8時、起床。
サラダと紅茶の朝食。トーストを抜いたのは今日は早めの昼食が予定されているので。
10時半過ぎに自転車に乗って家を出る。目指すは上池台にあるレストラン「たかじ」。電車(池上線)とバスを乗り継いでいくより自転車で行った方が早いし、その後の行動が楽なのである。
途中、「養源寺」の前で自転車を降りて、菜の花の写真を撮る。ここは桜と菜の花が同時に楽しめる寺として地元の人には知られている。
菜の花は咲いたが、桜はまだかいな。まだまだです。でも、菜の花は待っていてくれますよ。
道に迷ってしまって、約束の時間を5分ほどオーバーしてしまった。店の前では卒業生のチヒロさんが待っていた。彼女も自宅から自転車に乗ってやってきたのである。彼女が「たかじ」で私と会うのは二度目である。前回は2年前のちょうど今頃の季節だった。
前菜にナポリタンを一皿とってシェアする。この店のナポリタンは「ムッシュのんのん」(閉店)のそれと同じくウィンナーが入っている。
ナポリタンに付属のサラダもシャアする。チヒロさんが取り分けてくれるとき、「先生は赤がお好きですか?黄色がお好きですか?」と聞いていた。ピーマンのことを言っているのだろうが、考えたこともなかった。
鶏肉のソテー(岩塩)はそれぞれが注文。岩塩はライスに振って食べても美味しい。
「たかじ」には1時間ほど滞在。チヒロさんは2時くらいに幼稚園のお迎えがあるので、今日の早春カフェは3時間ほどだ。ランチ(たかじ)1時間、散歩(池上梅園)1時間、カフェ(蓮月)1時間という時間配分を目安にしている。
「たかじ」から「池上梅園」までは自転車で5分ほど。2年前は同じコースを彼女は自転車、私は徒歩だったため、15分くらいかかった。そのときの反省を踏まえての今日の自転車なのである。♪サイクリング、サイクリング、ヤッホー、ヤッホー(小坂和也歌「青春サイクリング」)という歌が私が子供の頃に流行ったが、もちろんチヒロさんは知らないだろう。一人口遊む。
梅園に到着。入場料は大人100円だが、65歳以上の人は無料である。私が「大人二人」と窓口でいうと、係の女性は少しためらいがちに「65歳以上の方は無料ですが」と言った。「残念ながら、そのちょっと手前なんです」と答えると、「はい、そうだと思ったんですが、お若く見えるだけで、実は・・・といこともありますので、アナウンスだけさせていただきました」と弁解するように言った。昨日、ベトナム人の若い女性に「53に見えます」と言われたばかりなんですけどね。
梅園の梅たちは全体として1週間前くらいが一番の花盛りであったらしい。それでも梅は個体差が大きいので、十分に鑑賞に耐えるもの少なくない。
丘の斜面を登る。この高低差がこの梅園の大きな特徴である。
見晴らし台で。
下界に戻る。
梅園の一角、奥まったところは、日本庭園になっている。
ちょっと鎌倉あたりに行ったような気分。
こちらには比較的遅咲きの梅の木が多い。
この梅なんかはつぼみがいっぱいで、まだまだこれからというところだ。
庭園内にはテントが出ていて、甘酒や昆布茶を提供している。これからカフェでスイーツを食べるつもりのわれわれは昆布茶をいただく。
梅園には1時間ほどいた。
さて、ランチ→散歩→カフェのサードステージである。梅園から本門寺の山門の方へ行く途中にある古民家カフェ「蓮月」。暖簾をくぐると、けっこう混んでいたが、ちょうどテーブルが1つ空いたところだった。
私はほうじ茶プリンとコーヒー、彼女はレモンケーキとコーヒーを注文。
ほうじ茶プリンを私はここではよく注文する。口当たりがよくて、味わい深い。
彼女はこの店を幼稚園のお母さんたちの集まりでよく利用しているそうだ。
実際、私たちが話をしているときに、二階から降りてきた女性二人組はチヒロさんのママ友だった。「あら、〇〇さんと〇〇さん」とチヒロさんは彼女らに声を掛けた。二人は「あら」というようなちょっと驚いたような顔をしてわれわれを見た。「こちら私の大学時代の先生。父じゃないのよ」とチヒロさんは言った。私は思わず、「北大路欣也です。チヒロがお世話になっています」と言おうかと思ったが、やめておいた。大学の先生らしくしなきゃ。
チヒロさんはまじめな性格である。ご両親が学校の先生で、妹と弟のいる長女として育ったというのがおそらく彼女の性格形成に大きく影響している。いつもしっかりしていなくてはいけない、甘えてはいけない、弱音を吐いてはいけない、そういう風に期待され、あるいは期待されているのだと思い込んで、自分を律してきたのだと思う。私も長男なのでよく理解できる(笑)。
「これまで一番忙しかった、しんどかった時期を10とすると、いまはどれくらいですか?」と尋ねたら、彼女は少し考えて、「8くらいです」と答えた。その一番忙しかった、しんどかった時期というのは去年の6月ごろのことだった。息子さんが年長さんで、双子の娘さんが年少さん、3人の子どもの世話というルーティンに加えて、幼稚園のバザーや卒園式といった行事を責任もってプランニングする立場になった。そこにごお母様や本人の体調不要が重なってかなりお辛かったようである。実は、そのころ私たちは「phono kafe」で会っているのだが、そのときの彼女はそういう感じが表に出ないように心がけていたのである。そのときのブログはこちら→★
とにかくまじめな人なのである。
2時を過ぎて、幼稚園にお子さんたちを迎えに行く時間である。店の外で、写真を撮る。「少しはじけたポーズをしてみてください」と注文すると、彼女はこんなポーズをとってくれた。これが彼女の精一杯の「はじけた」ポーズなのである。
今度、大井町の「pottery」へまた行きましょうか。そこのマダムが私の連れて行く卒業生たちに「あなたもキャビンアテンダントをされているの?」というお決まりの質問をするようになったのは、彼女のせいなのである。「お仕事は何をされてるの?」と聞かれた彼女が、「一昨年までキャビンアテンダントをしていましたが、双子の娘が生まれたのを機に仕事を辞めました」と答えたのが発端なのである。再訪したら、マダムは彼女に「キャビンアテンダントのお仕事に復帰されたの?」と聞くだろうか。そのとき彼女がすっと立ち上がって、背筋を伸ばして、右手の掌を胸の前で裏返して、「アテンションプリーズ!」とほほ笑むことができたら、彼女は一皮むけるだろう。
帰宅すると、飼い猫のはるが私になついてきた。野良猫のなつの写真ばかり載せていると、不公平というか、不憫なので、はるの写真も載せることにしよう。定期検診で腎臓の(肝臓だったかな)の機能がちょっと落ちていると指摘されたが、クスリを飲んだら回復したようである。
夕食はもつ鍋。
デザートは苺。
『カルテット』第7話を観る。殺人事件にならなくてよかったが、マキと夫はついに離婚してしまった。マキが期待した言葉を夫はとうとう言ってはくれなかった。どんなにやさしくても、どんなに自分のことを大切に思ってくれていても、どんなに自分の幸せを願ってくれていても、「おまえが好きだ」とは言ってくれない(正直な)夫と別れることをマキは決めたのである。ずいぶんと長い時間がかかったものである。それは彼女が夫のことを愛していたからではなく(愛そうとはしていたが)、「自分が夫から愛されていない(これからも愛される可能性のない)女である」ことを認めたくなかったからである。
マキの本当に新しい人生がこれから始まる。