↑ 新潮文庫 昭和56年4月25発行 これは平成16年6月15日 45刷
この著作があらわされたのは1972年である。すでに40年前に近い。
従ってここに書かれている 梅原氏 の説に対して新理論、新事実は山ほど出ているかも知れない。
巻末の解説を書いている 秦 恒平氏 も
…… 版を重ね続けてきた。その間には坂本太郎氏の「法隆寺怨霊寺説について」(日本歴史第300号)などを皮切りに厳しい批判や反論もあらわれた。
↑ 解説より引用
と書かれている。
私は不勉強でそれらのすべてを知らないが、それでもまだこの 梅原論 は十分説得力、魅力のある論文だと思う。(小説ではない)
雑誌「クレア」1992年の9月号は夢の永久保存版「THE少女マンガ!!」の特集であった。
インタビュー記事中で、 山岸 凉子氏 がもともと聖徳太子って変 !と思っていたところ、友人から 梅原氏の「隠された十字架」に今あなたが言ったことが書いてあるわよ、と。
それで早速読んでみたら、もうゾクゾクゾクーッときて、
名作「日出処の天子」をあらわしちゃったと。
これを知ったとき、読まずになんとしょう、と思っていたが、本当に読んだのは7年くらい前か。
そのときは気がはやっていたせいか、梅原氏の資料を駆使したしっかり、ねっとり、検証だらけの文章に始めはちょっとイラついた。
だから結論はなんなのさ。
今思えば私も多少若かったのかも知れない。
今回再読してみるとこのじっくりさが、病気入院中だった自分にちょうど良かった。
提示された古典や先人の書の年譜等もじっくり読む。
やはり本と言うものは2度3度読み込まないとその全貌は身に入らない。
良い本、良いマンガほど、読み返す都度新しい発見があるのは皆様ご存知のとおり。
梅原氏は第一部として、昔から言われている「法隆寺の7不思議」の伝説にかけて、「梅原氏の考える七つの謎」を提起し、第二部でそれらを解く解決への手かがりを探し、最後の第三部で真実の開示を行っている。
中でなんと言っても読みでがあって楽しく面白いのは第二部の「解決への手掛り」である。
小説家らしく「情熱的な女帝の恋」やら「無残な蘇我入鹿の死」「野心家中大兄皇子の母に対する複雑な思い」「藤原鎌足の長男の不幸な一生」などを生き生きと活写していく。
一編づつ小説としてもっと読みたいくらいだ。
法隆寺の建造に関して 正史 である「日本書紀」に一言も書かれていないそうである。
他にも官寺、大寺で有りながら建造年が書かれず、
「火事になった」
と言う記事でいきなり出てくる寺も多いそうだ。
「記紀 古事記・日本書紀のこと」の記事は不親切だと梅原氏はぼやく。
氏が言うように「記紀」が 藤原不比等 が作らせた「勝者の歴史書」ならばまったくのウソは書かないまでも、自分たちに都合の悪いことはあえて書かないだろう。
我々だって仕事のリポートではそんな潤色はしょっちゅうである。(笑)
しかし、氏は言う。
いかに取り繕って歴史を隠してもそのしっぽはどこかに出てくるものだと。
それらをひとつひとつ拾い上げ検証しながら、また地元の伝承を紹介しながら氏の解説は続く。
この地元の言い伝えと言うのがさりげなく真実を伝えているようで面白い。
いつの世も大衆は侮れないものだ。
法隆寺は
誰が - 聖徳太子ゆかりの一族か・藤原氏か -
何のために - 太子の徳を称え後世に残すためか・梅原論のように太子の霊を封じ込めるためか -
作ったにせよ、祭られているのは太子(及びその悲劇的な最後をたどった太子の子供、孫一族)が祭られているのは間違いない。
私はだからこの本を読めば太子本人についていくらかの人物像らしきものが解るかと思っていた。
が、そちらに関してはあまり期待しないほうが良い。そういう本ではない。
一般に思われている徳の高い高僧のようなイメージとは違う「戦う聖徳太子」のイメージが増えた程度かな~。
分厚い本だし内容少しばらしてしまったけれど、古代ロマンの謎を解き明かしたい方は、じっくり読んで見てください。
飽きるので入院中毎日少しづつ読んでいたトミー。