兵庫県姫路市書写に円教寺があります。
円教寺食堂(じきどう)は「三之堂」の一つとして中央に位置し、古くは三宝院と呼ばれていました。本来は、修行僧の寝食のための建物です。承安4年(1174)後白河法皇の勅願で創建されています。非常にめずらしい2階建て建築で、長さ約40mと広大です。現在1階は写経道場、2階は宝物館として、食堂本尊の僧形文殊像のほか、諸堂の仏像などがここに移されています。
食堂は間口15間、奥行4間、総2階建て、入母屋造り、本瓦葺きです。1階は柱間15間のうち、北寄りの1間を引戸とするほかはすべて蔀戸となっています。腰壁を設け、内部は円柱が並ぶ広大な1室としています。2階建の仏堂としては、わが国の指定文化財のなかで最大規模な建物です。
食堂は元徳3年(1331)の落雷で他の堂宇とともに焼失しました。暦応元年(1338)に上棟した伝えられていますが、寛正年間(1460-1465)頃の再建と考えられています。昭和30年(1955)に国の重要文化財に指定され、昭和38年(1963)には大規模な解体修理が行われ未完の堂宇が完全な形で蘇りました。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/

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円教寺食堂(じきどう)は「三之堂」の一つとして中央に位置し、古くは三宝院と呼ばれていました。本来は、修行僧の寝食のための建物です。承安4年(1174)後白河法皇の勅願で創建されています。非常にめずらしい2階建て建築で、長さ約40mと広大です。現在1階は写経道場、2階は宝物館として、食堂本尊の僧形文殊像のほか、諸堂の仏像などがここに移されています。
食堂は間口15間、奥行4間、総2階建て、入母屋造り、本瓦葺きです。1階は柱間15間のうち、北寄りの1間を引戸とするほかはすべて蔀戸となっています。腰壁を設け、内部は円柱が並ぶ広大な1室としています。2階建の仏堂としては、わが国の指定文化財のなかで最大規模な建物です。
食堂は元徳3年(1331)の落雷で他の堂宇とともに焼失しました。暦応元年(1338)に上棟した伝えられていますが、寛正年間(1460-1465)頃の再建と考えられています。昭和30年(1955)に国の重要文化財に指定され、昭和38年(1963)には大規模な解体修理が行われ未完の堂宇が完全な形で蘇りました。
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