フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月13日(日) 晴れ

2011-03-13 21:34:42 | Weblog

  深夜0時を少し回ったところ。
  FM放送を聞きながらブログを更新している。
  地震情報の合間に人々を元気づける曲を流している。ラジオならではのものであると思う。どこのTV局も同じ映像を繰り返し使って被災地の悲惨な状況を伝えているが、ラジオは映像を使えない分、言葉と音楽でメッセージを発信している。人々が必要としているのは情報だけではない。

  予感だが、「2011.3.11」は戦後の日本社会の転換点として語られることになるだろう。さらなる個人化の時代が長く続いてきたが、もしかしたら、新しい展開がみられるかもしれない。甘い考えだろうか。子供っぽい考えだろうか。しかし、危機の時代は不安と希望が隣り合わせだから、私たちは不安の真っ只中で、希望について語ることができる。

  今日、大久保ゼミのゼミ長であるAさんからゼミのメンバーにメールが届いた。こんなメールだ(2通続けて)。

  茨城で被災して昨夜帰ってきました。 
  Twitterなどで言われているとおり、茨城の避難所は死角となっていて自分たちで物資を集めざるを得ない状況でした。電気ガス水道もダメで、トイレは詰まり異臭がたちこめ、料理は包丁、まな板、鍋など洗わずに、ガスボンベで行っています。灯油のストーブも少しずつ燃料がなくなり、ダンボールもなく冷え込んだ地べたで皆さん夜を耐えています。ご高齢の方ばかりです。被災地に残りたかったけれど、サークルできていたため、集団行動をとらざるを得ませんでした。心残り…
  もちろん、宮城や新潟ほか震源地にも救援は行き届いていないそう。
  というわけで、今日15時から田町で、高校の友人が情報共有、救援活動の立ち上げを行うそうです。何をするかわからないけど、時間のある人は私にも連絡ください。私はいまからいきまーす!
  就活、試験、家族といる人はそちらを優先してください(^^)大切な人に心配をかけないことも、必要な選択です。(茨城にいて学びました(^^;;

  先程の件について、補足させてください(>_<)煽るようなメール回してすみません。
  学生がいま動いてもありがた迷惑なのは十分理解しています。
  ただ、情報が錯綜していて不安を利用した犯罪が身近に起きていたり、家族や同級生と連絡のとれない人がまだいること。あと、学生が個人的にあちこちで募金活動してること、素人なのに単身震源地に行こうとしてること…など、これ以上の混乱のないように、という心持ちでわたしはその場に参加します。
  なので、私よりずっと冷静で(笑)賢明なみんなの知恵が欲しいと思ってメーリス回しました(^^)

  ・・・私はいい学生をもった。だから希望について語ることができる。