カボチャの煮物、牛蒡の煮物、高菜の油炒め、豆腐と油揚げの味噌汁、ご飯
午後から大学へ。高校時代の友人のKが理工学部で開催される講演会を聞きにくるので、その後で久しぶりに会おうということになった。Kが理工学部から戸山キャンパスまで歩いて来るのを待つ間、教務室で高橋先生(副学術院長)と雑談。高橋先生は私より1つ年上で、政治経済学部の出身だが、学部を卒業する年に文学研究科に考古学の修士課程が設置されて、その一期生として入学されたのである。政経から考古学というのはずいぶんと変わった経歴だが、学部時代からサークル活動で遺跡の発掘をされていたそうだ。しかし、もし卒業の年と考古学の修士課程の設置のタイミングがずれていたら、まったく別の人生を辿った可能性が高かったでしょうとのこと。人生の妙というやつである。
高橋先生との雑談の最中にケータイが振動して、Kからいま研究室の前に到着したとの電話が入る。Kと会うのは2年ぶりである。2年ぶりではあっても、昨日会ったばかりのような調子ですぐに話が始まるのは旧友ならではである。新しい友人はこれからも作れるが、旧友はもう作ることができない。
互いの近況や家族の話がひとわたり済んだところで、続きは喫茶店で話そうと大学を出る。ちょうど4限と5限の間の休み時間で、スロープは学生であふれている。私にとっては見慣れた風景だが、Kには新鮮なものに映ったようだ。自分がいる場所の特殊性というものは他者の反応を通してでないとなかなか気づかない。
最初に「maruharu」へ行ったのだが、ちょうどマダムがシャッターを下ろしているところだった。今日は早仕舞いのようである。マダムと私が雑談をしているのを見て、後からKが「馴染みの店が何軒かあるのかな」と聞いてきた。「うん、馴染みの店はたくさんある。というよりも馴染みの店しかない」。Kは会社に朝7時半に出勤して、夜9時半に退社するまで、ずっと会社の中にいて、昼食は社員食堂、夕食は帰宅してから食べる毎日を送っている。私とは全然ライフスタイルが違う。
「カフェ・ゴトー」へ行く。ほぼ満席だったが、ちょうどテーブルが一つ空くところだった。ここはチーズケーキが美味しいのだとKに勧め、Kはチーズケーキと珈琲、私はチーズケーキと紅茶を注文。「老後の計画はあるのか」とKが聞いてきた。ちょっと虚をつかれる思いがした。「老後」というのは身体的・社会的・心理的な要素から成る複合的な概念だが、「退職後」というのは多くの男性にとって決定的な要件で、早稲田大学の定年は70歳だから、「老後」については漠然と考えることはあってもまだ実感には乏しい。「ライフワークをまとめるかな・・・」と言って、清水幾太郎の評伝の話をする。Kは清水の名前を知ってはいたが、幾太郎を「きたろう」ではなく「いくたろう」と読むことは知らなかった。Kの会社の定年は60歳で、あと4年で定年だ。希望すれば65歳まで働ける制度があるそうだが、Kにそのつもりはないようである。会社の業績はこのところ芳しくないらしく(どこでもそうだろうが)、辞めてくれと言われればいつでも辞めるつもりだと言った(自分から辞めると退職金が七掛けになってしまうので)。Kは若い頃から山登りが趣味で、一度だけだが、私はKと一緒に八ヶ岳に登ったことがある。Kは地上にいるどんなときよりも颯爽としていた。奥さんの親の田舎が信州の茅野で、そこの古屋を最近リフォームしたので、老後は奥さんと住む計画のようである。奥さんは高校の同級生で(したがって私とも同級生である)、明るい性格の料理の得意な女性である。Kは自分で「俺は一人っ子だから」としばしば自己言及するとおり、奥さんに甘えるタイプの男で、奥さんがいる限りはKの老後は大丈夫だが、万一、奥さんに先立たれるようなことになったら、K自身が言うように「生きていけない」だろう。奥さんを大切にすることだ。Kには三人の子供がいて、みんな男の子だ。静岡の船乗りの専門学校の寮で暮らしている三男が今日は帰ってくるので、Kは奥さんから夕食までに帰ってらっしゃいと言われている。5時半ごろに「カフェ・ゴトー」を出て、「じゃあ、またな」と言って別れる。
帰り道に丸の内の丸善に寄って、本を数冊と来年のカレンダーを購入する。蒲田には7時ちょうどに着く。久しぶりの早い帰宅になる。駅ビルの洋菓子店で妻の好きなケーキを買って帰る。