旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

興福寺山門

2011年08月02日 | 旅 歴史
長崎県長崎市寺町にある興福寺山門です。
 興福寺に最初に建てられた山門は、3間3戸8脚の総朱丹塗りの豪壮雄大な門です。入母屋造りで単層屋根になっています。山門上部の扁額「初登宝地」「東明山」は隠元禅師の御書です。
 山門は、承応3年(1654)隠元禅師が住持中、諸国より寄せられた多大な寄進で建てられました。寛文3年(1663)の長崎大火で全焼しましたが、元禄3年(1690)に、日本人工匠の手で再建されました。細部は和風様式になっています。原爆で被害を受けましたが復元されています。

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興福寺

2011年08月02日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市寺町にある興福寺です、
 東明山興福寺(こうふくじ)は、長崎三福寺の一つで日本最古の黄檗宗の唐寺です。三江(南京)出身の信徒が多いため、南京寺といわれ、山門が朱塗りであるため、あか寺とも呼ばれています。 
 元和6年(1620)頃、真圓(しんえん)が小庵を造ったことに始まります。第二代黙子如定(もくすにょじょう)は日本最古の眼鏡橋を架けたことでも有名です。第三代超然は南画の祖として敬まれています。
 江戸時代初期の長崎は、朱印船貿易、唐船貿易の奨励により中国人が多く住んでいました。キリスト教禁令で仏教徒であることを証明するために、興福寺、崇福寺、福済寺、聖福寺など、唐寺が次々に建てられたのでした。
 日本で黄檗宗を開いた明の高僧隠元隆(いんげんりゅうき)禅師も初めての渡航後、住職として滞在し、大きな堂宇が建立され隆盛を誇りました。大雄宝殿(本殿)と旧唐人屋敷門は国の重要文化財に指定されています。

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