☆ https://www.zakzak.co.jp/smp/soc/news/181203/soc1812030003-s1.html
「冷戦終結」で存在意義否定!? 「冷戦は終わっていない」と珍妙な理屈並べた共産党
共産党研究 2018.12.3
★(5)
最近、「新冷戦」という言葉をやたら目にする。理由は、米中の対立が強まっているからだ。特に、マイク・ペンス米副大統領が10月4日、ワシントンのハドソン研究所で行った講演で、次のように述べたことに着目する議論が多い。
「ソ連崩壊後、中国にも自由化、民主化が根付くだろうと期待して、対中投資などの経済支援を行ってきたが、大きく裏切られた」
「中国共産党は、強制的な技術移転、知的財産の窃盗まで行っている。中国が改めるまで米国は断固闘う」
だが、これをもって「新冷戦」と見なすのは皮相な見方である。冷戦というのは、単に大きな国の対決ということではない。
第二次世界大戦後、ソ連覇権主義は、東欧諸国に次々と社会主義政権を誕生させていった。アジアでも、ベトナム、北朝鮮に続いて中国革命も迫っていた。社会主義勢力の台頭に脅威を感じた資本主義陣営は、1946年3月、英国のウィンストン・チャーチル元首相の「鉄のカーテン演説」、それを受けたハリー・トルーマン米大統領の「トルーマン・ドクトリン」による「共産主義封じ込め政策」を行った。
これに対して、ソ連のヨシフ・スターリンは、社会主義国や世界の共産党を結集した「コミンフォルム」(共産党・労働者党情報局)を結成して、資本主義陣営に対抗した。
ここには資本主義と社会主義のどちらが体制的に優位か、明確なイデオロギー対決があった。政治も、経済も画然と区別されていた。当時は、社会主義思想が世界の少なくない人々を魅了する力を持っていた。「体制選択」こそが、冷戦の最大の争いだったのである。
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したがって、ソ連崩壊による冷戦の終結は、世界の社会主義体制の敗北だったのである。
ソ連が崩壊したとき、「冷戦は終結した」という議論が世界と日本を覆った。これに危機感を深めた日本共産党は、“冷戦というのは、アメリカ帝国主義の常時戦争体制のこと”であるという、これまでの自らの主張も覆す珍妙な理屈を並べ立てて、
「冷戦は終わっていない」と声高に叫んだものである。
共産主義・社会主義の敗北による冷戦の終結は、共産党という政党そのものの存在意義を否定するものだったからである。この日本共産党の対応を見ても、冷戦とその崩壊がどういうものであったか、よく分かる。
では、今の中国に、民主主義陣営と対決できるような高尚なイデオロギーがあるだろうか。自由も、民主主義も否定する一党独裁の中国にそんなものはない。「体制選択」の争いに、そもそもならないのだ。(評論家・元共産党政策委員長)=おわり
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
● この評論家は、共産党嫌いが高じて、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”状態
となっているようです。体制の生き残りをかける戦いが冷戦です。
歴史の流れが見えないようです。
● 旧ソ連も、帝国ロシアの時代から独裁国家であり、明らかに資本主義陣営と
異なる体制でした。その頃から対立はあったのです。またロシアの
皇帝も世界への侵出を本懐とする侵略国家でした。
● 皇帝ロシアも旧ソ連も、合従連衡しながら世界侵略の夢は捨てませんでした。
言い換えれば武人戦国時代は支配階級が変わっても、その本質は
変わらないのです。むしろ共産主義になりその凶暴さは際立ちました。
● 共産主義・中共も同様です。USAと手を結び旧ソ連崩壊に手を貸したのは、
自らが生き延びるためであり、同胞のソ連は基本的にはどうでも良いのです。
内部でも殺し合うのが戦国武人時代の本懐です。
● 旧ソ連の崩壊に恐怖を抱いて、疑似資本=社会主義的市場経済をを取り入れました
が、その本質は今も変わっていないことは、上記評論家も分かっているのです。
その本性をむき出しにして、沖縄を狙ったりUSAに対抗しているのは、
● 馬鹿でもわかります。それが冷戦でなくてなんだというのでしょうか?
中共や共産主義の本質がまるで分かっていない、もと共産党幹部と
いう事なのでしょう。お頭の程度が知れています。
● 特に中共の野望とその内部事情がまるで分かっていないのです。単なる無知か
又は中共の本質を隠そうとする輩と云えます。中共がその独裁体制のまま
繁栄している状態を認めながら、
● 体制選択の戦いは終わったという、矛盾そのものの発想を平気で述べています。
論理構造もお粗末な分析と云えます。やはり幹部になるものは基本的に
論理や科学的思考を学ぶべきでしょう。
● 騙されやすい人の好さや、党に対する忠誠心のみでは、いくら幹部になっても
世界の分析には向いていません。このような人はスグに忠誠心も
なくなるのです。
● 中途半端な知恵が、周りの影響で誤った思想を選ぶのでしょう。その意味では
誤った思想を選んだのは、本人の責任だけだとも言えません。
たまたま周りがそうだった”という偶然が働くのが個人の人生なのです。
「冷戦終結」で存在意義否定!? 「冷戦は終わっていない」と珍妙な理屈並べた共産党
共産党研究 2018.12.3
★(5)
最近、「新冷戦」という言葉をやたら目にする。理由は、米中の対立が強まっているからだ。特に、マイク・ペンス米副大統領が10月4日、ワシントンのハドソン研究所で行った講演で、次のように述べたことに着目する議論が多い。
「ソ連崩壊後、中国にも自由化、民主化が根付くだろうと期待して、対中投資などの経済支援を行ってきたが、大きく裏切られた」
「中国共産党は、強制的な技術移転、知的財産の窃盗まで行っている。中国が改めるまで米国は断固闘う」
だが、これをもって「新冷戦」と見なすのは皮相な見方である。冷戦というのは、単に大きな国の対決ということではない。
第二次世界大戦後、ソ連覇権主義は、東欧諸国に次々と社会主義政権を誕生させていった。アジアでも、ベトナム、北朝鮮に続いて中国革命も迫っていた。社会主義勢力の台頭に脅威を感じた資本主義陣営は、1946年3月、英国のウィンストン・チャーチル元首相の「鉄のカーテン演説」、それを受けたハリー・トルーマン米大統領の「トルーマン・ドクトリン」による「共産主義封じ込め政策」を行った。
これに対して、ソ連のヨシフ・スターリンは、社会主義国や世界の共産党を結集した「コミンフォルム」(共産党・労働者党情報局)を結成して、資本主義陣営に対抗した。
ここには資本主義と社会主義のどちらが体制的に優位か、明確なイデオロギー対決があった。政治も、経済も画然と区別されていた。当時は、社会主義思想が世界の少なくない人々を魅了する力を持っていた。「体制選択」こそが、冷戦の最大の争いだったのである。
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したがって、ソ連崩壊による冷戦の終結は、世界の社会主義体制の敗北だったのである。
ソ連が崩壊したとき、「冷戦は終結した」という議論が世界と日本を覆った。これに危機感を深めた日本共産党は、“冷戦というのは、アメリカ帝国主義の常時戦争体制のこと”であるという、これまでの自らの主張も覆す珍妙な理屈を並べ立てて、
「冷戦は終わっていない」と声高に叫んだものである。
共産主義・社会主義の敗北による冷戦の終結は、共産党という政党そのものの存在意義を否定するものだったからである。この日本共産党の対応を見ても、冷戦とその崩壊がどういうものであったか、よく分かる。
では、今の中国に、民主主義陣営と対決できるような高尚なイデオロギーがあるだろうか。自由も、民主主義も否定する一党独裁の中国にそんなものはない。「体制選択」の争いに、そもそもならないのだ。(評論家・元共産党政策委員長)=おわり
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● この評論家は、共産党嫌いが高じて、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”状態
となっているようです。体制の生き残りをかける戦いが冷戦です。
歴史の流れが見えないようです。
● 旧ソ連も、帝国ロシアの時代から独裁国家であり、明らかに資本主義陣営と
異なる体制でした。その頃から対立はあったのです。またロシアの
皇帝も世界への侵出を本懐とする侵略国家でした。
● 皇帝ロシアも旧ソ連も、合従連衡しながら世界侵略の夢は捨てませんでした。
言い換えれば武人戦国時代は支配階級が変わっても、その本質は
変わらないのです。むしろ共産主義になりその凶暴さは際立ちました。
● 共産主義・中共も同様です。USAと手を結び旧ソ連崩壊に手を貸したのは、
自らが生き延びるためであり、同胞のソ連は基本的にはどうでも良いのです。
内部でも殺し合うのが戦国武人時代の本懐です。
● 旧ソ連の崩壊に恐怖を抱いて、疑似資本=社会主義的市場経済をを取り入れました
が、その本質は今も変わっていないことは、上記評論家も分かっているのです。
その本性をむき出しにして、沖縄を狙ったりUSAに対抗しているのは、
● 馬鹿でもわかります。それが冷戦でなくてなんだというのでしょうか?
中共や共産主義の本質がまるで分かっていない、もと共産党幹部と
いう事なのでしょう。お頭の程度が知れています。
● 特に中共の野望とその内部事情がまるで分かっていないのです。単なる無知か
又は中共の本質を隠そうとする輩と云えます。中共がその独裁体制のまま
繁栄している状態を認めながら、
● 体制選択の戦いは終わったという、矛盾そのものの発想を平気で述べています。
論理構造もお粗末な分析と云えます。やはり幹部になるものは基本的に
論理や科学的思考を学ぶべきでしょう。
● 騙されやすい人の好さや、党に対する忠誠心のみでは、いくら幹部になっても
世界の分析には向いていません。このような人はスグに忠誠心も
なくなるのです。
● 中途半端な知恵が、周りの影響で誤った思想を選ぶのでしょう。その意味では
誤った思想を選んだのは、本人の責任だけだとも言えません。
たまたま周りがそうだった”という偶然が働くのが個人の人生なのです。