フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月27日(月) 雨のち晴れ

2017-03-28 12:32:01 | Weblog

8時、起床。

ハムトースト、サラダ、紅茶の朝食。

昨日からの雨が降り続いている。庭先の桜もうなだれているように見えるが、本来がこういう下向きの咲き方なのである。

下から見上げるとちょうどいい。

 

 遅い昼食を「phono kafe」に食べに行く。 

清水直子さんと小林千花子さんの二人展「お茶の時間」は4月3日まで。

作品が補充されている。

ご飯セットを注文。

ビーフンの春巻き(手前)、ネギポテトの油揚げ包み(奥)

新玉ねぎとトマトと茄子のサラダ

美味しそうなパンがあったので、デザート感覚でハニーブッシュと一緒に。

 

他に客のいない時間帯であったからだろう、大原さんが「phono kafe」をあと2年ほどで閉めるつもりですという話をした。前々から彼女が田舎に住んで農業をやりたいと思っていることは知っていた。実際、そのための準備で、彼女は月に一度、日曜日を臨時休業にして、近県の農園に通っている。ただ、それが具体化するのはもっと先のことだろうと思っていたので、「あと2年ほど」というのには驚いた。店舗の契約の更新時期が再来年の3月で、それに合わせてということらし。行く先は夫の(親ごさんの)故郷である高知に決めたそうである。

そうですか。行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、ですね。

最近、高橋源一郎の現代語訳で『方丈記』を読み返したばかりだったのだ。

 1 リヴァー・ランズ・スルー・イット

 あっ。

 歩いていたのに、なんだか急に立ち止まって、川を見たくなった。

 川が流れている。

 そこでは、いつも変らず、水が流れているように見える。けれども、同じ水が流れているわけではないのだ。あたりまえだけれど。

 よく見ると、川にはいろんたところがある。ぐんぐん流れているところ、それほどでもないところ。中には、動かず、じっとしているところもある。

 でも、そこだって、結局は同じだ。しばらく見ていると、泡が生まれ、あっという間に消えてゆく。そう、たえず変わっているのだ。

 人間だって同じだ。彼らの住む家だって。

 ゴージャスな私たちの首都には、たくさんの家が建っている。金持ちの家も、貧しい人たちの家も。どれも、大昔からずっとそこにありました、みたいな顔をして建っている。でも、ほうとうにそうなのかな。

 ちがう。昔からずっと建っていた家なんか、ほとんどない。

 ついこのあいだ焼けて、建て直したばかりの家がある。それからすごく大きくて立派な家があった。でも、住んでいる人たちが急に貧乏になって。そのせいで、いつの間にかちっぽけなもののなっていた。そんな家もある。

 なにもかも変わってゆく。人間だって同じだ。

 ここで暮らしていると、たくさんの、たくさんの人たちに出会う。その人たちの中に、昔からの知り合いは、ひとりかふたり。あとは知らない人ばかりだ。

 知っている人たちはみんなどこかへ行ってしまった。

 朝起きたら、もう死んでいた。そんな人がいる。けれども、その日の夕方には、生まれてくる赤ん坊だっている。差し引きゼロだ。そうやって、人間たちもどんどん入れ替わって行く。川の表面で浮かんだり消えたりしている泡と少しも変わらない。

 彼らは、いや、わたしたちは、どこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか。そんなことは、誰にもわからない。

 もしかしたら、わたしたちはみんな、ひとつのホテルに泊まっているようなものかもしれない。

 たまたま、同じホテルに泊まっただけなのに、みんな、同じホテルの客なのに。客たちは、フロントの前やらレストランやらをうろつきまわり、喧嘩したり、不愉快そうな顔つきになっている。

 そんな風にあくせく生きても、最後には、みんな、どこか知らないところに消えてゆく。彼らが建てた豪邸だって、あっという間になくなってしまう。

 朝顔とそれにくっついている露の関係みたいに。

 露が地面に落ちて、花は残る。でも、日が高く登る頃には、その花もしおれてしまう。逆に、花が先にしおれ、露が消えずに残ることもあるだろう。それでも、夕方には、あとかたもなく露も蒸発してしまう。早いか遅いかのちがいがあるだけだ。いつまでもこの世に残るものなんか、どこにもない。

 (河出書房新社「日本文学全集」07、2016年、『枕草子、方丈記、徒然草』、331-333頁) 

大原さんの話は今後のビジョンみたいのものだから、「やっぱりもうしばらくお店を続けることにしました」となるかもしれない。逆に、2年先ではなく、もっと早まるかもしれない。それはわからない。確かなことは「phono kafe」を含めて、私の(私たちの)日常生活を構成している諸々の要素のどれ一つとして恒久的なものはないということだ。

そのことを四六時中意識している必要はないけれど、ときに思い出すことは大切だ。

店を出る頃には雨も上がっていた。明けない夜はないし、止まない雨もないのだ。

夕食は鶏肉とアスパラガスとエリンギの炒めもの、

豆腐と納豆、明太子、サラダ、白菜の味噌汁、ご飯。

野良猫のなつは今夜も書斎の机の下でお泊りらしい。

2時、就寝。