長崎県長崎市寺町にある興福寺です、
東明山興福寺(こうふくじ)は、長崎三福寺の一つで日本最古の黄檗宗の唐寺です。三江(南京)出身の信徒が多いため、南京寺といわれ、山門が朱塗りであるため、あか寺とも呼ばれています。
元和6年(1620)頃、真圓(しんえん)が小庵を造ったことに始まります。第二代黙子如定(もくすにょじょう)は日本最古の眼鏡橋を架けたことでも有名です。第三代超然は南画の祖として敬まれています。
江戸時代初期の長崎は、朱印船貿易、唐船貿易の奨励により中国人が多く住んでいました。キリスト教禁令で仏教徒であることを証明するために、興福寺、崇福寺、福済寺、聖福寺など、唐寺が次々に建てられたのでした。
日本で黄檗宗を開いた明の高僧隠元隆(いんげんりゅうき)禅師も初めての渡航後、住職として滞在し、大きな堂宇が建立され隆盛を誇りました。大雄宝殿(本殿)と旧唐人屋敷門は国の重要文化財に指定されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
東明山興福寺(こうふくじ)は、長崎三福寺の一つで日本最古の黄檗宗の唐寺です。三江(南京)出身の信徒が多いため、南京寺といわれ、山門が朱塗りであるため、あか寺とも呼ばれています。
元和6年(1620)頃、真圓(しんえん)が小庵を造ったことに始まります。第二代黙子如定(もくすにょじょう)は日本最古の眼鏡橋を架けたことでも有名です。第三代超然は南画の祖として敬まれています。
江戸時代初期の長崎は、朱印船貿易、唐船貿易の奨励により中国人が多く住んでいました。キリスト教禁令で仏教徒であることを証明するために、興福寺、崇福寺、福済寺、聖福寺など、唐寺が次々に建てられたのでした。
日本で黄檗宗を開いた明の高僧隠元隆(いんげんりゅうき)禅師も初めての渡航後、住職として滞在し、大きな堂宇が建立され隆盛を誇りました。大雄宝殿(本殿)と旧唐人屋敷門は国の重要文化財に指定されています。
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