フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月17日(土) 雨

2012-11-18 09:16:38 | Weblog

  8時、起床。ハムトーストと紅茶の朝食。

  昼近く、雨の中、大学へ。一文の社会学専修の卒業生のYさんがやってくる。研究室がゼミのインタビュー調査の場所として使われているので、教員ロビーで会って、それから「すず金」へ食事に行く。食後のコーヒーは「カフェ・ゴトー」へ。卒業生を迎えるときの定番のコースである。

  Yさんは学部を卒業して3年目。家庭裁判所の調査官である。研修を終了し、来年度から正式な赴任先が決まる。東京近郊を希望しているが、たぶん、地方へ赴任することになるだろう(現在の研修先も地方だ)。Yさんは、学部時代、私の演習(調査実習や卒論演習)をとったことはない。1年生のときに大教室での講義をとったことがあるだけである。研究室にやってくる卒業生の中では珍しいパターンだ。ただその講義をとったことで、社会学に興味をもち、社会学専修へ進むことを決めたので、Yさんの人生にとっては転機となる出来事だったわけだ。ちょうど新しい学部(文化構想学部)が立ち上がる時期で、私はそちらに移ったため、彼女が私の演習をとる機会はなかったのだが、ときどき卒業後の進路についての相談を受けたりしていた。来年早々に決まるであろう正式の赴任先がどこであっても、人生は旅と心得て、何かの縁あって赴任するその街で、一生懸命働き、そして日々の生活を楽しみなさいと言っておく。

 

  Yさんを見送ってから、竹橋で途中下車して、東京国立近代美術館に寄って、開館60周年記念の展覧会「美術にぶるっ! ベストセレクション日本近代美術の100年」を見物する。東京国立近代美術館の開館は1952年12月1日、私が生まれる1年4ヶ月ほど前のことである。われわれは同世代なのである。所蔵作品は明治40年の第一回文展を起点としているが、その年は私の研究テーマの1つである清水幾太郎の生年でもある。最寄り駅が通勤の途中にあることもあって、東京国立近代美術館は私にとって一番馴染みのある美術館である。折々の企画展よりも常設展の方に親しんできた。今日も4階から時代を追って作品を観ていたら、1階の企画展(実験場1950s)を観る前に閉館の時間になってしまった。12月1日(土)は開館記念日で入場無料なので、そのときに来て、企画展をじっくりと観ることにしよう。


竹橋の交差点(雨が強くなってきた)


4階の休憩室(眺めのよい部屋)から皇居を見る


和田三造「南風」(1907)


新海竹太郎「ゆあみ」(1907)*馴染みのあるブロンズ像ではなく石像が展示されていた


藤田嗣治「五人の裸婦」(1923)

 

 

 
                                  藤田嗣治「自画像」(1929)(部分)


藤田嗣治「サイパン島同胞臣節を全うす」(1945)(部分)


雨はまだ止まない


次に行く予定の美術展

  7時、帰宅。

  ブログの読者の方(学生)から、先日のマフラーの話題に関連して、「もし奥様が始終買い物についてきて、先生の好みではなく、奥様の好みを押しつけてそれしか購入するのを許してくれなかったとしたら、先生はどう対処しますか?」という質問のメールが届いた。私が書いたのは家族(とくに成人後の親子関係)にも社交の精神が必要であるということだったのだが、質問の中の例は、社交とは別次元。社交の肝心なところは相手の内面に深くは踏み込まないという点なのだが、妻が夫の買物に始終介入するというのは、社交ではなく、支配である。それは小さな子どもと母親の関係の延長ないし再現であり、母子が密着しやすい日本の家族関係ではしばしば見られる現象である。支配という名の世話を焼かれることが嬉しいのであれば、それはそれでよいのかもしれないが、通常は、「それでは情けない」と感じるべきものではないだろうか。相手が妻であれば、「放っておいてくれ」と(もう少し婉曲な口調で)言う。難しいのは、相手が母親、それも年老いた母親の場合である。いまさらの再教育は困難である。適当にかわすしかないであろう。斜行の精神で。