おいしい野菜をつくろう

採れたて野菜は おいしい!

相模川右岸幹線用水路の戸室隧道

2015-02-25 | 横須賀水道路
相模川右岸幹線用水路が 戸室で 崖の下に流れ込む場所を 見に行きました



この 崖の下を流れる部分を 戸室隧道 というようです



ちゃんと手入れをしています    大事な用水路なのですね

 このバス停の すぐそばです






白い車が走っている道は 412号線

崖の下に潜った用水路が 再び 目に見える所へ 出てくる場所は 知っています
近いうちに 行ってみますが かなり 遠いのです


ここ数日 暖かくて チューリップが 伸びてきました



れんげも だいぶ ワサワサしてきました




節約のために 携帯電話のプランを 考え直してみようか…と ドコモショップに行ってみました
係の人が 過去の私の 使い方を見て 勧めてくれたプランに換えてみることにしました。

そのプランにすると 2千円くらい 安くなりそうだということでした
通話や インターネットは できるだけ 使わないことにします

出先で 暇だと ブログを見たりしていましたが ブログを見るのは インターネットだそうなので 止めます
出先で 乗り換え案内を見るのも インターネットです
これは 使わざるを得ない場合が ありますよね

前もって 乗り換え案内を見るなら パソコンで 調べるようにします
天気予報も 携帯で見ないで パソコンやテレビにします

できるだけ節約して 携帯の料金を 安くあげるようにします
どのくらい減るか…?    楽しみでもあります

 

北鎌倉の「緑の洞門」

2015-02-07 | 横須賀水道路
今日の神奈川新聞に 北鎌倉駅のホームから見える トンネルのような物(洞門)が 撤去されるらしいとの報道


ネット画像

北鎌倉駅のホームから 電車の窓から 何度も見ていますが 通り抜けたことは ありません
北鎌倉から 大船方面へ向かう道なので あまり用がなかったせいもあります

先日 鎌倉に行った帰りの電車の窓から このトンネルと その少し先に 横須賀水道のトンネル出口(入口?)らしき物が見えて
次回は ここら辺から 大船へ 歩いてみようかと思っていたところでした


もう一つ たまたま発見したのが こちらのページの この記事
この洞門の所が 横須賀水道路なんだそうですよ   ビックリです

鎌倉の辺りは ごちゃごちゃしていて まだ よく分かっていません
やっぱり もう少し本気で勉強しないと 理解できません

それで ついに『横須賀水道100年史・水の旅』(横須賀市上下水道局・発行 2008年)を 買ってしまいました



今しがた 宅急便で 届きました
パラッと見てみたら 鎌倉の辺りは 半原系統だけでなく 
有馬系統 小雀系統の 3つの送水管が通っているらしいです


水の旅』の挿絵を撮ったもの

この本で 今まで 分からなかったことが 分かるかもしれません
ちょっと高い本ですが いつまでも 分からないままでいるのが 嫌だし
こういう本は 借りて 急いで読むというのでは 役に立たないから 思いきって 買いました


今日は 午前中 しばらくぶりに 母の面会に行ってきました
1月は インフルエンザの影響もあって 1度も面会に行けませんでした

特に変わった様子もなく 静かに 寝ている時間が多いですが
少し目を開けることもあります   もう話はできません
あんなに 口うるさく 我がままな母が こんなに静かになってしまって…

でも 痛かったり 苦しかったりすることは 無いようなので それだけでも有り難いと思うことにします

その 介護施設の近くの キャベツ畑   見事に 鳥に食われていました






相模川右岸幹線用水路

2015-02-04 | 横須賀水道路
午後 少し歩いていたら 先日載せた 伏せ越しの 水路の続きに行きあたりました
看板があったので 欲読んでみました



この農業用水路は 相模川右岸幹線用水路 っていう名前だと分かりました

説明には…

水路の総長は 約18.4kmあり 厚木市、伊勢原市、平塚市の田畑 約1,300haに 水を送っています
水路の水は お米や野菜づくりに使われていますが 他にも 夏には気温を下げたり 
また 地域の うるおいの場となるなど 生活環境を守ってくれています

問い合せ先  神奈川県県央地域 県政総合センター 農政部 農地課


…と書いてあります


カメラを持っていなかったので 携帯で撮りましたので ハッキリしません

相模川右岸幹線用水路について ネットで探したら こちらのページに ものすごく丁寧に 書いてあります
無断でリンクさせていただきましたが 素晴らしい記録です


これによると 相模川右岸幹線用水路は 相模原市の磯部部首工から 相模川の水を取り入れているということです
相模原市の磯部部首工は 大凧まつりで 行ったことがあります

相模原から 平塚まで 水を送っているんですね~
農業用水って 大事な物なんですね~
本当に 驚きです

全部は とうてい無理ですが 部分的にでも 見に行きたいと思います

伏せ越し(ふせこし)というもの

2015-02-01 | 横須賀水道路
このブログをを見て…
これと似た設備が 私のよく行く 土手道からも見られます

午前中 散歩がてら 写真を撮りに 行ってきました
ここは 農業用の用水路が すぐ近くの 1級河川をもぐって 反対側に出る仕組みになっているようです

田植えの頃には とうとうと 水が流れています

 水路

 水の取入口の水門

 今は水が少ない

 地下に吸い込まれる所

ここから 1級河川の下を潜って進み 反対側の岸に 水が湧き出すようです
橋を渡って 反対岸に行ってみると

 反対岸の水の出口

 出口の水門

 立入禁止です

この用水路は どこから流れてきて どこへ流れていくのでしょう?
だいたい 予想はしているのですが 確かめていませんので 今後の課題です


今日の所は こういう構造を 伏せ越し と言うらしい…といことで終わります
川の下を 水路が通っているなんて スゴイ!

いつごろから こんな工事が できるようになったのでしょうね~?
江戸時代あたりから できたのでしょうか?
明治になってからかな~?   それとも 戦後かな~?


人間の知恵って 素晴らしいですね
なんとなく 見過ごしてしまうような所に 大事な設備があるので 驚きます
この水路によって 多くの田んぼに 水が行きわたるのでしょう

7,000歩になりました
午後は 義妹の 還暦祝いで ご馳走でした
夫と義弟は いつものとおり ガンガン飲んで 上機嫌!

分かっているのかな~?  そのグラスのビール 1杯700円だよ!
飲んでる時に言ったら悪いから 黙ってましたが…ネ(笑)

カニ味噌甲羅焼き




引っこ抜かれた標柱(海老名)

2015-01-31 | 横須賀水道路
1/26に 海老名の秋葉山古墳に行った時 駅から それほど遠くない所に
横須賀水道路の標柱が よく見える場所があるので 友達を案内しました

その時に  日本通運 海老名物流センター(海老名市 河原口1031)
の側の 空き地(ここも横須賀水道路なのですが)に  引っこ抜かれた標柱が横たわっていることを 
覚えていたので まだあるかな~?と 行ってみたら

あら~ 2011年2月に 私が見た時のままでした



「海」という字が うっすら見えますね  
すぐ横は 車がびゅんびゅん走っている道路です
こんな所に こんなものが 横たわっているって 誰も気づかないのでしょう

友達に 見てもらったら ビックリしていました
「うちに持って帰ろうか~」と言うので 「無理でしょう!」と笑いました

最近 横須賀水道路を 取り上げた ネット上の記事も 多く見かけますが
この 海老名の 引っこ抜かれた標柱の写真を 載せている人は いないみたい…?

興味のある人は 見に行ってほしいです
私も 藤沢近辺を 早く 歩きたいです

馬渡橋が新しくなって横須賀水道の水道管がなくなったようです

2015-01-31 | 横須賀水道路
横須賀水道の 水源地から さほど遠くない 馬渡橋では 露出した水道管が見えていましたが
狭い 馬渡橋の 架け替え工事が進められて もう新しい橋が 通行できるようになったと 友達から聞きました

この橋は 車では 何度も渡りましたが 車を降りて 写真を撮ったことはことはありません
古い橋が 完全になくなってしまわないうちに…と 急いで 見に行ってきました

















ここを通った友達は「普通のつまらない橋になってしまった」と 言ってました
元の姿を 撮っておけば良かったと つくづく思います

ネット上には あちこちに 良い写真が 残されています

ここにも   ここにも  ここにも

上記 ↑ 無断でリンクさせていただき 申し訳ありません



さて 横須賀水道の水道管は もう見られないのでしょうか…?
あ~! 少しだけ残っていました!





体調不良で 長らく中断している 横須賀水道路探索も 徐々に再開したいものです

ネット上の 皆さんの記事を見るだけが 今のところの楽しみです






畑かん西幹線用水路

2014-03-13 | 横須賀水道路
一昨日 病院へ行く時 車で行きました
病院の近くに 妙な感じで 交差する道があるのを 以前から 不思議に思っていました

すごく鋭角で 交差する 道なんです
こういう感じに 交差するのは 水道みちの特徴なのですが
そこは 横須賀水道は 通ってないのは 分かっていたから そのままになってました


一昨日 運転しながら 気にして 見てみたら 
その道が 信号の先で 遊歩道みたいになっている感じでした

ひょっとしたら 横須賀水道でなく 横浜水道かもな~?
でも 私の頭に入っている地図では 横浜水道からも 少しずれている感じ…?

車を停める場所も 発見できなかったので そのまま帰宅しました



今日は 雨で外出したくないから 地図とパソコンで 遊びました
相模原市の地図で その 気になる道を 調べてみたら 
さがみの仲良し小道」と書いてあり 予想通り 横須賀水道でもなく 
また 横浜水道でもありませんでした

「さがみの仲よし小道」を ネットで探してみると
これは 正式名称が「畑かん西幹線用水路」という用水路であることが 分かりました

このブログを参考にさせていただきました

このブログの写真を見ていて 「アラ~ッ! これ 見ましたよ!」と 叫びました
2/26にいすゞ工場から 藤沢市葛原まで 農道を歩いた時 見た物です
写真も撮ったのですが 横須賀水道には 関係なさそうだな~と思ったから
ブログには 載せなかった 写真です

あわてて探してみたら 1枚だけ 捨てないで残ってました  



コンクリートでできた 枡のような物と 樋のような物です
近くの畑で 働いていた人に 訪ねたのですが 「横須賀水道関連の物だ」とのことでした

私は 納得できなかったけれど 調べるすべもなく 忘れかけていました


それなのに 上記のブログに 私が見た物と そっくりの写真があったのですから
本当に 驚くと同時に バラバラだった事柄が つながった気がして 嬉しかったです

上記のブログによると 「畑かん西幹線用水路」とは

神奈川県央相模横山台地は、
北は相模原市より 南は藤沢市に至る
八里橋なし九里の土手」ともいわれた丘陵で
古くから 水なき台地と呼ばれた。

作物は天水に頼るのみで、ひとたび日照りが続けば 
年々干魃の被害を受けること多く、その生産性は極めて低かった。

このようなことから 地域農民の「この農地に水あれば」の声に
先覚者たちによって相模原開田開発が叫ばれたが、
経済的、土木技術的に 相模川よりの取水は困難視されて
実現に至らなかった。

のだそうです

詳しいことは このブログ を見ていただきましょう


私は ただ 私の勘が 間違っていなかった!  と言うことに感激して
今日の所は 終わりたいと思います


軍事目的にせよ 飲料水目的にせよ 農業用の水にせよ
水源地から 目的地まで 水を運ぶ事業は 古くから 行われていたことに驚き
改めて 先人たちの 知恵と努力に 感心しています




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JR横須賀線と若宮大路・段葛

2014-03-10 | 横須賀水道路
横須賀水道は 旧海軍が敷設した水道【1912年(明治45)着工・1918年(大正7)通水】ですが
JR横須賀線も 海軍が 敷設したものだということを 級友から聞きました

ネット上でも こんなふうに説明されています

もともと横須賀線は日本海軍の軍港都市として知られた
横須賀への連絡を目的として建設された路線であり、

現在の北鎌倉駅付近では円覚寺境内を横切り
また鎌倉駅付近では鶴岡八幡宮の段葛を寸断して線路が敷設されるなど、
用地買収も比較的強引に行われた
  出典



ふ~ん 段葛まで 壊されたのか~!
さらにいろいろ調べてみると…   こんな記事も

明治21年、横須賀線の工事が始まったことによって、
二の鳥居から南の段葛が壊されてしまいます。

横須賀線の線路はかなり高い位置に敷設されました。
そのため、若宮大路も横須賀線の線路を頂上とする坂道にしなければなりませんでした。
そして、段葛は壊されました。

現在は、その坂道もなくなりガードとなっていますが・・・。
   出典


こんな記事も

明治二十一年(1889)に始まったJR東日本、横須賀線開通工事等に伴い、
二鳥居以南の段葛は失われた。

当初は段葛を崩して若宮大路を横切る線路を渡るのに坂を登り降りして
線路の踏切をわたっていた

その後若宮大路を掘り下げて、立体交差にした
その為 大雨の度に冠水のある大路となった。
  出典


↑の 3つの記事を読んで 「そうだったのか!」と 気づいたことがあります
若宮大路の上を走る 横須賀線のガードが ちょっと 変なのです
ずっと 不思議に思っていました

それは 車道部分が 歩道部分より 1メートル近く 掘り下げてあることです
歩道部分より 低くなっているのが なぜなのかな~? と 疑問だったのです

当然 ガード下の歩道部分は ガードに 頭が突っかかりはしないまでも
ガードが低く感じられて 圧迫感があるのです


ガードは 鎌倉の産直野菜を売っている市場の近くで いつも通っているので
長い間 なんだか気になっていたのが 理由が分かって スッキリしました


昨日の午後 突然思い立って このガード下の 写真を撮りに 行きました
病気になって以来 電車で鎌倉へ行くのは 1年半ぶり?
電車の乗り換えで もたついたりしながらも なんとか行ってきました

まずは 二の鳥居   この先は 八幡宮ですね



二の鳥居から 南(海側)へ続いていた 段葛が 失われたということらしいです

次は 横須賀線ガードの 全景 ↓




ガードの橋脚の下が 下がっているのが 分かりますよね





市場の前(向かい側)の 横断歩道の階段 ↓
歩道の方が 高いから 車道に下りる 階段が必要なわけです



ガードを見ていたら たまたま 横須賀線の電車が 通りました ↓



バスの高さを見ると 車道を掘り下げないと 無理だったことが分かります


時間がなかったけれど 市場の中のパン屋さん パラダイスアレイで 10分だけ休憩
黒い りんごのフォカッチャと カフェオレ
黒いのは 炭の粉なんですって



フォカッチャは 半分 持ち帰り



テーブルには まだ 熱い パンが…  美味しそう!



大巧寺にも ちょこっと寄って 椿の写真を2枚





毎度毎度の 大急ぎ外出  鎌倉滞在は 1時間だけでした


実は 横須賀線は 大船~鎌倉しか 乗ったことがないので
行く途中 鎌倉で降りないで 逗子まで 乗って行ってみました



春になったら 鎌倉~逗子を 歩くつもりなので  
ちょっと 距離感を つかみたかったからです

あと 横須賀水道路が ほぼ 横須賀線に沿っているらしい? ので
線路の両側を 観察しておきたかったからということもあります


ただ 駅に降り立っただけで 周囲を歩く時間もありませんでした
すぐに 鎌倉に戻りました



この記事を書きながら 気づいたことがあります

横須賀線の敷設と 横須賀水道路の敷設を 年代的に比べると
横須賀線(鉄道)の方が 20年以上 早く造られたことが分かりました

明治21年と言えば 日清戦より前
明治政府が 富国強兵策を おし進め始ていた頃なのでしょうか?

その頃から 横須賀は 軍港として 重要な役割を持っていたのでしょうか?
幕末に ペリーが黒船で来航したのも 横須賀市の浦賀ですものね
















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横浜水道も県内を通っています

2014-03-04 | 横須賀水道路
クラス会の時 横須賀水道路の話をしたら
「うちの近くには 横浜水道路が 通っているよ」 と言う級友がいました

それで4月に その級友の家で 筍掘りをして 横浜水道路を歩いて
ミニクラス会をしようという 計画がまとまりました

その計画によると 歩くのは わずかな時間なので 私には 物足りない…
ということで 今日は 良い天気だから 一人で歩いてみようと 出かけました


横浜水道路も 地図にハッキリ書いてあるので よくわかります
一部は 過去に 歩いたことがあります


今日は  小田急相模原駅で降りて 少し 相模大野方向へ進んだ所
行幸道路と 水道みちが 交差している所から 水源方向へ 歩き始めました

両側は 住宅地です



水道みちだという 表示もあります





しかし 10分も歩かないうちに 行き止まりになりました
米軍相模原住宅地が 行く手を阻んでいます



水道みちは この米軍施設の中を 突っ切って 反対側に続いていますが
人も車も 施設内には 入れませんから 施設の外周を 迂回しなくてはなりません









東回りで 水道みちの向こう側へ回ったら 50分くらいかかってしまいました
地図を見て 米軍施設があるのは 分かっていましたが
迂回に こんなに時間がかかるとは…  ちょっと見込みが甘かったようです

反対側は こんな感じ



このフェンス際から 北西(水源方向)に向かう 水道みち



ここは 公園になっていました





今日は ここから引き返すことにするので この近くの交差点名を 覚えておきます



この交差点から先は  こんな具合

 



 


もう少し歩きたいところだけれど 次回に回すことにして 
国立相模原病院経由で 小田急相模原駅まで 速歩きで 帰ってきました



駅のOXストアのパン屋で また簡単ランチを済ませ 大急ぎで帰ります




今日歩いた辺りは 昔 通勤の時 行幸道路が 渋滞した時の逃げ道として
通ったこともあるので 少しは 土地勘があります

それにしても 米軍施設があるために なんだか この周辺は 通りにくいです
この近辺には 他にも 米軍施設があります



行きがけに 郵便局があったので 支払いの用事を済ませたついでに 切手を買いました
封書が82円になると言うので 2円切手を 買いました

あと昔の 62円切手が いっぱい残っているので 20円切手も買いました
62+20で ちょうど82円だもんね



切手と言えば 旅行土産に よく切手を買います
先日の北海道でも 買いましたよ




ネットを張ったら 地面を這っていた 赤花絹サヤが 少し立ちあがってきた感じです



1/18蒔きの サンチュも少しは 大きくなったような~?



明日は また雨ですって
出かけられませんね~ 


















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新幹線をくぐって綾瀬市に入る横須賀水道路

2014-02-27 | 横須賀水道路
昨日の続きです

ここは農道なので 足場が悪いです 雪の残っている所もあって
ふつうのブーツだったから 難儀しました



この近くに 牛舎がありました
やまゆり牛」って 書いてありました



さらに 北西方向に歩くと 東海道新幹線が見えてきました



この農道が 新幹線をくぐる辺りに 有馬系統との 合流点があるはず

こんな看板も ↓



標柱は ここにも あそこにも



新幹線のガード    低くて 頭がぶつかりそう   




新幹線を超えて さらに進むと 綾瀬市に入ります
中原街道を渡った所は なんだか 歩くのも困難そうな 悪路?



ここを超えれば 以前歩いた綾瀬市の道 に通じるのですが… 

ここを進む勇気はなく 帰宅時刻も気になって ここで引き返します
新幹線ガード付近で 有馬系統の道を探しましたが 分からず… 断念


帰ってから ネットの地図(航空写真)で 見ると 合流点は
やはり この ガードの近くにあるようなのです
もう一度 来るしかないですわ



再び いすゞの工場前のバス停に戻ろうと 急いで歩きました
いすゞ近辺は もう一度 丁寧に歩かないとダメです






ゆっくり お昼を食べる暇もないので 駅で チョー簡単ランチ




毎度のことながら 時間が足りない!
だから ブツ切れの 横須賀水道路探索になってしまいます
仕方ないのですが 早く 逗子~横須賀に 行きたいな~!



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