8時半、起床。祝日だ。う、嬉しい。教務になってよかったことの1つは、祝日を心から祝えることだ。ドライカレーの朝食。食後の口直しにクッキーと紅茶。
今夜は大隈講堂で『ノルウェイの森』の完成披露試写会があった。教務になってよかったことの1つは、招待券をいただけたことだ。1階G列16番。前から7列目の中央の席だ。右隣は岡部先生、左隣は小林先生である。6時半から監督・出演者の舞台挨拶(司会はフジテレビの笠井アナウンサー。この人は商学部の出身である)。監督のトラン・アン・ユンは『夏至』や『青いパパイヤの香り』などの作品で有名なヴェトナム系フランス人で、挨拶はフランス語だった。以下、松山ケンイチ(ワタナベ役)、菊池凛子(直子役)、水原希子(緑役)、高良健吾(キズキ役)、霧島れいか(レイコ役)、初音映莉子(ハツミ役)、玉山鉄二(永沢役)の順に挨拶が行われた。
小説『ノルウェイの森』は、好きな作家の、しかし、それほど好きではない作品である。私は村上春樹の作品はデビュー作の『風の歌を聴け』からほぼ出た順に(出た直後に)読んでいるのだが、『ノルウェイの森』は村上春樹の作品のような気がしなかったというのが当時(1987年)の印象である。村上自身は『ノルウェイの森』をリアリズムの手法を用いて書いた恋愛小説と位置づけていて、作家としての成長の過程での重要な位置付けを与えられている作品であるわけだが、私にはリアリズムという言葉がピンと来なくてたんに世俗的という印象を受けた。そして世俗的な恋愛小説なら当時はたくさんあって、というよりも、日本の作家たちが伝統的に得意としてきた分野であって、わざわざ村上春樹が足を踏み入れる場所ではないのではないかと思ったのである。というわけで、小説『ノルウェイの森』は23年前に一度読んだだけで、どんな話であったか、細部まではちゃんと覚えていない。今回の試写会に合わせて再読してみようかとちょっと考えたが、これまでの経験から、原作(小説)と映画を比較してもよいことはあまりないので、原作のことは忘れて、映画『ノルウェイの森』を観よう思った。
公開前の映画なので、内容についてあれこれ述べることはさしひかえようと思うが、映画『ノルウェイの森』は映像詩のような作品であった。登場する男女がなぜそれほど互いに惹かれあうのか、その理由は私にはよくわからない。たとえば、なぜ緑は他の男子学生ではなくてワタナベを選んだのか、原作を再読すればわかるのかもしれないが、映画の中では積極的な理由は示されていなかったと思う。人が恋に落ちるのに理由はいらないという考えもあるだろうが、森羅万象、物事には原因があり結果があると私は思うのである。したがって、理由はよくわかないが、互いに惹かれあっている男女がいて、その心理を詩的な映像表現を多用して描いた作品として私は『ノルウェイの森』を観たのである。性というものが恋愛において占める比重の重さということもこの作品のメッセージかと思う。
上映会終了後、大隈講堂の前で小林先生を撮る。(このあとわれわれはラーメン屋に向かう)