COM 1967年2月号 第2回ぐら・こん まんが予備校にて
上の写真はいつものように私の模写です。本物の載っているサイトは見つけられなかったので。どなたかご存知なら教えてください。それにしても誰か綺麗に写真撮る方法教えて(泣)
岡田氏の経歴については、復刊ドットコムの岡田 史子 復刊特集ページの中のプロフィールではこんな感じ。
1949年 北海道静内町に生まれる。
67年「COM」誌にて「太陽と骸骨のような少年」を発表しデビュー。当時17歳。
翌68年「ガラス玉」で「COM新人賞」を受賞。
以後、72年まで同誌を中心に作品を発表し続ける。
一時は漫画と無縁の生活をおくっていたが、78年から再度漫画の執筆をはじめる。
しかし本格的なカムバックには至らず、90年に「漫画・夢の博物誌」に発表した
「エリム」以降、断筆。 (これ見てないです)
作品は抽象度が高く観念的で、一作毎に変わる絵柄は魅力的。
萩尾望都や山岸涼子ら24年組に強い影響を与えたといわれ、
「漫画家のための漫画家」と呼ばれることも。
2005年4月心不全の為死去。享年55歳。
上では、
>「COM」誌にて「太陽と骸骨のような少年」を発表しデビュー。
となっていますが、「太陽と骸骨のような少年」はCOMの投稿コーナーである ぐら・こん のまんが予備校に投稿された作品であり、600点満点のうち370点の高得点を取っている入選作品なので、デビュー作ではないと思います。すぐにCOMの人気まんが家になっていますが。
↓ 岡田氏のファンサイトにも経歴が出ています。
岡田 史子ファンサイト 硝子玉
↓ ここでは 「ガラス玉」 と「春のふしぎ」の各1ページと本人のインタビューが読めます。
岡田 史子インタビュー
「太陽と骸骨のような少年」は7P、全ページ4/1の縮小サイズで掲載され、大野 ゆたか氏が講評されています。要約して下に載せますと、
岡田さん自信も言っている様に、この現代詩のような饒舌を美しいカットで飾った七枚の原稿をまんがと呼べるかどうかは多分に疑問だ。
ストーリーもなく対話もかみ合わず、年少の読者には分けの分からない作品としか見えないだろう。
しかし、まんがの形式を借りたこの作品はいままでまんがでは扱えなかったテーマ ― 人生・希望など ― に正面から挑戦している。
岡田さんのこのテーマがまんがとして完成され、表情豊かにまんがの主人公がなめらかに 「人生」 をしゃべりだし、多くの読者がそれを認めた時、作者はまんが界に一つのジャンルを築くことになるだろう。情緒と形式に安住せずに勉強してください。それと、よりよき読者としての友人を一人でも多く身辺に見つけることです。
多くの投稿作品を見ていたであろう 大野 ゆたか氏 にとってもかなりな問題作だったようです。絵柄は、この当時は石森氏にちょっと似ている。後になるとペイネ風と言うかムンクにも通じて、目が空洞になって 岡田 史子氏 の画風になってきます。
この作品は、精神病院に入っているらしい少年と看護士(少女)の会話だけの内容で、神殿のような背景と海が見えます。少年は好き勝手にモノローグを繰り広げ、少女の質問にはかみ合わない答えを繰り返す。今大人になった私が読んでも、悪く言えば独りよがりの作品よ、と言えなくも無い。その後のCOM発表の作品群も難解なもの多いです。
事実近年出た作品集 「オデッセイ」 などを見た今の読者の中には過去の有名な人なのに良さがちっとも分からない、と言う人もいます。
デモねー、無理に内容をわかろうとしなくてもよいと思うのですよ、この作品は。この後彼女の亜流がどっと投稿作品に増えたほど、当時のまんが好きには彼女を強烈に印象付けた作品。
私も2P目のこの少年の姿が40年近くなっても忘れられないのです。
拙ブログ過去記事参考 → 伝説の岡田史子氏に合掌
上の写真はいつものように私の模写です。本物の載っているサイトは見つけられなかったので。どなたかご存知なら教えてください。それにしても誰か綺麗に写真撮る方法教えて(泣)
岡田氏の経歴については、復刊ドットコムの岡田 史子 復刊特集ページの中のプロフィールではこんな感じ。
1949年 北海道静内町に生まれる。
67年「COM」誌にて「太陽と骸骨のような少年」を発表しデビュー。当時17歳。
翌68年「ガラス玉」で「COM新人賞」を受賞。
以後、72年まで同誌を中心に作品を発表し続ける。
一時は漫画と無縁の生活をおくっていたが、78年から再度漫画の執筆をはじめる。
しかし本格的なカムバックには至らず、90年に「漫画・夢の博物誌」に発表した
「エリム」以降、断筆。 (これ見てないです)
作品は抽象度が高く観念的で、一作毎に変わる絵柄は魅力的。
萩尾望都や山岸涼子ら24年組に強い影響を与えたといわれ、
「漫画家のための漫画家」と呼ばれることも。
2005年4月心不全の為死去。享年55歳。
上では、
>「COM」誌にて「太陽と骸骨のような少年」を発表しデビュー。
となっていますが、「太陽と骸骨のような少年」はCOMの投稿コーナーである ぐら・こん のまんが予備校に投稿された作品であり、600点満点のうち370点の高得点を取っている入選作品なので、デビュー作ではないと思います。すぐにCOMの人気まんが家になっていますが。
↓ 岡田氏のファンサイトにも経歴が出ています。
岡田 史子ファンサイト 硝子玉
↓ ここでは 「ガラス玉」 と「春のふしぎ」の各1ページと本人のインタビューが読めます。
岡田 史子インタビュー
「太陽と骸骨のような少年」は7P、全ページ4/1の縮小サイズで掲載され、大野 ゆたか氏が講評されています。要約して下に載せますと、
岡田さん自信も言っている様に、この現代詩のような饒舌を美しいカットで飾った七枚の原稿をまんがと呼べるかどうかは多分に疑問だ。
ストーリーもなく対話もかみ合わず、年少の読者には分けの分からない作品としか見えないだろう。
しかし、まんがの形式を借りたこの作品はいままでまんがでは扱えなかったテーマ ― 人生・希望など ― に正面から挑戦している。
岡田さんのこのテーマがまんがとして完成され、表情豊かにまんがの主人公がなめらかに 「人生」 をしゃべりだし、多くの読者がそれを認めた時、作者はまんが界に一つのジャンルを築くことになるだろう。情緒と形式に安住せずに勉強してください。それと、よりよき読者としての友人を一人でも多く身辺に見つけることです。
多くの投稿作品を見ていたであろう 大野 ゆたか氏 にとってもかなりな問題作だったようです。絵柄は、この当時は石森氏にちょっと似ている。後になるとペイネ風と言うかムンクにも通じて、目が空洞になって 岡田 史子氏 の画風になってきます。
この作品は、精神病院に入っているらしい少年と看護士(少女)の会話だけの内容で、神殿のような背景と海が見えます。少年は好き勝手にモノローグを繰り広げ、少女の質問にはかみ合わない答えを繰り返す。今大人になった私が読んでも、悪く言えば独りよがりの作品よ、と言えなくも無い。その後のCOM発表の作品群も難解なもの多いです。
事実近年出た作品集 「オデッセイ」 などを見た今の読者の中には過去の有名な人なのに良さがちっとも分からない、と言う人もいます。
デモねー、無理に内容をわかろうとしなくてもよいと思うのですよ、この作品は。この後彼女の亜流がどっと投稿作品に増えたほど、当時のまんが好きには彼女を強烈に印象付けた作品。
私も2P目のこの少年の姿が40年近くなっても忘れられないのです。
拙ブログ過去記事参考 → 伝説の岡田史子氏に合掌