8時、起床。クリームシチュー、トースト、紅茶の朝食。コースナビで成績の入力の最終チェック完了。これで今学期の成績評価の作業は終了。
ケーブルテレビの会社に電話して、昨日、妻がしてしまった「スピードスター160」と「ケーブルプラス電話」なるものの契約の取り消しを通知する。うちはケーブルテレビを利用しているのだが、インターネットと電話はNTTの光回線を利用している。昨日、ケーブルテレビの指定代理店の者が「宅内信号測定検査」という名目で部屋に上がりこんで(これまでそんなものは一度も行われたことはなかったし、実際、「検査」は数秒で終った)、「検査」の後はひたすら勧誘で、妻は「1000円安くなります」というのに惹かれて、契約書にサインをしてしまったのである。「1000円安くなる」というのは、すでに契約しているケーブルテレビとセットで契約することになるのでセット割引で「1000円安くなる」という意味であって、NTTの光回線より電話代が「1000円安くなる」という意味ではないが、妻はそのように誤解した(誤解させられた)ようである。また、今回の契約はすでに契約しているケーブルテレビの付加的なサービス(サービスの拡充)のように誤解して(誤解させられて)しまったようで、新たな単独の商品(インターネット、電話)の契約であること、そのための回線の引き込み工事が必要であること、既存の光回線の解約やメールのプロバイダーへの利用コースの変更手続きなどを伴うものであることを理解していなかった。
電話に出たオペレーターに事情を話すと、たぶん同様の電話が何本もかかっているのであろう、話はすぐに通じたが、「昨日のご契約の取り消しということですね」という言い方は正確ではないので、「クーリングオフというのは正式に契約をした場合の話で、昨日の契約書は契約者である私の署名を妻が代筆したものですから、そもそも契約書として無効でしょう」と言うと、「ご家族の方が代理で契約をしたと(代理店から)うかがっております」と答えたので、「代理人による契約は、私がその人を代理人として委任した場合の話で、しかもその場合は代理人は自分の名前を署名するものであって、私の名前を代筆するというのおかしいでしょう。代理と代筆は違いますよ」と教えてさしあげると、「おっしゃる通りです」と神妙な口調で答えた(なんだ、わかってるのか)。30分くらいして、ケーブルテレビの人(さきほどのオペレーターとは別の人)から電話がかかってきて、昨日の契約書をいまからシュレッダーで廃棄しますとの報告があった。
昼食は外に食べに出る。「オレンチーノ」の醤油煮込みうどん。これまで味噌煮込みうどんばかり注文してきたので(煮込みうどんといえばやっぱり味噌でしょ)、この辺で一度、醤油煮込みうどんというものを注文してみようと。醤油を煮込んだら味が濃いんじゃなきかと思っていたが、全然そんなことはなくて、汁の色は薄く、むしろまろやかな甘味(みりんの甘さだ)がある。これはいける。
「シャノアール」で食後の珈琲を飲みながら、小倉康嗣『高齢化社会と日本人の生き方 岐路に立つ現代中年のライフストーリー』(慶応義塾大学出版会)を読む。小倉の博士論文で、600頁近い大著だが、インタビュー・データからの引用が多くを占めるので読みやすい。「高齢化社会の到来によって、近代産業社会のライフコース・パターンを大きく規定していた『生産性/生殖性』中心の文化(=壮年期を頂点とする文化)から現代人のライフコースが遊離し、さらに『生産性/生殖性』を越えたところにある人生後半の意味地平から加齢プロセス全体を『自己再帰的(self-reflxive』に捉え直す気運が高まっている」(5頁)という問題設定は大変に興味深い。大学院の演習あるいは学部のゼミで取り上げよう。
夕方から、初台の新国立劇場(中劇場)へ牧阿佐美バレヱ団の公演「三銃士」を観に行く。1階6列33番。5列目まではオーケストラピットとして使われているので、最前列のシートである。最前列は初めて。「ついにここまで来たか・・・」という感慨があった。群舞がとりわけ美しい作品(白鳥の湖やジゼル)であれば舞台を俯瞰する場所から観るのがよいが、一般的には前列の方がよい席である。とくに最前列は前の観客の頭が気にならず、足をゆったり組めるというのがよい。オーケストラピットの中の演奏者ひとりひとりの表情がわかるのも最前列ならではである。
「三銃士」を観るのは初めてなので、一般に「三銃士」というものがどう演出されるのかを知らないのだが、今回の演出はコミカルなタッチのものだった。ただ、去年の3月に観た「リーズの結婚」のようにコミカルであることが原作のレベルで決まっている作品ではないということはわかった。というのは、アンヌ王妃の不倫相手であるバッキンガム公爵はリシュリュー枢機卿の女スパイであるミレディに殺されてしまうからだ(殺害は当初の目的ではなく、アンヌ王妃がバッキンガム公爵へプレゼントした首飾りを不倫の証拠として奪おうとして刺殺してしまったのだ)。殺人は全体としてのコミカルな演出の中で黒いシミのように浮いている。ダルタニアンがミレディから首飾りを奪い返し、アンヌ王妃に渡す場面、アンヌ王妃はこれで不倫がばれずにすんでホッとした表情をするが、そのときバッキンガム公爵の死のことは知らされていないようだ。そもそもその首飾りは夫である国王ルイ13世がアンヌ王妃にプレゼントしたもので、それを不倫相手にプレゼントするというのはひどい話で、殺されたバッキンガム公爵は気の毒である。全然めでたしめでたしではない。アンヌ王妃の侍女でダルタニアンと恋仲になるコンスタンス(伊藤友季子が演じている)にしても、原作では年の離れた夫がいる人妻である。王妃も侍女も不倫に走っているのである。豪華絢爛の昼ドラ的世界なのである。だからコミカルなタッチの演出にも心の底からは笑えないのである。伊藤友季子の見せ場は期待したほど多くはなかった。コンスタンスはどうやっても所詮は脇役であるから見せ場を作るには無理があるのだ。ダルタニアンと三銃士(三剣士といった方が実際的である)が主役の作品で、女性陣ではミレディを演じた田中祐子が一番魅力的だった。すでに主役の座は伊藤友季子と青山季可の若手二人に譲った田中だが、洗練された身体所作はさすがだった。私がバッキンガム公爵ならばアンヌ王妃からミレディに乗り換えて生き延びたであろうと思う。ますます昼ドラ的な世界だ・・・。