フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月12日(火) 雨のち曇り、夕焼け

2017-09-13 22:33:23 | Weblog

9時、起床。

サラダ(ローストビーフ)、牛乳、紅茶の朝食。

トーストを食べなかったのは、すでに昼近かったので、朝食=前菜として、あまり時間を空けずに昼食を食べに出るつもりだからである。

1時頃、昼食を食べに出る。

「若林硝子店」のビルが完成間近である。私は小学校の5、6年の頃、ここの娘さん(といってもすでに結婚されて赤ちゃんがいらした)が自宅の二階で開いていた書道教室に通っていた。

一階の左端は「ルージュ・ブランシュ」という洋菓子の店が入るらしい。入口のガラス戸に貼ってある完成予想図にはテラスにテーブルが描かれている。ここで食べられるということはつまりカフェなのか。それはいい。10月1日が楽しみだ。

ところがよく見ると「Since 1997」と書いてある。20年前からやっている店のようである。どういうことだろう? さらには「Chef Wakabayasi」と書いてある。若林硝子店の家族か親戚の方がシェフをしているようである。

気になったので、ちょっとスマホで調べてみて(こういうときに便利だ)、驚いた。「ルージュ・ブランシュ」は多摩川にある有名なお店で(私も一度入ったことがある)、シェフの名前は若林実さんというのだ。このときやっと私は思い出した。亡くなった母から「若林先生の息子さんは洋菓子の職人さんをされているそうよ」という話を聞いたことがあったのを。そうか、私が書道教室でときどき見かけていたあの赤ん坊が若林実さんだったのだ。お店のホームページには10月1日から蒲田に店舗を移転しますと書かれている。

素敵なスイーツの店が近所にやってくるのだ!

この夏は私にとってつらい出来事がいくつかあっただけに、これは心弾むニュースだ。

 昼食は「グッディ」で。

本日のランチメニューからチキンライスのセットを注文。 

コーヒーを飲みながら、YouTubeで加山雄三「旅人よ」を聴く。

「有隣堂」に寄って本を購入。

『竹取物語・伊勢物語・堤中納言物語・土佐日記・更級日記』(日本文学全集93、河出書房新社)

現代語訳だが、訳者のラインナップが凄い。

 竹取物語 森見登美彦

 伊勢物語 川上弘美

 堤中納言物語 中島京子

 土佐日記 堀江敏幸

 更級日記 江國香織

永千絵『父「永六輔」を看取る』(宝島社)

子どもの頃からTVでよく永六輔を見ていた。NHKのバラエティ番組や民放の旅番組などだ。話が上手で、しかも、いろいろなことに一家言をもつ人という印象があった。一言で言えば、「陽気でおしゃべりな高倉健」みたいな人だった。思想家というのとは違うが、生き方に影響を受けた人の一人といってよいだろう。その彼が、晩年を、病人としてどのような生き方をしたのかを知りたいと思って、本書を購入した。

午前中は雨が降っていて、午後には上がり、夕方には雲の間から陽が射してきた。

そして夕焼けになった。

久しぶりに見るきれいな夕焼けだった。 

夕食はハヤシライス。

カレーもいいけど、ハヤシもね。お替りをした。

2時、就寝。


9月11日(月) 曇り

2017-09-13 14:03:30 | Weblog

9時、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

『ひよっこ』(録画)を観ながら食べる。いつもの日常が戻る。

午後も遅くなって(3時頃)、昼食を取りに出る。「phono kafe」へ。

食事の注文をしてから、梅ソーダを飲みながら待つ。今年はもうカキ氷は仕舞いにしたそうだ。去年は9月末までやっていたが、「今年はきっぱり見切りました」と大原さん。見切られた夏・・・。

おぎにり1個(椎茸昆布)とおかず2品。

玄米ビーフンの春巻。これがメニューに出ているときは100%注文する。

金糸瓜と茄子のユズ酢。

ダメもとで(気になるので)、食後のコーヒーを「あるす」に飲みに行く。

途中の道で見かけた空き地は以前Yさんのお宅があった場所ではなかろうか。大学院生の頃、この家の小学生の息子さんの家庭教師をしていた。

空き地の片隅に彼岸花(曼珠沙華)が咲いている。

 曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径 木下利玄

やっぱり「あるす」には人の気配がない。

庭先からご自宅の方の様子をうかがっていると、通りの向こうの方から奥様がやって来られた。私に気付いたらしい。

「お久しぶりです。何度かお尋ねしたのですが、お店の中に誰もいらっしゃらなくて、お身体でも悪くされたのではないかと心配しておりました」と私が挨拶すると、「実は、ちょっと事故がありまして、いえ、事故ではありませんね、主人が亡くなったのです」と奥様が言われたからびっくりした。「お店にいらしたんですよね? 入って行かれます?」と言われ、路上でするような話ではないから、「はい、中で話をさせて下さい」とお願いする。

 

ご主人が亡くなったのは先月の21日だったそうだ。しばらく前から腰や背中が痛かったそうだが、なかなか病院に行こうとせず、8月の半ばに大森の日赤病院から訪問診療してもらい(この辺りの話は正確なのかどうかは不明)、そのまま車で病院に連れていってもらい、入院して5日目に亡くなったとのことである。

奥様がコーヒーを淹れて下さったが、豆とお湯のバランスを間違われたようで、薄味のコーヒーになった。「ごめんなさい。お代はけっこうです」と奥様は言われた。

店は閉店にはしていないようだった。ただ、以前より、店を閉める時刻が早くなったようである。

私はいったん失礼して、近所の花屋に花を買いに行った。花屋の女主人とは顔なじみなので、「あるす」のご主人が亡くなったことについて少し話をする。「商店街の人たちもときどきコーヒーを飲みに行くんです。こういうときは誰かと話をしている方が気が紛れますからね」と女主人は言った。

花屋から戻ったとき、奥様は店の外に出ていた。奥様に花を渡して、「お力落としでしょうが、またコーヒーを飲みに参ります」と言ってその場を辞した。

ご主人は83歳で亡くなった。若い頃はバンドマンの仕事をしていて、帰宅はいつも遅かったが、50歳のときに奥様と「あるす」を始めた。会社勤めというものは一度も経験したことがなかった。「4人きょうだいの一番下で、両親からも兄姉からもかわいがられて育った人だったんです」と奥様は言われた。

夕食はひしゃも、茄子とベーコンの煮物、アボカドサラダ、味噌汁、ご飯。

デザートは梨。

2時、就寝。