった土地の名前です。「一炊の夢」 とも言いますね、一炊とはご飯が炊ける程の短い間と言う意味。
ジュンは中年までの成功譚と、金はあるがまんがが売れない老年との二重に自分の未来を見てしまい、2回目の夢がさめた後は木の下で震えている、という構図です。
COMを代表する大人気作品だった、「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 はしかし1969年の2月号の次号予告にはちゃんと次回予告が載っているにもかかわらず1969年3月号には載っていませんでした。そして3月号の編集後記に 「石森先生のご都合により」 しばらく休載するとの告知が掲載されましたが、次に石森先生が COM に描かれたのは1969年10月号 「サイボーグ009 神々との闘い編」 だったのです。
当時中学生の私には何がなんだか ????? あとでぼちぼち噂で聞こえて来たのは・・・。
この作品を語る上で避けて通れない、手塚先生が 「あれはマンガじゃない」 と言ったとかどうとかの話。手塚先生と石森先生の「ジュン」事件として有名です。手塚先生はストーリまんがが真のマンガだと思っていらしたのでしょうね。と言うことは、手塚先生の不評を聞いて石森先生か編集部が連載を打ち切ったと言うこと ???? どこかで後ろ向きの手塚先生、後方でびくびくしている石森先生、というカットまで見ました。石森先生の絵だったような・・・。
でもこの本の帯には手塚先生の推薦文も有りますよ。
ぼくは石森氏のストーリーよりも絵に魅力を感じる。「ジュン」 が成功したのは、もっぱら映像だけを追求したことによると思う。
自分ところの出版だし、けなすわけには行かないでしょうが、こういうのを大人の対応というのかしらん